ひろくて ここちよいもの 休憩所の自販機の前に鎮座している、背もたれの無い長椅子。詰めれば四人、背中合わせに座れば八人は腰掛けられるだろうそこに、人影は一つしかなかった。それは、佐藤が目的としていた人物。 彼女は躊躇なく、けれど気配は極力消してその影に近づき――そして。 「うわっ、びっくりした!佐藤さん!?」 その人物の真後ろに、何の前触れもなく腰をおろした。 驚いた顔を隠しもせずに振り返ってくる相手に、佐藤は悪戯っぽく笑う。 「そんなに驚いた?高木君」 「わざわざ気配消しておいて、よく言いますよ。危うくコーヒー溢すところだったじゃないですか」 「あら、それは残念」 「佐藤さん……」 ひどいです、と呟く後輩の反応が可愛くて、佐藤はついクスクスと笑ってしまった。そのまま笑いの残る声で「冗談よ」と言えば、高木は困ったような呆れたような苦笑を浮かべる。 相手の手元を見れば、いかにも「飲んでいる途中でした」といわんばかりに、紙コップの半分辺りまでコーヒーが入っていた。もし買ったばかりだったなら、今頃この床は高木が言うようにコーヒーで濡れていたかもしれない。 笑いが治まるのを待ってから、佐藤は重心を後方へゆったりと傾けた。高木の背に、自分の背が触れる。瞬間、相手の背中が微かに揺れた気がした。 「どうしたんです?」 高木が窺うように、肩越しに佐藤を見てくる。けれど佐藤は高木の背に凭れたまま、そちらを見もせずに答えた。 「んー?ちょっとね、疲れちゃったから充電しようかと」 「はい?」 怪訝そうな声が降ってきたが、佐藤は構わず両目を閉じた。 こうやって背を合わせると、よく分かる。彼の、自分よりも大きくて広い背中。普段は頼りなく縮こまっているように見えることもあるその背だが、やはり彼も男性なのだと、こうしているとそう実感する。 そして何より、高木の背中は――とても、ここちよい。 諦めたように苦笑の息が零れる音を、佐藤の耳が拾った。高木はただ黙って背を貸すことに決めたらしい。 彼のその優しさに感謝しつつ、けれど甘えてばかりもいられないと佐藤は思う。きっと自分がこうしている限り、彼は動けないどころか、コーヒーだって喉を通らないだろう。それは自惚れでも何でもなく、今まで付き合ってきた中で得た事実。哀れコーヒーは冷めていく一方だ。 仕方がない、高木ではなくコーヒーのために、あと十秒で充電完了ということにしよう。 誰にするとも分からないそんな言い訳めいたことを思いながら、佐藤は心の中で十秒のカウントダウンをのんびりと始める――。 |
あとがき 拙宅の佐藤さんは、基本的に照れ屋(?)なので。「充電」だとか、恋する乙女のようなこともしたくないわけではないのですが、背中ひとつで色々と乙女のようなことを考える自分の思考が恥ずかしくもあり……。恋する心境は複雑ですね。(笑) というわけで、10個の選択お題、ようやく終了でした〜。 |