ちっとも寂しくないと言えば、嘘になる。 記憶を取り戻す度、故郷を懐かしく思ってしまうのだから。 感傷と歓笑 「もう!兄様の意地悪!!」 自分の怒鳴った声で目が覚める。それだけでも随分と恥ずかしいものがあるが、その台詞の内容がこれで、しかも他者に聞かれたとあれば。その恥ずかしさは、何倍にも増幅する。 開いたばかりの視界に映った、キョトン、とした仲間の四つの顔に。サクラは瞬時に耳まで赤くなった。 「あっ!えっと、わたし、その……」 どう言い繕ったものかと、慌てて再び言葉を発すれば。今度は四人同時に小さく噴き出される。 「すみません、姫。寝惚けているだけだと分かっていたんですけど、ちょっと驚いてしまって」 「確かに。目覚めの第一声にしちゃ、凄かったな」 「サクラ、最っ高〜!」 「今度取り戻した記憶は、兄妹喧嘩か何かー?」 笑顔のファイから問われ、ようやく今の自分の状況を思い出す。自分はさっき、記憶の羽根を取り戻したばかりなのだと。 周囲を見渡せば、ここ数日で見慣れた宿の一室。おそらく、自分が目覚めるまで世界を移動せずに待っていてくれたのだろう。 「ええっと。喧嘩、というほどではないんですけど……」 あまりにも内容が子供っぽくて、少々気恥ずかしくもあったのだが、複数の期待の眼差しを受けてしまえば、語らないわけにはいかなくなる。 サクラはゆっくりと、今視たばかりの光景を思い返した。 まだ全ての記憶が戻っているわけではないのに、何となく、兄とのこの程度の言い合いは日常茶飯事だったような気がする。 『サクラが料理だぁ?』 城内の図書室で、手にした料理本と必死に睨めっこをしていると。何を読んでいるのかと覗き込んできた兄が、いかにもからかうようにそう言った。 『これは困った。明日はスコールだな』 『どういう意味、兄様!?わたしだってお料理ぐらいするもん!』 ぷうっと頬を膨らませて抗議しても、相手はちっとも聞いていない。自身の本来の目的であろう、政治論の棚から本を数冊引っ張り出しながら、こちらも見ずに問いかけてきた。 『明日の、雪兎の誕生日に向けてか?』 『!?』 あっさりと見抜かれ、少々驚く。 『う、うん。雪兎さんにはいつも優しくしてもらってるから、焼き菓子ぐらい作ってあげられたらと思って』 『成る程な。それで初めての料理に挑戦ってわけか』 パラパラと捲っていた本をパタン、と閉じ。それを小脇に抱えると、相手はこちらに歩み寄ってきた。 『ま、何でも挑戦してみるのはいいことだ。頑張れよ。味見ぐらいなら、俺もしてやる』 『兄様……』 すれ違い様に優しい笑みでポン、と頭に手を置かれ。「ありがとう」の言葉が喉まで出かかった……のだが。 一瞬にして、兄は再びその顔を意地の悪い笑みに変えた。 『何しろ、事前に毒味しておかないと、食べさせられる雪兎が哀れだからな』 『なっ!?』 あっという間に、心中から感謝の念は消え去り。 開いたままの扉へとスタスタ向かう背中に、大声で抗議する。 『ちょっと兄様!どういう意味っ!?』 『そうそう、あいつにも胃腸薬を用意しておくように言っておかないとな』 『〜〜〜っ!!』 もう!兄様の意地悪!! 「あはは。お兄さん、サクラちゃんのことがホントに大好きなんだねー」 夢で視た記憶を語り終えると、魔術師が開口一番にそう言った。 「そうでしょうか?だったら意地悪なこと言わないで欲しいです……」 もっと優しい言葉をかけてくれたっていいではないか。 何かというと、こんな風にからかわれたり、意地悪を言われ。その度に口喧嘩になり、父や雪兎から苦笑をもらうことも多々あった。 「じゃあサクラは、お兄ちゃんのこと嫌いだったの?」 「え?」 いつの間にかファイの肩に登ってきていたモコナが、小首を傾げながらそう尋ねてきて。 一瞬、鋭い何かで胸の真ん中を突かれたような錯覚に陥った。 「それ……は……」 一つずつ、浮かんでくる。 今までに取り戻してきた、懐かしい記憶が。 兄の、姿が。 「……確かに、わたしが物を失くした時には、一緒になって必死に探してくれたし」 『まったく、こんなところに置きっぱなしにしておくとはな。ほんとに抜けてるよなぁ、サクラは』 「わたしが転んで怪我した時には、城まで背負って帰ってくれたし」 『気にするな。俺は毎日鍛えてるから、サクラみたいな“大食漢”でも軽々なんだよ』 「意地悪なだけじゃないって……知って……」 その裏には、いつも優しさが秘められているのだと。 気が付くと、視界がすっかりぼやけていた。皆の顔が、涙で滲んでよく見えない。 一度懐かしいと思ってしまうと、もう止められなかった。次々に色んなことが浮かんでくる。砂漠の中の街並み。そこにある僅かな緑や水を愛しんで生活する、穏やかな街の人たち。そして、城での生活。 兄や雪兎は元気でいるだろうか。別れた時の記憶はまだ取り戻せていないが、自分がいなくなってどう思っているのだろう。 「大丈夫だよ、サクラ」 無意識のうちに両手を握り締めていたらしい。拳を形作ったままのその手に、ふわっとしたものが触れる。 我に返ると、小さくて白い生き物が、その手を重ねていた。 「サクラがお兄ちゃんたちのこと思ってるように、お兄ちゃんたちも、サクラのこといつも思ってる」 「モコちゃん……」 「それにね、侑子が言ってたの。一度結ばれた縁は消えないって」 モコナが微笑めば、腕組みをした黒鋼も、壁に寄り掛かったまま口を開く。 「家族やそれに近い存在なら、尚更だろ。家族ってのは、どんなに離れても、その関係は変わらねぇからな」 黒鋼より少し手前、ベッド脇に立つファイも、柔らかな笑顔で続けた。 「思わず意地悪したくなっちゃうぐらい、こーんなに可愛い妹なんだもん。お兄さんは今でも、サクラちゃんのこと、きっと大好きだよ。ねー、黒様―」 「俺に振るな」 サクラは、グッと両目を閉じた。そうしないと、また別の涙が出てきそうで。 本当に、温かい人たち。どうしてこんなにも、彼らは自分が欲しい言葉をくれるのだろう。 けれど、ここで泣いてはいけない。せっかく彼らが、自分が泣かないようにと気を遣ってくれているのだから。 すぐ傍で人の動く気配がして、彼女は目を開けた。隣にしゃがみ込んでいたのは、真摯で優しい光を放つ茶の瞳を持つ人。 「姫。王様も神官様も、きっとお元気ですよ」 止(とど)めとばかりにかけられたそれに。 涙目ながらも、少女は笑顔で応えた。 「うん。ありがとう」 ちっとも寂しくないと言えば、嘘になる。 記憶を取り戻す度、故郷を懐かしく思ってしまうのだから。 だけど、いつも寂しいわけじゃない。今の自分には、仲間がいる。 モコナに黒鋼、ファイ、そして小狼。 彼らは皆、家族とは違うけれど。それと同じくらい、温かくて、優しくて――大切な存在。 |
あとがき サクラちゃんは毎回羽根を取り戻す度に、当時の映像を視ているのですから、たまにはホームシックになることもあるんじゃないかな、と。そんな思いから出た話です。 当初は、サクラちゃんは小狼君のお弁当を作ろうとしていた…という案もあったのですが。そうすると、彼女の話を聞く小狼君がかなり辛くなってしまうので(泣)、雪兎さんとなりました。 桃矢兄様のキャラが掴みきれなかったのが、ちょっと心残りです……。 |