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「……。マズイ」

 呟かれた一言に、ヴォルフラムが意外そうにカップから視線を上げた。

 声の主は、今まさに二つ目のタルトに齧り付いたばかりだ。

「どうした、ユーリ?さっきまで美味しそうに食べていたじゃないか」

「そうそう。僕も美味しいと思うけどー?エーフェさんのお菓子」

 有利の隣で頷きながら、村田が手にしていたタルトを齧る。サク、と焼き菓子特有の軽い音。いい具合に焼き色のついたその生地の上には、たっぷりのカスタードと色鮮やかなベリーがふんだんに盛られている。今は紅茶を淹れる係に徹しているコンラッドから見ても、それはとても美味しそうだ。

 それより何より、有利の口元に食べカスがついていることが何よりもの証拠だろう。それほどの勢いで食べるほど美味しかったということだ。

 温まったカップから湯を捨てながら、コンラッドは有利のその食べカスを取ってやるべきか少々悩んだ。

 

 視線の集中攻撃を受けた有利は、少しだけ欠けた菓子を皿に戻すと、慌てたように両手を振る。

「いや!そういう意味の『不味い』じゃないって!そーじゃなくて、美味し過ぎておれにとってはマズイっていうか……あれっ、この言い方も微妙だな。えーっと」

 忙しく手と口を動かす有利をヴォルフラムは怪訝そうに眺めたが、村田は「あぁ」と訳知り顔で頷く。

「もしかして渋谷、また脂肪やら蛋白質やらを気にしてるのかい?美味し過ぎてたくさん食べちゃうからマズイ、って」

 有利が嬉しそうに「そう、それ!」と村田を指さした。

 眞魔国だけでなく地球での有利の様子も知っている大賢者は、やはり情報通だ。呆れたように笑い、ついでのように横から指を伸ばして、有利の口元からタルトの欠片を皿へと落としてみせる余裕っぷり。これで一つ、コンラッドの悩みの種は解消された。

 自分で対処できなかったのが全く口惜しくないと言えば嘘になるが、ヴォルフラムが眉間に皺を寄せて村田を見ている事を思えばこれでよかったと思う。可愛い弟から恨まれるのは、やはり御免だ。

「ダイエットでも始めたんですか?」

 訊きながら、有利の前に二杯目の紅茶を差し出した。「有難う」と小さな笑みが返ってくる。

「ダイエットとはちょっと違うな。あえていうなら、頑丈な身体づくり?筋肉をつけて、脂肪は落とす!みたいな」

「確か前にも言ってたよね、それ。高蛋白で低脂肪な食べ物が理想、だっけ?」

「そうそう。鶏肉とかいいよなぁー、特に笹身!」

「あぁ、動物性蛋白質は確かにいいですね」

「お前たち!ぼくを放ってどんどん話を進めるなっ!!」

 ただでさえ不機嫌になりかけていたヴォルフラムが、派手な音を立てて空になったカップをソーサーに戻した。

 エメラルドグリーンの瞳が、じろりと地球滞在経験者達を見回す。

「そもそも、その『だいえっと』とは何なんだっ?」

「あぁ、ごめんごめん。ダイエットってのはつまり、朝食をバナナと水だけにしたり、三日間リンゴばっかり食べ続けたり……」

「渋谷、何かその説明違う気が」

「成程。果物づけの生活を送ることか」

「ほら、勘違いしちゃったー。君の婚約者は純粋なんだから気をつけてあげないと」

 のんびりとした村田のツッコミに、「何だ!?違うのかっ!?」とヴォルフラムが再び声を荒げる。

「えーっ。だっておふくろがよくそういうのチェックしてるから、嫌でも頭に残ってて」

「えっ、そうなの?意外だなぁー。僕は美子さんはあの体型で充分だと思うけど」

「……だから村田、ひとんちのおふくろを名前で呼ぶなって」

「二人してぼくをまた無視するな!果物づけの生活じゃないなら何なんだっ!?」

「つまり」

 怒鳴るヴォルフラムからカップを回収しつつ、コンラッドは笑って付け加えた。

 本当に平和で、この上なく微笑ましい光景だ。二十年前には想像すらしなかった。

「太ってしまった人が、健康体に戻るために痩せようと努力すること、かな」

 そうそう、と紅茶を飲みながら向かいで有利も頷く。彼も別に、ヴォルフラムを無視するつもりはなかったはずだ。もう一人の双黒は、面白がってわざとしていた可能性もなくはないが。

「減量っていうかさ。まぁ最近は、ちょうどいい体型なのに無理して痩せようとするのもダイエットって言われてるから、やっぱりおれのはダイエットとは違……――」

「減量っ!」

 バタン!と派手な音が部屋に響いた。有利の言葉を途中でかき消したのは、さっきまで室内に無かった高い女性の声。

 皆の視線が集中した先――開いた扉に、仁王立ちする小柄な影があった。思わずといったように有利が叫ぶ。

「アニシナさん!?」

 神出鬼没なその影の正体とは勿論、三度の飯より実験好きの毒女だった。今日も燃えるような赤毛を高い位置で結い上げ、水色の瞳は獲物を見つけた肉食獣のように爛々と輝いている。その瞳が、彼女の名を呼んだ有利を捉えた。

 

 ターゲット、ロックオン!

 

 そんな声がコンラッドの脳内に確かに響いた。

「今、『減量』と仰いましたね、陛下!」

 言いながら、きびきびとした足取りでアニシナが有利へと近寄ってくる。

 少しばかり及び腰になりながらも頷く有利の隣には、さっきまで彼の向かいに座っていたはずのヴォルフラムが立っていた。あまりアニシナを得意としていないことは浮かべている表情からして明らかだが、それでも、向かってくる毒女と有利の間となるように立っている。

 我が弟ながら勇気あるその行動に、コンラッドは内心だけで拍手を送った。

「実はわたくし、最近は痩せる方法の研究をしているのです」

 有利とヴォルフラムの前に立ったアニシナは、これでもかとヴォルフラムを避けて有利へと首を伸ばす。ターゲット以外は完全に眼中にないようだ。ヴォルフラムはヴォルフラムで、その毒女の動きを必死の形相で追っている。

「陛下は減量に興味がおありの様ですし、是非とももにたあを……」

「いっ、いいいいいや!アニシナっ!ユーリは別に、減量に興味があるわけでは」

「そっ、そうそう!そうなんですよ、アニシナさん!おれはどっちかっていうと筋肉増強の方に興味が……」

「渋谷、それはそれで危険発言な気がする」

 苦笑気味の村田の呟きももっともだ。今度は痩せるためではなく、筋肉を鍛えるための実験に駆り出される可能性が出てくる。

 見かねてコンラッドも口を開いた。無論、手元ではヴォルフラムの紅茶のお代わりを淹れる作業も忘れない。

「何でまた、今回はそんな研究をしようと?」

「なぜ?」

 ようやく他者の声を拾う気になったのか。顔だけをコンラッドの方へ向けたアニシナが、ふん、と小さく鼻を鳴らす。

「訊くまでもないでしょう。昨今の貴族と呼ばれる男どもを思い返してみなさい。何もかも侍女や兵士任せで自分では動かず、おまけに高価な料理と酒はこれでもかと摂る。お蔭で腹回りにブクブクと脂肪を蓄える始末ではありませんか!めたぼ魔族急増とは何とも情けない!!」

 やれやれと言わんばかりに首を振るアニシナの言に、有利が目を瞬かせた。

「え?眞魔国にも『めたぼ』なんて言葉があるの?アニシナさん」

「勿論。『めたぼ』とは、“『目』に余る『タ』プタプお腹は脂『肪』の塊”の略です!」

「うわー。ある意味、『メタボリックシンドローム』よりストレート……」

 村田が苦笑まじりに呟いた。地球滞在経験のあるコンラッドでも知らない言葉が混ざっていたが、最近出てきた言葉だろうか。

 思いながらも、コンラッドがヴォルフラムに淹れた紅茶を差し出すと、弟は少しばかりムスッとした表情をしていた。

「少なくとも、ヴァルトラーナ叔父上は『めたぼ』などではないぞ!」

「誰もヴァルトラーナの名は出していないでしょう」

 アニシナが呆れたように肩を竦める。有利も、呆れと感嘆の入り混じった表情でヴォルフラムを見た。

「お前、ほんとに叔父さん大好きっ子だよなぁ。ヴァルトラーナさんもお前を溺愛しちゃってるし」

「へぇ、相思相愛なんだー」

「ぼくをまるで浮気者のように言うなっ!ぼくはユーリとは違うぞっ!!」

 村田のすっ惚けた感想に、ヴォルフラムが眉を吊り上げる。隣では有利が、「えっ、おれ相変わらず浮気者設定なの?」などと突っ込んでいるが、今のヴォルフラムには聞こえていないだろう。これでもかと村田を睨みつけている。

 しかし、きゃんきゃん吠える金の子犬に睨まれたところで、大賢者の心臓が縮みあがるはずもなく。余裕の笑顔は保ったまま、からかいの手も緩まない。

「でも意外と、ヴァルトラーナさんも隠れ肥満だったりしてー?」

「そんなことは断じてない!めたぼなら他にいるだろう!?シュトッフェルとか!」

「うわー、さりげなく暴言」

「っていうか、シュトッフェルさんもお前の伯父さんなんじゃ」

「ですね」

 有利の呟きに、コンラッドは小さく頷いた。愛情の差でしょう、とは胸中だけでの付け足しだ。

 しかし、暴言だろうと愛情の違いだろうと、毒女にはそんなことは一切関係なかったようだ。重要なのは、更にピッタリなもにたあ候補者の名が挙がったという一点のみ。

 アニシナはキラリと瞳を輝かせると、片手に握り拳をつくって叫んだ。オレンジ髪のお庭番がこの場にいれば、頬を緩ませること必至だ。

「シュトッフェル!そうですね、確かにあの男は、腹周りにタプタプと脂肪を蓄えていそうです。いいえ、そうに違いありません!」

 独りで予想し、独りで勝手に結論を出したアニシナは、潔くクルリとこちらに背を向けた。

「これよりわたくしは、早速シュトフッェルを捕まえにいくこととしましょう!陛下、心底残念にお思いでしょうが、もにたあはまたの機会にということで」

 失礼!の一言と共に、カツカツと響く靴音は扉の向こうへ颯爽と消えた。

 呆然としたままその後ろ姿を見送り、有利が呟く。

「助かったけど……シュトッフェルさんに悪いことしちゃったかな?」

「構わないだろう」

 ばっさりと斬って捨てる弟に、やはり愛情の差だな、とコンラッドは小さく笑った。

 

 

「それにしても」

 アニシナ滞在中も一人優雅にティータイムを進めていた村田が、呟きながら新しいタルトへと手を伸ばした。コンラッドの記憶が正しければ、これでもう三つ目だ。大賢者は意外に甘いものもいける口なのだろうか。

「まさか渋谷のダイエット発言が、こんなちょっとした事件にまで発展するとはねー」

「いやほんと、それは予想外とはいえ、ごめんなサイ。けど村田、ダイエットじゃないって言ってるだろ?頑丈な身体づくり!」

「はいはい。『筋肉をつけて脂肪は落とす!』ね。さっきから筋肉筋肉って呪文みたいに言ってるけど、どれくらいが渋谷の理想なの?」

 サク、とタルトを齧る音が響く。有利は一瞬、物欲しそうな顔をしたが、意識するようにスグにその表情を引き締めた。何とも健気だ。

「そっ、そうだなぁ……やっぱり理想は高くってことで、ヨザックかな」

「え?彼!?」

 思わずといったように村田の目が見開かれる。これにはさすがの大賢者も驚いたようだ。自分も初めてそれを聞いた時は驚いたよなぁと、どこか他人事のようにコンラッドは思い返す。有利はまだその理想を捨て切れていないらしい。

 何事も向上心は素晴らしいが、有利にあのお庭番のようなマッチョな身体はどうにも似合わない気がする。それは村田も同意見のようで、複雑な表情を浮かべた。

「……いやぁ、渋谷。さすがにそれは」

「よし!わかったぞユーリ!!」

 しかし、村田の諭すような言葉は、やけに気合いの入った弟の声によって遮られてしまった。何事かと思う間もなく、弟の宣言が響く。

「お前がそんなに言うなら、ぼくもその筋肉増強に付き合ってやる!」

 シン、と一瞬、部屋に沈黙が降りた。代わりのように外で響く、エンギワルー!の声。

 いち早く復活したのは、やはりツッコミの血溢れる有利だった。

「いやいやいや!待てよヴォルフ!落ち着いてよーっく考えろ!?お前のその美少年顔にヨザックのガタイは絶対に似合わないって!やめとけっ!」

 想像した映像は、有利も、そしておそらく村田も、コンラッドと同じだったようだ。ヨザックの身体に乗るヴォルフラムの顔。その図の持つ破壊力には凄まじいものがある。

 だがそれは、有利の場合にも言えることだ。ここぞとばかりに村田が訴える。

「それを言うなら渋谷もそうでしょー。君の顔にだって似合わないと思うよ?」

「まったくだ」

 当然のようにヴォルフラムまでもが頷いた。もしかして今の発言は、この流れを狙っての発言だったのだろうか。だとすれば弟も腕を上げたものだと、コンラッドは心の中だけでひっそりと笑う。

 二人がかりでの尤もな攻撃に、うっ、と有利が詰まった。

「そっ、そうなの……?」

 窺うような、そして少しばかり残念そうなそれに返る、二つの無言の頷き。「そうなんだ……」と項垂れる有利に、コンラッドは思わずその肩を叩いていた。ヨザックを目指すことは極力やめて欲しいが、彼に元気を失くしてもらうのは本意ではない。

 少し億劫そうに見上げてくる黒い瞳に微笑んだ。

「要するに。そのままの貴方で我々は充分だってことです」

「コンラッド……」

 驚いたように少し瞠目したそれが、ややして細められる。

「うん。ありがとう」

 

 ほら。やっぱり有利には、笑顔が一番似合う。

 

 

 

 説得にも頷いてくれたため、てっきりタルトも我慢せずに再び食べ始めるかと思ったが。意外にも有利は、これ以上は食べないとキッパリ宣言した。

「筋肉ムキムキは諦めるとしても、余計な脂肪をつけちゃうのは、やっぱりフットワーク重視の野球人としては頂けないからね。とにかく今日は、一個とこの一口でタルトは我慢!」

 健気だ。先ほども思ったが、実に健気だ。いっそ筋金入りだ。

 コンラッドが親バカ全開の思考を繰り広げていると、不意に名付け子に名を呼ばれた。

「はい?」

「これ、食べかけで申し訳ないんだけど」

 一瞬にして、視界が鮮やかなベリー一色に染まる。

 有利の手によって目の高さにまで差し出されたそれを、思わずコンラッドはまじまじと見詰めた。

「タルト、こんなに美味しいのに残しちゃうのは勿体ないだろ?だから、もしよかったら」

 視界を占領するそれを受け取れば、タルトの向こうから有利の笑顔が現れる。

 つられるように、コンラッドも笑った。

「ありがとうございま……」

「ユーリ!」

 しかし、感謝の言葉は途中で見事に弟に食われてしまった。椅子から立ち上がったヴォルフラムが、長兄のような眉間の皺を刻んでこちらを睨んでいる。

 しつこいようだが、コンラッドは可愛い弟に恨まれる気などさらさら無い。が、可愛い名付け子の心遣いを断る気など、もっと無い。だからコンラッドは構わずタルトを持って、ようやく自分の席に腰を落ち着けた。

「なぜ婚約者のぼくを差し置いてコンラートに渡すっ!?」

「えっ。だって、コンラッドずっとお茶淹れてくれてて、まだ全然タルト食べてなかったからさ」

「この尻軽!」

「へ?だから何でそんなことに!?」

 ある意味平和過ぎる遣り取りを眺めながら、貰ったタルトを一口齧る。ほどよい甘さと少しのベリーの酸味が、コンラッドの口一杯に広がった。さすがはエーフェの作った菓子。予想はしていたものの、やはり文句なしに美味い。

「さっきもそうだけど」

 横から響いた呟きに、顔を上げた。

 頬杖をついた状態の村田と視線が合う。

「ほんと、おいしいところを攫ってくよねぇ。ウェラー卿って」

 呆れを通り越し、感嘆したようにそんなことを言う。

 だからコンラッドは、満面の笑みでそれに応えた。

 

「ええ、おいしいですよ。このタルト」

 

 

 

 

 

お題:「ダイエット」

あとがき

 何はともあれ、まずはこの一言につきます。

「お題を提供して下さった方、大変お待たせして本当に申し訳ありませんでした!!」(平謝!)

 

 「彼が(マ)王に育つまで」のネタから話題をダイエットへと広げてみたのですが、肝心な管理人の持つダイエット情報が古くてすみません。(苦笑)一応、ネットで調べたりはしたんですが。

 何でもない日常、みたいな話は大好きなんですが、いざ自分で書くとなると難しいなぁとつくづく思った話でした。

 そしてヴォルフラムは始終お怒りモードでしたね。からかうと面白くてつい(by猊下)。あと……コンラッドが美味しいトコを総取りしてくのは、もう彼の仕様ですよね。(笑)

 

 

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