「その紙を……すぐにあなたに見せたくて……」 薄れゆく意識の中、必死に声を絞り出し、紙を彼女に差し出した。 間違いない。確信があった。これは、七年前と三年前の爆弾事件と同じ犯人からのもの。 「あ、あなたを悩ませている消せない記憶……それを吹っ切るチャンスですから……」 意識を保てたのは、そこまでだった。 閉じる間際の瞳に映ったのは、憎しみに顔を歪ませる彼女の姿だった。 朝 ・ 昼 ・ 夜 コン、コン。 扉を叩く音に、薄っすらと目を開けた。 視界に広がる白い天井と、自分の周囲に置かれた機械が、ここは病室であることを思い出させる。 「白鳥君、入るぞ」 声の主は目暮。しかし、扉の開く音と共に流れてきた靴音は複数だった。 自分の脇の丸イスに腰掛けていた人物が立ち上がる。ずっと自分に付き添ってくれていた由美だ。 「目暮警部!美和子たちも」 「お疲れ、由美」 軽く片手を上げる佐藤の姿が見えた。確か、問題の爆弾犯を佐藤と高木の二人が逮捕した、と夕方 由美から聞いたが……。 白鳥の心を見透かしたわけではないだろうが、由美が似通ったことを口にした。 「それはこっちの台詞よ。爆弾犯、ついに捕まえたんでしょ?お疲れ様。美和子と高木君が、路地裏に追い込んだんだって?」 「ん……まぁ、ね」 なぜだかちょっと、頬を朱にして由美から目を逸らす佐藤。 気になった。何かあったのだろうか。 気持ちは由美も同じだったらしく、怪訝そうな顔のまま佐藤にそれを追及しようとしたが、その前に目暮が割り込んできてしまった。 「それで、白鳥君は?昼間に意識が戻ったそうだが」 「ああ。それが丁度さっき寝ちゃいまして……――」 「いえ……」 声を絞り出すと、その場の全員の視線が自分に集まる。振り向く際に由美が一歩退いたため、高木と千葉の姿もそこでようやく見えた。 「こんなに色々な声がすれば、目も覚めますよ……」 「白鳥君!」 「大丈夫ですか!?」 「一応、何とかね……」 苦しい息の下から、できる限りしっかりとした口調を出す。息をする自分の胸の上下運動が、普段よりもいくらか速いことを自覚した。 すまなそうな顔をした目暮に見下ろされる。 「どうやら起こしてしまったようだな」 「いいですよ、気になさらないで……――」 「気にするに決まってるでしょ?」 白鳥の様子に見かねたらしい。佐藤が少し眉根を寄せながら傍に寄ってくる。 「ほら、無理して喋らなくていいから。寝てないと」 ずっと寝たきりでも、やはり少しは動いているようだ。ズレかけている掛け布団を、佐藤が整えてくれる。 その彼女の背後では、由美が目暮たち三人に、昨日からの白鳥の容態を説明し始めるのが見えた。佐藤もそれに加わろうと、踵を返しかける。 「佐藤さん……」 息切れしそうになるのを堪え、呼びかけた。呆れたように彼女が振り返る。 「だからぁ……――」 「いえ、これだけは……」 喋らないよう注意される前に、先手を打った。彼女を見詰める瞳に、強い色を込める。 その想いが通じたのか、佐藤が諦めたようにこちらに向き直った。 「わかったわ。何?」 「吹っ切れ……ましたか……?」 「え?」 相手が瞠目する。 「あなたを悩ませている、消せない記憶……吹っ切れましたか?」 「……」 言葉を失う佐藤に、白鳥は内心 苦笑した。やはり質問が唐突すぎたか、と。 けれど、聞いておきたかった。自分は彼女に予告文を渡すことしかできなかったけれど、犯人は無事捕まったけれど、彼女の中で決着は……ついたのか。 暫く黙ったままこちらを見詰め返していた佐藤だったが、やがて小さく息を吐いた。 「松田君のことを忘れることはできなかったわ。ううん……できない。 だけど……――」 スッ、と上がった佐藤の顔は、微笑んでいた。 そして、その視線の先には……。 「だけど、吹っ切ることはできた……かな」 「そう、ですか……」 自分以外に向けられたその微笑みを見上げながら、まいったな、と白鳥は心中で独りごちた。こんな顔をされては、自分に勝ち目はもう無いと宣告されたも同然ではないか。 白鳥は、自分が倒れてからのことをぼんやりと思った。 あれから夜がきて、朝がきて、昼がきて、こうしてまた夜がきて。 倒れていたたった一日の間に、彼女の想いの向く先は完全に定まってしまったようだ。 ―――どうやら昨日今日と、僕は厄日らしいな…。 「そうだ、白鳥君にお礼言わなくちゃね。この怪我だって、そのせいなんだし……。あの時、私に予告文を渡そうとしてくれてありが……――」 「要りませんよ、佐藤さん」 ゆっくりとだが、口を弧に形作る。ここしばらく、動かしていなかった筋肉だ。 「吹っ切れた……、その言葉を聞けただけで、十分です」 悔しいけれど、彼女が吹っ切れた原因は自分じゃない。だから、礼は要らない。 そんな白鳥の気持ちを知るはずもない佐藤から、返事の代わりに返された穏やかな微笑みは、今の彼にとって痛み以外の何物でもなかった。 「何ですか、白鳥さん?僕に話って」 輪の中に戻る佐藤に、高木を呼んでくれるよう頼んだ。 やってきた相手を見上げ、白鳥は小さく笑む。 「どうやら僕のやりたかった役は、君がやってしまったようだな……」 「へ?」 高木がキョトン、とした顔をする。突然の言葉に頭の理解が追いつかないようだ。 しかし、それには構わず白鳥は続ける。 「だが僕は、まだ諦めませんよ。諦めたら そこで終わってしまうのだからね」 「は、はぁ……」 曖昧な答えを返す高木は、どう見てもこちらの真意を掴めてはいない。 しかし、それならそれで構わない気がした。こちらは言いたいことをしっかり言ってやったのだから。 「それじゃあ、あんまりしゃべると今度こそ本当に佐藤さんに怒られてしまうんでね」 それだけ告げると、困った様子の高木をほったらかして両目を閉じた。 あとは彼が気付くか気付かないかの問題だけ。自分の知ったことではないだろう。 相手はしばらく迷っているようだったが、 「で、では……、おやすみ……なさい」 と小さく挨拶を残すと、ベッドから静かに離れていった。 夜がきて、朝がきて、昼がきて、また夜がきて。 たった一日の間に奪われてしまった役。 彼女を苦しい過去から解放するという、とても重要な役。 けれど、忘れてはならない。 脇役だって、時には主役並みに活躍することがあるということを。 そう、人生はいつだって、どう転ぶか分からないのだ。 ―――だからまだ、諦めたりは、しない。 |
あとがき 初挑戦だった白鳥さん視点。いかがでしたでしょう?できるだけかっこよくした……つもりです、これでも。 ちなみに今回、「おまけ」をつけてみました。この話の直後なのですが、なんだかこの話の雰囲気から浮いているような気がして(苦笑)、カットしたものです。 どんなオチでもいいという心の広い方は(笑)、この下をスクロールしてどうぞ。 |
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< おまけ > 高木が 椅子に座っている四人の元へと戻ると、目暮が見上げてきた。 「白鳥君は?」 「寝ちゃったみたいです」 「白鳥さん、何だって?」 千葉も見上げてくるが、高木は肩を竦める。 「それがさっぱり。やりたい役があったとか、僕は諦めないとか言ってたけど」 「役?昇進のことでも気にしとるのか?今回のことは別に昇進には響かんと思うが……」 「さぁ。僕にもよく……」 「――……じゃない」 「 ? 」 由美がボソッと何か呟いた気がした。 「由美さん、何か言いました?」 「へ?ううん、何も」 不自然なくらいにニッコリとした笑顔を返される。そんな由美の様子を怪訝に思いながらも、高木は自分もイスに腰を下ろした。 一方の由美はといえば、内心で呆れ果てていた。 ―――昇進のことなわけないじゃない。 さっきの佐藤の反応を思い出す。 『美和子と高木君が、路地裏に追い込んだんだって?』 『ん……まぁ、ね』 あの様子からするに、二人に何かあったのは間違いない。きっと、白鳥もそれに気付いたのだろう。 それだというのに。目暮はともかくとして、なぜ高木はわからないのか。佐藤に関すること以外に、どんな役があるというのだ。 ほんと、これじゃ白鳥君も報われないわよね。 |