いつもと変わらない朝だった。

 いつもと同じ様に名付け子を起こしに行き、一緒に朝のトレーニングに付き合った。

 時々他愛の無い会話を交わしながら、城の周りを一周。ランニングを終えて、そのまま真っ直ぐに名付け子を彼の部屋まで送り届けることができれば、それはいつもと変わらない朝だった。

 

 変わらない朝になる……はずだった。

 

 

人格交代は災いの元

 

 

 思えばそれは、奴の登場によって全てが狂った。

「あれ?ヨザックだ」

 中庭から城へと続く階段を上りきったところで、名づけ子であり主でもある少年が声を上げた。

 隣に立つトレーニング姿の有利の視線の先を追えば。見慣れたというよりも見飽きたという表現の方が似合う幼馴染が、中庭を横断しているところだった。

「おーい!ヨザックー!!」

 身体を反転させた有利が手を振りながら、今しがた上ったばかりの階段を下り始める。

 呼ばれた相手も気付いたらしく、足の向きをこちらに変えた。顔に実に嬉しそうな表情を浮かべている。

 何なんだ、その緩みっぱなしの表情は。内心で毒づきながらも、主に続こうとウェラー卿も階段を一歩下りた時だった。

「久しぶり!いつ戻ってきたん……どわっ!」

 階段を駆け下りていた有利の足がもつれた。当然のように、彼の身体は平衡を失う。

「ユーリ!」

「坊ちゃん!」

 階下に近付いていた幼馴染の方が速かった。落ちてくる有利を抱きとめると、中庭の芝生に背中からダイブする。

 

「ユーリ!ヨザック!」

 自分も階段を駆け下りた。両方の名を呼びはしたが、先に助け起こしたのは有利だ。色んな意味でこれは当然だろう。

「大丈夫ですか!?怪我は!?」

 問えば、小さく呻いた有利が目を開く。そして、その唇が動いた。

「何バカ言ってんだ。オレより坊ちゃんの心配しろ」

「……は?」

 反射的に訊き返していた。

 可愛い名付け子が自分に「バカ」と言ってきたのも、多少の衝撃はあったが。それよりも問題な単語が後半にあったような……。

 しかし、低く唸ったヨザックが上半身を起こすのを見て、コンラッドの思考はそちらに持っていかれた。

「痛たたた……」

 顔をしかめる幼馴染に、軽く眉根を寄せて視線を投げる。こいつが来なければ、有利が階段を駆け下りることも、そこから落ちることもなかったのに、という親馬鹿全開の偏った思考からだ。

「お前なぁ」

「うわっ!ごめん!ごめんなさい!相変わらず注意散漫ですみません!でもそんな怖い顔しないでよ〜、コンラッド」

「何が『しないでよ〜』だ?陛下の口調を真似たところで、言っているのがお前じゃ気持ち悪いだけ……――」

「……なんでオレがそこにいるんだ?」

 隣からの呆然としたような呟きに、主へと視線を戻す。口をポカン、と開けて有利がヨザックを見詰めていた。

「あれ?そこにいるのって、おれだよな?」

 目の前にいた幼馴染も、主を見てそんなことを言う。

 ようやくウェラー卿も異変に気付いた。何かが、おかしい。

 

 先に動いたのは有利だった。自身の腕を撫で回しながら叫ぶ。

「はぁ!?なんでオレが坊ちゃんの服着てるんだよ!?っていうか何処!?グリ江の自慢の上腕二頭筋は何処にいったの!?」

「うわー。おれってもしかして、まーた人格交代しちゃったわけ?ありえねぇー……」

対するヨザックの方は、片手で顔を覆って嘆息している。

様子だけ見ればいつも通りの二人にも見えるが、発言内容は明らかに異常だ。

「ええっと……」

 ウェラー卿が困惑気味に呟けば、幼馴染が口を開いた。困ったように頭をかきながら。そう、まるで普段の名付け子のように。

「コンラッド、すぐには信じられないだろうけど、おれが有利だ。それで……」

 放たれた言葉の意味を理解する前に、逞しい腕が主を指差す。

「あっちが、たぶんヨザックだ。そうだろ?」

 問われた名付け子が無言で首を縦に振る。未だ、表情は呆然としたままだ。

 そうして幼馴染は、とんでもない単語を口にした。

「つまり、おれとヨザックは人格交代しちゃったわけ」

 しん、と暫しの沈黙の後。

 

「人格交代!?そんなバカな!」

 

 自分と主で異口同音。

この嫌になるくらいの息の合い方を見るに、ここにいる主の中身は幼馴染なのだと実感せざるを得なかった。

 

 

 

どうしてこんなことになってしまったのか。

思ってみたところで現実は変わりはしない。目の前にいるのは、幼馴染の姿をした有利と、名付け子の姿をしたヨザックなのだ。

 

「それでは陛下は、人格交代はこれで二度目というわけですね?」

 落ち着け、と自分に必死に言い聞かせながらウェラー卿は問う。中身が有利だとわかっていても、ヨザック相手に「陛下」と呼びかけるのは非常に妙な感じだ。

「うん。前も村田と階段から落ちて、身体と中身が入れ替わっちゃったんだ」

成る程、それでさっきも有利は落ち着いてたわけか。

本来ならば、彼が一番慌てていそうなものだ。

「で、その時坊ちゃん方は、どうやって元に戻ったんです?」

 見た目が有利のヨザックも尋ねる。

始めこそ取り乱していた彼だったが、今はすっかり冷静に戻っていた。こういうところ、この幼馴染は凄い。この適応力や柔軟性の高さが、諜報員という仕事にも向いているのだろう。

無論、本人にそんな褒め言葉を言ってやるつもりはさらさら無いが。

「あの時は村田が、同じ様な衝撃を加えれば元に戻るんじゃないかって言って、もう一回階段から落ちたんだ。通りすがりの人に突き落とし役を頼んでね。 あ、でも、関係ない人と落ちちゃダメだぞ?人格交代が複雑になっちゃうから」

「ということはつまり、オレと坊ちゃんがもう一度階段から落ちるしかない、と。んじゃあ、突き落とし役は……」

 有利の白い人差し指が、ビシッとこちらに向けられた。

「隊長だな」

「なっ!?」

 冗談じゃない、と反論しようとした言葉が、喉の辺りにひっかかる。ヨザック相手だと分かっていても、見た目が有利では、どうにも怒鳴ることに抵抗を感じてしまう。

 ウェラー卿は仕方なく視線を外して続けた。

「でっ、できるわけないだろう。ヨザックのことはいいとしても、ユーリを突き落とすなんてマネはできない」

「うわっ、ひっどーい!聞きました、坊ちゃん?隊長がグリ江のこと虐めるぅー」

「わ、わかった。わかったから、おれの姿でグリ江ちゃんにならないでっ!女々しいおれなんて見たくないー。 な、コンラッド。……コンラッド?」

「あっ、え、ええ……」

 嘘だった。

 中身があの幼馴染であるというのに、不覚にも可愛らしいと思ってしまった。

 自分がここまで親馬鹿だったとは。

 

「そうですかぁ?女装の先輩として言わせてもらえば、坊ちゃんは女装も結構いけると思うけど。……ま、とりあえずこの話は、今は置いておくとしてー」

 有利姿でわざわざ物を横に置く身振りをしてみせながら、幼馴染が本題に戻る。

「同じ衝撃を加える以外に、元に戻る方法に心当たりは無いんですよね?坊ちゃん」

「うん」

「だそうですよ、隊長。これじゃあ、それをやるしかないでしょ。それに、他の連中にはこのこと知られないようにするんだろ?だったら隊長しか頼める奴は……――」

「あーっ!その前にちょっと!!」

 結論を出しかけるヨザックに、有利が慌てたように挙手をする。といっても、傍から見ればヨザックが手を挙げているように見えるわけだが。

「何でしょ、坊ちゃん」

「突き落とし役はコンラッドに頼むとして。せっかくだから、元に戻る前にちょっとだけ、ヨザックの身体で運動やりたい!」

「はい?」

訊き返したのは幼馴染だったが、気持ちはコンラッドも同じだった。

ちょっとでも早く戻れるのなら、それに越したことはないのではないか。いつの間にやら強制的に自分が突き落とし役に就任してしまった気がするが、それはこの際後回しだ。

「まぁ、オレは別に構いやしませんけど……」

「ですが陛下、そんな悠長なこと言ってていいんですか?」

「いや、それは確かにそうなんだけど……」

 少し逡巡するかに目を泳がせた相手はしかし、こちらに向かってパン、と顔の前で両手を合わせる。お願いのポーズだ。

「頼むっ!おれがこんな体格になるなんて、夢のまた夢だろ?だからこの機会を逃したくないんだ!せめて一生に一度くらい、マッチョな身体を体験しておきたいー!お願い、コンラッド!!」

いつもの癖からか、上目遣いで見上げられる。

しかし忘れてはならない。今の有利の姿は、あの見飽きたゴツイ幼馴染のものであることを。

「……わっ、わかりました。しかし、そんなに長い時間はとれませんよ?」

 不自然に相手から視線を逸らしながら答えれば、

「有難う、コンラッド!」

 と嬉しげに声を上げ、見た目ヨザックの有利が駆け出す。

 その後姿を見ながら、ウェラー卿は隣に残った人物にしみじみと告げた。

「……ヨザック」

「ん?」

「お前の上目遣い、恐ろしく気持ち悪いな」

「はぁ!?」

 

 今まで散々、名付け子の上目遣いの可愛らしさに耐えられず、彼の頼みを承諾してきた。が、上目遣いで見詰められる気持ち悪さに耐えられずに承諾したのは、これが初めてだった。

 

 

 

問題となった階段に腰掛けながら、有利の――見た目はヨザックだが――様子を眺める。

「凄い!腕立て百回もラクラクだ!」

名付け子は嬉々として次々に色々な動きを試している。

ここまで筋肉質に憧れているとは思わなかった。

「当然ですよん。こう見えてもグリ江、毎日ちゃーんと鍛えてますもの〜」

同じく隣に腰掛けている幼馴染も、ご機嫌だ。自慢の筋肉を手放しで褒められて嬉しいのだろう。

「だーかーらー、おれの格好でシナをつくるなって」

「あらぁ、こういう坊ちゃんもいいと思うけど。ね、たーいちょ?」

わざとのように、有利の姿でにっこりと微笑みかけてくる。いや、わざとに決まっている。明らかにこちらの動揺を分かった上での行動だ。

そう思うのに、素直に頬が緩みかけてしまう自分が情けない。

「まったくヨザックはー。 まぁいいや、ここでグダグダ言い合ってても時間が勿体無いし。なぁ、コンラッド、キャッチボールしない?」

主のこの誘いに首を横に振ったことなど、今までない。だが、今回だけは違う。

「すみませんが陛下、今日はお断りさせていただきます。まかり間違って他人に見られて、ヨザックと仲良く球の投げ合いに興じていたなんて噂が立った日には、俺はこの城で生きていけません」

「……そこまで言うか」

主の声で呟かれた抗議にはあえて無視を貫く。

「幼なじみなんだから、別にいいと思うけどなぁ。……じゃあ、ヨザックは?」

「あ〜、残念ですがオレもやめときます。坊ちゃんの身体で下手に動いて、怪我でもしたら大変」

「えー、別に気にしなくていいよ。野球に傷はつきものなんだし」

「坊ちゃんが許してくれても、隣にいるこの男が許しちゃくれないんですよ」

どちらにも相手を断られ、少々不満そうにした名付け子だったが、壁に向かって一球投げればすぐに笑顔になった。

「おっ、いいねー!もうちょっと離れて投げてみよっかなぁ〜」

本当に素直なひとだ。ウェラー卿は心中でひっそりと思う。

この主は、感情がそのまま顔に表れる。今も彼は、大好きな野球をする喜びで楽しそうに笑っている。―――幼馴染の顔で。

 昔の記憶が脳裏を過ぎった。

「……久しぶりに見たな」

「何を?」

独り言のつもりだったのだが、相手の耳に届いてしまったらしい。

隣にある顔を見てしまっては また調子が狂う気がして、前方に視線を向けたまま答えた。

「お前の笑った顔」

「はぁ?人聞きの悪いこと言うなよ。それじゃまるで、オレが全く笑わない無表情の奴みたいじゃねーか」

「そうは言っていない。けど、お前があんな風に心から笑った顔は、随分見ていない気がする」

昔から、そう簡単に感情を表に出す奴ではなかったけれど。それでも幼い頃は、一緒に遊べば笑顔もたまに見せた。

「……成長するにつれて下手になることは、案外多いのかもしれないな」

 感情のままに笑ったり、泣いたり。いつの間にか、そういう行為(こと)が下手になる。そしてこの幼なじみは、殊更それが多い。

無論それは、戦場や潜入先では役に立ってきたのだろうけれど。いや、寧ろそういう環境が、今の幼馴染をつくったと言うべきか。

 

相手からの返答がなかった。

怪訝に思って見やれば、小さな口をポカンと開けたままの有利。これで中身が幼馴染でなければ、可愛いと素直に思えただろうに。

仕方ない、助けてやるか。

「何だ?ヨザ。その顔は」

「いや、お前ってよくそーいう台詞を素で言えるよな」

「そうか?ああ、でも、お前の馬鹿みたいにヘラヘラした笑顔なら散々見ているがな」

「胡散臭い笑顔のひとに言われたくないですー」

突破口を与えれば、相手は助かったとばかりに食い付いてくる。

そんな幼なじみに「うるさい」と小さく笑うと、ウェラー卿は腰を上げた。

「陛下、そろそろいいですか?ウ゛ォルフラムもさすがに着替えを済ませる頃です」

「ああ、そっか。わかった。 ねぇコンラッド、突き落とし役する気になってくれた?」

 実を言えば、突き落とし役は未だに気が引ける。けれど。

「ええ。やらせていただきます」

いつまでもこのままじゃ、どうにも調子が狂って敵わない。

 

とはいえ、いざ階段の上に立てば多少の迷いが生まれた。

「よし!コンラッド、どーんといってみよう!」

中身は主である幼なじみの笑顔に後押しされたわけでもないが、必死に自分に言い聞かせる。

仕方ない、このままややこしい現実が続くことを思えば、何てことはないじゃないか。それに幼なじみはどうでもいいとして、名付け子本人がやれと言っているのだから。

「……では、いきますよ」

「おう!よろしく!」

「オレだけ強くしないで下さいよ〜、身体は坊ちゃんなんですからねー」

「うるさい、わかっている」

一つ息を吐き、両手をそれぞれの背に当てようと……――。

「何をしている、コンラート!?」

「!?」

タイミングが狂った。そうとしか表現のしようがない。

突然背後から上がった末弟の声に驚き、コンラッドは勢い余って、二人を押しながら自身も前のめった。

「えっ?」

「あっ!?」

「!?」

 

結局、転げ落ちたのは三人。

 

 

 

目を開けば、そこは地面の上。そして眼前に横たわるのは、目の中に入れても痛くない可愛い名付け子。

ウェラー卿はすぐさま彼の傍に寄り声をかけた。身体の節々が少々痛んだが、そんなもの構っていられない。

「ユーリ!ユーリっ!」

僅かに相手の瞼が動き、ゆっくりとその目が開かれる。そうして、自身の手を目の高さに持ち上げた。

「あー……、おれ、この格好で『有利』って呼ばれてるってことは、元に戻ってる?」

「よかった、ユーリ。ちゃんと戻れたんですね」

相手の反応にホッと息をつく。自分も一緒に落ちてしまったため少々不安だったが、入れ替わりは成功したらしい。

これでやっと、この「名付け子が幼馴染で、幼馴染が名付け子」という、頭のこんがらかる現実から解放される。

しかし、彼がその喜びを感じることができたのは、ほんの一瞬だった。

 

「何をしているっ!ユーリにくっつくな、グリエ!」

 怒りと嫉妬を隠しもせずに階段を駆け下りてくる末弟の言葉に、コンラッドは視線をさ迷わせた。有利の周囲には自分しかいないというのに、ヴォルフラムは何を言っているのか。

 中庭に足をつけた末弟は、あらんかぎりの力でギン、とこちらを睨みつけると、今度は別の方向を向いて怒鳴った。

「お前もだ!ユーリを階段から突き落とすとは何事だ!?コンラート!!」

 は?

 慌てて自分の身体を確認する。見慣れた服、見慣れた腕の筋肉。けれどそれは自分のものではない。

 ウェラー卿の胸中に、嫌―な予感が走った。信じたくない。しかし……。

 恐る恐る、振り返る。

そこにいたのは、末弟と……自分。

「ヨザック……か?」

 問いかければ、呆然としたままの自分が口を開く。

「そういうあんたは……隊長?」

 

 一瞬視界が真っ白になった気がした。

 

「行くぞヨザック!さっさと上って、さっさと落ちるぞ!!お前の身体の中にいるだなんて考えたくもない!」

「言われなくてもそうするっての!!隊長の身体なんてこっちから願い下げ!」

 血相を変え、猛スピードで階段を上り始める元上司と部下。

 その様子を見ながら、怪訝そうなヴォルフラムと 哀れむような表情の有利が呟いた。

「何だ?ユーリを突き落とした罪の意識から、自ら再び転げ落ちる気にでもなったのか?」

「……違うと思う。とにかく必死なんだよ、二人とも……」

 

 

二人の男が、寸分違わず同時に階段から落ちていく。

その息の合った光景は、さすが幼馴染というべき様であった。

 

 

 

 

 

あとがき

 うむむ。とにかく難しかったです、この話。人格交代の表現って、どういう風に書けば読み手に分かりやすくなるんでしょう?私自身、書いていて何度混乱したことか。(苦笑)そして次男、ちゃんと苦労してます……よね?

 ヨザックに対するコンラッドの態度がコロコロ変わっていますが、一言で言えば、喧嘩するほど仲がいいってことなんです、きっと。(←!?)

 洸様、お題提供、有難うございました!!(微妙に長い話になってすみませんー!)

 

※これまでは頂いたお題をそのままタイトルにしていたのですが、今回はちょっと無理があったので変更させていただきました。

 

 

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