会者定離 〜離〜

 

 

 分かっていたのに……“忘れてはならない” と。

 けれど私は忘れていた。 いや、忘れていたかったのかもしれない。

 私は“呪われている”ということ。そして、“誰かを好きになってはならない”……ということを。

 

 

 

「皆!聞け!爆弾は無事解体されたぞ!もう大丈夫だ!!

 米花中央病院前。無線機を片手に目暮が叫んだ。瞬間、周りの警察関係者たちがどっと歓声を上げる。

 ただ一人、佐藤だけは呆然として、目暮のその声をどこか遠くで聞いていた。

「終わっ……た?」

 絶対に爆弾を止めなければ、と今の今まで張り詰めていた何かが、音を立てて切れた。瞬間、彼女の胸に降って湧いた感情は、無。

 何とはなしにポケットに手を入れ、携帯を取り出す。画面は、メールを表示したままだった。

彼からの……松田からの、最後のメール。

 

『米花中央病院』

 

 待ち受け画面に戻そうと、親指をボタンへとかけた。が、押そうとして止める。画面の下の方に、わずかに黒い文字があることに気付いたのだ。

―――嘘?!まさか爆弾について、まだ何か記述があったの?!

 慌てて画面を下へとスクロールすると、予想に反する文字がでてきた。

―――……“追伸”?

 何だろうとそのまま画面を下ろしていった佐藤は、次の瞬間 固まった。

 たった二行の言葉。

 気付かなかった方がよかったかもしれない、そう思いたくなるほどのその言葉を、彼女は瞬きもせずに、ただただ食い入るように見詰めた。

「……ばか」

 

『あんたの事 わりと好きだったぜ。』

 

 

 

 

「……――とうくん。佐藤君!」

「え?」

 ふと顔を上げるとそこは、見慣れた捜査一課の大部屋。同じ課の仲間たちが、忙しそうに動き回り、あるいは書類にペンを走らせている。そんな光景を背に、心配そうな顔をした目暮と白鳥が立っていた。

 しまった、と佐藤は内心焦る。どうやらまた、自身でも気付かぬうちに思案に耽っていたらしい。

 

 悪夢のような事件から一ヶ月がたった。あの事件の翌日……いや、その日から、警視庁をあげて爆弾犯の必死の捜索が行われた。

もちろん佐藤も、悲しむよりも先に、その捜査に全力をあげていた。犯人を挙げて、一刻も早く彼の……松田の仇をとらなければ、と。

けれど、四年前の爆弾事件の時と同じく 犯人に関する手がかりは少なく、捜査は難航した。

新たな事件も日々留まることなく発生するため、捜査員たちもいつまでも爆弾事件ばかりに執着してはいられず。 結局、一ヶ月たった昨日、杯戸警察署に設置されていた爆弾事件捜査本部もついに撤去され、代わりに新たに起こった殺人事件の捜査本部が設置された。

それからというもの、佐藤は今まで気を張り詰めすぎていた反動か、ぼんやりとすることが多くなった。忙しくて思い出すことも無かった――無意識に思い出さないようにしていただけかもしれないが――あの日のことが、何故だか頭の中をグルグルと回る。

 

「は、はい!すみません!何でしょうか?警部」

 慌てて平静を装いながら佐藤が尋ねると、相手は少し困ったような顔をする。

「いや……、実は、米花4丁目で刺殺体が発見されてな。ワシと君と白鳥君とで現場へ向かおうかと思っただが……体調が悪いのなら、誰か別の者に……――」

「いっ、いえ!大丈夫です!」

 佐藤は慌てて椅子から腰を浮かせた。

―――いつまでも落ち込んでてどうするのよ。松田君が殉職してショックだったのは、私だけじゃないだから。

たった一週間とはいえ、同じ課にいたのだ。仲間が殉職してショックでない刑事などいない。

それでも皆、仕事をしっかりとこなしている。自分だけぼんやりなどしていられない。

自分にそう言い聞かせると、佐藤今度ちゃんと目暮の目を見て、落ち着いた口調でハッキリと言った。

「私も同行させて下さい」

目暮はしばらく迷うように唸っていたが、まっすぐと見詰め返してくる佐藤のその視線に、諦めたように一つ息を吐くと。

「そうか。では、よろしく頼むよ」

 ぽん、と佐藤の肩を軽く叩いたのだった。

 

 

 

「殺されたのは、この部屋の住民である遠山 博之(とおやま ひろゆき)さん、32歳、会社員。死亡推定時刻は、今日の午前11時から11時半頃。凶器は刃渡り17cmの文化包丁で、容疑者はまだ挙がっていません。発見者は、被害者の友人の柳 清(やなぎきよし)さんで、今 アリバイの確認を取っているところです」

 先に到着していた所轄の捜査員からの報告に、目暮は「ご苦労様」と答え、被害者の遺体に目を向ける。捜査員は一礼し、部屋から静かに出て行った。

「あまり争ったような形跡は見当たらんな」

「ええ。それに、背中からの一突きでやられています。おそらく、犯人に背を向けたところを背後から刺されたのでしょう」

 隣に並んだ白鳥も頷く。

「となると、やはり顔見知りの犯行の線が強い……って、佐藤君。どうかしたのかね?」

話の途中で突然部屋を出て行こうとする部下を、目暮は驚いて呼び止めた。

「所轄の方(かた)に、窓やドアのことを聞いてきます。こじ開けられた形跡がなければ、顔見知りの可能性が更に高まりますから……」

「あ、あぁ。そうだな。助かるよ」

 いつものこととはいえ、彼女の判断力の速さに驚きつつ目暮が言うと、彼女は「いえ」と笑い、部屋を出て行った。

「……佐藤さん、昨日から少し様子が変で心配でしたが、案外大丈夫そうですね」

 離れていく足音を聞きながら、白鳥がほっとしたように耳打ちをしてくる。が、目暮の方は未だに表情は曇ったままだった。

「ああ。今のところは……な」

 

 

 

「警部。やはり、ドアにも窓にも、こじ開けられたような形跡は見つかっていないそうです」

 先ほどの部屋に戻って報告すると、目暮が「そうか」と頷いた。

 その隣で手帳に書き込みをしていた白鳥が、顔を上げる。

「こちらは、発見者である柳さんのアリバイが一応取れました。彼が11時頃にいたというレストランのウェイトレスが、柳さんのことを覚えていたようです」

「そう。わかったわ」

 自分も手帳を取り出し、走り書きをする。

と、遺体の周辺を見回していた目暮が、そこから視線を上げ、少しシャッポをかぶり直した。本格的な捜査を開始する合図だ。

「よし。とりあえず、顔見知りの線で容疑者を挙げるとしよう。白鳥君、よろしく頼むよ」

「はい」

「佐藤君。君はここで、証拠品や遺留品、物が盗まれたような形跡がないか探すのを手伝ってくれ」

「分かりました」

―――まずはやっぱり、物を探した形跡があるか、よね。

 盗み目的の犯行か否かで、容疑者の絞り方も変わってくる。

 上司からの指示に頷くと、佐藤は早速部屋をぐるりと見回した。 そして、手近なタンスに目を付け歩み寄った。しかし。

「さっ、佐藤君!」

 タンスの取手に手を伸ばそうとした瞬間、慌てたような目暮の声が響いた。

 驚いて振り返ると、少し複雑そうな顔をした上司と目が合った。

 部屋を出ようとしていた白鳥も、呆然とした様子でこちらを見ている。それは、同じ部屋にいた鑑識たちにいたっても同じこと。

「あ、あの……?」

「……佐藤君、そのままでタンスに触るつもりかね?」

「え?」

「佐藤さん……、手……」

 落ち着いた声の目暮に続き、白鳥が言い難そうに口を開く。

 言われるままに手元に目をやって、彼女は漸く気付いた。と同時に、呆然とした。

――― 私…何やってるの

タンスを開けようとしていた己の手は、普段の肌色のままだった。

本来ならば白く在らなければならいはずの、その手。

―――手袋を付けずに捜査しようとするなんて…。

 

「……佐藤君」

 気が付くと、目暮が隣に来ていた。

 決して怒ってはいない、けれど硬い表情。

「この現場に来てから、何か触ったものはあるかね?」

「いえ……。ここへ来る時は警部が先頭を切っていましたから、ドアには触れていませんし、自分の物以外には今のところ……」

 佐藤が首を振ると、目暮は小さく頷く。

「そうか……。では、今日のところは一先ず帰りなさい」

?! 警部!」

「いいの。白鳥君」

 ゆっくりと告げる目暮の言葉に 白鳥が抗議の声を上げたが、佐藤はそれを遮った。

 今まで自分の個人的な問題が決して職務に影響しないよう心がけてきた彼女だけに、本当は、自分が悔しくて情けなかった。

このまま捜査を続けて、信じたかった。自分は、仕事と私情を分けられるのだ、と。

 けれど、こんな基本的なことも忘れるような状態の自分がいれば、捜査に支障を出すのは目に見えている。己の意地だけでここに留ることなど、許されない。

「自分から申し出ていながら、本当にすみません……」

 佐藤は目暮に向き直ると、深く頭を下げた。

 すると突如、頭上で相手がふっ、と微笑む気配がする。

「顔を上げなさい、佐藤君。君はやはり、疲れているだろう。 気にすることはない。人間、誰しもそんな時はある」

 目暮の大きな手が、肩にそっと乗せられた。

「少し休んで、気持ちの整理をつけるだ。何なら、そのまま家に帰っても構わない。そして、その整理がついたなら、また本庁に来なさい」

 上から降ってくるその声は、とても優しくて。

 ゆっくりと顔を上げるとそこには、心配そうな、けれど笑みを浮かべた上司の顔があった。

「それまで、今回の捜査の席は、君の分を空けておくつもりだよ」

……と言っても、ワシらが今日中に解決してしまうかもしれんが、と最後に笑って付け加える。

「ありがとうございます、警部……」

 改めて上司の懐の深さを感じながら、佐藤は込み上げてくるものを堪え、再び深く頭を下げた。

 

 

 

 

 駐車場に車を止め、佐藤は本庁に入った。

 長い廊下を独り、一課へと向かって歩く。

 途中、すれ違った何人かと挨拶を交わしたような気がするが、あまりはっきりとは覚えていない。

 それ程までに、その時の彼女はぼんやりとしていた。

 

 

「あれ?美和子じゃない」

 一課へと続く廊下の途中。

 聞き慣れた声に名を呼ばれ、佐藤の意識はようやく現実へと引き戻された。

「由美……」

 声のした方へ目を向けると、親友がこちらに向かってヒラヒラと手を振っている。

 彼女の隣には、年上の婦警も立っていた。どうやら何か話をしていたらしい。

 由美が隣の人物を見上げる。

「先輩、ちょっと話してきていいですか?」

〜ん……、しょうがないわねぇ。いいわよ。ただし!4時半からの巡回には遅れないよーにっ。話の続きも、その時にね」

「は〜い……」

 しっかりと釘を刺され苦笑を返す由美に笑いながら、先輩婦警はその場を立ち去った。

 

「あ〜あ。私ってば、先輩にすっかり見透かされちゃってるのねぇー」

 ちょっとオーバーに嘆きつつ、由美がこちらに歩み寄ってきた。

 いつもならばこんな時、「しっかりしなさいよー?」などとからかったりするのだが、今はそんな言葉さえ浮かんでこない。

「にしても、随分と帰ってくるのが早かったわね。4丁目の刺殺事件の捜査だったでしょ?もう解決したの?」

 何も知らない親友の核心を突く問いかけに、思わず肩が微かに動いた。

 目の前まで来た彼女も、さすがにその反応には気付いたらしく、「ん?」と小首を傾げる。

「どうしたの?何かあった?」

 心配そうな顔で覗き込まれ、ようやく佐藤は口を開いた。

「……私、捜査の途中で帰ってきたの」

「え?」

 もう、こんなことを話せるのは、この親友しかいなかった。

 

 

「そっか……。手袋を、ねぇ……」

 全ての経緯(いきさつ)を話すと、由美は複雑そうな顔をした。腕を組んで壁に背を預けると、うーん、と唸る。

「確かに、美和子らしくないミスよね……。 それで、捜査から外されちゃった……ってこと?」

「ううん。目暮警部は、私の分の捜査の席は空けておく、って。だから、今日は帰って気持ちの整理をつけて来い……って」

「へ〜、そっか。さすがは目暮警部ね」

 由美が感心したように頷いたところで、お互い、言葉が途切れた。

 幸か不幸か、周りを通り過ぎる人は誰もおらず、佐藤の着けた腕時計の秒針音だけが、その場に微かに響く。

 

「……ねぇ、由美」

 先にその沈黙を破ったのは、佐藤だった。

「どうしちゃっただろ……私……」

 尋ねるその目は、どこか宙を見ている。

 答えなど、初めから期待していないかのように。

「捜査時に手袋をはめるなんて、新米刑事でも……ううん、警察学校生でも知ってる、基本的なことなのに……」

「……」

相手は、何も答えてこない。

それもそうだろう。こんなことを言われても、返しようがないに決まっている。

そう分かっているのに、言葉は次々と口を突く。

「他の皆はちゃんと仕事をこなしてるのに、私一人あの事件引きずって、捜査の足引っ張りそうになって……。ほんと、私……」

 理由の分からない自己の異変への苛立ちと 自己嫌悪とで、胸中が一杯になった時。目の前の親友が、ようやく口を開いた。

「好きだったじゃない?美和子……」

「え?」

 訳が分からず相手を見返した。どうしてここで そんな単語が出てくるのか、と。

 そこにいる親友は、もう腕を組んでいなかったし、壁に寄りかかってもいなかった。

「松田君のことを……よ」

「え……?」

 突然のことで、理解が追いつかない。

 今、彼女は何と言っただろうか?

 “好き”?

 “誰”が“誰”を…?

「彼が殉職した日のことばっかり思い出しちゃうのは、つまりはそういうことなんじゃないの? 美和子だけが あの日の事件を引きずってるのも、そう考えれば頷ける。他の皆の松田君に対する気持ちと、美和子の彼に対する気持ちは、全く違うものだっただから……」

「そんなこと……っ――」

 “ない”と言いかけた。

 第一印象だって、最悪だったではないか。

 転属早々、強行犯係のことを「来たくもない係」と称し、ヤクザのような聞き込みをし、何より命令をちっとも聞いてくれない。

 けれど。

 浮かんでくる、彼の言葉。

 

『あんたが忘れちまったら あんたのおやじは……本当に死んじまうぜ?』

 

 もし本当に松田のことが嫌だったのなら、彼の担当から外してもらえるように目暮に頼めたはずだ。

 それでもそれをしなかったのはやはり、彼のどこかに、“何か”を感じたから。

 

 

「そっか……」

 ふ、と無意識のうちに笑みが零れた。もちろんそれは、“自嘲”。

 失った後に気付くなんて、馬鹿だ。

 けれど、それよりももっと馬鹿な自分がいる。

「じゃあ私……また大事な人……いなくなっちゃっただなぁ……」

「?! 美和子、ごめ……――」

「いいの、由美」

ハッとしたように顔を上げた親友の言葉を、遮った。

分かっている。

彼女は何も悪くない。

「大丈夫。ただ、改めて分かっただけ……」

 これは、忘れかけていた馬鹿な自分に来た、天からの警告。

「私は呪われてるってこと……」

 

 

 私はもう、誰も好きになってはいけない。

 私が大切に想う人は皆、いなくなってしまうから……。

 

 

 

 

 

 

あとがき  

私にとっての高佐の原点とも言える「揺れる警視庁〜」の話を受けてかきました、拙宅では数が少ない、オールシリアス話。白鳥さんはまだ警部補、高木刑事は出てこない、そんな頃のお話でした。(ちなみに、この話の続編として考えている「会者定離〜会〜」では、高木刑事も出てきます。)

本当は途中に目暮警部と白鳥さんのお笑い的やりとりのシーンがあったのですが、あまりにもそこだけ全体の暗い雰囲気から浮いてしまったので、カットしました。(苦笑)

手袋を忘れるシーンは、「ありえん!」とか、「その前に誰か気付くだろ」とか、色々ツッコミがあるかと思います。ごめんなさい、管理人の脳では他に初歩的なミスというものが思い浮かびませんでした……!()

 

 

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