※この話は「NTロマンス07年Spring号」に掲載された「罪と罰」を拝読する前に書いたものです。よって、この話の内容はそちらの話と全く異なっており、完全捏造となっております。

 それでもいい、あるいは「罪と罰」を未読の方のみどうぞ。(07/03/14

 

 

 

 

「渋谷先輩!」

 愛用の自転車で下校中。懐かしいその呼び名に、有利はハンドブレーキを握った。

 ほんの少し胸が痛んだのは、きっと気のせいだ。

 

 

 決して失えないもの

 

 

「久しぶりだな、相沢」

 近くの公園の入り口に自転車をとめ、二人してベンチに腰を下ろした。

 声をかけてきたのは、二つ年下で同じ野球部だった「相沢 隆 (あいざわ たかし)」。有利が部を退部になった原因の事件で、有利に庇われた人物だ。

 笑いかける有利に、相沢は頭を下げた。

「先輩!あの時は本当に有難うございました!それから、俺のせいで先輩が退部することになって、本当にすみませんでした!!」

 公園中に響くんじゃないかという声で礼と謝罪を述べてくる。さすがは声出し必須の野球部。

 有利は慌てて両手を振った。

「ちょっ!?おいおい、声がでかいって!近所……じゃない、公園迷惑! それにまだそんなこと言ってんのか?いいって、もう一年以上前のことなんだから」

「でも、あの後 先輩すぐに退部して部にも来なくなるし、先輩のクラスに行ってもいつも不在だって言われるし。せめて卒業式の後はって思って、部の花束贈呈が終わってからすぐに探しましたけど、先輩はもう帰ってて……。ちゃんと先輩に言えたのって、あの事件の直後だけだったじゃないですか」

 俯き加減で言う相沢に、有利は黙る。

 

 実際、極力接触しないようにしていたのは事実だ。「相沢って一年が呼んでるぞ」。教室でそう言われる度、いないと言ってくれと伝えた。

 悪いのは相沢ではない。だが相沢はきっと、自分に会ったら謝るなり礼を言うなりしてくるのだろう。だから、会わないようにしていた。 ……当時は、そんな理由を自分の中に持っていた。だが、今は少し疑問に思う。本当に、彼を避けていた理由はそれだけだったのだろうかと。相沢に会ってあの事件を思い出すのが嫌だっただけではないか、と。

 卒業式の後もそうだった。母親に「ご馳走一杯作って待ってるから、早く帰ってくるのよ」と言われていたこともあるが、早々と帰った理由はそれだけではない。卒業式を終えて、部の後輩たちに囲まれ花束等を貰っている同級生を見るのが辛かった。部を途中で辞めた自分には、そんな相手もいなくて。

 

 目の前を、小学生たちが笑いながら駆けていった。あの頃の自分はもうすでに、その手にボールを握っていた。

上手いか下手かなんて関係なく、ただ純粋に、野球が大好きだった頃。

「……あれからどう?野球部」

 話題にするか否か散々迷っていたが、口にしてみると案外何ともなかった。流れた月日の偉大さを感じる。「時間が解決してくれる」という言葉は、存外侮れないものなのかもしれない。

「ウチの部ですか?だいぶ変わりましたよ。今年は結構上手い一年生も入ってきましたし、それに……監督も」

 “監督”と言う前の微妙な間に、有利は苦笑する。

「いいって。気にせず話せよ」

「……はい。 厳しいのは相変わらずですけど、あれから監督、少し態度が変わったというか。他校の生徒の前でけなしたり、無神経なこと言ったりはしなくなりました。本当に、渋谷先輩のお蔭です」

「よせよ。おれはただ単に短気だっただけだって」

「それでもあの時の先輩は、俺にとって正義の味方みたいでした」

 後輩の真剣な瞳を受け止めた途端、胸がチクリと痛んだ。

 今度は気のせいなんかじゃない。

 

 

本当ニ、ソウナノカ?

本当ニ、“後輩” ヤ “ちーむ” ノタメ?

 

 

「先輩は、高校では やってるんですか?」

「え?」

 我に返って、慌てて脳を動かす。

「何?やってる? あ、野球のことか。えーっと、まぁ、一応……ね」

 とりあえず頷いておいた。

実際は、内申書に事件のことが書かれているとかで、野球部に入部できなかった。でもそれは、相沢には聞かせる必要のない話だ。

 それに、野球をやっているのも嘘ではない。ただしそこは高校ではなく異世界で、しかもベースボール人口は自分と名付け親の二人だけだが。

「そうですか、今は野球やってるんですね。よかった〜」

 後輩は安心したように息を吐くと、不意に遠くを見るような目をする。

 辺りはもう、朱を闇が侵食し始めていた。

「……先輩。俺、実はあの事件の後、野球部辞めようかと思ったんです」

「え!?」

 驚きすぎて妙な声が出てしまった。相手に苦笑される。

「何で!?お前は全然悪くないって!」

「でも、いくら入部したばかりだからって、俺のしたミスがひどかったのは事実でしょう?」

 問われ、言葉に詰まる。否定できない。

 こんな時、あの名付け親のように気のきいた言葉が言えたらいいのに。

「それに正直、部にもしばらく居づらくて。監督にもどんな顔して会ったらいいのかわからなかったし。……ああ、違いますからね先輩。先輩のせいだとか言ってるわけじゃないですよ?俺はあの時のこと、本当に感謝してるんですから」

 有利に言葉を挟む隙を与えずに、相沢は語り続ける。

闇の侵食は止まることなく、公園には人の行き来もほとんどなくなった。もっと時間が経てば、今度はカップルが増え出すのだろうけど。

「とにかく、自分の力に自信はなくすわ、部にも居づらいわで、しばらく部活サボッちゃったんです。……でも、結局三日でダメでした」

 言って、相沢は笑った。

「気が付くと、部屋でボール握ってるんですよね。ほんと、自分でも呆れました。下手なくせに諦めが悪いというか。……でも、今は諦めが悪くてよかったって思います。失わずに済みましたから」

「失わずにって……何を?」

問えば、相沢は答えた。

瞳に強い色を湛えて。

「野球が好きだ、っていう気持ちです」

 傍から聞けば、何てクサイ台詞だろうと思うに違いない。

 だけど相沢のストレートな言葉は、有利の琴線に触れた。

「失わなくて本当によかったです。だって、失ったものを取り戻すことはできないけど、忘れていたものなら思い出せるじゃないですか」

 異世界で交わした、名付け親との会話が脳裏に蘇る。

 

『俺が訊きたいのはチームじゃなくて、野球をやめた理由だよ』

『野球をやめたのは……なんでだろ。自分でもはっきりとは説明できないな』

『じゃあ、まだ、やめてないんじゃないの?』

 

―――まだ、あの気持ちを失ってないんじゃないの?

 

 

 とうとう我慢できなくなり、有利は鞄を掴むと立ち上がった。

「先輩?」

「相沢、ホントに有難う。今日お前と話せてよかった」

「え?」

 不思議そうな後輩をベンチに残して走り出す。相沢には本当に申し訳ないが、今すぐ行動したかった。ただ何となく過ごしてしまったこの一年ちょっとを、少しでも早く取り戻したくて。

 ポケットを探って舌打ちする。そうだった、携帯はこの間の異世界移動で壊れてしまっていた。代わりに十円玉や百円玉を引っ張り出し、今では希少となった公園近くの公衆電話に駆け込む。

 薄暗い明かりの中、最近再会したばかりの元クラスメートの携帯番号を押した。

「もしもし、村田!?」

「何だ、渋谷か。どうしたの?興奮した声で」

「今度の土曜、暇か?」

「土曜日?今のところ空いてるけど」

「おれ野球するからさ、村田はマネージャーやってくんない?」

 はぁ?と受話器の奥から友人の怪訝そうな声。

「野球部にでも入ったのかい、渋谷?でも僕は他校の生徒なんだから……――」

「ちっがーう!高校野球じゃなくて、草野球!草野球チームを作るんだよっ!名前は『ダンディーライオンズ』!!」

 

 

 

 忘れていただけなんだと、そう思いたい。

 だってこれは、十年間もかけて おれが積み上げてきた気持ちなのだ。

 

『失ったものを取り戻すことはできないけど、

忘れていたものなら思い出せるじゃないですか』

 

 野球が好きで好きでたまらないという、この気持ち。

 おれの、決して失えないもの。

 

 

 

 

あとがき

 参考文献(?)は、「今日(マ)」、「今度(マ)」、そして、NTロマンス06年SUMMER号に掲載されていた「7月、海の日、晴れ。」。

 「7月〜…」に触発されて、有利の野球への想いを書いてみたくなりまして。その気持ちのまま書きました。

 色々と捏造やっちゃってますが、ご勘弁を〜。

 

追記 (07/03/15

 始めにも注意書きとして書きましたが、NTロマンス07Spring号掲載の「罪と罰」!有利が部活で庇った子の事が出てくるんですもの。その名も石野君。しかも部をお辞めになっていて……。拝読した瞬間、「しまったー!」と凹みました。(苦笑)

 まぁ、これはこれ、それはそれ、と広い心で受け止めていただけると幸いです。

 

 

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