もし、彼がそのことを完全に失念しなければ。

もし、彼女がその時 違う考えを持ったなら。

事態は変わっていたかもしれない。

……もちろんそんなもの、結果論以外の何物でもないが。

 

 

 Even if…

 

 

「あっ!高木刑事!!」

「え?」

 聞き込みも終わり、報告を兼ねて一課へと向かっていた高木。

 本庁の廊下を歩いていると、前からやってきた少し年輩の警備員に呼び止められた。

 あまり見覚えの無い人物であるから、個人的な話ではなさそうだ。かと言って、仕事上で刑事課と警備部が連携するようなことはめったにない。

 警備員は高木の目の前まで来ると、歩みを止めて敬礼した。

「申し上げます!目暮警部が至急、第三倉庫へ来るように、とのことです」

「え?第三倉庫?」

 言われて高木は、思わず小首を傾げる。

 そこは、“第三”というだけあり、本庁の片隅にある かなり古くてほとんど使われていない倉庫だ。

「はい、そうです。……何だか警部、とても怖いお顔をされていましたから、急いだ方がいいかと……」

「え?!本当ですか? 俺、また何かしたかなぁ……」

 小声で付け足された警備員の言葉に、高木の脳裏には近頃の事件のことが走馬灯のように流れた。

 今考えれば、目暮が一警備員にそんな事を頼むことも、そんな妙な場所に呼び出すこともありえないと分かるのだが、その時の彼は、“怖い顔をしていた”という言葉に気をとられ、それらを完全に失念していた。

 そのことが、今回の彼の不運の一因となるのだが……。

「わかりました。とりあえず、行ってみます。ありがとうございました」

 その警備員へ軽く一礼すると、高木は回れ右をし、第三倉庫へ向かうべく、今来た道を引き返し始めた。

 

 

 

「あ〜あ、今日も収穫なし……か」

 独り言のように呟いた佐藤は、肩に手を当てグルン、と腕を回した。

 もう愛車のように乗りなれているアンフィニを飛ばし、あちこちで事件に関する聞き込みをしたが、有力な情報にはなかなか行き着かない。まぁ、そう簡単に情報が集まるようなことは滅多にないものだから仕方ないが。

 そんなことをしつつ本庁の廊下を歩いていると、反対方向から後輩刑事が一人、バタバタと走ってくるのが見えた。

「あら、高木君」

「あっ、佐藤さん!」

 声をかけると、後輩は慌てて立ち止まる。

「どうしたの?そんなに急いで。また何か事件?」

「い、いえ。実はちょっと、目暮警部に呼び出されちゃって……」

「え?!ちょっと、また何かドジったの?」

「佐藤さん、“また”って……」

 思わず言ってしまった台詞に、高木はちょっと落ち込んだような顔をする。

 彼女は慌てて言葉を付け足した。

「あ、ごめんごめん。ついね」

 “つい”というのもあまりフォローにはなっていないのだが、言った本人は気付いていない。

「で?どこに呼ばれたの?」

「第三倉庫です」

「え?何でそんな所に?」

 意外だった。

 最近は、あそこに近付く人さえ見たことがないのだが。

「さぁ。僕にもよく……。 兎に角、怒っていたみたいなんで、急いで行ってきます」

「そう……。 ま、頑張って怒られてらっしゃい」

 笑顔でちょっと意地悪を言いつつ、ヒラヒラ、と手を振ってやると、後輩は苦笑しつつ再び走っていった。

「大変ねぇ、高木君も」

 離れていく後姿を眺めつつ、佐藤は呟く。

「でも……」

―――どうして第三倉庫なんかに?

 何となく引っかかるものを感じつつも、佐藤も再び前へ向き直り、一課へと向かって歩き出した。

 

 

 

「ただ今戻りましたー」

 一課のドアを開けた佐藤は、おや?と思った。

いくら普段から人気(ひとけ)の少ない捜査一課とはいえ、今日は常にも増して空席が目立つ。

残っている人数を数えようと思えば、両手だけで充分事足りるだろう。

「あ。お疲れ様です、佐藤さん」

 その数少ない残り組みの一人、千葉のデスクの横を通ると、彼が書類の山を前にせっせと動かしていた手を止めて 顔を上げた。

 その声に、大変ね、と返しかけた言葉を佐藤は飲み込む。彼の書類山の横に、食べかけのチョコ菓子の箱を発見したからだ。

「ちょっと千葉君。チョコで書類汚しても知らないわよ?」

「大丈夫です。気をつけてますから♪」

 そう言うと、相手は紙を押さえる左手ではなく、ペンを持つ右手でチョコを一つ摘まみ、ポイ、と口に放り込んだ。

「……そ。さすがね」

 呆れを通り越し、ほとほと感心してしまう。

 千葉に苦笑を返しつつ、自分のデスクへと向かおうとした正にその時。

「おお、佐藤君。おかえり、ご苦労だった」

 前方からの聞き慣れた声に、佐藤は驚いて足を止めた。

「え?」

「ん?どうかしたかね?」

「めっ、目暮警部!?」

 中央前方、いつものように、と座っていたのは、ここにいないはずの目暮。

「どっ、どうしてここにいらっしゃるですか?!」

「ん?何を言っておるだ?わし今日ずっと一課にいたが」

「だって、高木君を呼び出したじゃ……」

「ん〜?彼を呼んだ覚えはないが……。 !? まさか、奴はまた何かしでかしたのか?!」

「え?あ、いえ……」

―――どうなってるの

 佐藤の頭はクエスチョンマークで一杯になる。

 高木の勘違いだろうか?

 そもそも、呼び出し場所があの第三倉庫という時点でおかしいではないか。

「それより佐藤君、三丁目の張り込みの人手が足りないそうだ。帰ってきて早々悪いが、応援にいってくれんか?」

「あ、はい。わかりました」

 高木のことが気になりはしたが、いつまで待っても目暮が来なければ、高木も様子を見に一課に戻ってくるだろう。

 そう判断し、佐藤は椅子に掛けたばかりの上着を再び掴むと、一課を出て行った。

 もしこの時、彼女が違う考えを持ち、第三倉庫を覗きにでも行っていたなら、事態は少し変わっていたかもしれない。

 

 

 

「高木です。失礼しま……――」

 第三倉庫前。ノックの後にその扉を押し開けた高木は、扉を半分ほど開けたところで、動きも言葉も止めた。

 ありえない。とてもじゃないが信じられない。――いや、信じたくもない。

「しっ、失礼しましたっ!」

 すぐさま扉を引き寄せ閉めようとするが、数人がかりでそれを阻止される。

「お〜っと、高木。ここでお前を逃がすわけにゃいかないんだなぁ」

「お前から聞き出さなきゃならねぇことがあるからな」

 扉を掴んでいる 仕事上では仲間であるはずの刑事たちに続き、このメンバーの頭目・白鳥が、ズボンのポケットに手を突っ込みながら現れる。顔には、勝ち誇ったような余裕の笑み。

「さぁ、高木君。ここまできたら潔く諦めて中に入りなさい」

「何でわざわざこんな大掛かりなことしてるんですか!?」

 思わず高木は呻いた。

 第三倉庫であったはずのそこは、銀色の机にスタンドライトと、さながら取調室と化していた。いや、これはもう、取調室なのだろう。

「君も毎回取調室に呼び出されていれば、さすがに勘付くようになってきた。だから、使われていないここを、取調室として改造したのさ」

 どうだ、と言わんばかりの白鳥だが、こんなことをされればもう二度と、高木はこの第三倉庫に呼ばれたって素直に行きはしない。此処はおそらく今回一回きりしか使われない、ということを分かっているのか。

 内心でそう毒づいてみた高木だが、おそらくは白鳥は分かっているのだろうとも思う。分かっていても、そのたった一度のためにこんな大掛かりな改造をやってしまうのだ。金持ちは恐ろしい。

 

 刑事たちに両腕をしっかりとホールドされ、ズルズルと取調室に引きずり込まれた。そしてそこで、彼は更に驚愕する。

「あっ!?あなた!」

 部屋の中には、さっきの年輩警備員が苦笑しながら立っていた。

 白鳥が横から、これまた自慢気に言う。

「今回はこちらの方にも協力していただきました。我々メンバーが呼び出したのでは、君は警戒するようになったからね。だから、君と面識のない方にお願いした……というわけさ」

「すまないねぇ。でも私も、佐藤刑事のファンなもので」

「……」

 高木はもう、言葉が出なかった。呆然とするしかなかったのだ。

 何という計画の徹底っぷり、そして念の入りよう。回を重ねるごとに、この罠と取調べは確実にハードになっている。

 今回を切り抜ければ、これ以上の罠がまた仕掛けられるのかと思うと、うんざりした。

 だが、だからといって彼等の要求に応えるつもりはさらさらない。

 これ以上、佐藤とのデートを邪魔されてなるものか。

「さぁ高木君、話していただきましょうか?次の佐藤さんとのデートの行き先を」

 イスに無理やり座らせられると、白鳥が正面に立って見下ろしてきた。けれど彼は、グッと奥歯に力を入れて噛み締める。

 そう、要は自分がしゃべらなければいいだけのことだ。嘘をついたところで、すぐに裏をとられてしまう。今回は突然だったので、フェイク用のチケット等、小道具も何も準備できていない。

自分の精神力だけが、頼り。

「さあ、高木君」

「吐け!高木!」

「早く開放されたいだろう?」

 畳み掛けるようにかけられる周囲の声を無視し、高木は両手を強く握り締めた。

 たとえ、この両手が汗でじっとりと濡れようとも、

 たとえ、次回の罠と取調べが更に厳しくなろうとも、

 決してしゃべるものか。

 脳裏に愛しい人の笑顔を思い浮かべ、高木は覚悟を決めた。

 

 

 部屋に申し訳程度に付けられた小さな窓から夕日が差し込み、部屋を薄い朱に染める。

 こうして、一対数十名の無情の戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 

あとがき

 相変わらず書くネタが古くて申し訳ありません…。高木刑事の災難、そうとしか言い様が。(苦笑)高木刑事ファンの方、ごめんなさい。まぁ、あくまでも今回はギャグ話なので…広い心で受け止めていただけると幸いです。

 実はこの話、書いていた当初は、高木刑事が事件に巻き込まれる話でした。警備員さんが悪者で……という。そんな時、先日発売されました「名探偵コナン+40」を読みまして、久しぶりに刑事さんたちのマリンランドでの活躍ぶりや取調べ活動を見て、無性にこの手の話を書きたくなりまして。結果、路線を完璧に変更して書きあげたのがこの話。だからちょっと、前半と後半では話の空気が違う気も…。(苦笑)

 あ、あと、お分かりかと思いますが、警視庁に第三倉庫があるというのは私の捏造です。一応、念のため。

 

 

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