家鴨 地球の表現を使えば、草木も眠る丑三つ時。眞魔国の表現を使えば、骨地族も埋まるといわれる羊幾つ時。周囲の闇を照らすのは、小さな星々とほのかな明かりを放つ月のみだ。 そんな暗闇の中、とある人物の寝所に滑り込む影が一つ。それは、寝ている人物の枕元へと音も無く近付き……悲鳴を上げた。 「ひっ!待て待て隊長!オレっ!オレオレ!あんたの愛する幼馴染!」 「俺には愛する幼馴染などいない」 「わかった!じゃあ只の幼馴染!」 「言われなくてもお前だとわかっている」 「わかってんなら剣抜くなよ!」 「わかってるから抜いたんだ」 ギロリ、と鋭い眼光で射抜かれ、侵入者はたじろぐ。 が、すぐにもとの調子に戻り、何処から出したのか白いハンカチをくわえてよよ……と泣き崩れた。相変わらず剣の切っ先を喉元に突きつけられたままで。 「ひどい!隊長の鬼!人でなし!グリ江が折角しおらしく謝りに来たのに〜」 「謝罪も しおらしくする必要もないから、さっさと出て行け。誰かに誤解されたら迷惑だ」 「あらやだ隊長ったら、グリ江と噂になりそうで照れてるの〜?……ぎゃっ!」 「命が惜しければ今すぐさっさと出て行け!」 「待て!落ち着け!わかった、オレが悪かった!だからとりあえず剣をひっこめてくれ、な?」 本気で生命の危機を感じ、慌ててふざけた態度を消せば。相手は渋々、という風ではあったが剣を鞘へと仕舞ってくれた。しかし、その間もこちらに向けられた鋭利な眼光は健在だ。 まったく、この幼馴染がここまで“これ”にこだわっていたとは。 自然、ヨザックの視線は自身の腕に抱えた布包みへと向けられた。 ことの起こりは昼過ぎまで遡る。照りつける太陽も、まだ空の高い位置にある頃だ。 久しぶりに入った幼馴染の部屋は、相変わらず物が少なかった。あちこちに、使われずに埃を被った高級家具が鎮座している。 「宝の持ち腐れだな。せっかくこんないい部屋あてがわれてんのに」 「いいんだ。どうせまたすぐに旅立つ」 机上に荷を降ろしながら、相手が笑う。 この幼馴染は軍籍を離れてここ数年、あちこちに放浪の旅をしていた。そのため、貴族仕様のこの部屋も、年中ほぼ無人。奴が部屋の掃除も不要と告げたため、いかんせん埃っぽい。 相手も同様に感じているのか、すぐさま窓を開けた。室内に流れ込んできた柔らかな風が、頬を掠める。 「ん?お前、こんな可愛らしいもの持ってたっけ?」 物の少なさで尚更目立ったのかもしれない。お庭番の視線は、棚に置かれた黄色い物体へと注がれた。 指差せば、相手が柔らかく微笑む。 「ああ、それ」 「あんたの兄上さまに趣味が似てきた?あの人がこれ見たら、欲しがりそー」 「実際言われたよ。あみぐるみと交換しないか、って。丁重にお断りしたけど」 コンラッドの意外な言葉に、ヨザックは少し目を見開く。この幼馴染が兄の頼みを断るとは珍しい。よほど手放したくないようだ。 そんなに価値のある品なのだろうか。荷物の整理を始める幼馴染を横目に、棚のそれへと手を伸ばす。 「へー、意外と柔らかいんだな。ぷにぷにしてる」 「何っ!?」 素直な感想をもらせば、相手が血相を変えて振り向いた。 「んん?何だ、持ち主のくせに知らなかったのか?ほら、こーんなに潰れる……」 「バカッ!やめ……――」 めきょっ。 「 …… 」 「 …… 」 黄色い物体は、聞いたことのない音を立てて潰れた。仕方ないだろう、こんな素材に出会ったことがなかったのだから。 恐る恐る、ヨザックは手の力を抜く。すると黄色の物体はゆるゆると原形に戻った。しかしその側面にはハッキリクッキリ亀裂が入っている。しかも二つ。 「あっ、いや。これはぁ……力の加減を誤ったというか……」 「……け」 「悪かった。でも、こんな簡単に潰れるとは……」 「……いけ」 「はい?」 相手が何か呟いた気がして小首を傾げれば。それまで俯いていた幼馴染が、ゆらり、と顔を上げた。 「命が惜しければ今すぐ出て行け」 戦場でこいつに斬られた奴らの気分が、ほんの少し分かった気がした。 そうして、今この夜に至る。 ヨザックは無言で手にしていた包みを相手に差し出した。怪訝そうに見上げられる。 「いいから受け取れ。爆薬なんて入ってねぇーから」 ほら、と再度押し付ければ、相手が仕方ないといった態で受け取る。しかし、それを手中に納めた瞬間、その表情が変わった。慌てたようにベッドに載せ、包みを解く。そこに現れたのは。 「これ……」 「魔石を使った修理屋を知っててな。そいつに頼んで直してもらった」 布の包みから顔を出したのは、昼間の黄色いアヒル。けれど、その何処にも亀裂は見当たらない。 「言っとくけど、これはついでだからな。オレはこの修理屋の近くの店に用があって、ついでに寄っただけだ」 付け加えるように言ったそれに、嘘は無い。事実本当に、近くの店に用事があった。ただ、今日済まさなければならない用だったかと訊かれると、答えは否だが。 黙ったままの相手が、ベッド上のものをゆっくりと手に取る。壊れ物を扱うかのように、そっと。 しばらくそれを眺めた後、コンラッドはようやくこちらを見た。笑顔で。 「感謝する。有難う」 心底嬉しそうに笑うものだから、本当に嫌になる。どうしてこの相手はこう、妙なところが素直なんだろう。 どうにも居た堪れなくなり、相手から視線を外すと、ヨザックは昼間からずっと気になっていたことを口にした。 「なぁ。それって何なんだ?」 この幼馴染が、ここまでこの品に執着する理由。 問いかければ、簡潔明瞭な答えが返ってきた。 「ビニールという素材でできた、ただのアヒルのおもちゃだよ」 そんなことを訊きたんじゃないんですけどねぇ。 思いながらも、「ふーん」と頷いておいた。きっとこの男だって本当は、質問の意図を分かっているのだから。それに、今回はこのアヒルを壊してしまった負い目もある。 「……ほんと、この獅子はどこに牙を置いてきたのやら」 呟くように言ったお庭番の言葉は、手中の黄色を愛しそうに見つめる男の耳に届くはずもなかった。 幼馴染が何故ここまでそのアヒルにこだわったのか。 お庭番がその理由を悟るのは、まだ数年先の話――。 |
あとがき 何のひねりもないタイトルでごめんなさい。有利が眞魔国に来る数年前、というイメージで書きました。 「迷ううちにクマは…ち?」に触発され、仲のいい幼馴染男コンビの話を書こうと思いまして。でも仕上がってみると、内容の半分ぐらい(特に前半)は、仲悪そうな描写になっていたという。……何故だ。(苦笑) |