「……怒ってる?」 魔法で空を飛ぶ列車に乗って、ビブリオという駅に着いた時。 ファイの肩に飛び乗ってきたモコナが、唐突に問いかけてきた。 言葉が端的すぎて、一瞬理解が追いつかない。 「ん?……あぁ、黒様のことー?だったら大丈夫。黒ぽんはいっつも怒ってるようなもんだから」 「違う、黒鋼のことじゃないよ」 お父さん呼ばわりされて怒髪天を突いていた忍者の様子を思い出してみたのだが、予想は外れる。首を振ったモコナは、思いもよらない言葉を口にした。 「ファイのこと。ファイが怒ってるんじゃないかって思ったの」 否定も肯定もできなかった 思わず出てきそうになるため息を、魔術師は無理やり喉の奥へと追いやった。 「……どうして、オレが怒ってると思うの?」 「モコナさっき、ファイのこと勝手に『ファイ母さん』って呼んだから」 「……」 つくづく思う。この旅のメンバーは皆、見ていないようで見ている。それも、わざわざ触れなくていいような部分ばかり。 ファイの無言をどう受け取ったのか。モコナはふい、と少し離れた後方にいる少年を見る。 「ピッフル国(ワールド)でね、小狼が言ってたの」 それは、サクラがドラゴンフライレースで優勝し、無事に羽根を取り戻した時。 祝賀会という名の飲み会が始まり、魔術師が少年に久しぶりの酒を勧めた後のことだったという。 「ファイが小狼にお酒渡して、おつまみ作りに台所に行っちゃったでしょ?あの時ね、小狼まだお酒を飲むか迷ってたの」 『いいのかな……。おれ、前に黒鋼さんに止められてるし』 『だーいじょーぶ!今日はお祝いでしょ?めでたい時はお酒を飲むものだって、侑子も言ってたよ!それに、小狼が酔っ払ってもモコナが介抱してあげるの〜!』 まっかせて!と胸を叩けば、少年は小さく笑ってくれたらしい。 「それでね、小狼がモコナのこと頼りになるって言ってくれたの」 『ほんと!?モコナ、頼りになる!?』 『うん。そういえば昼間、ファイさんも言ってたよ。おれとサクラ姫とモコナが兄弟で、モコナが一番上だって。頼りになるからじゃないかな』 『やったー!モコナおりこうさんなの〜』 そして、クルクル回って喜びながら、何気なく問いかけたらしい。 『黒鋼はお父さんだしね〜。そういえば、ファイは自分のこと何って言ってたの?やっぱりお母さん?』 すると少年は、はたと動きを止めたそうだ。 『小狼?』 『そういえば、言ってなかったな……』 『え?』 『おれや、姫や、黒鋼さん、モコナのことは言ってたけど……』 「ファイは自分のこと、何も言わなかったって」 告げて、モコナはしょんぼりと俯く。右耳の赤い飾りが小さく揺れた。 「だからね、思ったの。もしかしたらファイは、“家族”の中に入りたくないのかなって」 「モコナ……」 「でもね、」 キュッ、と微かに服が突っ張る感覚。 魔法生物の小さな手が、魔術師の服を掴んでいた。 「やっぱりファイにも、“家族”に入って欲しかったの。本当の家族じゃないけど、お父さんの黒鋼がいて、サクラと小狼とモコナがいて。そこにファイもいて欲しかったの。だから……」 「ありがとう」 そっと、その頭に手をのせる。 どこまでも見透かされている。もう、ヘラヘラとした笑顔を浮かべるだけでは、内面を誤魔化しきれない。それ程までに、自分は彼らと時を共有してきたということか。 けれど、モコナの懸念をそのまま認めるわけにはいかない。 「でもね、心配しないでー。オレが自分から言わなかったのは、当たり前すぎてわざわざ言う必要がないって思ったからなんだー」 「……そうなの?」 「うん、そう。だって、黒ぽんがお父さんで、モコナたちが子供だったら、オレに残ってるのはお母さんの役ぐらいでしょー?」 ね?と微笑みかければ、モコナは暫くの沈黙の後、小さく頷く。 「……うん、そうだよね。ファイがお母さんに決まってるよね」 それは、どこか自分に言い聞かせるかのように。そして次の瞬間には、その表情にぱっと笑顔を浮かべた。 「それじゃあ、これからもファイのこと、お母さんって呼んでいいの?」 「ん、いいよー」 頷いてやれば、安心したのか。モコナは「わーい!」と言いながら肩から飛び降り、前を行く大柄な黒い影を追いかけていった。 独り残された魔術師は。 「……本当、モコナは凄いな」 『だからね、思ったの。もしかしたらファイは、“家族”の中に入りたくないのかなって』 初めてあの黒き忍を「お父さん」と呼んだ時も、レース中に龍王に自分たちの関係を話した時も。決して自分はその“家族”の中に入る気はなかった。いや、入ってはいけないと思っていた。 自分が関わることで誰も不幸にしたくない。それは、未だ誰にも漏らしたことのない、自分の中の思いの一つ。だから、他者と ある程度の距離を保たなければならない。深く関わり合ってはならない。 そして、「家族」とは、とてつもなく深いつながりを持つ集団。そう簡単に切れることなどない、強い絆がそこにはある。だから、自分はその一員にならないよう、あえて自分については何も言わなかった。 なのに。 『 ファイかーさん 』 「……大丈夫」 誰にともなく、呟く。 家族は家族でも、これは偽の“家族”。本当の家族などではない。ならば、そこにあるという深いつながりも、偽の“つながり”でしかないはずだ。 だから、大丈夫。偽の母親を演じても、きっと問題ない。 一度“家族”に入れられてしまった以上、そう思うしかない。 「ここが目的地かよ」 今ではもうすっかり聞き慣れた不機嫌な声に、ふと我に返る。 そちらを見やれば、黒き忍の不機嫌の元凶が、彼の頭上で得意げに腕組みをしていて。ファイはその白くて愛らしい生物へ、へらり、と笑いかけた。 そう、いつものように。 「ビブリオって都市なんだってー、黒ぽん」 お決まりのように、黒鋼とモコナは愉快な反応を返してくれた。 レース中に自分たちの関係を尋ねてきた少年に、 「オレはお母さんー」 なんてことは言わなかったけれど、 「オレはただの赤の他人―」 とも言わなかった。 「家族の一員である」とは言わなかったが、「家族の一員ではない」とも言わなかったのだ。 そして、それが敗因の一つだったと魔術師が悟るのは、少し後。 それは、「東京」で。 あの時、彼らとの関係に 再度はっきりと線引きをしておけばよかった。 そうすれば、線をいつの間にか踏み越えていることにも もっと早く気付けて、対処できていたかもしれないのに……――。 |
あとがき ピッフル国で龍王に説明しているときに、自分のことには全く触れないファイさんを見て、違和感を感じたんです。もしこの時点で「自分はお母さんだ」と思っていたなら、ファイさんは絶対「ちなみにオレはお母さんー」とか言うはずだと思って。でも言っていない。他の場面でも、自ら「お母さん」とは言っていない。 だったら彼は、自分は家族の一員には入れていないのかなぁーと。そしてその理由を考えてみたのがこの話。モコナの台詞は私の気持ちかもしれません。 ちなみに、これが私の初書きツバサ話でした。 |