温かな、矛盾

 

 

 塔の天辺のようにそびえ立った場所での戦闘というのは、実にやりづらい。行動できる範囲が狭く、おまけに この塔には塀や柵のような気の利いたものもないため、下手をすれば自分が下へ落ちることもある。

加えて、今 自分たちを狙ってきている怪物の集団は、巨大な鳥類のようなもので。状況が不利になれば、すぐに空中へと逃れてしまう厄介な相手だ。

 

 しかしそれはあくまでも、ファイから見た感想であり。「天魔・空龍閃」などという、祖国では聞いたことの無い技を扱う男にとっては、そんなもの関係ないらしい。

よって、空中の敵は黒鋼、地上に降りた敵は小狼、ギリギリまで離れた場所でサクラとモコナの護衛をするのがファイ、という半ば定着しつつあるパターンで、その場は難なく切り抜けることが出来た。

 いや、切り抜けられる……はずだった。

 

 

 

「……終わったね」

 黒鋼の攻撃によって倒された最後の一匹が、嫌な音を立てて傍の地へと落ちるのを見て。ファイは、サクラの身体を自身からそっと離した。怪物相手とはいえ、その戦闘の光景をサクラに見せるのは酷に思われて、ずっと彼女を抱え込んでいたのだ。

 ファイが離れ、ようやく初めてその現場を目にしたサクラは、それでも怯えるように表情を歪ませた。この反応を見ても、彼女に戦闘の最中を見せなかったのは正しい判断だったと思われる。

「さ、小狼君たちの方に行こうか」

「は……はい」

 恐々と、それでも少女が頷き一歩踏み出した時。先程落ちてきた怪物がビクッ、と大きく揺れた。それは、断末魔の痙攣。

 戦い慣れた者にはそう珍しくない光景だが、サクラにとって、それが慣れたものであるはずがなく。

「きゃっ!」

蘇ったのかと驚いた少女の身体は、素直に逃げる方向に反応した。

恐怖の対象から離れようと本能的に後退した片足は、塔の淵ギリギリにいたために宙を掻き。

「っ!?」

「サクラちゃん!」

「サクラ姫!」

「姫!」

「サクラ!」

 少女の名を呼んだのは、皆同時。けれど距離的に最も近くにいたのはファイだった。

 

 自分のすぐ後ろに居たはずの少女が、大きく身体を傾かせている。振り返ったファイは瞬時に、自身に一番近いサクラの左腕を掴み、渾身の力で引き上げた。入れ替わりに その反動で自分が落ちるのは明白だったが、迷いなど無い。

自身の身体がグラリと前のめりになる。遠くで聞こえる、複数の叫ぶような声。少しずつ傾いでいくその目には、陽の光を受けて煌く青が映る。

―――あぁ、そういえばこの塔のすぐ下って、湖があるだっけ。

 宙を落下しながら、やけに冷静に状況判断をする自分がいた。

 下が固い地面じゃなくてよかっただとか、川でもないから遠くへ流されるようなことも無いだろうだとか。

 けれど、それもほんの一瞬のこと。それらの思考は、落下した自身の立てた水音によってかき消された。

 

 

 沈んでいった身体は、ある程度までいけば自然と浮かび上がる。自身の浮上し始める感覚に、ファイは水中で そっと目を開けた。

陽の光が差し込む湖底は、エメラルドグリーン。それが、段々と上昇していくにつれ、青や水色へとその色を変えていく。揺らめく水面は光を反射して白く輝き、柔らかなヴェールを纏っているようだ。

ふと、祖国の水底で眠る人のことを思った。

あの人も目が覚めたら、こんな光景を見るのだろうか。

目覚めて初めに、こんな光景を見ながら何を思うのだろうか。

 

プカリ、と水面に浮き上がった。身体が貪欲にも酸素を求めるらしく、一つ大きく呼吸をする。

見上げた塔の上に、こちらを見下ろす人影は無かった。人のいい彼らのことだ、既にこちらに向かって下りてきているのだろう。どこか他人事のように、ぼんやりと考える。

両手を目の高さまで持ち上げた。ぱしゃり、と小さく水音。持ち上げる腕が重いのは、きっと服が濡れているせいだけではないだろう。

水に濡れ、冷え切った手。

この手で、かの人を封印した。

この手で、多くの人を不幸にした。

もう、これ以上、この手で誰かに触れてはいけない。

自分と関わり、不幸にしてはいけない。

この手が冷たいのは―――本当に水に濡れたせいだけ?

 

 

 

 バタバタと数人の走ってくる音がした。わざわざ視線を投げずとも、旅の同行者たちだと分かる。

「おい!」

 先頭を切っていた黒鋼が、湖の淵で真っ先に膝をつき、こちらに手を差し出してきた。けれど、ファイは静かな瞳でそれをただ見返すのみ。

その手を取らない。いや―――取れない。

「おい!何やってんだ!?」

「ファイさん!」

 声をかけても反応がない相手に痺れを切らしたのか。それとも、ショックや寒さで動けなくなったとでも思ったか。黒鋼が小さく舌打ちをし、ファイの手を自ら掴みにかかった。

「小僧、手伝え!」

「はい!」

右手を黒鋼、続いて左手を小狼が掴む。瞬間、ファイは瞠目したが、二人は構わず引きずり上げた。

ファイー!無事でよかったー!」

岸に上がったファイにモコナが飛びつき、ようやく魔術師は瞳に色を取り戻す。

「モコナ……」

「ごめんなさい、ファイさん!わたしのせいで!!」

この中でおそらく一番責任を感じているだろうサクラが、ファイの両手を取って謝り、礼を言う。

「庇っていただいて有難うございました。ごめんなさい、手もこんなに冷たくなって……」

サクラの握る手に、キュッと力が込められる。ジワリ、とそこから伝わる熱。

 

魔術師は、信じられない思いで手元のその光景を見詰めた。脳裏では、さっきまでの映像もよみがえる。黒鋼に小狼、そしてモコナ。

 

ふっと笑みが込み上げた。それは、自嘲か、それとも……――。

「参るなぁ……ほんと」

聞こえるか聞こえないかの声で呟かれたそれに、三人と一匹は不思議そうな顔をし。

周囲から注がれるそんな視線に構わず、ファイはその顔にいつもの笑顔をのせた。

「オレは大丈夫だから、心配しないでー。サクラちゃんが無事でよかったよ」

 

 

 

この手で誰かに触れてはいけないと思った次の瞬間には、

みんながこの手を掴んでいた。

信じられない。あんな自殺行為、オレのことを何も知らないからできるだ。

けれど。

あの瞬間確かに、オレは暗い思考の渦から引きずり上げられた――みんなの手によって。

この手を何の躊躇いもなく取ってくれる人が、今もいる。それが、こんなにも嬉しいなんて。

 

触れられたくないはずなのに、嬉しい。

それは、とても危険で―――けれど とても温かな、矛盾。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 12巻89話の扉絵をイメージしました。この扉絵はきっとファイさん好きの方に人気があると思うので、あまり手をつけない方がいいのかな……と思いつつも妄想は止められず、話をつけてしまいました。(苦笑)

 ラスト側のファイさんについて、黒鋼さん以外はみんな「ファイさん、どうしただろう?」と不思議に思っています。で、黒鋼さんは「またこいつ、妙なこと考えてやがったな」と勘付いています、多分。

ちなみに今回、会話文を少なくすることを意識してみました。描写の方を頑張ってみようと思い、玉砕覚悟で挑みましたが……うーん、やっぱり分かりづらかったですかね?(苦笑)

 

 

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