あたたかなもの

 

 

 グウェンダルがぐったりと倒れ込むのを合図に、毒女は高らかに宣言した。

「魔力蓄積、完了!」

 言うが早いか、もう用は済んだとばかりに、彼女はグウェンダルの体に繋がれていたコードらしきものを乱暴に取り外す。いつものこととはいえ、魔力提供者へのあんまりな扱いに、端で見ていたヨザックは内心苦笑した。もっとも、小柄なアニシナがきびきびと動き回るその姿が可愛らしいと思うのもまた事実ではあるのだが。

 

 事の起こりは一刻ほど前。ヨザックがグウェンダルの執務室で任務の話しをしていると、突然アニシナが乱入してきた。

 後はもう、お約束の流れ。アニシナがグウェンダルに魔力提供を求め、嫌がるグウェンダルをアニシナの命によってヨザックが捕獲、彼女の研究室へと連行し今に至る。

 

 顔色を悪くしながらも恨めしそうにこちらを見てくる上官に、ヨザックは声には出さずに弁解した。グウェンダルに逆らう気は毛頭無いが、誰だってアニシナに逆らう勇気はもっと無いだろう。

 上司の視線から逃れるように、ヨザックはアニシナに問いかけた。

「ところでアニシナ様、それは一体何なんです?」

 アニシナが今手にしているのは、卓の骨組みのような物。さっきまでグウェンダルと繋がれていたものだ。そして彼女の傍らには、一枚の厚めの板と掛け布団らしきもの。板の方は、彼女が持っている骨組みと組み合わせれば卓が完成しそうだ。もっとも、椅子無しで地べたに座り込まなければ足が入りそうにない低さだが。

 それなりに重そうに見える骨組みを、いとも簡単に肩に担ぎ上げたアニシナが、「これですか?」とヨザックを振り向いた。

「これは、コターツというものです」

「コターツ?」

「これに入った者は、あっという間に全てに対してやる気が低下するという装置です。二度とそこから出たくなくなり、だらだらとし、仕舞いには眠気まで襲ってくる。一度入ってしまえばそう簡単には抜け出せなくなる代物です」

「はぁ……」

 敵に対する罠か何かだろうか。さすがは罠女候補生指導者だ。

 ヨザックがぼんやりとそんなことを考えていると、アニシナが板をもう片方の肩に担ぎ上げながら言った。

「ヨザック、コターツを運ぶのを手伝いなさい。わたくしは両手が塞がっていますし、グウェンダルはあの通り、情けなく涎を垂らして倒れていて使い物になりませんからね」

 涎を垂らしているかどうかは別として、確かにあの様子では上官はしばらく動けないだろう。そう判断し、ヨザックは素直に、床にポツンと残っている掛け布団らしきものを抱え上げた。本来ならば、荷物の重さからして自分と彼女の持つ物は交換するべきだろうが、相手は女尊男卑者。余計な気を遣えば逆鱗に触れる。

 既に扉に向かって歩き出しているアニシナに肝心な運び先を問えば、意外な返事が返ってきた。

「陛下の自室です」

「は!?陛下?」

「何をそんなに驚く必要があるのです。これは陛下ご所望の品。ならば『もにたあ』も陛下にお願いするのが筋というものでしょう」

 そんなこと初耳だ、というツッコミも当然脳内に浮かんだが、それよりも問題は「陛下が所望した」ということだ。平和主義のあの双黒の少年王が、こんな罠を作ってほしいと望むだろうか。

 アニシナは勿論、首を傾げて思案に耽るヨザックも、倒れ伏したままのグウェンダルに一瞥もくれることなく、二人は研究室を後にした。

 

 

 

 アニシナの発明品を見て、こんなに嬉しそうな顔をする人物も珍しい。

「うわ、すごい!アニシナさん、ほんとに炬燵作ってくれたんだ!?」

 毒女が扉から顔を出した瞬間こそ、表情を引きつらせたものの、二人の運んできたものを目にした途端、魔王は歓声を上げた。この様子からして、彼がこのコターツを所望していたというのは本当らしい。

 アニシナはさっさと部屋の中央まで進み出ると、自慢の発明品を組み立て始めた。手伝おうとしたものの、

「繊細さの欠片もない男どもに触られて、わたくしの発明品が壊されては堪りません!」

とあっさり一蹴されたため、ヨザックは仕方なく有利と並んでその様子を眺めることにする。

「陛下、ほんとにあのコターツ、陛下が作ることをご希望されたんですか?」

 小声で訊くと、「ん?」と二つの漆黒の瞳が見上げてきた。

「コターツ?……って、炬燵のこと?うん、そうだよ」

「どうしてまた、あんな罠をご希望になったんです?しかも自ら『もにたあ』だなんて、危険すぎやしませんか」

「罠?」

 意外な単語だとばかりに、有利の語尾が上がる。

「違うんですか?一度入ると、やる気を吸い取られて、だらだらしたり眠気が襲ってきて、そう簡単にはアレから抜け出せないんでしょう?」

 告げれば有利が「ああ」と笑った。

「確かにそういう面も無くはないけど、炬燵は別に罠じゃないよ。寒い時に暖まるための、日本で一般的に使われている装置なんだ。おれがこっちでソレが恋しくなっちゃって、アニシナさんに作ってもらおうかと思ってたら、コンラッドが」

 

『その説明では、アニシナは作る必要性を感じないかもしれませんね。眞魔国には既に暖炉がありますから。それより、こういう風に言ったらどうでしょう』

 

「……で、さっきのまるで罠のようなコターツの説明になった、と?」

「うん、そういうこと。一応、嘘じゃないしいいだろうって、コンラッドが」

 成る程、ウェラー卿の入れ知恵ならば納得できる。毒女の心理をうまく突いた策だ、恐るべしウェラー卿。

 

「お待たせしました、陛下!」

 動作チェックまで終えたらしいアニシナが、自信満々にこちらを振り返った。

 先ほどのヨザックの予想通り、そこには背の低い卓が完成していた。しかし、卓の板の下には彼の運んできた掛け布団がはみ出している。卓の下に敷物のように敷くのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。

 有利が嬉しそうに礼を告げ、さっそくコターツに入った。入り方も先の予想通り、絨毯に直に座って下半身を布団の下に突っ込む形のようだ。貴族は床に直接座ることを嫌う、などと言ったのは誰だろう。

「うんうん、これこれ!あったかーい。すごいよ、さすがアニシナさん!」

「すごいというのは当然として、気に入っていただけたようで何よりです、陛下」

「うん、ほんとに気に入った!でも、これどうやって温めてるの?コンセントはないみたいだし……」

「魔動です!」

 フォンヴォルテール卿の魔力百パーセント。

「貯めた魔力がなくなるまで、発熱し続けます。冷たくなってきたらまたお知らせ下さい、魔力を補給いたしましょう」

「あ、そ、そうなんだ。補給……」

 これが使われるのは今回一回きりだな、と様子を見ていたヨザックは思った。この心優しい少年が、グウェンダルの苦痛を思い遣らないわけがない。

「それでは陛下、わたくしはそろそろこの辺で失礼させていただきます。やらなければならない実験や執筆物が、まだまだわたくしを待っていますので」

 確かにやることは多そうだが、疲れを微塵も感じさせず、むしろやる気に水色の瞳を輝かせ、アニシナが踵を返す。「もにたあ報告はお早めにお願いします」と残し、颯爽と部屋から消えていった。

 

 

 すっかりアニシナに存在を忘れられた気がする。思いながら、ヨザックも退室しようと有利の方を向く。

 立ったままでは主君を見下ろす形になることに気付き、傍に片膝を折った。それでも、絨毯に直接座り込んでいる彼よりは目線が僅かに高かったが。

「それでは陛下、オレもこれを運ぶ任務は終わりましたし、そろそろ失礼します」

「え!?ヨザックまでもう行っちゃうの?」

 有利が残念そうに眉を八の字にするので、ヨザックは少々虚を衝かれた。

「ええ、そのつもりですが、どうかしました?」

「んー、何ていうか。実は、さ……」

 口ごもった有利の視線が、部屋の中をグルリと廻る。

「ほら、ここって結構広いだろ?こんな所に独りでポツーンと炬燵に入ってるのは、ちょっと寂しいなぁーって思って」

 有利の説明によると、コターツとは複数で入るのがいいらしい。それが無理でも、せめて周囲に人がいるとか、テレビというものがあるとか、そのような状態でないと独りで入るのは味気ないのだと言う。

「だから、もしヨザックが時間あるなら、一緒に炬燵に入ってくれないかなーって思ったんだけど。でもそうだな、やっぱヨザックは忙しいもんな」

「へーか、勝手に結論出さないで下さいよ」

「え?」

 きょとん、と見上げてくる顔に、ヨザックは笑ってみせる。

「誰かと入るのがコレの醍醐味なんでしょう?オレでよけりゃ、ご一緒させて下さい」

 先ほど魔力を吸い取られたばかりの上官は、しばらくは動けないだろう。ならば、彼の指示を仰がなければ動きようのない自分にも、しばらくは時間がある。ここで魔王と一緒に過ごしても問題はないだろう。

 心中で誰にともなく言い訳し、ヨザックも王の向かいに腰を下ろす。ふと見れば、更に視線の高低差のなくなった有利が、「ありがとう」と嬉しそうに笑った。

 

 

 

 入ってみると確かに、コターツは暖かかった。足の上から熱がまんべんなく降り注いでくる。ほんのりと暖かいそれは、眠気を誘うというのも頷けた。二度と出たくなくてだらだらしてしまうというのは、要は本人の気合い次第のような気もするが、今の季節は冬。冷えた室内の空気を思うと、出たくなくなる気持ちも分からなくはない。

 暖炉とはまた違う優しい暖かさのこれは、この主君の育った故郷にピッタリに思えた。

 

 伸ばした足に絨毯以外のものが触れ、ヨザックは慌てて足を引っ込めた。

「すみません、陛下!」

「あぁ、いいって別に。炬燵は狭いし、他人の足を蹴っちゃうのはつきものだから」

 ケロリと笑ってみせる有利を、いつものこととはいえヨザックは信じられない思いで見る。普通ならば、即無礼と見なされておかしくない。

「それよりさ、せっかく炬燵に入ってリラックスしてるんだし、おれのこと『陛下』って呼ばないで欲しいな。せめて『坊ちゃん』とかさ」

「わかりました。でも本当、すみません」

「いいって、そんなに気にしないでよ。それにおれ、昔は兄貴とよく炬燵で蹴り合ってたぐらいだし」

「蹴り合う?」

 意外な言葉が飛び出し、ヨザックは少々目を見開いた。有利にはあまり、殴る蹴るといった言葉のイメージがない。

 有利が笑いながら頷き、前のめるように卓に両腕を載せる。

「そ。どっちも最初はたまたまぶつかっただけなんだけどさ、段々ムキになっちゃって。最終的には、炬燵の中で見えない蹴りの乱闘」

「……坊ちゃん、やっぱりコレ、危険な物なんじゃ」

 ヨザックの反応が可笑しかったらしく、有利が声を立てて笑った。「違う、違う」と否定する声まで、笑いで震えている。まぁ、この主君がこんなに暢気に笑うのだから、そう危険性は無いのだろうけれど。

「ところで坊ちゃん、オレはここで何をしたらいいんです?まさかオレとも蹴りあうなんて言いませんよね?」

 訊けば、ようやく笑いが治まったらしい有利が小首を傾た。

「うん?別に、炬燵に入ったらこれをしなきゃいけない、なんて決まりは無いよ。元々、あったまることが目的だしね。まぁおれの場合は、喋ったり、犬の相手したり、スポーツ紙読んだり、テレビ観たりで、あとは……そうだなぁ。炬燵といえばやっぱり」

 ふっと言葉を切り、有利は独り納得するように大きく頷いた。

「蜜柑かお鍋だな」

 

 

 

 そんなに堂々と断言されては、作らないわけにはいかない。

「はーい、グリ江特製、海鮮薬膳鍋よん」

「うわ、おいしそー!」

 もっとも、主君のこの全開の笑顔を見たいからという理由も大いにあるが。

 

 突然の厨房訪問にも、有利の名を出せば厨房係の者は皆、快くヨザックに調理場を貸してくれた。それは有利が魔王だからというだけでなく、彼自身もよく厨房に顔を出していることが影響しているようだ。

 ちょうど市場から新鮮な海の幸が届いたばかりだと手渡され、それに数種類のハーブをたっぷりと加えて煮込んだ。魚、貝、海老。ハーブの中には、風邪に効果があるものもある。

 

 皿に取り分けると、視界の隅で有利の喉仏が上下した。そんな反応をしてもらえると、ヨザックとしても作った甲斐があるというもの。

 差し出すと、早速「いただきます」と両手を合わせ、有利が皿の中身を一口含んだ。瞬間、パッとその顔が輝く。

「おいしいよ、ヨザック!」

「そうですか?そりゃよかった」

 見上げてくる漆黒の瞳に笑い、ヨザックも自分の分を皿に注いだ。白い皿上に、魚介類と黄みがかったスープが広がる。夕飯があることを考え少な目に作ったそれは、もうほとんど鍋に残っていなかった。

 座り直したヨザックの向かいでは、有利が既に二口目に入っている。

「あったまるー。やっぱり冬は、誰かと炬燵を囲んで鍋だよなぁ」

「柑橘系の物は無いですけどね」

「いいって。この鍋で充分!」

 生憎、厨房では有利の言う蜜柑のような柑橘系の果物を切らしていた。きっと、夕飯までには大量に買い込まれるのだろうが。

「ブイヤベースっぽくて、ほんとに美味いよ」

「ぶ……べーす?って、また野球用語ですか?」

「え?あぁ、違うよ。地球にこれに似た料理があるんだ。その名前。ほんと、コンラッドからも聞いてたけど、ヨザックって料理が上手いんだな」

 意外な名が出てきて、ヨザックは苦笑する。

「隊長ですか?」

「うん。野営での調理が上手かったって言ってた」

 確かに野営中はよく料理を作っていた。とはいえ、今目の前にあるような具だくさんの料理など、そうそう作る機会はなかったが。

 基本的に兵は誰しもある程度調理の技術を身につけているので、野営の調理係は交代制だ。しかし、使える食材が減ってくればそれだけ、限られた食材をいかに無駄なく有効に使えるかという、高度な調理の腕が要求される。そうなると、兵の中ではそれなりに料理が上手い部類に入るヨザックの出番が必然的に多くなった。

 あの時の仲間も、今はほとんどいない。あいつらにも食わせてやりたいと思いながら、ヨザックは先割れスプーンからはみ出す大きさの海老を咀嚼した。

 

 

 

 すっかり鍋も空になり、ヨザックは片づけようと重い腰を上げた。立ち上がる前に、心の中だけで「せーの」と気合いを入れなければならない自分が微妙に悲しい。コターツの罠に、片足ぐらいは突っ込みかけている。

 しかし、ひやりとした空気に立ち向かった彼の目下には、既にその罠に完全にはまってしまっている者がいた。

「坊ちゃーん、おねむになっちゃいました?」

「んー……、おねむとか……言うなー。子どもじゃ……ないんらから……」

 呂律が回っていない上に船を漕ぎながら言われても、説得力の欠片もない。思った傍から、有利はそのまま卓に突っ伏した。

「ごめ……ちょっと、寝る……」

 この丁度いい暖かさに加え、腹も満たされ、眠気が襲ってきたらしい。無理はないと思うが、このまま放っておくのはいかがなものか。

「寝るって、コレに入ったまま寝たら風邪ひくって言ってたの坊ちゃんでしょう?」

「そうだけど……ちょっと、だけー……」

 最後はほとんど聞き取れない声になり、しばらくして代わりに聞こえてきたのは微かな寝息。

 有利のその様子にため息を吐いたヨザックはしかし、彼を起こすことができなかった。口元が緩く弧を描くその寝顔が、実に幸せそうだったからだ。暖かい上に、故郷の物と似た感覚が、余計に安心感をもたらしたのかもしれない。

 そんな有利の眠る横顔を眺めているうちに、不意にヨザックの胸に温かなものが生じた。そしてそれは、そこを中心として波紋のように少しずつ全身へと広がっていく。先ほど野営のことを思い出して胸中に僅かに残ったままになっていた重い塊も、みるみるうちに溶かされていくようだ。

 

 有利を見詰めたまま、ヨザックは小さく笑った。

「成る程、確かにコターツは温まりますね」

 身体だけでなく―――心も。

 

 

 

 

 

あとがき

 3万ヒットを踏まれた葉美さまから「季節に合ったお話 ・ 庭番と陛下が温まってる ・ クリスマスとか、お鍋とか、温泉とか、正月とか、ボーナス(?)とか」というリクエストを頂戴し、書かせて頂きました。ずばり、お鍋です!(でも、選択肢に無い炬燵の方が目立ってるような…。苦笑)

 話の中で散々炬燵について語らせているものの、私自身は炬燵に入るようになったのは34年前だったりします。それまでは家に無くて、祖母の家で偶に入るぐらいでした。ですから、炬燵で寝て風邪をひいた経験もないのですが、きっと有利も健康少年なので、このまま寝ていても風邪はひかない気がします。もしひいたら、お庭番が「起こせばよかったー」と相当落ち込むのでしょうけれどね。(笑)

 肝心なお鍋シーンは大分後半だったりしますが、こんな話でよければ貰ってやって下さい。葉美さま、リクエスト有り難うございました!!

 

 

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