雨の気配

 

 

ぴくり、と男の形のよい鼻が動いた。

そのまま目線を空に向け、彼は顔をしかめる。

「マズいですねぇ。雨が降りそうだ。急ぎましょう、坊ちゃん」

突然の言葉に、坊ちゃんと呼ばれた人物は、不思議そうにオレンジ髪のその従者を振り仰いだ。

「え?こんなに晴れてるのに?」

「雨の匂いがします。空気にも湿気が。今はこんな天気でも、そのうち降ってきますよ」

「へ〜。あ、確かに言われてみると雲が結構……。何だかいよいよ獣めいてきたな、ヨザック」

「あら、嫌だわ坊ちゃんたら。しょせんみんなケダモノだって、前にも言ったでしょ〜?」

「いや、おれそういう意味で言ってないから……」

 

彼らは今、城下散策から城へ帰る途中だ。

魔王陛下の城下行きは毎度のことで、最近はギュンターもすっかり諦めてしまっていた。ただし、彼にお土産を買って帰ることだけは忘れてはならない。

 

「ま、こういうのは、オレでなくとも場数を踏んだ奴なら大概わかりますよ」

「場数?」

「えぇ。戦場じゃ、天候一つで負け戦を逆転できることがあるんです。もちろん、逆もね」

言ってから、従者はしまった、と思う。彼の予想通り、主は後悔に顔を歪ませていた。

「ごめん、辛いこと思い出させて」

「別にいいですって。坊ちゃんが謝ることじゃない。……ああもう、ほら。泣きそうな顔しないで」

 “辛いこと”という部分を否定するのは嘘をつくようで言えなかったが、相手にこれ以上申し訳ないという思いを抱かせないために、努めておどける。

「まったく〜、空よりも先に泣いてどうるんです?」

「べっ、別にまだ泣いてないだろっ。でも、こう……あんたやコンラッド達も、負けそうになったり今にも死にそうになったことがあるんだよなーって思ったら、こう……わかるだろっ!?」

 最後は怒鳴るように言い、これ以上表情を見せるまいと主は他所を向いてしまった。

この主君が優しいことを知りながら馬鹿なことを言ったものだ、自分で自分にそう思う。彼が心を痛めるに決まっているのに。

「わかった、わかりましたから、そんな顔しないで下さいよ。もうこの話はこれで終わりにしましょ。ね?」

 こちらに背を向けている彼の肩を、背後からポン、と軽く叩くと。彼が唐突に呟いた。

「……ヨザック」

「?はい」

 有利が自身の肩越しにこちらを見上げてくる。瞳の漆黒が、いつも以上に深く感じた。

「おれも、場数ってやつをたくさん踏むよ」

「え?」

 相手の言わんとすることが分からず、思わず訊き返す。一瞬、永世平和主義の彼が自ら戦いに参加すると言っているのかと、馬鹿な考えさえ浮かんだ。

 無論、後に続く言葉はそんな内容のものではなかったが。

「王様として、色んなことをたくさん経験する。早く一人前の魔王になって、ヨザックたちみたいな思いをする人たちがこれ以上生まれない国をつくるために。……やっぱりおれって、経験値が極端に少ないからさ」

「坊ちゃん……」

どうしてこう、この少年は真っ直ぐなんだろう。戦争反対なんて皆が諦めていたことを、本気で目指すなんて。

……いや、自分たちに諦め癖がついてしまっただけか。

「えぇ、しっかり見届けさせてもらいます」

 言って、お庭番は目を細めた。

 

 

きっと、そう簡単にはいかないだろう。この世から争いを無くすなんて、途方もなく永い時間がかかるのは目に見えている。そして職業柄、オレはいつ死ぬかも分からない身。

それでも、敢えて「見届ける」と言った。初めてこの王のつくる国を見てみたいと思える人物に出会えたのだ、途中で死んでたまるものか。

そんなオレの愚かな思考を嘲笑うかのように、遠くで一つ、雷が鳴った。

空気の纏う匂いが一層強くなり、オレの鼻を突く。

もうすぐ、雨がやってくる。

 

 

 

 

 

あとがき

 初めの予定ではこんなオチではなかったのに……あれ?今後のお庭番のあの展開を思い出させるような雰囲気に……あれれ?(苦笑)

 「死んでたまるか」という部分は、「『宝(マ)』ショック」な管理人のお庭番への思考がもろに出ています。どうなっちゃうの、お庭番!!

 

 

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