自分が間違ったことをしただなんて、そんなことは思っていない。 創主たちを完全に滅ぼすには――“彼”の願いと約束を果たすためには、ああするしかなかった。 そしてやはり、渋谷はそれに見事に応えた。それも、僕と“彼”の期待以上の形で。 だから、僕の判断は間違ってやしない。間違ってやしないけれど……。 ただ、渋谷を取り巻く人たちにとっては――彼を大切に思っている人たちにとっては、僕のしたことは許し難いことだっただろう。 もちろん、渋谷 本人にとっても、きっと……――。 A
lucky dog 心地よい風がフワリと通り過ぎ、村田の髪を揺らした。少し髪型が乱れた気もするが、元々癖っ毛だからと特には気にしないことにする。 膝を抱え、その膝の上に顎を乗せた姿勢で、村田は眼下で繰り広げられている光景をぼんやりと眺めていた。 「陛下、いきますよー!」 「よし、ど〜んと来い!……って言うか、こんな時まで陛下って呼ぶなよ、名付け親。それに、今は野球やってるんだから、か・ん・と・く!」 「はは、そうでした。すみません、監督」 村田が陣取っている草の斜面の下に広がるのは、魔王の十六歳の誕生日に造られたというボールパーク。整備もだいぶ整ってきたそこは、最近では子供たちにも開放されている。しかし今日は子供たちに教えるためではなく、血盟城のメンバーを集めての野球の練習のために使われていた。 ピッチャーにはウェラー卿、キャッチャーには魔王でありこのチームの監督も務める有利が就き、試合が展開されている。とはいえ、その二人以外は皆、数ヶ月前まで野球の存在すら知らなかった者ばかり。普段の武具の代わりにグローブを手にした兵たちは、まだルールにも動作にも慣れていないようで、どうにも試合の進行はのんびりとしていた。 村田にしてみれば結構退屈そうに見えるのだが、有利は楽しいらしい。「陛下」と呼ばれるのは嫌がるのに、「監督」と呼ばれるのは嬉しいというのも、村田には不思議だった。どれだけその役職に憧れていたかの違いだろうか。 「猊下は おやりにならないんですか?」 「!?」 いつの間にいたのだろう。振り返るとすぐ傍に、ヨザックが立っていた。 彼も風に吹かれたらしく、オレンジの髪がほんの少し乱れている。 「どうしました?ぼーっとして」 「……気配を消して近付くの、やめてくれない?」 「おや。ぼーっとしてたんじゃなくて、オレのせいときますか」 苦笑しながら、お庭番は了解も得ずに村田の隣に腰を下ろした。無論、村田とていちいち咎めるつもりもないが。 「君も野球に?」 「ええ、坊ちゃんに誘われましてね。でもオレ、国外任務が多くてあんまり練習に参加できてないんですよね〜。未だにやり方も把握してませんや」 はは、と笑うお庭番の横顔を、村田はただ黙って自嘲気味な笑顔で見上げる。 「で、猊下は参加しないんですか?坊ちゃんの話によれば、猊下も陛下と同じヤキュウの“ちーたー”のお一人なんでしょう?」 「“チーター”?……ああ、もしかしてチームのこと?」 ひどい間違い方だ。まぁ、某テレビ番組の嘘つきなチーターの役目なら、野球をするよりも遥かに完璧にこなせる自信があるが。 「僕はマネージャー……マネージャーっていうのは、選手のお手伝いみたいなもんなんだけど。そういう役割だから、チームの一人ではあるけど、試合に参加してるわけじゃないよ。僕も実際にやるのは苦手」 胡坐の足を組み替えながら、「へ〜」とお庭番が呟く。 「そんな役もあるんすか。それなら今日がいい機会ですし、一緒にやってみたらどうです?苦手と言っても、オレたちよりは やり方や決まりもご存知……――」 「もういいよ、ヨザック」 「……は?」 相手が固まる。その顔をゆっくりと見上げた。再度、自嘲の笑みがこみ上げてくる。 「無理しなくていい。無理して僕に話しかけたり、無理して僕を誘ったりしなくていい」 「!?」 わずかな瞠目だけで済ましたのは、さすが優秀な彼だと思った。だが、自分の目は誤魔化せない。 「猊下、オレは別に…――」 「気にしないで。別段、君だけじゃない。ウェラー卿も、フォンヴォルテール卿も、フォンクライスト卿も……皆、無理してる。無理して僕に話しかけて、笑いかけてる」 その笑顔がどれだけ引きつっているか、知らないだろう? 彼らが優しいから故の行為だとは十分理解している。だがそれは、村田にとっては時にひどく痛い。もう、それに耐えるのは限界だった。 暫く口を閉ざしたヨザックは、やがてゆっくりと言葉を吐いた。彼らしくなく、目を伏せる。 「申し訳ありません、猊下。でもオレたちは……」 「分かってる。それに、別に謝って欲しいなんて思ってないよ。僕がしたことを考えれば当然さ。創主を滅ぼすためとはいえ、一瞬でも君たちを裏切り、魔王を――渋谷を失うかもしれない恐怖を味あわせたんだから」 彼らの行動は当たり前。無視されないだけマシな方だ。 そう、何のわだかまりもなく以前と変わらない関係でいられる方がおかしい。 おかしいのに。 「でも、渋谷だけは……」 「え?」 「渋谷だけは、前とちっとも態度が変わらない」 見下ろす先では、有利がコンラッドの球を受けていた。見事、ストライクだったらしい。有利の「ナイス、コンラッド!」という嬉しそうな声が聞こえる。 「不思議なんだ。僕は眞王廟で渋谷をあの闇に突き飛ばした。……もちろん、渋谷ならあそこから抜け出せると信じていた。けど、絶対大丈夫だという保障はどこにもなかった。そんなの、渋谷を裏切ったのと同意だ。なのに……彼の態度は少しも変わらない」 地球でも、この世界でも。 有利だって、本当は許してなんかいない筈だ。突き飛ばした瞬間に彼がこちらに向けた、“信じられない”という表情を、声音を、忘れてはいない。 「もしかしたら、渋谷に一番無理をさせてるのかもしれない」 「それは違うんじゃないですかね、猊下」 それまであまり歯切れのよくなかったヨザックが、急にきっぱりと言い放った。 何事かと見上げれば、彼の蒼い瞳とかち合う。 「違いますよ。 坊ちゃん……陛下は、そういうことを気にするお方じゃないでしょう?」 そこまで言うと、ヨザックが何故だか大げさに肩を上下させてみせる。 「何しろ、羊突猛進ですからね〜。もう、今目の前しか見えないって感じ?ほんと、護衛にとっちゃ心臓に悪いお方ですよ」 「……それ、渋谷を非難してるの?」 「いーえ。一見欠点に見えるものも、見方を変えればいい点に変わるってことです」 「は?」 どういうこと、と尋ねる前に、渦中の人物の大きな声が届いた。 「ヨザックー!きてたんだな!何やってんだよ?早く来ないと、3回表、始めちゃうぞー!」 「はいはーい!今行きますからねー、坊ちゃん!……それじゃ、呼ばれちゃったんで行ってきますね、猊下」 有利に叫んだ後、村田にも一言残し、お庭番は走り出してしまう。 「も〜、陛下ったら!グリ江のこと、そんなに心待ちにしてくれてたのね〜!」 「あ〜……。確かに待ってたけど、グリ江ちゃんが言ってる意味とは違うと思う」 チラとこちらに向けられた笑顔は、前ほど不自然さは感じられなかった。 日も暮れはじめ、通り過ぎる風も少し冷気を持ち始めた頃。 本日の魔王陛下の野球講座はお開きとなった。 「お疲れ、監督」 野球の用具を手に城へと引き返していく兵たちに逆らって、村田は有利の元へタオルを手渡しにいった。これも、マネージャーの仕事の一つ。 「おっ!サンキュー、マネージャー」 有利がニコリと笑い、受け取ったタオルで汗を拭う。その笑みにはやはり、嬉しさという以外、何の色も窺えない。 「ん?村田、どうした?」 じっと見つめすぎた。有利が不思議そうな顔でのぞき込んでくる。 すぐにいつもの笑みをつくった。 「ん?別に?君があんまりにも楽しそうだから、そんなに野球はいいものなのかな〜って」 「はぁ!?何言ってんだ、村田?野球が楽しくない奴なんて、この世にいるわけないだろ」 それは渋谷の思い込み、との突っ込みは心中だけに留めておく。 有利が先に歩き出す。 「おまけに、その野球をこっちの世界でもできるんだぜ?そりゃあ、嬉しくもなるわけよ」 有利の後に続こうと村田も一歩足を出す。だが、有利がすぐに立ち止まったので、彼もまた足を止めた。 有利がゆっくりと振り返る。 「村田、ありがとな」 「え?」 妙に改まった様子の有利の顔を、村田は疑問に思った。彼の言葉の意味が分からない。 「僕は今日は、特にマネージャーらしき仕事してないけど?」 「え?……あぁ、いや、そうじゃなくてさ。 あっ、もちろんマネージャーしてくれてることも有り難く思ってるぞ?でも今はそのことじゃなくて……」 独りでワタワタと両手を振りながら弁解するその様は、とても王とは思えない。 だが、実にこの王らしい。 「あの時さ、創主との戦いも終わって、もう眞魔国に行けないんだっておれがヘコんでた時……村田が池に突き飛ばしてくれただろ?あれ、本当に感謝してる。おれホント鈍いからさ、きっと村田がああしてくれなかったら、自分の力で眞魔国に行けるなんて気づかなかったと思う」 「でも……僕は確信がなかったんだよ?」 あの時も、あの真っ暗な眞王廟でも。 信じられない思いで呟くと、相手にパン、と軽く背を叩かれる。 「何言ってんだよ。“だからこそ”だろ?自信がなかったのに、お前はやってくれた。もしあの時村田が諦めてたら、おれは今ここにはいないし、こっちでこうして野球もやってない。本当に、感謝してる。ありがとな」 「渋谷……」 脳裏によみがえる、さっきのお庭番との会話。 『何しろ、羊突猛進ですからね〜。もう、今目の前しか見えないって感じ?ほんと、護衛にとっちゃ心臓に悪いお方ですよ』 『……それ、渋谷を非難してるの?』 『いーえ。一見欠点に見えるものも、見方を変えればいい点に変わるってことです』 「なんか……悔しいなぁ」 「は?」 思わず出た本音に、不思議そうに有利が訊き返してくる。 中2中3と同じクラスで、よく行く本屋もコンビニも、近道する公園も同じ。もっと遡れば、小6で一学期だけ通った塾も、その帰りに寄ったラーメン屋も同じだった。 自分の方が有利との付き合いが長いのに、出会って数ヶ月のヨザックの方が、有利のことをずっと理解している。 「ヨザックに負けられないな」 そう。彼の言う通り、この王はいつも前を見てる。 「はぁ?なぁ村田、お前さっきから何わけわかんないこと言ってんだ?」 昔を振り返ったり、相手のマイナス面を見るのではなく、 「……あっ!もしかして、お前もついに野球やりたくなったのか!?そんで、ヨザックのやってた外野手がやりたいのか!?」 今を今として受け止める。 「まさか。僕は地球でもこっちでも、君のおにーさんが大好きな眼鏡っ子マネージャーしかやらないよ。そうじゃなくて、僕も護身のために女装の技を身につけようかと思ってさ」 「え゛っ……」 相手のプラス面を拾い上げる。 「おーい、渋谷くーん?そこは本気で引くトコロじゃないだろー?冗談だって分かってよぉ」 「いや、お前HGの格好したりするから冗談に聞こえねーよ」 渋谷 有利とは、そういう人物。 「ひっどいなー。僕を女装中毒の人と一緒にしないでよねー」 「いや、お前のその物言いの方がよっぽどひどいから。ヨザックに対して」 そしてそんな彼と出会えた自分は、 とんでもない “A lucky dog(=果報者)”。 |
あとがき 「宝(マ)」でヨザックに 『初対面の印象はどうでもね』『今は今だから』 と言っていた有利なら、ムラケン君にもこんな風に接するんじゃないかと思いまして。 じゃあ、何で有利以外のメンバーはわだかまりが……というと、やはり最終回のシーン。地球へ還るムラケン君にウルリーケ以外誰も声をかけなかったのが、彼らの心情を表しているのかな……と思うようになって。 なので、以前書いた「Trust」とは違うヨザックがこの話にはいますが、別物の話と捉えていただけると幸いです。(苦笑) |