ひとつだけ確かなこと

 

 

「んん?雪か?」

 隣の地べたで胡坐をかいていた男の突拍子もない台詞に、サンジは顔を顰めた。

「あぁ?何言ってんだ、ルフィ。こんな天気で雪なんて降るわけねぇだろ」

 空は快晴。雪の降りそうな雲もなければ、体を震わせるような寒さもない。何より、ついさっき上陸したばかりの此処は、春島の春。どう考えても、雪が降る条件には不向きだ。

「でも今、白くてフワフワしたもんが飛んでったぞ」

「見間違いだろ。でなきゃ、気のせいだ」

「気のせいか」

「あぁ、気のせいだ」

「案外そうでもないかもよ?」

 突然割って入った笑い含みの可愛らしい声に、サンジはすかさず目をハートにして振り返った。声のトーンも、無意識のうちにだが勿論変わる。

「ナミさん!お帰りー!」

「おー、ナミ!やっぱり雪降んのか、此処!?」

 島民からの情報収集を終えてきたらしい航海士は、「そうねぇ……」とその反応に笑いながら、自身の左腕のログポースを示す。

「その前にまず、ログのことなんだけど。この島は二日でログが溜まるそうよ」

「二日かぁ……。じゃあ、さっさと食糧調達に行かねぇとな」

「なぁー、ログとかどーでもいいからよぉ。それより雪は降るのか!?降らないのか!?」

「どーでもいいって、あんたね……」

 詰め寄ってくる船長に、ナミが呆れたような視線を投げた時だった。

 三人が佇んでいた通りを、二人の子供がパタパタと走ってきた。

「早く早く!始まっちゃうぞ!」

「待ってよぉー!」

 言いながら、サンジ達の脇を転ぶようにして駆け抜けていく。その背を見送ったサンジは、そのまま視線を子供たちの向かう先へと移した。

 

 彼らが今いる場所から百メートルもない場所に、この村の見張り台らしき櫓(やぐら)がある。そう広くはないだろうそこに、さっきからずっと、五・六人の子供たちがぎゅうぎゅう詰めになって立っていた。その梯子の下にも、上に登っている倍近くの子供たちが、嬉々とした顔で列をつくっている。

「へぇー。もうすぐ始まるみたいね」

「始まるって、何か知ってるの?ナミさん」

 独り納得したように呟く彼女に問えば、微笑ましそうに櫓を見上げていた目がサンジに向く。

「さっき、この島の人に教えてもらったの。『降雪祭』だって」

「こーせつサイ?」

「『降雪』って、ほんとにこんな所に雪が降るのか、ナミさん!?」

 小首を傾げるルフィを押しのけ目を見開くサンジに、ナミは可笑しそうに笑った。

「そうみたいよ。もっとも、雪は雪でも“この島ならではの雪”らしいけどね」

 

 

 この島に最後に雪が降ったのは、もう五十年近くも前になるという。当然、島の子供たちは雪を見たことが無かった。時折島に立ち寄る旅人や、気のいい海賊たちから雪の存在を聞いた子供たちは、その島で一番の長老の元へ向かった。

「ねぇ、爺さま。ゆきってどんなの?」

「爺さまは見たことがあるんだろ?」

 子供たちから口ぐちに問われ、老人は「そうじゃの……」と長い顎鬚を撫でる。

「見た目は、白い粒のようなものじゃ。それが、綿のようにフワフワと、いくつも空から降ってくる。もっとも、この島の暖かな気候じゃ、積もる間も無くすぐに溶けてしまったがの」

 長老の話を聞き、雪を見てみたいという子供たちの思いは益々強まった。けれど、そう簡単に島の気候が変わることはない。長老が見たかつての雪の日も、偶然が重なって生まれた奇跡のようなものなのだから。

 大人たちから無理だと諭され、しょんぼりと項垂れる子供たち。それを見かね、長老が動いた。

 

 

「長老は、村の物見櫓の下に子供たちを集めたの。そして……」

「うっほー!」

 突然上がった興奮したような声に、喋りを中断したナミだけでなくサンジも振り返った。

 雪に関する話とはいえ、ルフィは基本的に昔話や長い話には興味を持たない。独り離れて何やら遊んでいたはずの船長が、「見ろ!」と上空を指差した。

「サンジ!ナミ!白いもんが沢山降ってくるぞ!!」

 言われるがまま振り仰ぐ。

 そこには――。

「……すげぇ」

 気がつけば、思わず感嘆が零れていた。

 上空から降り注ぐ、白、白、白。小さな無数のそれらが、視界一杯にふわふわと舞い降りてくる。

 同じくそれを隣で見上げたナミが、目を細めながら続きを語る。

「……そして、長老は大人たち数人をつれて櫓に立って、手にしていたタンポポの綿毛を一斉に飛ばしてみせたんですって」

 本物ではないけれど、せめて感覚だけでも伝えたかったのだろう。これが、“雪”だと。

 下で待っていた子供たちにゆったりと降り注いだ、白いフワフワたち。

 それを見た子供たちの顔は。一度は諦めかけた願いが叶った子供たちの顔は。どんなに輝いていたことだろう。

 

 頭上の光景に圧倒され、ぽかんとするサンジ。その口から、吸いかけの煙草が落ちた。ルフィは、「雪みてぇだ!」とピョンピョン辺りを跳ねまわっている。

「今では、その話の中の『綿毛を飛ばした』っていうのと『願いが叶った』っていう部分だけが残ってて。一年に一度、あの櫓の上から願い事を言いながら綿毛を飛ばすと、それが叶うって伝説になってるみたい」

「それが、降雪祭?」

「そういうこと」

 確かに、次々と絶え間なく風に乗って流れてくる綿毛の発生源は、子供たちのいる櫓のようだった。よくよく耳を澄ませば、「お花屋さんになれますように!」だとか「僕に妹ができますよーに!」なんて台詞も聞こえる。

 成る程ね、と呟き、地に落ちたままの煙草の存在を思い出して踏みつけていると、跳ねまわっていたはずのルフィがこちらに戻ってきた。興奮のためか、僅かに頬が上気している。

「よーするによ、願い事言ってタンポポ飛ばしたら願いが叶う島なのか、此処!?」

「まぁ、大体そんな理解でいいんじゃない?話を半分も聞いてなかった割には上出来よ」

 ナミが肯定してやれば、「よーし!」と船長は両腕を持ち上げて拳を握る。

「おれも願い事するぞ!タンポポ!タンポポどこだ!?」

「タンポポなら、櫓の上に沢山準備してあるって聞いたけど?」

「ほんとか!?じゃあ行ってくる!」

 言うが早いか、ルフィはあっという間に櫓に向かって走り出した。

 

 

「あいつ、どこまでガキ臭いんだか」

 離れていくその背中に、思わずナミと揃って笑った。

 十数人の列ができていた櫓の下も、今は数えられるほどに減っている。そこに並んでいるのは実際、子供たちばかり。大人の姿はない。

 かつて子供だったはずの大人たちは、綿毛に願いを託すなんて夢を、信じなくなったのかもしれない。それとも、願いを人前で口にする行為が恥ずかしくなったか。いずれにせよ、こうしてルフィを見送っている自分たちは、「大人」の部類に入っているのだろう。良くも、悪くも。

 煙を上げなくなった地面の塵を拾い上げ、携帯灰皿を取り出す。

「何を願うんだろうね、あいつ」

 ひしゃげた煙草をそれに放りながら、遠目でも判るほどに列に並んでウズウズしている麦わら帽子を眺めた。「さぁね」とナミが大袈裟に肩を竦める。

 ルフィは何を願うのだろう。けれど一つだけ確かなのは、「海賊王になれますように」なんて台詞は絶対に出ないということだ。何しろあの船長は、海賊王に“なりたい”と願っているのではなく、“なる”と自分で決めているのだから。

 

 そんなことをぼんやり考えていると、いつの間にかルフィの順番が回ってきたらしい。櫓の上から彼の、

「肉―!!」

という大きな叫び声が聞こえてきた。次いで、また上空を舞う、いくつかの白い綿たち。

「今の、願いじゃなくて単語じゃない」

 呆れたようにナミが笑った。

 確かに彼女の言う通りだ。肉が“欲しい”のか、肉が“食べたい”のか、はたまた肉に“なりたい”のか。単語を叫んだだけで、綿毛はルフィの願いを正確に察してくれるだろうか。

 思いながら、サンジは冷蔵庫と食糧庫の中身を脳内に浮かべる。

 この島の伝説を真実にするためにも、今夜のメニューは肉料理に決めた。

 

 

 

 

 

お題:「春に降る雪」

あとがき

 グランドラインは何が起こってもおかしくない場所なので、春に普通に雪が降ってきても構わないのかもなぁ〜とも思いましたが。結局、“本物ではない雪”ということに落ち着きました。チョッパー編の“桜”も、本物の桜ではないけれど、あれだけの感動がありましたから!(まぁ、今回の“雪”に感動があるかというと、それはまた別ですが……。苦笑)

 書きながら、「タンポポの綿毛を最後に飛ばしたのって、いつだったかなぁー」なんて、ちょっと懐かしくなりました。皆さんは、覚えていますか?

 

 

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