少年との関係を思い出しかけた 砂漠の姫の記憶は、

見えざる力によって、一瞬にして破棄された。

 

それは、次元の魔女へと差し出した対価が

“絶対”であるという、証。

 

 

Capability

 

 

「……それでも、一度『やる』と決心したことは『やる』んでしょう、小狼君は」

 ファイの言葉を最後に、自然、大人二人はそれぞれの自室へと足を向けた。これ以上、小狼とサクラのやりとりに聞き耳を立てているのも、野暮というものだ。

 けれどその足は、数歩も歩かないうちに二人同時に止まった。

「来やがった」

「……だねぇ」

 家の周囲を取り巻く気の流れが変わった。すぐさま踵を返し、二人して小狼の部屋に向かう。そこには既に、窓の外を取り囲むようにして異形の鬼児たちが並んでいた。

眠ったままの少女を抱えた少年が、扉へと駆けてくる。白き生き物も、血相を変えて黒鋼に飛びついてきた。

「大変!鬼児が出たのっ!」

んなこた見りゃわかる!ガキ、やるぞ!!」

「はい!ファイさん、姫をお願いします」

「任せてー」

ファイが眠ったままのサクラとモコナを引き受け、部屋の外へと逃げる。

扉が閉まる音を聞きながら、黒鋼は抜刀し、小狼は窓に駆け寄った。

 

 

少年が開け放った窓から、どっと鬼児たちが雪崩れ込んでくる。ざっと見積もっても二十近くはいそうだ。丸みを帯びた胴体から、二つの硬そうな羽が生えており、バサバサと嫌な音を立てて部屋中を飛び回る。

「一度に手っ取り早く数が稼げるな」

 ニヤリ、と口元に余裕の笑みを浮かべる黒鋼に、小狼は内心で改めて感嘆した。数も多い上に飛び回るなんて……、と厄介に思った自分とは、天と地ほどの違いがある。

必ず全てを倒せると信じて疑わない目だ。

「キキキッ!」

 すぐ傍で聞こえた鳴き声で、少年は我に返った。眼前まで迫っていた鬼児に、すかさず回し蹴りを入れる。視界の端では既に、黒鋼が三匹目の鬼児を斬り落としていた。

ぼけっしてんじゃねぇぞ!」

「はい!」

 

 飛び回る鬼児たちの攻撃パターンは、鋭い牙での噛み付きと、自身の硬い羽を使った斬りつけだった。対する新人鬼児狩りコンビは、小狼の蹴りと、黒鋼の刀。

 牙を剥き出しにして襲い掛かってくる鬼児を、少年が横跳びで蹴り落とせば。忍の男は、攻撃を仕掛けてきた鬼児の羽を逆に斬り、床へと落ちた片羽の胴体に刀を突き刺す。

挟み撃ちを仕掛けてきた二匹の鬼児たちを、床に片手をついた小狼がそれぞれの足で蹴り上げれば。黒鋼は噛み付こうと飛んできた鬼児の攻撃をあっさりとかわし、勢いあまったその相手を背後から袈裟懸けにする。

 対峙する数に差はあれ、形勢は明らかに新人鬼児狩りたちにあった。

 

奇声を上げて突っ込んでくる鬼児をかわそうと、小狼は床からベッドに跳び乗った。瞬間、ガシャン!という陶器の音と共に、足元がふらつく。

「っ!?」

慌ててもう片方の足でバランスをとりつつ、素早く視線を下に走らせれば。サクラが先程持ってきてくれた飲み物の盆を、ひっくり返していた。

ふっ、と少年から思考が飛ぶ。脳裏には、さっきの少女とのやりとりがフラッシュバックした。

 

『わたし……今……何のお話してたんだっけ……』

 

気を取られ、一瞬反応が遅れた。

「ガキっ!」

 黒鋼の叫びに、現実へと引き戻される。気配の無い生き物は、すぐそこに来ていた。それも、よりによって見えない右側に。

「……っ!」

 瞬間、右手首の辺りに熱が走る。硬質の羽で斬りつけられていた。

 少年がひるんだところを、鬼児はここぞとばかりに噛み付こうと大口を開けて突っ込んでくる。

よけきれない。そう判断した小狼が、せめて利き腕は守ろうと左腕を掲げた刹那。ザンッ、と音を立て、銀が一線閃いた。

消えていく鬼児の代わりに現れたのは、紅の瞳。

今の最後の一匹だったらしく、周りにはもう、鬼児の姿は無かった。

 

「気ぃ抜くな」

 ブン、と刀身を一払いし、鞘に納めながら黒鋼が言う。

「……すみません。もっと鍛えます」

「そうじゃねぇ」

 チン、と鍔鳴りの音が響いた。

「確かに右からの攻撃だったということもある。が、それだけじゃねぇだろ」

少年に向き直った黒鋼は、真っ直ぐに小狼の胸を指差す。

「“ここ”の問題だ」

「……」

 黙り込む少年をよそに、黒鋼はベッド上に零れたままの飲み物を見やった。チョコレートの茶の染みが、布団に広がっている。

「……『あんなことの後じゃ、無理もねぇ』なんてこと、俺は言わねぇぞ」

やはり聞いていたのか、と小狼は思った。微かに、扉の外に感じていた気配。

立ち聞きなんて、とは思わない。自分たちを心配してくれての行為だと重々承知している。

「はい。これはおれの弱さです。戦い方だけではなく……心の」

 分かっていたはずだ。どう足掻いても、サクラの記憶にかつての自分は戻らないのだと。だから、先程のようなことも覚悟していた。サクラ自身が思い出そうとしても、彼女に自分から真実を告げても、結局は無駄になるのだと。

なのに、一瞬とはいえ動揺してしまった。

その“一瞬”は間違いなく、自分の心の弱さ。

 

 

「お取り込み中みたいだけど、いいかなー?」

 コンコン、というノックの音と共に扉が開き、魔術師が顔を出した。

「二人ともお疲れ様―。とりあえずサクラちゃんは、彼女の部屋に運んでおいたよ。モコナが傍についててくれるって」

「有難うございます」

 ペコリと頭を下げる少年の右手に、赤い道筋を認め、ファイは少し眉をひそめる。

「あらら、怪我しちゃっただね。下に救急箱があるから、急いで手当てしようか。黒様はー?」

「あぁ?誰に訊いてんだ。これぐらいの奴ら相手に、俺がそんなヘマするかよ」

「それは何よりー」

先に行って準備しておくからと、魔術師は早々に階段を下りていった。

その場に残った小狼がベッドに戻ろうとすると、大柄の男が片手で制する。

「零れたもんの片付けは俺がやっておく。お前はさっさと治療にいけ」

「でも」

「怪我がひどくなって、鬼児狩りが出来なくなりてぇのか」

 紅の瞳に真っ直ぐに見下ろされ、小狼は黙った。

 この人の辛辣な物言いの裏には、優しさや気遣いが隠れているのだと気付いたのは、一体いつからだっただろう。

「……分かりました。お願いします」

 感謝の念を込めて深く一礼し、踵を返す。

 部屋を出て行こうとすると、ボソリ、と低い声が追いかけてきた。

「俺は、弱いなんて一言も言ってねぇぞ」

「え?」

 驚いて振り返る。黒鋼はこちらに背を向けていた。

 何のことだろうと一瞬理解が追いつかなかったが、ファイが来る前に交わしていた会話のことだと思い当たる。

 

『“ここ”の問題だ』

『はい。これはおれの弱さです。戦い方だけではなく……心の』

 

「確かにその怪我をしたのは、お前の心の弱い部分が出ちまったからだろう。だから俺も、それを指摘した。だがな、弱い“部分”があるからといって、その心“全体”も弱いとは限らねぇだろ」

誰だって、少なからず弱さを抱えてるのだから

「自分で勝手に『弱い』なんて決めつけたら、そこで終わりだ」

「……」

小狼が言葉を返せずにいると、黒鋼は月を仰ぎながら続けた。

窓から差し込む月光が、その人の姿を余計に大きく見せる。

「……お前はこれまで、一度も姫に告げようとしなかったな。自分と姫の、かつての関係を。 それに、姫お前いない思い出を語っても、ただ黙って、その場を逃げ出しもせず、聞いていた。その強さは認めてやる」

「黒鋼さん……」

 そこでようやく首だけを動かし、肩越しにこちらを見下ろしてきた男は。わずかだが確かに、口角が上がっていた。

「それだけのモンがあるだ、お前自身が望むなら、更に強くなることも可能だろう。あとはお前が、どれだけ自分を鍛えられるかの問題だ」

「……はい!有難うございます」

 微笑む少年に、忍の男は、いいから早く行けと言わんばかりに、片手で追い払う素振りをし。小狼は再び小さく一礼すると、そのまま階段へと駆けていった。

一方、独りその場に残った男は。

「あーあ、めんどくせぇ……」

まるで照れ隠しかのように、ガリガリと頭をかき。

ぼやきながらも、カップ類を片付けるべく、ベッドへと向かうのだった。

 

 

 

 強くなるための素質はある。

 あとは自分をどれだけ鍛えられるかの問題。

 

 少年のことをそう評した男はその後、

 その少年が成長するための鍛錬に 一枚かむことになるのだが。

 この時はまだ、知る由もなかった。

 

 

 

 

 

あとがき

 久しぶりに戦闘の描写をしました。皆様が想像力をフル回転しながら読んで下さることを祈るばかりです。(苦笑)

 黒鋼さんの、小狼君に対する「小僧」という呼び方。実は6巻までは「ガキ」なんですねー。最近読み返していて、気付きました。(笑)対星史郎さん戦の辺りで「小僧」と言い始めていることから考えると、弟子として剣を教えるようになって徐々に呼び方が変わった…のかな?

 もっと寡黙な黒鋼さんを書けるようになりたい今日この頃です。

 

※刀に関する用語を、少しだけ解説…。(本当、不親切ですみません。これでも分かりにくいでしょうが。)

 ◎袈裟懸け(けさがけ)→袈裟とは、僧侶が服(衣)の上から、左肩から右下へとかけている布のこと。それと似たように、相手の左肩から斜めに、右下へと斬る技のことです。「袈裟斬り」とも。

 ◎鍔鳴り(つばなり)→刀を鞘に納める時に鳴る、鍔の音です。ちなみに鍔は、刃と持ち手(柄)の間にある、丸い輪状のもので、柄を握る手を防護する役割があります。

 

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