「ね、美味しい?」

「あ?……あぁ。まぁ、悪かねぇ」

「じゃあ笑ってよー」

「……。は?」

 

 

 笑顔の代わり

 

 

それは、ほんの数分前に遡る。

 

「はーい、お待たせー」

笑顔のファイが、カウンターに座ったそれぞれの前に朝食を盛った皿を並べる。立ち上った湯気の食欲をそそる匂いに、モコナの腹の虫が素直に反応した。続いてサクラも。

「あはは、サクラも鳴った〜」

「す、すみません……」

「謝ることないよー、サクラちゃん。むしろオレとしては嬉しい反応。ささ、オレのことは待たなくていいから、冷めないうちに召し上がれー」

流しを簡単に片付けながら、ファイが笑う。その笑顔に促されるように、皆が「いただきます」と手を合わせた。もっとも、既に食べ始めている男も一名いたが。

「このコーンスープ美味しい!」

「コーンをそのまま食べてるみたいなのー!」

「ほんとですね。パンも、ジャムをつけなくてもそのままで充分美味しいですし」

「でもファイの作ったイチゴジャムも、ごく美味しいよ!」

「ほんと?わたし、どっちで食べよう……?」

「どちらも試したらどうです?」

「そっか、そうしよう!」

わいわい楽しそうに食べる二人と一匹を嬉しそうに見ていたファイだったが、ふと気づいたように、少し離れたカウンター隅に座る男に視線を向けた。

しばらくその男の食べる様子を眺めた後、徐に鍋を洗っていた手を止める。

 

 

「ね、美味しい?」

「あ?」

突然降ってきた声に、黒鋼は食事から視線を上げた。そこには、いつものへらい顔の魔術師。

ここ桜都国に来てファイが料理を作るようになってから、数日経つ。何故今更そんな質問をしてくるのかわからなかったが、とりあえず素直な感想を述べた。

「……あぁ。まぁ、悪かねぇ」

初めこそ甘いものを出されてうんざりもしたが、散々抗議をした成果か、最近は自分には甘さ控えめの食事が出てくるようになった。そうなると、この魔術師の料理はなかなか美味い。

だからこそ、率直な感想を告げたのだが。返ってきたのは少々不満そうな顔と、思いもよらない要求。

「じゃあ笑ってよー」

「……。は?」

 黒鋼は思わず、相手の顔を凝視した。

「おまえ、ついに頭までおかしくなったか?」

「何それ!ひっどい言い様―」

「大袈裟に嘆くな。そもそも、何で俺が食事しながら笑わなきゃならねぇんだよ」

「えー、だって……」

 カウンターに身を乗り出して頬杖をついたファイは、チラリと横へ視線を流す。つられるようにその先を追えば、小狼たちが笑いながら食事をしていた。

「やっぱり嬉しいじゃない。あの子たちでも、お客さんでも。オレが作ったものを食べて、『美味しい』って笑ってくれたら、『頑張って作ってよかったー』って思うだよねー。それだけで疲れも吹き飛んじゃう」

 語るその表情が、子供組を見詰めるその目が、ひどく優しいものに見えたのは、黒鋼の気のせいか。

「……そうかよ。だが、美味いもんを食った時の反応なん人それぞれだろ。それを笑えといちいち俺に要求してくるのは、てめえの自己満足なんじゃねぇのか」

 手にしていたパンの残りを口に放り込みつつ言えば、魔術師は小さく笑った。

「まぁ、確かにそうなんだけどねー。でもオレって欲張りだから、うせなら黒たんにも美味しかった時は笑って欲しいなぁーって思って」

 そのまま、ニコニコとした胡散臭い笑顔を保ってファイがこちらを見詰めてくる。まるで、黒鋼が笑うのを待っているかのように。

 ふと別の方向からも視線を感じて見やれば、いつの間にこちらの会話に気付いたのか、子供組も遠慮がちにチラチラと黒鋼の方を見ていた。そのうえ止(とど)めとばかりに、白き魔法生物が飛びついてくる。

「モコナもおいしい笑顔の黒鋼見たー!」

「だーっ、うるせぇ!!」

 大音を立てて両手でカウンターを叩くと、黒鋼は立ち上がった。そのまま肩に貼り付いているモコナを引っ剥がすと、ファイに投げつけ踵を返す。

「ちょっと黒様―、朝ご飯まだ半分近く残ってるけどー?」

「こんなジロジロ見られる状況下で落ち着いて食えるかっ!」

 バンッ、と力任せに閉めた扉に、取り付けられていたベルが騒がしく鳴いた。

 

 

 

「ったく、冗談じゃねぇ……」

 薄桃色の桜が溢れる街中を、黒髪の大柄な男が肩をいからせズカズカと歩いていく。

 朝日も昇り、辺りは大分明るいが、今の時刻は七時過ぎ。行き交う人の数は昼間に比べればまだ少ないといえる。しかし運の悪いその少数派は、向かってくる不機嫌オーラ全開な男のあまりの迫力に、道を空ける羽目になっていた。

 ふと黒鋼は、自身の内から響いてきた音に足を止める。渋面をつくりつつ腹を擦った。

「くそっ、中途半端に食ったからな……」

 余計に身体が食物を求めているようだ。

 「腹が減って軍(いくさ)できぬ」とはよく言ったもので、腹が満たされなければ体も頭も動きは鈍る。朝食となれば尚のことだ。それに、いつ食事を摂ってなどいられない事態がくるとも限らない。食べられる時にしっかり食べておくべきだ。

 黒鋼は周囲を見渡し、とりあえず食事のできそうな店へと足を向けた。

 

 

「いらっしゃいませー」

 営業スマイルの店員の声を聞きながら、黒鋼は既に歩を店内奥へと進めていた。特に咎められもしなかったので問題ないだろう。

 目立たない、けれど店内を広く見渡せる奥の席に腰を落ち着ける。無意識のうちにこういう場所を選んでしまうのも、職業柄かもしれない。

 給仕が慣れた動きで水の入ったグラスとおしぼりを持ってきた。ふと脳裏に、危なっかしい動きでパタパタと店内を動き回る、けれど一生懸命な少女の姿が浮かぶ。その違いに、内心で小さく苦笑した。

「いらっしゃいませ。ご注文は?」

「甘くなくて、手っ取り早くできる朝飯向きのものなら何でもいい」

 ざっと品書(メニュー)に目を通したが、どれも値段は良心的だったので、そう告げる。実に大雑把な注文だが、給仕は「かしこまりました」と一礼し去っていった。

 

 それほど待たずに黒鋼の前に運ばれてきたのは、トーストに目玉焼き、ウィンナー、野菜、そして薄黄色のスープ。

「どこも朝飯は似たようなもんか」

 独りごち、手を合わせる。が、さほど時間も経たないうちに黒鋼の食事の手は止まった。

「何だ、こりゃ……?」

 自然、眉間の皺が深くなる。どの品にも口をつけての感想だった。

 どれもこれも、決して不味くはない。だが、金を払ってまで食べるほどの味だろうか。

 しかし周囲に注意を向ければ、皆美味しそうに笑って食べている。中には「美味しい」と口に出している者もいた。店の席も全席とはいかなくとも八割方は埋まっているし、入れ替り立ち替り客が入っている。それなりに繁盛していそうだ。値段のことも考えれば、この味でも充分過ぎるのかもしれない。

 が、それでも。

―――あのヘラ魔術師の料理の方が美味い。

 献立に大した違いは無い。材料だって、質にさほど差はないだろう。けれど、微妙な焼き加減や味つけが。

 目玉焼きの焼き加減、ウィンナーの塩胡椒。特にコーンスープは、先ほど飲んだばかりだったため違いが顕著に分かった。ファイのスープの方が、遥かに味にコクも深さもある。

 気付くと同時に、脳裏を最近の魔術師の姿が駆け巡った。朝の鍛錬にと黒鋼が起き出した時には、既に調理場で朝食や店で出す品の準備をしており。夜は黒鋼が杯を傾ける横で、遅くまで翌日のための仕込みをしていた。嫌な顔一つせず、むしろ楽しげに。

 料理を作る者としてそれは当然、と言ってしまえばそれまでだが、それでも。

 

『オレが作ったものを食べて、「美味しい」って笑ってくれたら、「頑張って作ってよかったー」って思うだよねー。それだけで疲れも吹き飛んじゃう』

『オレって欲張りだから、うせなら黒たんにも美味しかった時は笑って欲しいなぁーって』

 

「くそっ!」

 黒鋼は手にしていたフォークを卓に置き、立ち上がった。

 

 

 

カランカラン、というドアベルの音に、ファイは店の入り口を振り返った。

「いらっしゃいませー……って、黒りんか

現れたのは客ではなく、朝食時にこの場を出て行った忍の男。

確かに店も今しがた開けたばかり。サクラはまだ奥で着替えているぐらいだ。開店してそんなにすぐ客が入る方が珍しい。

「おかえりー。お茶でも飲む?って言っても、黒たんの言う緑のじゃなくて紅茶だけどー」

何事もなかったかのように、いつも通りの態度で相手を迎え入れた。

さっきの朝食時に充分彼の反応を楽しんだため、今更話題を蒸し返すつもりはない。もっとも、あの時の言葉はどれも本音ではあった。が、ただ単にそれを口にしただけであり、この男が本当に食べながら美味いと笑ってくれるなんて、期待もしていない。不可能だと分かっている。

そもそも黒鋼はこう見えて妙に律儀なところがあるから、あまり下手に言い過ぎると、逆に本気で悩みだしそうだ。

 

無言のままカウンターに座る男を横目に、ファイはカップ内に温めるための湯を注ぐ。

そのやかんをコンロに戻し、茶葉の種類を選んで缶を手に取る頃、黒鋼がようやく口を開いた。

「……てめぇのせいだぞ」

「は?何が?」

突然の文句に、缶を置いていた棚から振り返る。

黒鋼は、少し離れた窓の方を見ていた。まるで、こちらと目を合わせたくないかのように。

「てめぇの料理のせいで、他の店のモンが大して美味く感じなくなっちまっただよ。どうしてくれん

「……」

呆気にとられ、ファイは一瞬固まった。

ゆっくりと、脳内で投げられた言葉を反芻する。そしてその意味を解すると同時、今度は呆れとも苦笑ともとれる笑いがその顔から零れた。

―――ほんと、黒様って実は真面目で律儀だよねー。

 出先で何があったのかは知らないが、今の台詞は、朝食時の自分の要求に対する黒鋼なりの精一杯の応えなのだろう。

ならば。

「ま、今の言葉で、笑顔の代わりとしてあげますかー」

未だ他所を向いたままの仏頂面の男の頭を、これでもかとガシガシ撫で回した。当然怒鳴られるが、笑顔でその抗議を聞き流す。手も止めない。

「ほーんと、黒ワンコは素直じゃないだからー」

「だからやめろ!撫でるな!それに、そのワンコってのもやめろっ!!」

眉を吊り上げて黒鋼が文句を言ってくる。

けれど払いのけるその力は、普段よりも優しかった。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 ファイさんのお料理の腕前って、プロ並みなんじゃないかなぁ〜、という妄想がそもそもの発端。(笑)でも原作でも食べた皆さん、美味しいと絶賛していますから、あながち間違ってもいないじゃないかと。そしてそんな美味しいものに舌が慣れてしまったら、他所の店の料理が食べづらくなりそうだなぁ…と。

 でも逆に、毎日豪華なものを食べ続けている人は、たまに庶民の味(おふくろの味?うーん、何と表現すればよいのか。)を食べるとホッとする、という話も聞きます。まぁ、小狼君ご一行の場合は、これ以降ファイさんが料理をするのはピッフル国ぐらいですから、そうしょっちゅう彼の料理を食べるわけでもなし、そういうことは起こらないと思いますけれどね。

 私もファイさんお手製のお菓子を食べてみたいですー。(←そこですか。)

 

 

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