いつかの気持ち 「いっただっきまーす!!」 スリラーバークの屋敷に響く、何十人もの大合唱。間をおかずにそこかしこから上がる、「美味い!」の歓声。 まだ一口目であるその反応を、ナミはオーバーだとは思わない。被害者の会の彼らにとっては、何年ぶりかのまともな食事なのだ。それに加え、テーブルに所狭しと並べられた料理は全て、サンジが作ったもの。美味くないはずがない。 サンジが食事を残すなと叫んでいたが、きっとそんな事態は起こらないだろう。 何から食べようかと、ナミも皿を一枚取ってテーブルを見渡す。と、視界の端に、眠り続ける男と心配顔のトナカイが引っ掛かった。 ゾロの手当てを終えてからずっと、チョッパーは彼の傍から離れようとしない。当然ながら、今も食事のテーブルに近づこうとしないため、チョッパーの周りは食べ物が何も無い状態だ。 ナミは予定を変更し、自分のためではなく真摯な船医のために、改めて料理の皿を見回した。チョッパーの好きな食べ物は何だっただろうか。特に好き嫌いは激しくなかったはずだが。 とりあえずルフィと並んでよく肉を奪い合ってるわよね、などと思案しながら、近くの厚切りステーキのトングへ手を伸ばす。が、同じく向かいから伸びてきた男の手とぶつかってしまった。 「あぁっ、すみません、ナミさん!」 焦ったように慌てて手を引っ込めたのは、サンジ。その片手には既に、いくつかの料理を彩りよく盛った皿が握られていて、ナミは思わず瞬いた。 食事が始まって直ぐにこんな光景に出くわすのは、珍しいことだ。彼は大抵、自分の食事は皆と少し間を空けてから摂り始めるので。 多少不思議ではあるが、ナミとしてはこの上なくいいタイミングでの登場だ。 「お先にどうぞ、ナミさん。それとも、お取りしましょうか?」 「いいわよ、気にしないで。それより丁度よかったわ。ここに並んでる中で、チョッパーの好きな料理ってどれかしら?」 尋ねれば、サンジが何故か驚いたように一瞬、目を見開く。が、すぐに穏やかに微笑むと、「失礼」と一言断り、一度離したはずのトングを再び手に取った。 分厚いステーキを自身の皿に加えると、それをナミに差し出す。 「この皿に載ってるの全部、チョッパーの好物だよ」 「……」 微笑むサンジを見詰め、次いで皿の中を見詰め、ナミは小さく声を立てて笑った。 あぁそうだ。一流コックである彼が、気付かないはずがない。 料理の皿を渡すと、チョッパーは嬉しそうに目を輝かせた。 「ありがとうナミ!」 「チョッパーの好きなものばっかりでしょ?サンジ君セレクトよ、それ」 「そうなのか!?へー、さすがだなぁ!後でサンジにもお礼言わないとな」 続けて飲み物も手渡し、チョッパーの向かいに腰を下ろす。さすがに両手が塞がってしまい、持ってきた自分の分は、酒の入ったグラスだけだった。けれど料理はあれだけの量があるし、また後で取りに行けばいいだろう。幸いにも、今はそう激しく空腹でもない。 口いっぱいに料理を頬張り始めるチョッパーを横目に、ナミは頬杖をついてチラリと視線を下ろした。包帯だらけの男は、相変わらず昏々と眠っている。 「乾杯やらなかったのに、結局宴になっちゃってるな」 呆れよりも感心を滲ませた声に顔を上げれば、チョッパーがナミを通り越した先を見詰めていた。ナミも半身を捻って振り返る。そこは既にドンチャン騒ぎで、テーブル上には、料理や空になった皿に混ざって、軽快に踊る半サイボーグと骸骨の姿があった。 変態同士気が合うのか何なのかは知らないが、同じ室内に絶対安静の怪我人がいることを忘れていやしないだろうか。思わず溜め息が零れる。 騒がしいその光景から視線を剝すと、チョッパーがモグモグと口を動かしながらも心配そうにゾロを見ていた。 「周りがこんなに騒いでるのに、目も開けねェなー」 「いつもは一番タフなくせにね……」 尋常じゃない。それは、ナミやチョッパーだけでなく、他の誰の目から見ても明らかだ。けれどナミは、この男がこうなった原因は、一生知ることができないような気がしていた。知りたい気持ちは多分にあるが、きっとゾロ自身がそれを良しとしない。 暗い部分に足を踏み入れかけたナミの思考はしかし、底抜けに明るい声によって引きとめられた。 「なぁなぁチョッパー!これっ!!」 やってきたのは、ご機嫌笑顔の船長。「ししし!」といつもの独特な笑い声を上げながら、ゾロの分だと大きな酒樽を持ってくる。 へぇ、とナミは内心だけで感心した。ゾロが目覚めた時のために、取っておくつもりなのだろう。それこそタフな男だ、目覚めてすぐにとはいかなくても、そう日も空けずにきっとまた豪快に酒を飲み始める。 食事中のこの船長に、こんな殊勝な気遣いができたとは。少しばかり感動していると、隣の麦わら帽子は抱えていた樽をゾロに向かって傾けた。 「ほら、飲め!!」 「やめんかぁっ!」 スパンッ!と勢いよくその頭を叩(はた)く。 あぁ、一瞬でも感動した自分が馬鹿だった。この船長は、やはり只のアホなのか。叩いたのは相手の頭のはずなのに、ナミは軽い頭痛を覚え、額を抑える。 けれどルフィはやはりルフィで、ナミの突っ込みを気にするどころか、むしろ力説してくる。 「ゾロは酒が好きなんだから、酒飲んだら元気になるって!!」 「どんな医学だよ、それっ!?」 チョッパーまでもが慌てて必死に止めると、さすがにルフィが動きを止めた。樽を抱え直し、一瞬だけ思案顔をする。 「……じゃあ、肉は?」 「よしよし!その気持ちだけはもらっとくからな」 アホか!と再度突っ込むつもりだったナミだが、チョッパーの宥めるようなその言い草に、思わず小さく噴き出してしまった。 「よしよし」だなんて。まるで子供にいい含める親のようだ。一体どっちが年上だか分かりゃしない。チョッパーにこんな言い方をされるルフィもルフィだけれど、チョッパーもいつの間にこんな台詞を言うようになったのか。 成長しているのだと、そう思う。雪国しか知らなかったこの小さなトナカイは、少しずつだが確実に、心身ともに成長を遂げている。 そう。今回のスリラーバークでだって。 『チョッパーは間違いなく、ホグバックを倒すつもりだったわ』 サニー号から再びこの屋敷へと戻る道すがら。ロビンがそう教えてくれた。 『“心”は一緒に生まれて育ったもの。その“心”が死んでしまったのに、別の“心”を入れられ、“身体”は他者のいいように操られる存在。それを「蘇った“人間”だ」と言い張るホグバックが、チョッパーは許せなかったようね。……もっとも、結果的に止めを刺したのは、乱入してきたオーズだったけれど』 『そう……』 それでも、チョッパーがホグバックへ怒りをぶつけたことには変わりない。 ナミは頷いて、目を閉じた。 まだスリラーバークに入ったばかりの時。チョッパーは尊敬と憧れで目をキラキラと輝かせながら、ホグバックのことを語っていた。本人に出会ってからも、本当に嬉々として話を聞いていて。 だからこそ、全ての真実を知った時、チョッパーの絶望は大きかっただろう。そしてそれと同じくらい、怒りも。オーズの居た冷凍室から脱出した後の彼の厳しい顔つきは、今でもはっきりと覚えている。 出会った当時のチョッパーだったら、どうだっただろう。彼の医者としての志の高さは疑っていないが、怒りよりも絶望に支配されたのではないかという気がする。もしかしたら、涙の一つでも零していたかもしれない。 けれど実際は、チョッパーは立ち向かった。絶望するだけでなく、そこを乗り越えた先へ――相手と戦ってでもその暴挙を止めようと、立ち向かった。そのような行動をとれるようになったのはきっと、これまでの航海の中で、チョッパーが一つ一つ、確実に何かしらを得てきたからだ。経験を無駄にしてこなかった証。 一つ波を越えるたび、成長していく。 『私ね、初め、ちょっと意外だったの』 『意外?』 小首を傾げるロビンに頷く。 『まだホグバックに会ったばかりの時、チョッパーが言ってたのよ。ホグバックの死者の蘇生の研究が成功すれば、世界中に喜ぶ人がいる。だから応援する……って』 ふぅ、と知らず溜息が零れた。 『私は、「死者の蘇生」なんて聞いた時、ロクでもないと思ったわ。でもチョッパーは違った』 『そう……。確かに彼は、その研究で人の気持ちが救われると考えていたようね。私と一緒にいる時も言っていたわ。死は、本人にも周囲にも突然訪れるものだから、言い損ねてしまう事がある。だからたった数分でもいい、蘇ってくれれば……と』 『言い損ねた事……』 チョッパーの過去を思えば、そう考えるようになるのも分からなくはなかった。ドクトリーヌから聞いた、チョッパーとヤブ医者の出会い、生活、そして別れ。今でもきっと、チョッパーは彼に伝えたい言葉があるのだろう。言い損ねてしまった、大切な言葉が。 加えてナミ自身も、ベルメールのことがあった。それこそ正に、あまりにも突然な別れ。言い損ねたことだって、勿論ある。 ある、けれど。 『でも』 呟くと、ロビンがこちらに視線を向けたのが分かった。 『もし本当に、死んでしまった本人を蘇らせることができたとしても。数分なんかじゃきっと足りないわ、私』 せめて一言だけでも。きっとそう思う。だが本当に、実際に、本人が目の前に現れたとしたら。一言なんかじゃ終わらないだろう。 あの時はあんなことをしてしまった。本当にごめんなさい。 あの時は本当に嬉しかった。ありがとう。 言いたいことはいくらでも浮かんでくる。きっと欲張りになる。数分なんかじゃ、大切な人への想いの全てなんて語れやしない。――数分で語れてしまうような、そんな簡素な想いじゃない。 『きっと、ずっと蘇ったままでいてくれることを望んじゃうと思う。でも、そんなことが可能になったらそれこそ……』 『誰も死なず、世界は人間だらけになってしまうでしょうね』 静かにロビンが、ナミの言葉を請け負ってみせた。 『……うん。だから私はやっぱり、死者の蘇生なんて研究自体、手をつけるべきじゃないと思う』 一度失ってしまったら、もう二度と戻らない。だからこそ命も、生きることも、尊い。そんな道徳めいた考えを振り翳すつもりは毛頭ない。それよりももっと、自分本位な考え方によるものだと分かっている。 だけどそれが、嘘偽りないナミの本音だ。 『確かに、そういう考えもあるわね』 ナミでも、前を行くルフィたちでもなく、森の木々に隠れて見える半壊の屋敷を見詰めながら、ロビンが言った。 そこには、ボロボロの剣士に付き添う小さな船医がいる。 『そしておそらく、チョッパーはまだその考え方には気付いていない。でもきっと……いつかは、彼も気づく』 きっとそれも、“成長する”ということ。 『……。それって、チョッパーにとってはいい事なのかしら。悪い事なのかしら』 無意識のうちに、ナミはそう呟いていた。 ひどく冷めた、現実的な考え。純粋無垢な船医がそれに気づく事は、果たして。 『成長するというのは、悪いことじゃないと思うわ』 きっぱりとしたロビンの物言いに、ナミは顔を上げる。 声に反して、彼女は小さく苦笑していた。 『でも、そんな彼を想像すると……少し、寂しいわね』 そう。寂しいのだ。 成長は、喜ばしい事のはずなのに。 「ナミゾウー!」 「っ!?」 呼ばれ、意識が浮上する。 鳴り始めたピアノの音に惹かれたのか、いつの間にかルフィはいなくなっていた。目の前ではチョッパーが、空になった皿を前に両手を合わせている。 「さっき言ってた話の続き、聞かせてくれない!?ほら、私の影が入ったゾンビとあんたの間で起こった事!!」 「あぁ、分かったわローラ!今行く!!」 ジョッキを片手に大声で叫ぶ女船長に手を振り返す。そうだった、サニー号を出る時にそんな約束をしていた。 ナミは自分のグラスを掴んで立ち上がる。一歩踏み出そうとし、けれど少し思いとどまって、船医の方に向き直った。 「食べ終わったんなら、あんたもあっちに混ざってくれば?」 「え?」 でも……、と心配そうにゾロを見下ろす桜色の帽子を、ナミは軽く指先で弾く。 「ゾロだってね、目覚めた時にチョッパーがそんな顔して見下ろしてるよりは、あっちで楽しそうにしてる方が嬉しいと思うけど?」 「……。うん……」 頷きながらも、チョッパーの瞳は、まだどこか不安げに揺れていて。ナミは小さく息を吐くと、今度はしっかりとその帽子を掴み、チョッパーの頭が揺れるくらい大きく撫でた。 「大丈夫よ、あんたがあれだけ必死に治療したんだから。心配しなくても、ゾロはちゃんと目を覚ますわ」 ね?、と微笑めば、チョッパーのナミを見る目が、いつも以上に真ん丸に見開かれる。と思ったら、次の瞬間には、「そっ、そんな褒められたって、嬉しくなんかねェーぞ!コノヤロがっ!!」と、満面の笑みで踊りだした。 そんなチョッパーの様子を眺め、ナミはどこかホッとした気持ちで笑う。 あぁ。やはりこういうところは、チョッパーだ。 その後も、宴会組に加わったチョッパーは、ドラムを出た時からずっと続けている、割り箸ダンスを披露していた。 ヨサクに始まり、ルフィとウソップに受け継がれたそれを、チョッパーがここまで気に入るとは正直ナミは思わなかった。割り箸を鼻に刺すのだって痛いに決まっているし、そんな痛い思いをする割に、ひどい顔にしかならない。ナミなら絶対恥ずかしいと思うし、ゾロやサンジがやらないのも似たような理由だろう。 今は率先してやっているチョッパーも、いつかはこの割り箸ダンスをしなくなる日がくるかもしれない。 さっきのような照れ隠しの踊りや暴言も、落ち着きを身に付けて、そのうち無くなるのかもしれない。 それはやっぱり、チョッパーが成長したという証で。 その時ナミはやっぱり――喜ばしく思うと同時にきっと、「寂しい」と少しだけ、思うのだ。 |
あとがき 初めは、「みんなに愛されるチョッパー」がテーマだったのですけれど(冒頭のナミさんとサンジ君の遣り取りにその名残が。(笑))、いつの間にやら「チョッパーの成長」がテーマになっていました。あれれ?(苦笑) とはいえ、チョッパーは一番成長を窺い易いキャラだと思います。不安定さもありながら、それでも少しずつ確実に成長している様が、拝読していて伝わってきて。つい、母親か何かのような気分で(笑)ハラハラしながら見守っています。 ちなみに、チョッパーの食べた料理は、アニメではケーキ等の甘いものになっていたようですが、今回は原作の料理の方に合わせました。また、文中に出てくる死者の蘇生についての考え方は、人それぞれあると思いますので、ここではあまり深く触れないでおこうと思います。 優しさと強さを兼ね備えた名船医チョッパー、ハッピーバースデー!! |