「それじゃあ、お先に失礼します」

「おう」

「おやすみー、小狼君」

「モコナもサクラと寝よーっと!」

 風に揺れる茶の髪と、ご機嫌笑顔の白きモコモコが、船室の扉へと消えれば。

 そこに残るのは、二人分の黒い影と、ぽっかり浮かんだ満月。

 

 

 どうでもいいこと

 

 

 常のように不思議な空間の旅を抜け、開けた視界は、上も下も青。あっ、と思った時には、下の青へと勢いよく落下していた。

 広大な海のど真ん中。この予測不能な旅では有り得なくはない落下シュチエーションだが、喜ばしい事態では決してない。運よくそこへ「ラゴスタ号」と呼ばれるこの漁船が通りがかったから良かったものの、あのまま漂流し続けていたらと思うとゾッとする。

 モコナの話によれば、この国にはサクラの羽根は無いらしく、そう長くこの船に留まる必要は無いのだが、それでも彼らはもう暫くこの船に厄介になることに決めた。乗組員の一人である機関長の少年が、小狼の父親・藤隆と魂を同じくする者で、小狼が彼と暫く一緒にいたいと願っていることをモコナが感じ取ったからだ。

 

 

 

「反対しなかったねー、黒様」

 小狼とモコナの声が離れていくのを聞きながら、ファイは船縁に背を預け寄りかかった。仰ぎ見た空では、丸い形の月が存在を主張している。

「何がだ」

「さっきの話。もう暫くこの船にいようってやつ。黒りんなら、羽根がないならさっさと次の国に行くべきだー、とか言うかもなぁって、ちょっと思ったんだけど」

言って、ファイは右隣に視線を投げる。

まるで正反対のように、黒鋼は船縁に両腕を載せ、眼下の暗い色をした海を見ていた。

「やっぱり、小狼君が嬉しそうだったから?」

「さぁな。そう思いたきゃそう思っとけ」

「ちぇーっ、つれない言い方。せっかく『やっさし〜い』って、からかってあげようと思ったのにー」

「そんなことだろうと思ったから、こういう反応してんだよ」

「うわっ、ノリ悪っ!」

 嘆いてみせながらも、ファイは実は大して残念には思っていなかった。わざわざ訊かなくても、この忍が少年のことを温かな目で見ているのは知っているからだ。無論、他のメンバーに対しても。

別に知りたくて知ったわけではない。それが分かるぐらいには旅を共にしてきたというだけ。異国の忍者が実は鬼面仏心だっただなんて、知ったところでどうでもいい知識だ。

 

 

 近付いてくる足音に、ふと顔を向ける。船の見回りをしていたらしい船員が、黒鋼の姿を見た途端、ビクッと反応し背筋を伸ばした。

「お疲れ様です!」

「おう」

 わざわざ足を止めての敬礼。それに対して新入りのはずの黒鋼は、一瞥と共に片手を上げるのみ。

 再び見回りに戻っていく船員の背を暫し見詰め、ファイは無言で隣人を見た。

「何だ、その目は」

「……何したの?」

「別に。気合を入れなおしてやっただけだ」

 曰く、船長から船の掃除をするよう指示され甲板へ向かったが、毎日掃除しているとは思えないほどにそこは汚れていて。既に掃除を始めていた船員たちの動きも、それを証明するかのようなだらけっぷり。

呆れ果ててやる気も失せたところへ、偉そうに「掃除をしろ!」と命令され。気合を入れなおす意も込めて、ちょっとデッキブラシで一戦やりあった、と。

「ふーん、気合……ねぇ?」

「何だよ」

「まぁ確かに、その成果か甲板きれいだけど。実は自分で掃除するのが面倒だっただけだったりしてー?」

「な!?ふざけるな!俺はそこまで落魄れちゃいねぇよ!」

「どうだかー」

今度はしっかりとからかってみる。

黒鋼は不機嫌そうに眉間に皺を寄せたが、何か思いついたのか、すぐに不敵な笑みを浮かべた。この顔はマズイ、反撃される合図だ。

そう察知できるようになったのも、長く旅を共にしてきた経験からきている。どうでもいい能力が身についたものだ、とファイは思う。この忍にしか適用できない能力だから、日常に活用しようがない。

 

 不敵な笑みを顔に貼り付けたまま、黒鋼はわざとらしく明後日の方向を見ながら呟いた。

「そういえば、暫くこの船にいるってことは、夕飯も暫くは寿司だろうなぁ」

「げっ!」

 あからさまに顔を歪めたファイを、涼しい顔で黒鋼が見下ろす。してやったり、といったところか。

「船員の奴らも気に入ってたからなぁ、当然明日もそうだろ。ここは漁船、新鮮な魚には事欠かねぇしな」

「断固反対!おしすだか何だか知らないけど、あれは人間の食べるものじゃないですー!」

「人間どころか白まんじゅうも食ってたろ。それと、『しす』じゃなくて『すし』な」

「この際どっちでもいいです!」

 寄り掛かっていたはずの背中もとっくに離し。黒鋼に向き直ったファイはビシッと人差し指を突きつけた。その動きのあまりの勢いに、ファイの胸元のスカーフがフワリと揺れる。

「とにかく!あんなすっぱくてくさった臭いがするもの食べたら、絶対次の日に倒れるっ!」

「んなワケあるか。そんなこと言うなら、てめぇらがたまに食べてるジャムとかいうヤツの方が有りえねぇーだろ。果物を砂糖で甘ったるく煮て、グッチャグチャに潰してんだぞ?」

「何その表現!?そんな言い方したら、美味しいものも美味しくなさそうに聞こえるに決まってるでしょ!?」

「俺は事実を言ったまでだ。どーでもいいが、お前、寿司食わねぇんなら、しばらく毎晩飯抜きだな」

「あれを食べるよりは、空腹の方がまだマシですー」

「ほー、そうか。じゃあお前がグーグー腹を鳴らしてる横で、俺は遠慮なく食うからな」

「うわっ、何その仕打ち!?黒たんの鬼!悪魔!人でなしー!」

 

 その後も暫く続いた不毛な言い合いは、船長からの緊急呼び出しで中断させられる。全員すぐに船首に集まれという。

 黒鋼が小狼と藤隆を、ファイがサクラとモコナを呼びに船室へと向かう途中。最後の念押しとばかりに、ファイは隣を走る黒鋼に向かって宣言した。

「とにかく、何が何でも絶―対、お寿司は回避してみせるからね!」

 夜の闇でも映える紅の瞳は、ちらりと一瞬だけ魔術師を捉え。

「ガキか」

 一言だけ残し、小狼たちの眠る部屋がある左へと折れていった。ファイは曲がらずに、そのまま突き進む。サクラたちの眠る部屋ももうすぐだ。

「ガキ……ねぇ」

 残念でした、と胸中だけで黒鋼に呟いた。

 確かに馬鹿みたいな言い合いだったとは思うけれど。世間一般的には、ガキっぽいという言葉が似合うものだったのかもしれないけれど。でも自分にはそれは適用されない。――子供の頃の自分は、こんな風ではなかったから。

誰かをからかうことも、からかい返されることも、ムキになることも。この旅で初めて経験したことだ。あの無愛想な忍が、初めてのその対象。

自分は、今になってようやく「ガキ」になれたのかもしれない。本当、これこそどうでもいいことだ。

 

 

 

ねぇ、君は気付いているのかな?

長く旅を共にしているせいで、オレがどんどん、どうでもいいことばかり身につける羽目になってるってこと。

 

まぁ、「どうでもいいこと」が時には「大切なこと」にもなりうるってことも、知ってるんだけどね。

 

 

 

 

あとがき

 アニメで黒鋼さんと船員さんたちの甲板シーンを拝観した時、これはあんまりじゃないかと思って。あれじゃあまるで黒鋼さんが、「掃除が面倒&短気&喧嘩っ早い」から船員さんたちとデッキブラシでやりあったようではありませんか!……そうだったのかな?(笑)とりあえず、まともそうな理由をこうして捏造してみました。ハハ。(乾笑)

 「語られなかった世界」の寿司ネタがここで出てきたのにも驚きました〜。レコルト国編でも、「語られなかった世界」ネタを入れてありましたし。(←モコナが侑子さんと会話するシーン。)こういうスタッフさんのちょっとした気遣い(?)って、嬉しいですー。

 

 

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