※この「〜会〜」は、これだけでも読めなくはないのですが、管理人は一応 「〜離〜」の続編のつもりで書いております。 

 

 

 

 

 会者定離 〜会〜

 

 

「会者定離」。会った者とは必ず別れ別れになるのが運命である、ということ。

確かにその通りだと思う。

だけど、そんな風に思ってばかりいたら、“誰かと出逢う”ということが、とてつもなく嫌で、無意味なことのように思える気がした。

 

 

 

「美〜和子、おはよう!」

 一課へと向かって歩いていると、後ろからポン!と背中を叩かれた。

 振り返らずとも相手が上機嫌であろうことは容易に想像できたが、とりあえず振り返ってみる。

 そこにはやはり、ニコニコとした親友の顔があった。

「おはよう、由美。 何よ?朝からやけに機嫌がいいわね」

 ちょっと呆れ顔で尋ねてやるが、相手はまったく気にしていない。

「だってほら、今日でしょ?一課に新入り君が来るの」

「新入り?」

 ちょっと間を置き、記憶の糸を手繰り寄せてみる。

「……ああ。そういえば、そうだったかも」

「え、嘘?!美和子ってば、自分の課の事のくせに、忘れてたの?!」

 今度は彼女から、呆れたような視線を投げられる。

「別にいいでしょ、そこまで言わなくたって。そもそも、何で一課に関係ない由美が、そんなにワクワクしてるのよ?」

「だってその新入り君、あたしたちよりも後輩なんでしょ?うまくやれば、下僕(しもべ)として使えるかもしれないじゃない♪」

「はぁ?」

 親友のとんでもない発言に、今度こそ心底呆れた声が出る。

「下僕って……、由美、後輩いじめも程々にしときなさいよ?」

「わかってる、わかってる♪ それじゃ、とりあえず後で、その新入り君がどんな人だったか教えてちょうだいね」

「はい、はい」

 半ば投げやりに佐藤が頷くと、由美は満足そうに笑い、交通課へと戻っていった。

 

 

―――まったく、由美ったら。

 どこまで本気なんだか、と軽く笑ってしまう。それでも、なぜか憎めないのが彼女なのだ。

 そんなことを思いつつ、一課のドアの前に立った。

が、手を伸ばして一瞬、佐藤は開けるのを躊躇う。

 

『今日でしょ?一課に新入り君が来るの。』

 

 松田のあの事件から半年以上が経っているから、今回やって来るという その新入りが、松田の分の穴埋め、ということはないだろう。

 けれど。

「新入り……か」

 佐藤は独り呟くと、一課のドアを開けた。

 

 

 

「え〜っと……。こっちであってるのかな?」

 おろしたてのスーツに身を包んだ長身の男は、う〜ん、と首を傾げ唸った。その胸には、「MPD」の文字が真新しく光っている。

 彼は今日からここ、警視庁で働くことになっているのだが、どうにも庁内は広く、肝心な自分の課の部屋になかなかたどり着けない。

 先ほど見た庁内案内図によれば、おそらくこちらで間違ってはいないはずなのだが。

―――誰かに聞いてみるかな……。

 自分の空間能力に多少の自信はあるが、万が一、ということだってある。

 幸い、出勤時間のため、人の行き来も多い。彼は早速辺りを見回してみた。

 いかにも刑事ですと言わんばかりの強面の男、山積みのファイルを抱えて忙しそうに走っていく中年の婦警……。

―――うーん……。もうちょっとのんびりしてて、声のかけやすそうな人は……。

と、彼の目に、前方を行く女性二人組が留まった。

 何やら仲良さげに話している。一人は制服、もう一人はスーツ姿だ。

―――うっわ、綺麗な人……。

 スーツの女性の話す横顔に、彼は思わず息を呑んだ。

 隣の制服の女性も十分可愛いのだが、彼女の美しさは目を見張るものがある。

 あんな女性と一緒に仕事ができたら……、と一瞬傾いた自分の思考を、彼は自ら否定した。

 自分が今日から勤務するのは、刑事課。しかも強行犯係。とてもじゃないが、あんな美人の働く場とは思えない。……実際には、そうとは限らないのだが。

―――よし。まぁ、とりあえずあの二人に……。

 尋ねる相手を決め、二人に走り寄ろうとした。が、すぐに立ち止まる。

どうやら二人の会話は終わったらしく、婦人警官の方が、スーツの女性と別れ、こちらに向かってきたのだ。

 ラッキー!と思いつつ、近付いてくるその女性に声をかけよう……としたのだが。

「あ、あの……」

「〜〜♪」

 彼女は何やらかなり上機嫌らしく、声を掛けた自分に気付くことなく、鼻歌と共に横をすり抜けていってしまった。

―――あちゃ〜……。

 こうなったらもう、先を行くスーツの女性を追いかけて聞くしかない。

 彼は慌てて前に向き直ると、さっきの女性を追いかけた。が。

「あれ?」

 思わず彼は目を瞬かせた。十歩も歩かないうちに彼の目に飛び込んできたのは、捜査一課と書かれたドア。……どうやら自分は、知らないうちに あとちょっとの距離まで来ていたらしい。

 なんだか拍子抜けしてしまって、人知れず苦笑が零れた。こんなことなら、さっきの婦人警官に気付かれなくて、むしろ良かったと思う。こんな近くで「一課はどこですか?」などと聞いたら、笑われていたに違いない。

 と、そこで、彼はハタと気付いた。

―――あれ?さっきの女(ひと)……。

 今しがた声を掛けようとしていたスーツ姿の女性が、いつの間にかいなくなっていたのだ。

 瞬時に彼の頭はクエスチョンマークで一杯になる。

―――どこに行ったんだろう?そんなに歩くの速かったかなぁ? あっ、もしかしてあの人も一課に?……いや、でもそれはさすがに……――。

 

「おや、高木君じゃないか?」

「へ?!は、はいっ!!」

 突然後ろから声を掛けられ、条件反射で返事と共に振り返ると。

「目暮警部!」

 そこには、今日からの上司が笑顔で立っていた。

「お、おはようございますっ!」

「うむ。朝から元気でいいことだ。今日から、よろしく頼むよ」

「はい!こちらこそよろしくお願いします」

こうして、彼・高木の スーツの女性に関する追究は、上司の声掛けによって打ち切られたのだった。

 

 

 

「え〜、今日から捜査一課の強行犯係に配属になった、高木 渉君だ」

目暮が紹介を始めるが、された本人はほとんどその声を聞いていなかった。

ぼんやりしていたわけではない。緊張が頂点に達していたのだ。

彼の目の前にズラリと並ぶのは、泣く子も黙る……は言い過ぎかもしれないが、あの警視庁捜査一課の面々。とてもじゃないが、まともにその集団を見詰め返すことなどできない。

彼は不自然にならない程度に、天井の一角を見詰めておくことに決めた。と言ってもさすがに、「あ。あの天井の汚れ、○○っぽい形だなぁ」なんて思う余裕は無いが。

 

 

「じゃあ高木君、君からも一言」

「あ、はい!」

 うわっ、きたよ……、と思いつつ、視線は天井のまま、何度か頭の中で考えていたあいさつの言葉を口にする。

「ほっ、本日付で配属になりました、高木 渉と申します。……――」

 我ながらありがちな話だ…と思うが、やっぱりこんな内容しか思い浮かばない。

 情けないことに、声も少し上ずっている。

「…――ますので、よろしくお願いします」

 何とか全ての言葉を吐き出し頭を下げると、一応、前方の集団から拍手をもらえた。

「うむ。では、君の担当刑事は……」

 目暮がグルリ、と刑事の集団を見回す。

 高木は息を呑んでその横顔を見た。

―――あぁ、お願いします!どーか、やりやすい人にして下さい!!

 贅沢を言うつもりは無いが、やっぱり本音は、めちゃくちゃ無愛想な人や 鬼のように恐い人は、勘弁していただきたいものだ。

 と、目暮の顔の動きが止まった。

「……佐藤君。君にお願いするとしよう」

「え……?」

―――え?

 思わず高木は心中で呟いた。

決して、指名された人物の言った「え……?」を真似したわけではない。

―――今の声って……女性?

 そこでようやく、彼は目の前に立ちはだかる刑事集団をまともに見た。

「彼に付いて、色々と教えてやってくれ」

 そう告げる目暮の視線の先を追っていくと……。

「ええぇぇっ!?」

 

 

 

 

 

 机に溜まり始めていた書類を整理していると、白鳥がやってきた。

「佐藤さん。強行犯係、集合かかってますよ。新入りの紹介をするみたいです」

「あ、ええ。わかったわ、すぐ行く」

 本音を言えばあまり気乗りはしなかったけれど、仕方ない。

 切りのいいところで作業をする手を止めると、重い腰を上げ、彼女も人の輪に向かった。

 

 

 結構遅い方だったらしく、佐藤がその輪に加わるとすぐに、目暮が口を開いた。

「え〜、今日から捜査一課の強行犯係に配属になった、高木 渉君だ」

 そう告げる上司の隣には、背筋を真っ直ぐに伸ばした長身の男が立っている。

 よほど緊張しているのか、じっと上の方を見詰めたまま、微動だにしない。

「じゃあ高木君、君からも一言」

「あ、はい!」

 一瞬だけ目暮に向けた視線をすぐに天井の方へ戻すと、“高木”と呼ばれたその人物は話し始めた。

「ほっ、本日付で配属になりました、高木 渉と…――」

 緊張のためか所々裏返るその声を、佐藤は“聞いて”はいたが、“聴いて”はいなかった。

―――そうそう。これが普通の自己紹介ってものよね……。

 よくある内容の話しではあるが、確か自分の時も、今の彼と似たようなことを話した気がする。

―――それに比べて、あの人の時は……。

 

『うざってぇ自己紹介なんざ 意味ないでしょ……。』

 

 脳裏に、今は亡きサングラスの男の顔が浮かんだ。 と同時に、佐藤はそんな自分に思わずため息が出た。

 自分はまだ、松田のことを吹っ切れていない。

―――何やってんだろ、私……。

「…――しくお願いします」

 そうこうしているうちに、新入りのあいさつは終わったらしい。 周りの拍手の音で現実に引き戻され、慌てて自分も手を叩いた。

 

 

 無事にあいさつを終えた新しい部下に、「うむ。」と満足気に頷いた目暮は、

「では、君の担当刑事は……」

 と言って、グルリとこちらを見回した。

 と、上司のその顔が、自分の方を向いて止まる。

「佐藤君。君にお願いするとしよう」

「え……?」

 突然のことに、思わず声を上げた。

 けれど、上司はそれに気付かなかったらしく、言葉を続ける。

「彼に付いて、色々と教えてやってくれ」

「警…――」

 “部”、と佐藤が続けるよりも早く。

「ええぇぇっ!?」

 一課中に響き渡るんじゃないかという勢いで先に声を上げたのは、新入りの方だった。

「こっ、この女(ひと)も、刑事だったんですか?!」

 瞬間、シン……と静まり返る室内。

 一瞬の間の後に、自分の失言に気付いたらしい新入りは、真っ赤になってすぐに頭を下げた。

「すっ、すみません!!実はさっきこの方を廊下で見かけたんですが、まさか刑事だなんて思わなくて……」

 高木がペコペコと頭を下げて謝ってくるが、佐藤はあまり聞いていなかった。

 刑事に見られないことなんて、いつものことだ。そんなことは、どうだっていい。

 けれど、新入りの担当になるのは嫌だった。今だって、自己紹介をする彼を見ていただけで、松田のことを思い出してしまったのだ。担当刑事にまでなったら、ますます松田のことを思い出すのではないか?

 それに……――。

 

 

「なぁ〜に、気にすることはない。初対面で彼女が驚かれるのはいつものことなんだよ。なぁ?佐藤君」

「目暮警部……」

 ぽん、と笑いながら新入りを叩く目暮に話を振られたが、佐藤はそれには不似合いな 低い声で答えた。

「彼の担当は……私でないと駄目ですか?」

 聞かれた上司は一瞬、「ん?」という不思議そうな顔をしたが、それでも特に言及することなく答える。

「……いや。絶対に君でないといけない、というわけではない。だがワシは、年齢や階級、能力を考えて、君が適任だ……と判断したが?」

 「君はどうしたい?」とでも言うように薄く微笑む目暮に、佐藤は黙った。

 嫌だ。けれど、尊敬する上司が、こうも言ってくれている。その上司を、困らせたくはない。

 実際には10秒もなかったが、とてつもなく長くかかったような気がする。散々迷った末に、彼女はようやく口を開いた。

「……分かりました。お引き受けします」

「そうか。……では、よろしく面倒を見てやってくれ」

 目暮に心配かけさせまいと笑ったつもりだが、うまく笑えていたかは分からない。

 

 

 

「はぁ〜……」

 自分のデスクに着くなり高木は、地の底まで落ちるんじゃないかというため息をついた。

 脳裏では、さっきから何回も同じ場面がリピート再生されている。

 

『彼の担当は……私でないと駄目ですか?』

 

―――かなり嫌そうだったよなぁ……、あの女(ひと)……。

 紹介が終わった後すぐに、彼女の元へ行って、これから宜しくお願いしますという旨を伝えたのだが、返ってきたのは、

「ええ……」

 の一言。目も、意識的に逸らされてしまった気がする。

やはり、さっき言ったことを怒っているのだろう。当然だ。「この人も刑事だったんですか?!」などという失礼極まりないことを言われれば、誰だってそんな奴に色々と教えてやろうなんていう気にはならないだろう。

一度は一緒に仕事をしたいとまで思った相手であるのに、まさかこんなことになろうとは。

―――どうしよう……。もう一回、謝りに行くかなぁ。でも、あんまりしつこいとうるさいよな。そもそも、まともに顔も見てもらえないし……。

 

 

「何をボーッ、としとるんだね?」

「へっ?は、はい!」

 気が付くと、目暮が机に突っ伏している自分を見下ろしていた。

 慌てて上半身を起こし、居住まいを正す。

その様子が可笑しかったらしく、目暮がクックッ、と笑いを噛み殺すような声を上げた。

「朝の元気はどこへ行ったのかね?」

「す、すみません……」

「早く佐藤君のところへ行ってきなさい」

「へ?」

 脈絡があるような無いような目暮の微妙な言葉に、思わず呆けた声が出る。

「『へ?』じゃないだろう。ボーッとしとる暇があったら、佐藤君から色々と学んでこい」

「あっ、はい……」

チラ、と佐藤のデスクを見やると、いくつかの資料が乗っているだけで、本人はいなかった。

 今日はまだ事件の通報はないし、何かの捜査に出るという話も聞いていないので、どこか別の部屋にでもいるのだろう。

―――もしかして、俺が一課(ここ)にいるから、一緒にいるのが嫌で出て行った……とか?

 どんどんマイナス思考へと傾いていく己の頭をブンブンと振ると、高木は椅子から立ち上がった。

―――考えたって仕方ない!やっぱり、まずは佐藤刑事を探して謝ろう。

 

 

 

本庁の一角、自販機のある休憩所から少し離れた所に、横長のイスがいくつか並んでいる。

そのうちの一脚に、腰掛けている人影が、一つ。

 

 

「はぁ……」

 コーヒーの入った紙カップ片手に、佐藤はため息をついた。

 何となく、新入りの彼に声を掛けられるのが恐くて、気が付くと逃げるようにここに来ていた。

―――ほんと、何やってんだろ、私……。

 まだ机上に乗った資料の整理が残っている。

 早く戻るべきだと分かってはいるが、手中のコーヒーの量は一向に減らない。

 

 

「美ー和子!」

 聞き慣れた声に顔を上げると、親友がこちらを見下ろしていた。

 由美がいたことよりも、彼女がこんなに近くにきていたのに気付かなかった自分に驚く。

「何やってんの?休憩所で飲めばいいのに」

「由美、ちゃんと状況を見てから言ってくれる?」

 その驚きは顔に出さず、ちょっと呆れた声で言ってやると、親友は休憩所の方へと目を向ける。と同時に苦笑した。

「ああ……、なるほどね」

 休憩所にあるイスは、既に定員数に達していた。

「めずらし〜。こんなこともあるのねぇ。まぁ元々、イスの数も少ないけど。 それで美和子はここにいるってわけね」

「そういうこと」

 ストン、と由美も横に腰を下ろす。

「ね、そういえばどうだった?新入り君は」

 虚を突かれ、思わずカップを持つ手が揺れてしまった。

 けれど、気付いていないのか わざとなのか、親友はただ黙ってこちらの言葉を待っている。

「どうって……、そうね……。すごく、真面目そうだったわね。人がよさそうっていうか、腰が低いっていうか、わかりやすいっていうか……」

 脳裏に、真っ赤な顔でペコペコと頭を下げてきた新入りの姿が浮かぶ。

「へ〜、結構よさそうじゃない。担当は誰になったの?」

「 私 」

「え?美和子なの?!よかったわね〜」

「どこが……」

 ため息混じりに言うと、親友が意外そうにこちらを見る。

「嫌なの?教育係だなんて、上司から信頼されてる証拠じゃない。……あ、もしかしてその新入り君、根はすごくヤな奴とか?」

「ううん。それはないわ……」

 佐藤は首を振った。

 分かっている。彼には少しも非はない。ただ自分が、己の勝手な理由で彼を拒絶しているだけ。

 松田のことを思い出してしまうから、というのも確かな理由の一つ。けれど、それだけではなかった。

 彼が……高木がいなくなってしまう時のことを考えてしまうのだ。

 死別でなくとも、彼ともいつかは別れる時がくる。ならば、彼と新しく関わりあったところで、それは無駄なのではないか?どうせ、いつかは別れるのだから。

 それに、下手に相手のことを知ってしまえばその分、それは別れの時の痛みとなる。松田のことがいい例だ。

 もう、あんな思いをするのは……恐い。

 

 

「ん〜?」

 不意に横で妙な声が上がった。

 怪訝に思い声の主を見ると、彼女が廊下の奥を指差す。

「ね、あの人見かけない顔だけど……もしかして例の新入り君?」

「え?」

 言われて改めて由美の指差す方をよく見れば、それは確かに高木。

 こちらに向かって走ってきている。

―――嘘!何で?!

 とっさに、彼が何事もなくここを通り過ぎてくれることを願ってはみるが、悲しいかな、高木の足は自分の前に来ると止まってしまった。

「お話し中すみません。今、よろしいですか?」

「ねぇねぇ!!」

 「いい」とも「悪い」とも言う前に、隣の親友が割って入る。

―――由美〜っ!恨むわよ〜!!

 目線で訴えかけるが、彼女は完璧無視。

「あなた、今日一課に来た新入り君でしょ?」

「えっ?ええ。そうですけど……って、あぁ!あなた!」

「へ?何?」

「え、あっ!いえ、何でもありません!」

 挙動不審な高木に由美はちょっと首を傾げたが、すぐに元のテンションに戻る。

「ふーん。まぁ、いいわ。私、交通課の宮本 由美。美和子とは親友なのよ。よろしくね」

「あっ、僕は今日から強行犯係に配属になりました、高木 渉です。こちらこそよろしくお願いします、宮本さん」

「やだ、“宮本さん”?由美でいいわよ、由美で」

「え?あ、じゃあ……由美……さん」

「うんうん。それでよろしい」

「あのさ」

 放っておけばいつまでも終わりそうにない会話に、とうとう佐藤はしびれを切らした。

 とにかく少しでも早く、彼から離れたい。

「用があるなら、さっさと済ませてくれる?」

 色んなイライラが手伝って、口調もちょっとキツくなる。

 少しビクッとした彼が、慌ててこちらに向き直った。

と、

「さっきは、本っ当にすみませんでした!!」

「へ?」

 突然頭を下げてくる高木に、訳が分からず間の抜けた声が出てしまった。

 彼の謝ってくる理由がさっぱりわからない。

 しかし高木は頭を下げたまま続ける。

「刑事なのに『この人も刑事だったんですか?!』なんて言われたら、誰だって怒りますよね。ほんと僕、考えなしで……」

 思わず佐藤はポカン、とした。

―――私がそっけなくしたのを……自分のせいだと思ってたの……?

 正直に言えば、高木には嫌われてもいい覚悟だった。いや、むしろそれを望んでいたかもしれない。何もしていないのに冷たくされれば、誰だって嫌だろう、と。

 けれど彼は…――。

 

 

「ぷっ。あはははは!」

 気が付くと、自分でも知らないうちに笑い出していた。

 何という男(ひと)だろう。“いい人”を通り越して、人がよすぎる。

 見れば、隣の由美も一緒に笑っている。

 高木だけが一人取り残され、困惑したように由美と自分を交互に見る。

「ごめん、違うのよ」

なんとかその笑いを止めて、彼女は高木を見上げた。そこには、少々困った、けれど平生ならば人好きのする笑みを浮かべるであろうと思われる彼の顔があって。

思えばこれが、初めて高木の顔をまともに見た瞬間かもしれない。

「目暮警部もおっしゃってたでしょ?よくあることだって」

「そうよ〜。初対面で美和子を刑事だと見抜いた人の方が少ないんだから。美和子はそんなことで怒ったりしないわよ」

 由美も散々笑ったらしく、目には薄っすら涙まで溜めている。

「そ、そうなんですか?何だ、よかった〜……」

 高木はようやく安心したように息をほっとついた。が、すぐに何か思いついたらしく、こちらを見やる。

「あれ?でもそれじゃあ、佐藤刑事はどうして怒って……?」

 何か別の理由があるのかと、不安そうに見詰めてくる高木に加え、由美までチラ、とこちらを見上げてくる。「そうなの?」と。

「それは……」

 二人の視線を受け、佐藤は少し間をおいた。が、ふ、と小さく笑うと いつもの調子をつくる。

「あなたは全然関係ないのよ。実はね、私は母と二人暮ししてるんだけど、今朝食べようと思ってとっておいた梨を、母が昨日のうちに全部食べちゃってて。久しぶりにすっごく甘い梨だったのよ?だからと〜っても悔しくって……」

「え?梨?……あ、そう……だったんですか」

 刑事にしては些かお粗末な嘘だったか、と思ったが、彼は心底安心したらしく、「よかった〜」と再び長い息を吐いた。どうやら、どこまでも素直な男のようだ。

そんな高木の肩を、由美が軽く叩く。

「も〜う、あなたってば心配しすぎよ?安心しなさい、美和子はこういう奴だから。 あ゛〜、笑いすぎて喉渇いちゃったわよ」

「あ。僕、何か買ってきましょうか?」

「あら?いいの?」

「ええ。実は僕も喉渇いちゃって……」

「あ、緊張しすぎたせいね〜?じゃあ、お願い。コーヒーでいいわ」

「分かりました」

 由美が自分の分として渡そうとした小銭をやんわりと断り、高木は休憩所へと走っていった。

 

 

「梨……ねぇ?」

 離れていく新入りの後ろ姿を見送っていた由美が、チラリとこちらを見る。

「何よ?」

一瞥してやると、「別に〜」と含みのある声で返された。

「でもさ。彼、刑事には珍しいタイプよね。いい人っていうより…お人よし?思わず笑っちゃった」

「そうね、確かに」

 佐藤は頷く。

 本当に、今までにいないタイプだと思う。結局彼に対する態度も、いつもの自分に戻ってしまった。

―――でも、大丈夫かもしれないわね。

 人がよくて、礼儀正しくて、分かりやすくて、真面目で……。

彼ならばおそらく、自分が最も恐れている事態も起こらないだろう。

―――ほんと、あの人と真逆のタイプ。

 

 

「それにしても……――」

 親友の声で、ハッと我に返る。

「高木君、なかなかいいわね。下僕の素質十分だわ」

「はぁ?」

 親友のどこまでも突飛なその発言に、彼女は一瞬、我が耳を疑いさえした。

 ここまでくると、呆れを通り越して、ほとほと感心してしまう。

「由美……、あなたまだそんなこと言ってるの?」

「だって、ちょっと喉が渇いたって言っただけで、自分が買いに走るのよ?しかも奢ってくれちゃうし。これは、下僕として使わなきゃ損よ!」

「あぁ そう」

 この先の彼の不幸な運命が佐藤には容易に想像でき、可哀想に、と同情しつつ彼女は休憩所の方を見た。

 そこには、カップを片手に、もう一つのコーヒーが出来上がるのを待っている高木の姿。

 その後姿を見ながら、佐藤は自分の中で彼への苦手意識が少しずつ薄れてきているのを感じていた。

 

 

「お待たせしました〜」

そんな会話が展開されていたなんて夢にも思わないであろう高木が、両手にカップを持って戻ってきた。

「どうぞ、由美さん」
「ん、ありがとー」
 何事もなかったかのように、差し出されたカップを笑顔で受け取る由美。その光景を微苦笑で見ながら、佐藤は冷めきったコーヒーの残りを一気にあおった。

「じゃあ、私はそろそろ戻ろうかな」
「え?美和子、行っちゃうの?」
「ええ、結構長居しちゃったから。資料の整理もあと少しだしね」
 お先に、と軽く手を振り立ち去ろうとすると、慌てたように高木が声を上げた。
「あっ、あの!佐藤刑事!」
「え?」
 呼ばれるままに振り返ると、彼はこちらに向かって再び頭を下げていた。

けれど今度のそれは、謝罪ではなく。
「もう一度、ちゃんと言わせて下さい。こんな僕ですけど、頑張りますんで、これからよろしくお願いします!」

 突然のことに、佐藤は目を瞬いた。

 思えば一度目に言われた時は、目も合わせずに「ええ……」の一言で済ませてしまった気がする。

 けれど、今度は。

「ええ、こちらこそ」

 佐藤は、心からの笑みで答えた。

 もう、別れる時のことを考えるのはやめよう。そんなことを考えていても、前には進めない。

 それよりも、出逢えた事の方を大切に思いたい。星の数ほどいる人の中で出逢うなんて、奇跡的な確率なのだから。

 そう、前に進めるかどうかは――自分しだい。

 

「ビシビシ鍛えてあげるから、覚悟しときなさいよ? 高木君」

 

 

 

“ほんと、あの人と真逆のタイプ。”

彼女が思った、この言葉。

その後彼女は、自分のその認識が間違いであったことに気付くのだが……

それはまだ、先の話―――。

 

 

 

 

あとがき

「会者定離」シリーズ、終了です。微妙に長ったらしくなってすみませんでした…!

松田刑事殉職後や高木刑事初本庁入りの話は、きっと高佐ファンなら誰もが一度は想像したことがあるかと思います。そのご自分が抱いているイメージは、ぜひ大切になさって下さい。その上で、「まぁ、こんなパターンもありかなぁ」という感じにこの話を受け止めていただければ、幸いです。

ちなみに原作にはありませんが テレビの「恋物語3」で佐藤さんが、初入庁時と思われる高木刑事の台詞を回想していたので、その時に合わせて今回の台詞も書きました。初めは高木刑事、「佐藤刑事」って呼んでたんですねぇ……。何度かいつものクセで「佐藤さん」と書いてしまいました。(笑)

 

 

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