Fact

 

 

「んー?」

 眞魔国の自称敏腕諜報員、グリエ・ヨザックは、異様な光景に足を止めた。

 最近はすっかり血盟城勤務になりつつある無口な上官から、次なる辞令を受け。遠方任務の準備にとりかかろうと兵舎の方へ向かえば、そこでは何やら大騒動が起こっていた。兵士たちが右往左往しては、「お止め下さい〜!!」などと叫んでいる。

 

「おい、どうしたんだ?」

「あっ!グリエさん〜!!」

 近くにいた見知った兵に声をかければ、久しぶりの「さん」付けで泣きつかれる。

「どうしましょう!陛下が……――」

 非常に気になるところでハタと言葉を止めた後輩兵は、こちらを見詰める目を輝かせる。ヨザックは直感的に嫌な予感がした。

「グリエさんって、陛下と面識がおありなんですよね?」

「ん?あぁ、魔剣探索の時とかにな。それがどうし……――」

「みんなー!!地の助けがきたぞ〜!!グリエさんだーっ!」

 瞬間、どっと兵たちの歓声らしきものが湧き起こる。

 訳が分からず、ヨザックは呆然とその光景を眺めたが、面倒事に巻き込まれたという自覚だけは確かにあった。

 

 

 

「へーか」

「あっ、ヨザック!久しぶり」

 数ヶ月ぶりに見る主君は、相変わらず驚くような漆黒の髪と瞳をしていた。その高貴なる双黒の人物は、不満顔で兵たちを指差す。

「ヨザックからも一言 言ってやってくれよ。おれはみんなの仕事を少しでも知りたいだけなのに、手伝わせてくれないんだよ」

「そりゃそうですよ。魔王陛下に武器庫の整理の手伝いだなんて、畏れ多くてさせられないに決まってるでしょう?」

 相変わらず突飛なことを言い出すものだ。

 少々呆れ顔で言えば、周りを取り巻く兵の連中も、「うんうん」と同調するように頷く。けれどこの若き主君は、こうと決めるとなかなかその意を変えてくれない。

「そうは言っても、運ぶだけだぞ?……そりゃあ、さすがに武器の手入れまでは自信がないけど」

 おれだと刃こぼれさせちゃいそうだし、と情けなさそうに付け加える。

「でも、体力にはちょっとは自信があるからさ。おれでも出来ることならやってみたいんだよ。王様だって、部下の仕事の実情を知るのは大切なことだろ?」

「まぁ、それはごもっともですけど……」

 彼の言うことは決して間違ってはいない。しかし、兵の仕事を手伝おうとする王など前代未聞だ。兵士たちが動転しても無理はない。

「あのぉ……」

 それまで様子を見守っていた兵たち数名が、恐る恐る前に進み出た。

「それはとても有難いお心遣いですが、やはり陛下に自分たちの手伝いなどをさせるわけにはまいりません」

「そうですよ。それに……こんなことは口にしたくもありませんが、もし万が一それで陛下がお怪我でもされた日には、自分等は後悔してもしきれません」

「お願いです、陛下〜」

 必死……というより、既に涙目になっている兵たちに懇願され、有利が少し唸った。“あと一押し”の証拠だ。ヨザックもすかさず後押しする。

「どうします、陛下?オレとしては、こいつらの気持ちも汲んでやって欲しいんですけどね?」

「そう……だな。おれも、絶対に怪我しないとは言い切れないし。そうしたら、みんなにも迷惑かけるんだもんな」

 魔王陛下のその言葉に、その場にいた一同は、ほっと胸を撫で下ろした。ようやく考え直してくれたか、と。

 しかし、彼らはまだ知らなかった。この新前魔王がいかに特殊な人物であるかを。

「よし!じゃあ、おれはここで見学させてもらうよ」

「……けっ、見学ぅ!?」

 主君の笑顔の一言に、その場の兵士たちは暫し固まった。

 

 

 

どうにもやりづらい。

「あの〜、陛下」

「ん?」

 内心困り顔でヨザックが声をかけるが、返ってくるのは無邪気な顔。

「こんなの眺めてて楽しいですか?」

「うん!何か包丁研いでる感じに似てるね」

「あぁ、成る程……」

あまりに平和的な例えに、思わず気が遠くなる。戦うことを知らないからこそ出てくる表現といえよう。

 

先の宣言通り、若き主君は武器庫の前に腰を据えてしまった。

興味深げにキョロキョロとしている彼は、周りの兵たちの動きがぎこちないことに欠片も気づいていない。あの魔王陛下に見られている、まかり間違って怪我でもさせたらと皆、気が気でないのだ。

こうして今、砥石で愛用の剣を研いでいる自分も、こうマジマジと見られてはどうにもやりづらかった。

 

一旦研ぐ手を止め、剣を陽に翳す。天からの光を受け、その刃は鈍い銀色を放った。

「もしかして、今日出立するの?それに向けての準備とか」

主の問いかけに、視線は剣に向けたまま答える。

「えぇ。この剣は珍しく長く使ってるんで、手入れがかかせないんですよ」

「珍しくって……今まではそんなに頻繁に変えてたの?」

「そうですね。まぁ、坊ちゃんが来てからは、そうしょっちゅう変える必要もなくなりましたけど」

翳していた剣と共に視線を下ろせば、少し不思議そうな主君の瞳とかち合った。

「ふーん?でもまぁ、何でも長持ちするのはいいことだよな」

この言葉には、ただ曖昧に笑うしかなかった。

このひとは、本当に自分のしていることに無自覚だ。

 

剣というのは、そう長くもつものではない。貴族の面々が扱う武器ならいざ知らず。自分たちのような下級の兵の使う剣は、人を数人も斬れば、肉の脂や血で使いものにならなくなる。

かつて。摂政のシュトッフェルが政権を握っていた頃は、人を斬る類の命もよく出されていた。それをどうこう思ったことはない。意味など考えるのは、自分たち下っ端のするべきことじゃないだろう。

けれど。この若き主君が現れてから、他人を斬る必要性は皆無になっていた。その代わり峰討ち等の技術は必要になったが、剣が人の血に濡れることは確実に減った。

よって、こうして砥石で手入れをしておけば、長く使っていられるのだ。

 

ガシャン、という金属音に、意識が現実へと引き戻される。音の発生源を見やれば、若い新兵が抱えた武器数本を取り落としていた。

「お〜い、何やってんだ?大丈夫か〜?」

思わず苦笑する。さっきから緊張しすぎだと思っていた連中の一人だ。

まぁ無理もない。彼らにとっては、王がこんな間近にいるなんて初めてに等しいのだろうから。

しかも。

「あっ、手伝うよ」

その王自らが、地に散らばった武器を集めるのを手伝おうとするのだから、堪らないだろう。慌てた様子で新兵が有利に両手を振っている。

その光景に僅かに口元を歪めると、ヨザックは腰を上げた。

あの兵ほどは動転しないだろうが、あれは自分の姿だったかもしれない。自分は魔剣探索の時にたまたま護衛に選ばれたから、こうして王と面識があるけれど。あの時 他の者が選ばれていれば、自分は今もこの王と対面していなかったかもしれない。諜報という、自身の特殊な職業柄を思えば、尚更。

剣を鞘に納めると、彼は王の背に小さく「いってきます」と呟き、厩舎へと足を向けた。

 

 

 

「手伝うよ」

武器を取り落としてしまったらしい兵士の元へ駆け寄り、自分も一緒に集めようとすれば。

「とっ、とんでもない陛下!」

弾かれるように顔を上げた相手に、両手どころか顔まで横にブンブンと振られてしまう。

「どうかお気遣いなさらず。お騒がせして申し訳ありません!」

「いいって、集めるぐらい」

「そういうわけにはまいりません!これは自分の失態でして、陛下のお手を煩わせるわけには」

「平気平気。こんなの、手どころか足も煩わないって」

笑いながら、散らばっている剣や槍を拾い上げる。ズシリ、と腕に重さが伝わった。

「おっ……と。うわー、やっぱり重たいもんだね」

素直な感想を漏らせば。兵も説得を諦めたのか、自身も武器を拾いながらそれに応えた。

「えぇ、教官によく言われました。これは命の重さだと思え……と」

「そっか……」

自分や誰かを守るために、剣を振るう。でもそれは、相手を傷つけるということでもある。もしかしたら、その命までも……。

 

「有難うございました、陛下」

「あ、うん」

兵士の声に我に返る。気づけばもう、地面に武器はなかった。

自分の拾った分を相手に渡し、振り返る。

「あ……れ?」

そこにあったはずの大きな影がなかった。

「ねぇ、ヨザック知らない?」

歩き出そうとする兵を呼び止めて尋ねれば。

「あぁ、さっき厩舎の方に向かってましたよ」

「何だ、もう行っちゃったのか……」

 少しばかりがっかりする。せめて一言ぐらい声をかけてくれてもいいではないか。

追いかけようかとも思ったが、周りを見ればまだ皆、それぞれの仕事をしていた。自分から見学を申し出ていながら、途中で立ち去るのもいかがなものか。そう思い直し、動かしかけた足を止める。

その代わり、さっきから心にひっかかっていたことを口にした。

「あのさ」

「はい?」

踵を返しかけていた兵が、不思議そうに振り返る。

「もうひとつ訊いてもいい?」

「ええ、勿論です。自分にお答えできるものなら」

「さっきヨザックが、『最近剣を変える回数が減った』って言ってて。それで、『何でも長持ちするのはいいことだよな』っておれが言ったら、曖昧な顔で笑ったんだ。……何でだと思う?」

問えば目の前の兵は、何とも言えない表情を浮かべた。思い当たる節があるのだろう。しかし言いにくいのか、困ったように逡巡している。

それでも見つめる瞳に力を込めれば、兵が重そうに口を開いた。

「それは、多分……――」

 

 

 

「ヨザック!」

その声が響いたのは、馬に荷を載せいざ跨ろうとした時だった。

振り向けば、主が息を切らせて走ってくる。

「どうしたんです、陛下。見学はいいんで?」

自分の前で膝に手をやり息を整える主君を、驚いて見下ろす。

「どうしたは、こっちの、台詞!何だよ、一言、も、無しで、行っちゃうわけ!?」

「あぁ、すみません」

 思わず頭をかいて苦笑する。まさか追いかけてまできてくれるとは思わなかった。

「何だかお取り込み中みたいでしたから、邪魔しちゃ悪いかと思って。わざわざ見送りに来ていただくとは、恐縮です」

 大丈夫ですか?と、未だ膝に手をやったままの主の顔を覗き込もうとすると。すっとその顔が上がり、真摯な瞳が己を捕らえた。

「……あんたぐらいは、おれのこと、甘やかさないでくれよな?」

「え?」

 訳が分からず訊き返す。

「おれ、異国人で頼りなく思うかもしれないけどさ……いや、実際そうなんだけど。でも、大丈夫だから。どんなことでも、それがここの現実なら、おれは知りたいし、受け止める。だっておれ、この国の王様になるって決めたんだから」

 主は笑うと、ヨザックの腰に下がった剣の柄を軽く叩いた。

「この剣が、もっともっと長持ちするような……そんな国にしてみせる」

 そこでようやく、お庭番は目の前の少年の言動に得心がいく。

 おそらく誰かが、彼に教えたのだろう。以前、剣が長くもたなかった理由を。そう――かつてのこの国の “現実”を。

 そしてその上で、この少年は言っている。甘やかしてくれるな、と。

“現実”を教えて欲しい、と。

「……本当、どこまでも珍しい方ですね、陛下は」

 そして、誰よりも「王の資質」を持つひと。

「え!?おれ、そんなに変なこと言ってる!?」

「いーえ、とんでもない。それよりいいんですか、そんなこと言って。オレ、びしばし厳しくしちゃうかもしれませんよ?」

 にっ、と悪戯っぽく笑えば、漆黒の瞳が困ったように宙を泳ぐ。

「あー……。やっぱり、それなりには手加減もしてほしい……かな」

「こりゃまた、素直ですねぇ」

 思わず小さく噴出してしまう。

「わっ、笑うなよ!しょうがないだろ!?あんたの本気の言葉で貶されたら、おれ、立ち直れる自信ない」

「あーら、そんなことないわよ?グリ江はおしとやかだから安心して〜」

「絶対嘘だー。グリ江ちゃんになって誤魔化しても無駄!」

 

 

 本当ですよ、陛下。

 貴方を本気で貶すだなんて、とんでもない。

 貴方に足りないのは、王としての“経験”だけなんですから。

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 ワンパターンになりつつあるのが、気のせいであって欲しい。(苦笑)

 この話は「造壁の主はどちらか」のお庭番バージョンとでも言いましょうか。あの話の数日後で、ヨザックが有利を再認識……というより、王として更に見直すという話です。お庭番は魔剣探索の時に、既に有利を王として認めていると思うので、今回で更にステップアップしたという感じでしょうか。

 剣に関する云々は……あまり深く突っ込まないでいただけると嬉しいです。(泣)

 

 

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