「待ちなさいって言ってるで……しょ!」 最後の一声と共に、佐藤は逃げる被疑者を引き寄せ足払いをかけた。宙に浮いた相手をそのまま地面に叩きつけようとした瞬間。彼女は瞠目した。 「なっ!?」 敵わない 数メートル先を行く先輩刑事が被疑者を掴むのを見て、高木はほっと息を吐いた。彼女お得意の投げ技だ。こうなれば、被疑者はもう、捕まったも同然。 彼女の細腕が、驚くほど易々と相手の男を宙へ浮かせる。そして、いよいよ地面に落とすという瞬間。 「うん?」 思わず疑問が口を突いた。 男の身体が地面に着く直前、彼女がその身をよじったように見えたのだ。まるで、何かを避けるかのように。 無論、男の身体も宙を移動し、当初とは違う場所の地面に叩きつけられた。 「佐藤さん!」 被疑者に手錠をかけようともみあっている彼女に駆け寄り、脇に膝を折る。 「佐藤さん、今…――」 「高木君、私が押さえてるから手錠やって!」 「あっ、はい」 そうだ、今は仕事中。 彼女が手にしている二つの銀の輪を受け取り、男の両手にかけた。 「午後一時二十一分、被疑者確保……と。助かったわ、高木君」 見上げてくるその顔は、普段と変わらぬ笑み。 さっきのは見間違いだろうか。思わず高木は首を捻る。 「ちょっと、高木君?どうしたのよ、ボーッとして」 「へ!?あ、いえ。別に」 「ふーん?ま、いいわ。じゃあ高木君、あなた連行お願いね」 はい、と当然のように被疑者の両手を押し付けられる。 「え?でも捕まえたのは……」 「何言ってるの。手錠かけたのはあなたでしょ?だったら最後まで責任もってやんなさい」 ポン、と軽く高木の肩を叩くと、佐藤は先に歩き出してしまう。 思わず本音が零れた。 「……どうしたんだろ?佐藤さん」 佐藤の言は、何も間違ったことは言っていない。だが、今までの経験上、こういう時は佐藤がそのまま連行することが多かった。 何かが、どこかが、少し違う。 脳内を疑問符で一杯にしながらも、高木は言われた通り男を地面から引っ張り上げる。と、視界の端で何かがキラリと光った。 「ん?」 導かれるままそちらを向く。瞬間、脳が一つの答えを弾き出した。 ―――まさか! 離れていく佐藤の後姿をもう一度見て、高木は自分の出した答えに確信を持つ。と同時に、思わず苦笑がこぼれた。 「なるほど。そういうこと……か」 「おい、兄ちゃん」 高木に腕を捕まれたままの男が、怪訝そうに横から問うてくる。 「何をさっきから、独りでブツブツ言ってんだ」 「ああ、いや。ただ、あなたはラッキーだなぁ……と思って」 「はぁ?嫌味か」 「とんでもない」 睨んでくる男に高木は笑う。 「本心ですよ。相手が彼女でよかったですね。僕だったら気付かなかったかもしれない」 「はぁ?」 ますますもって分からないという顔をする被疑者に苦笑することで応え、高木は男の腕を引いた。 「よし!終了」 手にしていたペンをコロン、と机上に転がし、佐藤は一つ伸びをした。 昼間に高木と追っていた被疑者を確保してからは、主にデスクワークと取調べ。本庁外に出ることはなかった。もっとも、今の彼女にとってそれは有難いことでもあったが。 背伸びついでに、右足を軽く動かしてみる。瞬間、鋭い痛みが走った。思わず顔をしかめる。 「……っ!」 やはり、放っておくだけで治ってくれるようなものではないらしい。被疑者を投げる際に、無理やり身体を捻ったことが招いた結果だ。 「ま、後悔はしてないけどね……」 今日のところは平生の自分を装えたと思う。 被疑者を護送する時も、幸い高木のスカイラインで来ていたため自分の運転する幕はなかった。一課の仲間にもバレなかったし、運良く由美にも今日は会っていない。今の遅い時間は、課室にも人気(ひとけ)がなかった。 この調子なら、何とか足の不調を隠し果せるだろう。 何か起こる前にこのまま下庁しようと、机上の荷物をまとめ始めた時だった。 「あ、佐藤さん。今日の分は終わったんですか?」 扉を開く音と同時に流れてきた声に、佐藤は内心ギクリとする。振り向けば、後輩刑事が室内に入ってくるところだった。 彼女は再度気を引き締め、努めていつもの表情をつくる。 「あら、高木君。ええ、今日はこれで帰るつもりよ。あなたも遅くまで頑張るわね」 「はは、僕は作業が遅いからで。 でも、僕も今日はこれで帰ります。だからもうちょっと待ってて下さい、佐藤さん」 「え?」 思わぬ相手の言葉に、デスクへと向かう後輩の後姿を目で追う。 「一緒に帰るつもりなの?」 「と言うより、一緒にこの時間でもやってる病院を探しましょう」 「なっ!?」 思わず一瞬、言葉に詰まった。 「どっ、どうして病院なの?」 「見ましたよ、ガラスの破片」 「え?」 「昼間のあの道に幾つか落ちてましたよね。だからあなたは、咄嗟に身を捩った。被疑者がガラスで怪我をしないように。そしてその時の拍子で、佐藤さんは足を捻った……そうでしょう?」 「……」 返す言葉がなかった。 確かに高木の言う通り。あの時――被疑者を背負い上げた時に、路上に落ちているガラスの破片に気付いた。このままでは男がその上に落ちることになる。そう思い、咄嗟に身を捩って男の落下位置を変えた。しかし突然の行動に身体がついていけず、右足が犠牲となったのだ。 思わず、ため息が零れた。 「……よくあの破片に気付いたわね。それに、私の足のことまで」 「何となく、歩く姿がいつもと違う気がしたんです。それに、今日は被疑者の連行も僕にやらせたじゃないですか。あれは、その足で連行する自信がなかったからでしょう?」 「何でもお見通し、ってわけか」 必死で隠していた自分が馬鹿みたいで、何となく脱力してしまう。 ―――でも、他の皆は気付かなかったのに……。 「お待たせしました。さ、病院に行きましょう」 荷物をまとめ終えたらしい高木が、鞄を持ってやってくる。 「でも……」 「でもなんて言ってる場合ですか?早く病院で診てもらわないと。本当は被疑者確保の後にスグ行ってもらいたかったんですけど、佐藤さんのことだから どうせ仕事が終わるまでは行かないだろうと思って、この時間まで待ってたんですからね」 「“どうせ”ってねぇ……」 完全不利の状況下で精一杯の悪態をついてみるが、効果はなく。 それどころか高木は、こちらに背を向けてしゃがみ込んだ。 「さ、どうぞ」 「どうぞって、まさか」 「背負いますよ」 「っ!?」 佐藤は瞠目して一歩退いた。 自分の頬が赤くなっていくのを自覚する。体中の血が顔に集まってくるようだ。 「じょっ、冗談じゃないわ!歩けるわよ、独りでも」 「わかってます。無理して普通に歩いてるところを、今日一日散々見せられましたからね。だからこそ言ってるんです。これ以上足に無茶をさせないで下さい」 「だからって」 「佐藤さん!」 顔は笑顔のまま。それでも高木の口調が、瞳が、有無を言わせぬ強さを放っていた。 「乗ってください。 ね?」 「……わかったわよ」 渋々、といった感じでその背に身を預ける。いきますよ、と高木が声をかけ立ち上がった。 周りの景色が一瞬ユラリと揺れる。次の瞬間には、いつもよりも高い位置に自身の視線があった。そのままゆったりと、周囲の景色が流れ出す。 背負われて初めて、高木の背中が案外広いことに気付き、思わず笑ってしまった。 「え?何です、急に?」 「んー?別に」 つくづく思う。 足の事が見抜かれてしまったのも、そう。 あの顔に抵抗しきれなかったのも、そう。 「高木君ってさ、妙な時に押しが強いわよね」 「へ?そ、そうですか?」 「そうよ。 ね、今度取調べの時にその表情使ってみたら?」 「ええ?無意識でしたから、自分がどんな顔してたかなんて覚えてませんよ」 結局のところ自分は、高木には敵わないのだ。 |
あとがき はい、ベタでした。(笑)他のみんなは気付かないのに、好きな人だけは変化や異変に気付いてくれる、というパターンです。ここぞという時にはキメてくれる高木さん、素直になれない佐藤さん。(笑) 「何を暢気に被疑者と語ってるんだ、高木刑事……」と、自分で書きながらつっこんでいました。(苦笑)みなさんもぜひつっこんでやってください。ふふふ。 |