Half-baked 「閣下、お食事です」 絶え間なく揺れる船の上。 いつもの微笑みを浮かべて、ギーゼラが朝の食事を持ってきた。 こうやって見るととても信じられないが、実は彼女は眞魔国軍人も怯える鬼軍曹である、とヴォルフラムはつい最近知った。 「船酔いの方はどうです?もうすぐ目的地ですから、あと一日二日の辛抱ですよ」 「ああ。今は大分調子がいい。……それより、キーナンの件はどうなった?」 ほんの少し、声を抑えて尋ねると、食事の盆を差し出していた彼女の手が止まる。 「いいえ、まだ。色々と可能性が浮かび過ぎて、一つに絞れません。よからぬことを企んでいるであろうことは確実ですが……。すみません、私が早く気付いていれば」 俯く彼女に、ヴォルフラムは首を振る。 「ギーゼラだけのせいじゃないだろう?元々あいつはギュンター付きの兵士だし……ぼくも、同行していながら気付けなかった」 それが、何よりも悔しい。キーナンの妙な行動に気付いていながら、それを個人の奇妙な習慣として脳内だけで処理してしまった。 尊敬する長兄や、今は行方知れずのもう一人の兄ならば、こんな失態は犯さなかっただろうか……。 ヴォルフラムの胸中に渦巻く後悔の念を読んだのか、ギーゼラが殊更明るい声で再度盆を差し出した。 「そんなにお顔を暗くなさらないで。これだけ考えて答えが出なかったんですもの、今からまた考えても結果は同じですよ。それよりほら、お食事をなさって下さい。閣下は平気な時に食べ物を入れておかないと、すぐに海にお捨てになってしまいますからね」 好き好んで海に吐いているわけじゃない、と内心ぼやきながら、ヴォルフラムは盆を受け取った。 船上の食事は、固いパンと燻製肉、それにここ数日は巨大イカの干物まで付いていた。まさに、巨大イカさまさま。 「早速いただくよ。日に二回の食事だと、やっぱり腹が減るらしい」 「無理もありませんわ。ごめんなさいね、もう少し差し上げられたらよいのですが……」 「気にするな。巨大イカがきてからは、だいぶ量も増えたしな」 言いながら、固いパンに歯を立てた時だった。 いつでもつるピカ ダカスコスが、食事の盆を持ってパタパタとやってきた。瞬間、隣にいた人物を取り巻く空気がグッと下がるのをヴォルフラムは感じる。 くる、きっとくる。 「軍曹殿〜、今朝の食事で……――」 「何を考えているのだ、貴様は―ッ!!」 「やっ、やっぱりきた……」 数秒前の様子からは想像もつかないような怒声と共に、鬼軍曹ギーゼラは立ち上がる。 食事を運んできただけなのに怒鳴られてしまったダカスコスは、ものすごい速さで直立して固まった。 「どうして私の盆の上に三品ものっている?!他に与えるべき病人や怪我人が山といるだろうがっ!!それとも何か?!貴様は患者が早く治らなくてもいいとでも思っているのかっ?!」 「とっ、とんでもありません、軍曹殿!すぐっ、今すぐにっ!負傷者の方に回してきますっ!!」 慌てて手近にあった燻製肉の皿を掴み、それだけをギーゼラに渡すと、ダカスコスはあっという間に身を翻す。しかし、軍曹殿のお叱りは、こんなことでは終わらない。 「ちょっと待てーッ!この三品の中で一番不足している食べ物は何だっ?!言ってみろ!」 「はっ!軍曹殿!確か、燻製肉が一番少なくなっております!ちなみに、パンはまだ沢山残っております!!」 「それがわかっていながら、私に肉を渡すとは何事だっ?!貴様のようなミジンコほどの脳みそでも、それぐらいのことは考えろっ!!それとも貴様は、肉とパンの見分けもつかんのかっ?!」 「いっ、いいえ、軍曹殿!!自分は、パンと肉の見分けぐらいつくであります!」 「だったら、返答している間にさっさとパンと交換しろっ!」 「了解しました!!」 目にもとまらぬ速さでパンと燻製肉の皿を入れ替えると、ダカスコスは逃げるように全速力で船内へと戻っていった。 彼のつるピカの頭部が完全に見えなくなると、ギーゼラがこちらを振り向いた。 もちろん、表情はいつものように慈愛に満ちた微笑だ。これぞまさしく、二つの顔を持つ女。 「すみません閣下。お供の兵が不甲斐ない者ばかりで、先行きが不安になるでしょう?」 「へ?あっ、ああ、いや……」 それよりも貴女の豹変ぶりの方が不安です、とはさすがのわがままプーも言えやしない。 代わりに彼は、もう一方の疑問の方を口にした。 「その……、パンだけで大丈夫なのか?ギーゼラだって、看護で魔力や体力を消耗するだろうに」 問われた相手は一瞬、キョトンという顔をしたが、すぐに「あぁ」と得心したように笑う。 医療の専門家に対して、愚問だったかもしれない。 「ええ、私は大丈夫です。そうですね……、全く空腹を感じない、と言えば嘘になりますが、やはり私よりも患者の方が優先でしょう。怪我を治すには、血肉が早く生成されなければなりません。そして私は、その能力を促進させる。ですが、血肉となる元々の材料がなければ、いくら私が魔力を使ったところで、気休め程度にしかなりません」 熟練衛生兵は、緑色の髪を揺らしてヴォルフラムの隣に腰掛けると、手中のパンを一口大にちぎる。結構な固さがあるはずだが、表情一つ変えずにちぎってみせるところは、さすが鬼軍曹だ。 しかし、浮かべている表情は間違いなく、慈愛に満ちた看護者の顔。 「少しでも多く患者に食物を食べてもらい、血肉となるものを得ていただければ、それだけ早く患者も回復しますから」 「……」 そこまで聞いたヴォルフラムは、数秒の沈黙の後、食べかけのパンの皿をギーゼラに差し出した。 差し出された相手は、驚いたようにこちらを見返す。 「閣下?私は別に……――」 「ああ、いや。勘違いさせてしまったのなら すまない。そのパンはぼくの分だ。ちょっと、持っていてくれないか?」 言って、フォンビーレフェルト卿は盆を持って立ち上がる。 「この残りは、患者たちに持っていってくる」 「いっ、いえ、閣下!私はそんなつもりで言ったわけでは……――」 「誤解しないでくれ、ギーゼラ」 慌てたように立ち上がり引止める彼女を、首を振って制する。 毎回三品食べていながら空腹発言をした自分が、恥ずかしかった。思えば自分は、この船旅の間だけで何度自分の甘さを痛感しただろう。そしてそれは、きっとこの先も続く。 自分は、自分で思っていた以上に、未熟者らしいから。 「ギーゼラに言われたからじゃない。誰に何と言われようと、ぼくは納得いかなければ三品とも全部自分で食べている。ぼくがギーゼラの言は正しいと思ったからこうする、それだけのことだ。それに」 ヴォルフラムはそこで一度言葉を切ると、相手を安心させるために笑ってみせる。 「ぼくの場合、海に食物を捨ててしまう可能性があるんだろう?だったら、海の藻屑になるより患者に渡した方がずっといい。違うか?」 「閣下……」 病室となっていた船室の方から、微かだが歓声らしきものが聞こえてきた。ギーゼラの分の食事の追加が届いたのかもしれない。 一瞬そちらに視線を向けたギーセラが、小さく苦笑する。 「……そう、ですね。そうかもしれません。では、申し訳ありませんが閣下、よろしくお願いします」 「ああ」 頷くと、彼はダカスコスが走り去っていったのと同じ方向へと歩き出した。 眼下にある燻製肉やイカの干物に惹かれるのは事実だが、ギーゼラはもっと前からこんな食生活を送っていたのだ。おそらくは、彼女だけではなく、ダカスコスやその他の兵たちも。 「不甲斐ないのは、ぼくの方かもしれないな」 自嘲気味に呟いた彼は、気付いていなかった。その時点で既に、彼はその不甲斐なさから一歩抜け出せていたことに。 それに気付いていたのは、ヴォルフラムの背を微笑んで見送る、癒しの手を持つ娘だけだった。 |
あとがき 突然ですが、この頃のヴォルフラムが好きです。(笑)成長していく彼を見るのは、凄く楽しいんですよ〜。どんどん男前になっていくので、これからも期待です。 そしてその成長を助けているのはやっぱり、ギーゼラさんですよね。彼女も好きです。鬼軍曹の台詞を考えるのも面白かったです〜。眞魔国にミジンコが存在するのかはナゾですが……。(苦笑) 管理人としては、ヨザックのヨの字も出なかったこの話はちょっとした奇跡です。 (笑)またお庭番の出番が無い話を書くことは……あるかなぁ?確率的には低い気がします。 |