Proof

 

 

「お、終わった〜……」

自分で聞いても情けないと思う声を出しながら、高木は机上に突っ伏した。ようやく、仕事に一段落ついたのだ。

 

ここ数日、東京は大雨にみまわれていた。おかげで、現場検証にしろ聞き込みにしろ、いつも以上に時間がかかり。それがそのまま後に続く作業にも影響し、なかなか思うように仕事がはかどらなかった。

 

「お疲れ様」

頭に微かに重みを感じた。降ってきた声で、相手が誰だかはわかったが。

「……佐藤さん。労ってくれるのも 缶コーヒーも すごく嬉しいんですけど、これじゃ起き上がれません」

「あら、バレた?」

突っ伏したままの高木の頭に缶コーヒーをのせた張本人は、悪びれた様子もなく笑った。

仕方なく自身の腕を動かし、頭上の物をとる。冷やりとした感覚が手に伝わった。

「ね、高木君はもう上がれるの?」

「ええ。ここ数日手間取っていた事件に、ようやくかたがついたので。今さっき報告書も出してきましたし、今日は久しぶりに日付が変わる前に帰れそうです」

「そう、それならよかったわ。私もちょうど今から上がりなんだけど、高木君、これからちょっと私に付き合ってくれない?」

「え?」

チラ、と壁に掛かった時計を見れば、10時半過ぎ。今からということは。

「またどこか、美味しいラーメン屋でも見つけたんですか?」

「あら、ラーメン食べたいの?残念ながら今回は、食べ物系じゃなかったんだけど……」

「あ、いや!別に食べたいとかそんなんじゃありませんよ。ただ、今から行くような場所って何処かなぁ〜、と思って」

慌てて顔の前で手を振りながら言うと、佐藤がふふ、と意味ありげに笑った。

「それは、着いてからのお楽しみよ」

 

 

 

賑やかで明るい都市を抜けたのは随分前のような気がする。赤いボディーのアンフィニは、その華やかさには不似合いな 暗い山道を走っていた。

一体どこまで行くのかと、運転席でハンドルを握る佐藤に何度となく問いかけたくなったが、さっきの意味ありげな笑顔を思い出し、やめていた。きっと尋ねてもあの時と同じ返事しか返ってこないだろう。

「いいんですか?捜査車両使っちゃって」

「細かいこと気にしないの。後でちゃんと返せば大丈夫よ」

「はあ……」

山道はカーブが多いため、曲がる度に遠心力で左右に揺られる。佐藤のこんな運転にも、もうすっかり慣れてしまった。長年とまではいかなくとも、何度も捜査を共にした結果だろう。

「最近の大雨は凄かったわよね」

 チラリと上空に目を向けながら、佐藤が言う。

「よかったわ、今日は晴れてくれて」

「ええ。やっぱり捜査のときは晴れてくれた方が助かりますよね」

「……」

 返事がないのを不審に思い 隣を見ると、佐藤が呆れたような視線をこちらに送っていた。

 しかし、運転のためか、すぐにまた前を向いてしまう。

「え?あの……」

「ほんとに気づいてないのね」

「へ?」

「まぁ、いいわ」

 佐藤はそれ以上 何も語らなかった。自分は何かおかしなことを言っただろうか。

 相手の表情を窺おうとしたが、山の暗さが邪魔をして、彼女の整った輪郭以外は何も分からなかった。

 

 

 あともう少しで山の頂上に着こうかというところで、佐藤は横道に入って車を停めた。

「ここからは歩きましょ。そんなにかからないから」

 言うと、彼女は何の躊躇いもなく茂みの中へと分け入っていく。

「ちょ、ちょっと佐藤さん!?山頂の道はあっちで……――」

「誰が山頂に行くなんて言った?私の目的地はこっちよ。大丈夫、足場は安定してるから落ちたりしないわ」

 話しながらも、佐藤はずんずんと先に進んでいく。高木も慌ててそのあとを追った。

 

 そこは、鬱蒼としていて薄暗かったが、佐藤の言うように足場が平らだったため、さほど恐怖は感じなかった。夜の山なんて事件の捜査時ぐらいしか来たことがなかったが、それでも捜査のために辺りをライトで明々と照らすため、こんなに暗くは感じない。そのライトもない今は、樹木の隙間から差し込む月明かりの青白さが余計引き立って感じた。ネオンが一杯の街では普段なかなか月の光なんて感じないが、今はそれが唯一の光源だ。

「昔ね」

 不意に、佐藤が口を開いた。

「まだ、父が生きていた頃。久しぶりに父が、日曜日に非番をとれることになったの。凄く嬉しかったわ。一緒に遊園地に行く予定だったのよ」

 突然の話題に、高木は困惑した。脈絡がない。彼女は何が言いたいのか。

 とりあえず黙り、佐藤の二の句を待つ。

「でも、丁度その頃は台風の時期で。その時も運悪く前日から台風がきちゃったの。結局、台風が完全に去ったのは日曜の夜で、遊園地には行けなかったわ。父と出掛けられなくて、私、拗ねちゃってね。ほんと、今思うと恥ずかしいんだけど。そんな私を、父が連れ出してくれたのが……」

 ピタリ、と佐藤の足が止まった。

「ここよ」

「う……わ……」

 あまりのことに、高木はポカン、と上空を見上げた。

 急に視界が開けたそこは、それまで生い茂って夜空を遮っていた樹木もなく、ここだけぽっかり誰かがくりぬいたかのように空が見える。それも、ただの闇色だけではなく、たくさんの星々。

「凄い……」

「でしょ?私も初めて見た時は驚いたわ」

「東京にもこんな場所があるんですね。僕、こんなにたくさんの星を見たのはプラネタリウムぐらいですよ」

「確かにそうよね。東京の繁華街にいたら、まず見れないわ。それに、今日は大雨の後だったしね」

「大雨の後?」

 佐藤が空へと向けていた顔をこちらに向ける。

「あら、知らない?嵐が去った夜は、空がいつもより澄んで、星もいつも以上にはっきりと見えるそうよ」

「へぇ……。あっ、じゃあ、佐藤さんがお父さんと一緒に来た時も?」

「ええ。すごく綺麗だったわ。星が降ってくるようだ、なんて表現があるけど、ここで空を見てると、ほんとにそんな気がしてくるのよね」

 す、と彼女が空に向かって両手を伸ばす。まるで、降ってくるという その星を掴もうとするかのように。

 月光が、伸ばされた佐藤の手を一層白く見せた。

「実はね、さっきの『嵐が去った夜は…――』って話は、その時父が教えてくれたの」

 

『嵐が去った夜は、空がいつもよりも澄んで、星が普段よりずっと輝いて見えるんだ。……人生も同じだよ、美和子。どんなに辛くて苦しい時も、いつかは去る。そしてその先には、輝く希望が待っているんだ』

 

「素敵な言葉ですね」

 素直な感想がこぼれた。しかしその高木の一言が、佐藤を現実に引き戻してしまったらしく、彼女はパッと他所を向いてしまった。自分の発言が恥ずかしくなったらしい。

「そ、そう?ちょっとクサイなぁ〜、とか思わなかった?」

「思いませんよ、そんなこと」

 必死に照れ隠しをする佐藤が実に可愛らしいと思ったが、あえて言葉には出さなかった。そんなことを口にしようものなら、彼女は更に顔を赤くして、あっという間に車へと引き返してしまうだろうから。

「じゃあここは、佐藤さんの思い出の場所なんですね」

「そうよ。私と父の、二人だけの秘密の場所」

「え?」

 高木は一瞬、我が耳を疑った。

「秘密の……場所?」

「ええ」

「佐藤さんとお父さん、二人だけの?」

「そうよ?」

「だったら、どうして僕を連れてきたんです?僕にここを教えちゃって よかったんですか?」

「……」

 佐藤が言葉を失った。そんなこと思いもよらなかった、という表情だ。

「そう言われてみればそうよね。どうしてかしら……」

 彼女は不思議そうに腕を組み、ちょっと唸ったが、すぐに「でも」とこちらを見上げてくる。その瞳には、自分と一緒に夜空の星もいくつか映っていた。

「何となく、高木君になら教えてもいい、って思ったのよね」

「え?……」

 今度は高木が言葉を失う番だった。ゆっくりと、頭の中で今の佐藤の言葉を反芻する。

 娘と父、二人だけの秘密の場所。

 その場所を、彼女は自分になら教えてもいいと思った。

「佐藤さん、それってつまり…――」

「あっ!」

 なぜだろう。せっかく無い勇気を絞り出して核心に迫ろうとしたのに、その相手によってそれは阻まれてしまう。

 がっかりする間もなく、佐藤にクイ、とスーツの袖を引っ張られた。

「見て!天の川よ」

「え?」

 言われるがまま空を見上げる。

 彼女の指差す先には、星々の川が白く、ゆったりと流れていた。

「ほんとだ、全然気づきませんでした。綺麗ですねえ」

「ほんと。私、七夕に天の川を見たのって久しぶりよ」

「僕もですよ。……って、は?七夕?」

 薄闇の中で、佐藤が苦笑する気配がした。

「やっぱり気づいてなかった?今日は七夕。そして高木君、あなたの誕生日よ」

「そっか……、今日は七日……」

 言われてようやく気づいた。

 このところ仕事に追われていたため、曜日どころか日付の感覚までなくなってしまっていたが、今日は自分の誕生日。

「佐藤さん、覚えていて下さったんですね」

「当然よ。……と言っても、実はまだプレゼントは用意できてないんだけどね。ごめんね、なかなかこっちも捜査に手間取ってて。今日はこの星空で我慢してくれる?近いうちに必ずプレゼント買うから」

「そんな、気にしないで下さい。こんな綺麗な星を見られただけで充分です。それに……」

 高木はみなまで言わず言葉を呑み込んだ。自分が今言いかけた言葉がどんなに恥ずかしい台詞か、気づいたからだ。

「え?『それに』 ……何?」

「あ、いえ!忘れて下さい!」

 瞬間、佐藤の表情が変わった。ズイッ、とこちらに距離を縮めてくる。

「何よそれ?そんな中途半端にやめられたら気になるでしょ?言いなさいよ、高木君」

「いや、ほんとにこればっかりは……」

「駄目。言って」

「え〜っと……。あっ、そろそろ車に戻りません?」

「高木君!」

「勘弁して下さい〜〜〜!!」

 

 

 

どんなに可愛らしい表情で迫られても、こればっかりは恥ずかしすぎる。

「さっきのあなたの一言が、何よりの誕生日プレゼントです」、だなんて。

 

『高木君になら教えてもいい、って思ったのよね』

 

 それは、佐藤にとって自分が“特別”であるという、何よりもの証。

 これ以上のプレゼントなんて、きっと、どこに行ったって見つからない。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 高木刑事の誕生日&5千ヒット御礼企画の話でした。久しぶりに書くコナン話で、ちょっと手間取った気が。そしてこの話の高木刑事と佐藤さんはつきあっているのかいないのか……まぁ、ご想像にお任せします♪ふふふ。

そんなわけで、この話は一応フリー配布となっております。が、フリーにするには不適切な文量になってしまい……。(苦笑)それでもいいよ、という懐の広い方は、どうぞ貰ってやって下さい。

ちなみに77日が高木刑事の誕生日というのは、非公式です。高木刑事の声を担当していらっしゃる高木渡さんが7月生まれ&高木刑事のテレビ初登場が77日だったということで、この日に非公式に誕生日をお祝いしているわけです。高木刑事、誕生日おめでとうございま〜す♪

 

 

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