「グリエ!」

 血盟城の中庭に面した回廊。

 背中から名を呼ばれ一番に思ったのは、「おや、意外」だった。

 その声は、最近よく耳にするようにはなったものの、それが自分に向けられるのは珍しい人物のもので。振り返れば、予想に違わぬ姿がそこにあった。

 母親譲りの眩い金髪と、それに縁取られた美しくもどこか不満げな顔。尊敬する兄にさえ「わがまま」の烙印を押されたことのある、元プリンスのお坊ちゃん。

「少し時間はあるか?お前に相談したいことがある」

「へ?閣下が……オレに?」

 参った、これは今日の天気は荒れそうだ。

 夜には国を経つ予定だったヨザックは、内心だけでひっそりと嘆いた。

 

 

 

 そのまま中庭の隅に連れ出され、陽の当らないそこで持ち掛けられた相談は。ある意味予想の範囲内で、けれどやはり何故自分に向けられるのか分からない内容だった。

 曰く、婚約者である魔王陛下が誰にでもすぐに心を許す尻軽で困っている、と。

「あらやだ、閣下ったら。恋のお悩みなら早めに仰っていただかないと。ちょっとお待ちくださいね、今から急いで恋する乙女なグリ江仕様に……――」

「ふざけるな。ぼくは真面目に相談しているだぞ!これ以上暑苦しい姿になってどうする!?」

「……閣下、仮にもこれから相談しようって相手にその言い草は酷いです……」

 冗談半分のつもりだったというのに、笑われるならまだしも、真顔で拒否されるとさすがに少し響く。どうやら年若いこの閣下には、自分の女装の魅力はまだ理解できないようだ。

 吐き出した溜息に様々な想いを乗せ、ヨザックは口調を変える。

「……じゃあハッキリ言わせて頂きますが、この相談、オレより他を当たった方がいいじゃないですかねぇ?例えば、隊……ウェラー卿とか。基本いつでも陛下にベッタリですから、陛下のことも色々と理解してるんじゃ?」

「ベッタリだから訊きたくないだろう。……コンラートに相談するのは、何となく負けたような気がして悔しい」

 魔王とその護衛の普段の姿を思い出したのか、フォンビーレフェルト卿は腕を組み「むぅ」と唇を尖らせた。

 確かに言われてみれば、その気持ちも分からなくはない。あの二人のベッタリ具合は、最早血盟城内では名物どころか日常茶飯事の光景の一つとなりつつある。

「じゃあ、グウェンダル閣下は?小動物や小さい子ども絡みの内容でもないですし、冷静なご意見を聴けると思いますけど」

「まさか!そんなことをしたら、尊敬する兄上に情けないと思われてしまうだろう!?……それに、たぶん兄上の中では、ユーリも『小さくて可愛いもの』の部類に入ってる気がする。魔笛の一件以降、心なしか互いの距離も縮まってるようだしな」

 尖らせた唇に加え、眉間に長兄似の皺まで増える。

 なるほど、これも確かに言われてみればごもっとも。

「母上、ギーゼラ、猊下……この三人には、相談したところで面白がられるか、からかわれるかだろう。ギュンターとアニシナに関しては論外。となれば、消去法でお前しか残らない」

「なるほど、消去法デスカ……」

 なんとも冷静な判断。この三男閣下が最近急成長しているという噂は、あながち間違いではないようだ。

 まぁ、言い方にはいささか思う所もないわけではないが……消去されなかっただけ、頼りにされていると前向きに捉えるべきなのだろう、ここは。

 

「で?お前はどうすればユーリのあの尻軽具合が改善されると思う?」

「と、言われましてもねぇ……」

 ヨザックの見解からすれば、別に魔王陛下本人は、行動に他意などないだろう。フォンビーレフェルト卿が一方的に浮気だと判断しているだけだ。しかしそれらをそのまま本人に伝えたところで、到底理解してもらえるとは思えない。

 歯切れの悪いヨザックに痺れを切らせたのか、フォンビーレフェルト卿が更に畳みかけてくる。

「グリエだって見たことぐらいあるだろう?コンラートに向けるようなあんな安心しきった笑顔、あいつはぼくには向けたことがない!グウェンダル兄上に向ける信頼もそうだし、ぼくがしようとすると暑苦しいと嫌がるくせに、ギュンターの汁まみれの抱擁は甘受しているだぞ!?おかしいだろう!?」

「はぁ……」

「お前にだってそうだ、グリエ!ユーリは最近、お前にまで懐いている。あの暑苦しい女装姿でさえ、『グリ江ちゃん』とか呼んで笑っているじゃないか!」

「……」

 最早、無言で苦笑いを浮かべるしかない。再度自分のことを「暑苦しい」と称された気がするが、それはこの際、もう気にしないことにした。

 フォンビーレフェルト卿本人も、語っているうちに自分が興奮していることに気付いたのだろう。気を鎮めるようにグッと両手を握りしめ目を閉じ、息を逃がす。

 再び開いたエメラルドグリーンの瞳は、わずかに陰っていた。

「……ぼくは、あいつをあんな風に笑わせることはできない。あんな風に頼られることも……。ユーリにとってぼくは、足りないものが多すぎるのか?」

 

 他人には向けられるものが、自分には向けられない。それは確かに、寂しいものかもしれない。悔しいものかもしれない。

 ――けれど。

 

 

「閣下、オレはそうは……――」

「あーっ!こんな所にいた!」

 突然割って入った大きめの声に、ヨザックは口にしかけていた言葉を切った。

 振り返れば、声の主がちょうど中庭へと降りてくるところで。

「ゆっ、ユーリ!?」

「おや、陛下。一昨日ぶりです」

 噂をすれば影、とはよく言ったもの。動揺するフォンビーレフェルト卿を横目に、ヨザックは努めて普段の態度を返す。

「あれ?珍しい。ヨザックと一緒だっただ?」

 やはり他者の目から見ても、自分とこの閣下の組み合わせは意外に映るのか。一瞬目を見開いた少年王は、ヨザックには「一昨日ぶり」と返したものの、すぐに隣の人物に顔を向けた。しかも、それは少し睨めつける様な視線。

「ところでヴォルフ。お前、またグレタに妙なこと教えただろ!?」

「なっ!?」

 動揺が治まっていなかったところに、更なる動揺の種を蒔かれ、フォンビーレフェルト卿は表情をますます不自然に引きつらせた。発する声さえ少々裏返り始める。

「何その言いがかりは!?ぼっ、ぼくは、グレタの父親だぞ!?グレタのためになることしか教えていない!」

「いーや、違うね。さっきおれ、グレタに『ユーリは“しりがる”なの?』って訊かれただぞ!?絶対、お前が原因だろ!?しかも続けて『あと、“しりがる”ってーに?』って、興味津津のキラッキラした可愛〜顔で訊かれただぞ!?おれに一体うしろって……――って、ん?」

 怒りで興奮していた少年王も、ようやく相手の異変に気付いたらしい。怪訝そうな顔で、フォンビーレフェルト卿を覗きこむ。

「何だよ、ヴォルフ?どうかしたか?」

「っ!?……なっ、何がだっ?」

「いや、何か普段と違うっていうか、元気がないっていうか……。なぁ、ヨザック、こいつ何か……――」

「そんなことはない!お前の気のせいだ」

「嘘つけ、その反応が怪しいっての。ヨザックと一緒にいたってことは……グウェンダル絡みかな?大好きなお兄ちゃんに、ショックなことでも言われちゃったとか?グウェンがおれの話し聴いてくれるかは自信ないけど、おれから何か言ってあげられることがあったら……」

「ちっ、違う!というか、お前には全く関係のない話だ!いちいち介入しようとするな!」

「はぁ!?何だよそれ!?おれがお前のこと心配しちゃいけないのかよ!?」

 まるで子犬同士がきゃんきゃん吠えあうかのような遣り取りを始める2人を、すっかり傍観者を決め込んだヨザックは笑って眺める。

 

 安心しきった笑顔。

 職務上の無条件の信頼。

 いつでも受け止めてくれる抱擁。

 他人には向けられるそれらが自分には向けられないのは、確かに寂しいものかもしれない。悔しいものかもしれない。

 ――けれど。

 

「こんな様子の陛下、それこそ閣下の前でしか見られませんよ」

 ひっそり呟かれたそれは、じゃれるように罵り合う2人分の声に紛れて消えた。

 

 

 

どうしても知り得ない

閣下にとっては、ユーリ陛下のこんな様子は

既に「当たり前のこと」になってしまってるんでしょうねぇ

だから、それが自分だけに向けられているとは気付けない。

……まぁ、意外と誰でも、そんなものかもしれませんがね。

 

 

 

あとがき

 ツバサの方でも、この手のことは少し触れたことがあるのですが。ひとって結構、自分のことには鈍感だったりしますよね。『自分にできること』というのも、その本人にしてみれば意識せずにできてしまっていることだったりするので、当たり前のように思っちゃって気付けないついつい自分では、自分の出来ないことの方に目がいきがち…という。難しいもんですね。(笑)

 有利にとってヴォルフは、「やがて(マ)」にも出てきたように、罵り合うことも慰め合うこともできる、気安い友人のような存在。こんな人が身近にいてくれるのって、ほんとに有難いことだと思います。

 

 

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