Grace

 

 

その日、ギルビット港は久しぶりに賑わっていた。

 カロリアの独立、そして、それを聞きつけ新たな取引相手を獲得するべくやってきた商船。中には魔族の船も混ざっている。そのうえ、テンカブで優勝を勝ち取った者たちが帰ってきたのだ。

 被災して以来、不安な日々を送っていたカロリアの人々も、ようやく笑顔を取り戻し始めていた。

 そんな中、一艘の高速艇の甲板で、とある一組の婚約者カップルの会話が展開されていた。

 

 

「じゃあぼくは、兄上の所に行ってくるからな。くれぐれもぼくのいない間に、他所の男や女に手を出すなよ!いいなっ?」

「あのな。ほとんど皆下船しちゃうってのに、どーやって手をだせってんだよ。……って、あ〜!ちょっと待ってヴォルフラム!」

 さっさとタラップへと向かう金髪美少年を、黒髪の少年が思い出したように引き止める。

 呼ばれた美少年は呆れ顔で振り返った。

「何だ?まさか、自分も一緒に下船するとか言うつもりじゃあるまいな?ユーリ、お前は……――」

「あーっ、わかってる!わかってるって!ノーマンなりきり男だったおれは、皆の前で公然とは船を下りられないってんだろ?そのことじゃなくてさぁ……」

 有利はヴォルフラムに近付くと、片手を彼の耳に当て、何事かを耳打ちした。途端、三男の目が丸く見開かれる。

「はぁ!?お前は何を言っているんだ、ユーリ!そんなの兵として当然のことだろう!なのに何故わざわざそんなことをしてやる必要がある!?」

「いや、確かにそうなんだろうけどさぁ。でも、やっぱりおれたち三人のおも……じゃない、相手をするのは大変だったと思うんだよ。な?色々助けてくれたし」

「だからそれは兵として……って、どうせぼくが言ってもまた無駄なんだろうな。まったく。どこまでお人よしな魔王なんだ、お前は」

 やれやれという風に深いため息をついたヴォルフラムだったが、次に顔を上げた時には、嫌味のない苦笑を浮かべていた。

「そういうことは、ぼくよりグウェンダル兄上に言うんだな。奴は兄上の部下だから、それが一番いいだろう」

「あ、そうか!……って、グウェンかぁ。うーん、ちょーっと勇気がいるな〜」

 どうやって説得するかなぁ〜、と唸りながら頭を捻る王に思わず笑みをこぼしながら、フォンビーレフェルト卿は踵を返し、再びタラップへと向かって歩き出す。

「……そんなに心配しなくても、お前の言葉に従わない者などいないと思うけどな」

 

 

 

「つ……疲れた」

  部屋を出るなり、ヴォルフラムは美しく整った顔を歪めてボソッと呟いた。

「ギュンターからはよくあったが、兄上からあんなに叱責を受けたのは久しぶりだ」

「オレもですよ、閣下」

  隣に立つ体格のよいお庭番も、うんうんと頷く。

  彼らは今、血盟城のとある一室から出てきたばかり。先ほどまでその部屋で、フォンヴォルテール卿、そしてフォンクライスト卿から、重低音ステレオ叱責を受けていた。

  何しろ敵対している大シマロンにこの国の君主を連れて入り、あげくテンカブと呼ばれる武闘会にまで出場させてしまったのだから。

「しかし、はっきり言わせてもらえば、あれは全部ユーリが独断で決行したことだ!ぼくたちがとめたところで、あいつが言うことを聞かないことぐらい兄上たちだって……」

  突然、言葉だけでなく歩みまで止めてしまったヴォルフラムに、不思議に思ったヨザックは振り返った。

そこには、罰が悪そうに蜂蜜色の髪をかきあげる美少年の姿。

「……いや、やっぱり違うな。無理やり止めようと思えばできた。それをしなかったのは……ぼくたちの不手際だな」

 陰で“わがままプー”と称されている人物とは思えない発言に、ヨザックは目を瞬かせた。

これも、新しい王の影響だろうか?……いや、きっとそうに違いない。
「何だか男前になりましたねぇ、閣下」

「そうか?ギーゼラにも船で(吐き方が)男らしくなったと言われたが……。でもぼくはさっき、お前も含めて長身三人組に囲まれて、密かにちょっとへこんだぞ」
「あらまぁ。そうでしたか」
 
一緒に怒られると、何故だか妙に仲間意識や友情が芽生えたりすることがある。ヴォルフラムは今まさに、そんな状況らしかった。でなきゃ、彼が身長コンプレックスを他者に話すはずがない。
 しかし。

「グリエ!ちょっと待……何だ、お前たちまだこんな所にいたのか」
 
突然ドアから出てきたグウェンダルに、二人はさっきまでの名残で条件反射的に素早く姿勢を正した。
「グリエ、お前は城に戻ったらすぐに私の部屋に来い」

「へ?えーっと……オレだけ……で?」
「そうだ」
 
自分だけ更にお叱りを受けるようなことをしただろうか。
 助けを求めるように隣りを見れば、わがままプーは美少年らしからぬ意地の悪い笑みを浮かべていた。
「頑張るんだな、グリエ」

「……」
 
一瞬にして生まれた友情など、しょせんこんなものらしい。

 

 

 

 ヴォルテール城に着くと、ヨザックは言われた通りすぐさま上官の部屋へと向かった。

  自分より後に血盟城を出ていたため、本人はいるのだろうかと少々疑問だったが、ドアをノックすると上司の声がちゃんと返ってきた。

 

「失礼しまーす……」

  入室許可の返事をもらい、恐る恐る中に入る。と、そこには意外にも、いつもと変わらぬ様子のフォンヴォルテール卿がいた。眉間に刻まれた皴の数は、減ってはいないが増えてもいない。もしかして、用件はお叱りではないのだろうか?

  そのまま上司の机の前まで進み出ると、グウェンダルが懐から一枚の紙を取り出した。

「聞くまでもない気がするが、この白鳩便を飛ばしたのはお前だな?」

「へ?」

 差し出されたそれに、一瞬彼は首を横に振りかけた。紙上の文字が、自分のものと違って見えたからだ。

けれど、よく見ればそれは風雨か何かで掠れていただけで、内容は自分の書いたものだった。

「あっら〜。こりゃあ、読みにくかったですねぇ。でもオレ一応、最後に署名を……って、完璧に滲んでる…」

  悲しいかな、結構肝心な名前の部分は、さっぱりぽんと読めない有り様になっていた。白鳩便にもまだまだ欠点はあるらしい。

「いやぁ〜、一向に返事がこないんで、おかしいなぁーとは思ってたんですよ。隊……ウェラー卿は、陛下の事となりゃあ、血相変えて返事を送ってくるだろうと思ってましたから。その〜……あの時はまだ、あいつがあんなことになってるだなんて知りもしなかったんで」

  だからこそ、宛名をウェラー卿にしていた。

  目の前の上司は軽く息をつくと、弟の件に関しては何も触れず、自分も再びその紙を眺めた。

「やはりこれはお前か。まぁ、“あれ”と一緒にいた事といい、このふざけた前置きといい、グリエだろうとは思っていたが」

「あの〜、閣下?初めのは分かりますけど、二つ目の判断基準はちょ〜っとひどくありません?」

 グウェンダルに読まれるとわかっていれば、『それにしても陛下は相変わらず可愛らしい』なんてことは書かなかった。……多分。

  しかし、ヨザックの心中でのそんな愚痴は、次に放たれた上司からの言葉であっという間に吹き飛んだ。

「だが、この手紙で“あれ”の足跡が判り、捜索の的を絞ることができたのは事実だ。何だかんだ言って、“あれ”の身も一応無事だったし……。よくやってくれた」

「は!?」

  失礼だとわかっていながら、彼は思わず声をあげた。

  今、この強面あみぐるみ閣下の口から、とんでもなく特殊な台詞が飛び出さなかったか。

「あ、あの〜、閣下?どこか具合でも?」

「何を言っている?私はどこも具合など悪くない。それよりグリエ、お前にはもう一つ話がある」

「えっ?なっ……何すか?」

  恐々ながら尋ねると、グウェンダルは靴を鳴らしてイスから立ち上がり、机の引き出しから上等な紙でできた封筒を取り出した。

誰かに届けてくれ、という仕事依頼かと思った矢先、目前の人物はそれをこちらに差し出す。宛名には、自分の名前。

「働き者のグリエ・ヨザック、お前に特別賞与を授与する」

「はぁ!?」

  今度こそ、彼は本当に驚愕した。

「ちょ、ちょっと。どーしちゃったんですか、閣下!?やっぱり熱でもあるんじゃないですかっ?“働き者”だなんて、今まで一度も仰ったことないじゃないですか!っていうより、陛下たちの護衛をするのは兵として当たり前だし、今までだって何度かやってきましたよ!なのに何でいきなりこんな……あ!もしかして、怒っててわざとこんな優しいふりなさってるんですか?だったら勘弁して下さい!こんな閣下気持ち悪いですよ〜。普通に怒られる方がまだマシってもんです」

「……言うな、お前も」

「え゛?」

 僅かだが、その場の空気の温度が下がったように感じるのは気のせいか。

 眉間の皴を更に深くしながらも、上官はため息混じりに説明してくれた。

「勘違いするな。これは私の判断ではない。“あれ”の……魔王陛下のご意思だ」

「えぇ?へーか?」

「ああ。ヴォルフラムの話によれば、陛下は私に会ったらこのことを頼むつもりだったらしい。“働き者のグリエ・ヨザックとして、特別賞与を与えてくれ”とな。しかし陛下は、カロリアで船を下りる前にチキュウとやらに帰還された。それでヴォルフラムが、私に伝えてきたというわけだ」

 意外だなぁ、とヨザックは思う。やはり、“わがままプー”と呼ばれていたフォンビーレフェルト卿は、本当に変わりつつあるようだった。もっとも、ただ単に、婚約者として有利の遺していった思いを伝える義務がある、とでも思っただだけかもしれないが。

 しかし、最も驚くべき点はそこではないだろう。陛下が自分にわざわざ特別賞与を与えてくれるという点だ。

「けど、どうして陛下は急にそんなことを?」

「私に訊くな。お前の方こそ、何か思い当たる節はないのか?」

「はぁ。そう言われましても……ん?あああぁぁ〜っ!?」

「いきなり大声を出すな!」

 グウェンダルが遂に怒鳴ったが、ヨザックの耳には入っていなかった。

 ある!思い当たる節がある!

 

 

『無事に御帰還された暁には、働き者のグリエ・ヨザックとして、特別賞与をご検討くださいね』

『ゴケントウします』

 

 

「嘘だろ〜。あれ本気にしちゃったのかよ〜」

「……やっぱりお前が何か言ったんだな」

 やれやれとため息をつく上司に、ヨザックは頭を下げる。

「すみません……。冗談のつもりだったんですが」

「これから冗談を言う時は、時と場合だけでなく、相手も見て言うんだな」

「お勉強になりやした……」

 はぁ、と自らも珍しくため息をつくお庭番に、フォンヴォルテール卿は再度、封筒を差し出した。

「とりあえず受け取っておけ。悪いと思うのならば、それに見合う働きをすればいいだけのことだろう」

「閣下……」

 

 ヨザックは、つくづく思う。ここ数年の自分は、本当に上司に恵まれていると。

 隊長、今目の前にいる閣下、つい先日出逢った猊下。そして、とんでもなくお人よしで真っ直ぐな……新魔王陛下。

 

 眞魔国の優秀なお庭番は、その場に膝を折ると、両手で丁寧にその封筒を受け取った。

「グリエ・ヨザック、有難く頂戴いたします」

 

 

 

 

あとがき

 「地()」での魔王・庭番の会話と、「めざ()」での三男の台詞を受けて書きました。そしてこれが初書きヴォルフラム。(出番は前半だけですが。)

 有利についてですが、彼は、ヨザックがあの時ふざけて言ったのだと分かっていたと思います(←ヨザック的には半分本音もあったかもしれませんが)。でも、実際彼はよくやってくれたから、あげてもいいんじゃないかなぁ〜……と思って、ヴォルフラムに相談したのです。そういう優しい男なんですよ、彼は。()

 

 今回はちょっとしたオマケ話も付いています。ギャグでこのお話が終わってもいい、という方は、下↓へスクロールしてご覧になってください。それは嫌!という方は、「BACK」でお戻りください。

 

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おまけ

 

 

 

 

 

 〜おまけ〜

 

 

「グリエ、ちょっと待て」

 特別賞与も受け取り、機嫌良く部屋を出ようとすると、上官に引き止められた。

「はい?」

「仕事だ。再びカロリアへ戻って、その後の様子を報告しろ」

「い……今からですか!?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。

 今朝帰ってきたばかりなのに、また!?

 すると目の前の上官は、珍しく口角を上げた。

「構わんだろう?何しろお前は、魔王陛下お墨付きの“働き者”なんだからな」

「う゛っ……」

 こう言われては、「せめて今日ぐらい ゆっくりしたいんですけど……」何てことは言えやしない。

 彼は渋々ながら頭を下げる。

「……了解しました、閣下」

 ヨザックはこの時ほんの少し、さっき自分が思ったことを後悔したのだった。

 

 

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