生きていくためだ。 「良心が痛む」なんてお綺麗な台詞、言ってられやしない。 いや、違うな。 “今更言っちゃいけない”んだ、あたしは。 Bewilder 息を切らし、髪も振り乱し、所々破れかけた服を身に纏って、店の角から飛び出す。裏通りから抜けたそこは、大通りとは名ばかりの、古びた店が立ち並ぶ寂しい場所。酒場も少ないこの通りは、今のような深夜では開いている店さえほとんど無い。 月明かりのみが照らし出すその道には、見るからに格好つけたがりの優男が一人。髪は月光を反射して、鈍い金に光っている。口に銜えているらしい煙草の赤が、歩くたびにゆらゆら揺れた。 「お願いです!助けてください!!」 迷わずその男の腕にすがりつけば、当然ながら、驚いた風の声が降ってくる。 「一体どうしたんです!?」 「助けてください!変な男たちに追われているんです!私、さっきまでその男たちに捕まっていて。隙を見て手足の縄を解いて逃げて来たんですけど、すぐに気付かれて、それで……!」 「分かりました、落ち着いて」 涙目で畳みかけるように訴えれば、両肩にそっと男の手が置かれる。少し屈んであたしと目線を合わせると、男はひどくキザったらしい口調で言った。 「大丈夫。姫のピンチには、必ず騎士が現れるものです。あなたの安全はこのおれが保障しますよ」 着ていた黒のジャケットを素早く脱いであたしにかけると、男はあたしが飛び出してきた店の角へと迷うことなく走り去っていった。 予想通り、いや、それ以上のこんな反応を見せられて、どうして口端が上がらずにいられよう? 「……ハッ。馬―鹿」 「まったくだ」 返るはずのない返事。驚いて直ぐ様振り返れば、薄暗い闇の中に男が一人立っていた。 ある程度の気配があれば、あたしは気付ける。それぐらいには、危険な事もこなしてきた。つまりこの男は、完全に気配を消していたということ。 耳にぶら下げているらしい男のピアスが、月光を弾きながらシャラリと鳴った。 「正真正銘の馬鹿だな、アイツは」 「誰だ!?今の男の仲間か!?」 「不本意ながらな」 ひょいと肩を竦める男を睨みつける。 今の様子を見られていたのだ、あたしがあの気障な男を騙したことに、この男はきっと気づいている。 「追いかけて告げ口でもするか?それとも加勢に?」 この場を通すまいと身構えた。 今頃はきっと、待ち伏せていた十人近くのあたしの仲間が、あの金髪男から金目の物を巻き上げているはずだ。一人に対してその人数は無いだろうと、笑いたい奴は笑えばいい。人数差は多ければ多いほど、成功率が上がるのは自明の理。あたし等はこれで生きているんだ、笑われようが罵られようが、金目の物が確実に手に入るのならば、それで構わない。 だから、眼前にいるこの男がその邪魔をするなら、あたしがコイツを止める。例えあたしじゃ止められそうにない相手でも、止める努力はする。あたしばかりが楽するつもりなど、さらさらないのだ。 だが、信じられないことに、あたしが太腿の隠し武器へと手を伸ばすよりも早く、ピアスの男はあっさりと否定の言葉を吐いた。 「別に。放っておくさ。アイツが勝手に騙されてんだろ?おれが出ていく必要がどこにあるんだ?」 「は?」と言いかけそうになった言葉を、あたしは無理やり呑み込んだ。 何を言っているのだろう、この男は。あの気障な男の仲間なのではなかったのか。 一方の男は、自身の頭をガリガリと掻きながら、「それに」と心底どうでもよさそうに続ける。 「仮におれがアイツに話したところで、信じるはずがねぇ。あの馬鹿は、男と女じゃ迷わず後者を信じる。――例え、女が自分を騙してると分かっててもな」 「なっ!?」 思わず瞠目した。闇の中なのに、男の目が真っすぐにあたしを捉えたのが分かる。そう、まるで鋭い矢で射抜くように。 あの気障男が、あたしに騙されているのに気づいていた――だって? その後の行動には迷わなかった。素早く地を蹴り、男との距離を詰める。その間に今度こそ太腿から隠し武器も引き抜いた。肩にかけていただけの他者のジャケットが、後方へハラリと落ちる。 抜き身の得物を喉元にあてがえば、男は感心とも揶揄とも取れる声音で「へぇ」とだけ呟いた。只それだけ。他は、数秒前とちっとも変わっていない。纏う空気も、態度も。 すぐ傍の顔を睨み上げ、低い声であたしは問うた。 「どういう意味だ?」 「どうもこうもねぇ、そのままの意味だ。気付かれねぇとでも思ってたか?」 刃物をつきつけられても、男は動揺どころか抵抗もしない。ただ淡々と言葉を吐き出し、見降ろしてくる。 答えになっていないと睨み上げる目に力を込めれば、男は至極面倒くさそうに溜息をついた。そして、刃物を突き付けているあたしの手首に視線を注ぐ。 「この跡、縛られてたとか言ってたか。どう見たって、赤い何かで描いただけに思えるんだがな」 「っ!?」 「そもそも、本当に切羽詰まって助けを求めてる奴が、『縛られてた』だの『抜け出して気づかれた』だの、言う余裕があると思うか?『助けてくれ』『追われている』の二つを言うだけでも精一杯だろ」 「……」 思わず、言葉を失った。指摘された内容じゃない、男がそれを指摘してきたという事実に驚いた。 あたしたちだって、男の言った点に思い至らなかったわけではない。ただ、実際に突然、女から助けてくれと泣きつかれれば、たいていの男は気が動転し、そのような不審な点にまで気が回らないものだ。加えて手首の跡に関しては、ペン描きどころか跡があるかどうかさえ気にしない奴も大勢いた。 それが、何なのだ、この男は。 そして――あの金髪の男、も? 黙り込んだあたしを見て、男が刃物を掴んだままのあたしの手を押し戻してきた。あたしももう、それにいちいち抵抗しなかった。するだけ無駄だと分かったから。 「気付いていて、それでもああやって自分から騙されてんだ。馬鹿としか言いようがねぇよ、アイツは。さっきからおれもそう言って」 「だったら」 本気で呆れた溜息をつく男の言葉を、遮った。 微かに声が震えていた。いや、握りしめたままの両手もだ。この震えは何だろう?怒りか、困惑か。それとも、理解できないものへの恐怖か。 「だったら何故、わざわざ騙される!?」 判らなかった。 嘘だと気付きながら、何故騙される?なんのメリットがある?こんな稼業をしているあたしに対する、同情や憐みか?もしそんなものだとしたら、あたしは要らない。 絶対に、要らない。 「女が言ったからだろ」 けれど男はあっさりと言ってのけた。こっちが拍子ぬけするような、シンプルな理由を。 シンプル過ぎる、金髪男の強固な意志を。 「単純なことだ。嘘と分かっても、女の言った言葉なら許して信じて、自ら騙される。おれにはさっぱり理解できねぇし、するつもりもねぇが、それがアイツの騎士道とかいうヤツだ」 「騎士……道……」 「まぁ、ある意味アンタは、騙す相手を見る目があったんじゃないのか?」 言って、男は初めて本気の笑みを浮かべた。 呆れても、馬鹿にしてもいない、――ニヤリと片頬を上げた獣のような笑み。 「もっとも、アイツは馬鹿を上回る勢いで負けず嫌いだがな」 瞬間、派手な音が鼓膜を貫いた。振り向けば、件の角から吹き飛んでくる複数の影。辺りに朦々と砂埃が立ち昇る。 これは――何だ? 「その意味では、アンタは相手を見る目がなかったな」 背後で、男が声と共に踵を返す気配がした。けれどあたしは、振り向かなかった。いや、振り向けなかった。目の前の光景が信じられなくて、視線が離せない。 砂埃が少しずつ薄れていく。地に倒れ伏しているのは皆、あたしの仲間たち。ざっと見ただけだが、おそらく全員だ。 これは、どういうことだ?あんな、口先だけの優男に見えた奴が、倒したというのか?十人近くの男を、たった一人で。 角から、鈍く光る金色が滑り出た。少しばかり服が砂で汚れているようだが、それ以外に変化は見られない。怪我ひとつ、負っていない。 その男が、あたしを視界に捉えると銜え煙草でニコリと笑った。 「おや、逃げずに待っていて下さったんですか。ご安心下さい姫、貴女はもう安全です」 そのまま笑顔でこちらに歩み寄ってくる。途中、地に落ちていた自分のジャケットも自然な動作で拾い上げながら。 身体が微かに粟立った。心臓が早鐘のように騒ぎ出す。 これまでだって、失敗したことが無いわけじゃない。こんな時は、何事もなかったように「ありがとう」と微笑んで、ピンチを助けられた陳腐なヒロインのふりをすればいいだけだ。なのに、何故か頬の筋肉が少しも動かない。それどころか、胸まで微かに痛みだしている。 これは何だ?まさか今更、リョウシンとかいうやつが痛んでるんじゃないだろうな。そんなこと、これまで平気な顔で散々悪事をやってきたあたしには、許されないのに。 あぁ。あたしは、どんな顔をしてこの男を迎えればいいんだろう? |
お題:「女の嘘」,「ウマとシカ」 |
あとがき 頂いた「ウマとシカ」というお題ですが……「馬鹿」っていう風に解釈していいんですよ……ね?(どきどき)違っていたらごめんなさい。 管理人には珍しい部類の話だったかもしれません。悪女になりきれない悪女、悪女ぶってる只の女性、そんなつもりで書きました。そして、サンジ君とゾロに関しては、「かっこよく、かっこよく……」と呪文のように頭で繰り返しながら(笑)書きました。成功しているといいのですが。 色々と突っ込みどころも満載ですが、新しいことにもいくつか挑戦できたお話でした。 |