それは、本当に何気ない言葉で。 「ファイさんの笑顔って、ほんとに素敵ですよね」 それを口にした少女にとっては、本心から出たものだった。 それでも。 「えー、そう?オレはヘラヘラしてて、何にも考えてないだけだよー?」 その言葉を向けられた魔術師本人は、複雑な思いだった。 自分の笑顔は、仮面でしかない。 以前、モコナにも似たようなことを言われた。自分は、心から笑っているわけではないと。 なのに、「素敵」だなんて。誤解されるにも程がある。 そんな自嘲気味の心理状態だったため、魔術師は気づかなかった。 無言でこちらをじっと睨みつけるように見ていた、真っ直ぐな紅の瞳に。 消える像・消えない事実 肌触りのいいブランケットを片手に、ファイは宿の一室を控えめにノックした。 「小狼君、サクラちゃんにこれ……――」 そっと押し開けた扉の先。広がった光景に、魔術師は慌てて口を閉じた。 ソファで眠っているのは、先程羽根を取り戻したばかりのサクラ。普段から羽根を得た後はしばらく眠ってしまうため、彼女がまだ寝ているであろうことはファイも予測済みだった。だからこそ、入室の際の動作にも気をつけたのだ。 だが、眠る少女の傍らには、もう一人、寝息を立てている人物がいた。それは、必死に少女の羽根を探し、眠りに落ちた彼女を一番ほっとした顔で見ていた、小狼。 「……安心したら、疲れが出ちゃったかな?」 起こすのも忍ばれて、魔術師は手にしていたブランケットを少女にかけると、少年には自身の着ていた上着を脱いでかけてやった。 開いたままの窓から、心地よい風が流れてくる。薄手のカーテンがふわりと舞い、降り注ぐ陽光は、眠る二人を優しく包み込む。 懐かしい記憶に、成し遂げた安堵感に、それぞれが幸せそうに微笑んでいるそれはまるで、一枚の絵のようだった。 「……いい夢を」 呟いて、サクラの顔にかかっている前髪を、ファイがそっと払い上げた時だった。 パシャッ! 突然走った白光に、一瞬目を細めた。驚いて顔を上げれば。 「黒様……」 いつの間にか、黒の忍が眉間に皺を刻んだまま
すぐ傍に立っていた。部屋の扉を開けっ放しにしていたとはいえ、気配を消すのが本当にうまい。 黒鋼が手にしていた光の発生源から、ペロンと一枚紙が出てきた。それを認めたファイが瞠目する。 「……写真、撮ったの?」 この国にとって一家に一台という存在。それが、このカメラだった。 この国のカメラは、撮影してすぐに写真が出てくる。最初は何も写っていない白紙だが、しばらくするとそこに像が浮かび上がってくるのだ。 モコナに言わせれば、インスタントカメラというものに似ているらしい。ただ、“似ている”というだけに違いもある。モコナの知るインスタント写真は、像がほぼ永久的に残るらしいが、この国の場合、完全な像は五つ数える程の間しか現れない。 大人が使う日常の品というよりは、子供のおもちゃに近い存在のようだった。けれど、宿の部屋にまで一台ずつ置かれているそれは、人々に大切にされている。 『永久的に像が残るだって?そんなものあるわけないだろう、何の意味があるんだ?永遠には存在しないからこそ、今この一瞬も、しっかり目に焼き付けておかなきゃならねぇんだ。カメラは、それを俺たちに教えてくれる』 それが、この国の人々の言い分だった。 「人の寝顔撮るなんて、あんまりいい趣味じゃないよー?黒りん」 魔術師はわざと、殊更明るい声でからかうように言った。 撮られたのが、サクラたちではなく自分だという自覚はあった。だが、分かっていても信じたくなかったのだ。 なのに目の前の男は、容赦なく首を横に振る。 「違う。目的は姫や小僧の寝顔じゃねぇ」 それはつまり、写真の目的は自分だった、と。 「……どうして?」 黒鋼の行為の意図が分からない。 問えば、相手は出てきた写真を引き抜き、自身の目の高さにかざした。まだほとんど白紙の状態であるのに、紅の瞳はそこに何かが写っているかのように、写真を鋭く射抜く。 「自覚させるためだ」 「自覚?何を?」 普段からそうだが、この忍は言葉が端的だった。そのため意味が捉え辛い時がある。 けれど相手は聞いているのかいないのか、突然視線をこちらに戻すと、独りで眺めていた写真をスッとこちらに差し出してきた。 「像が出てきたら、よく見ておけ」 「どうせ、ぼけーっとした間抜けな顔してるんでしょ?オレ」 自分はさっき、眠る二人の様子をただ眺めていただけなのだから。 質問に対する答えももらえず、少々膨れ気味にファイが言い返せば、相手は首を縦にも横にも振らなかった。 「いいから見ておけ。……この間姫が言っていたのは、このことだ」 「は?」 言っていたことって?と続けたかったが、黒鋼はファイに写真を押し付けると、さっさと背を向け部屋を出て行ってしまった。 「……自分の言いたいことだけ言って、行っちゃったよ……」 魔術師は、呆然とその後ろ姿を見送った。脳内は疑問符で埋め尽くされている。 一体黒鋼は、何を言いたかったのか。 手中の写真に視線を落とすと、徐々に像が浮かび上がっていた。 しばらくそれをぼんやりと眺めていた魔術師だったが、段々とその蒼い目が見開かれていく。 「オレ……こんな顔してたの……?」 完全に浮かび上がった像。そこには、穏やかに眠るサクラと小狼。そして、そんな彼らを眺めて幸せそうに微笑む――自分がいた。 あの時、笑っている自覚などなかった。 不意に脳裏に、少女と忍の男の言葉が蘇る。 『ファイさんの笑顔って、ほんとに素敵ですよね』 『この間姫が言っていたのは、このことだ』 まだ自分にも、こんな笑顔があったのか。 仮面でも、偽ものでもない、――“笑顔”が。 段々と像が消えていく写真を、魔術師は強く強く握り締めた。 「……ほーんと、黒たんって、お節介焼きだよねー」 小さく文句を呟いたその口は、その内容に反し、緩やかな弧を描いていて。 魔術師の手の中で、写真の像が静かに――消えた。 |
あとがき あんじぇ様へのお礼として捧げさせていただいた話です。リクは、「ファイ。笑顔のファイ。幸せそうに笑うファイ」でした。 “幸せそうに笑うファイさん”と聞いて最初に浮かんだのは、ドラゴンフライレースでのファイさんでした。優勝したサクラちゃんや小狼君を見詰めながら、変わったと呟くシーン。 桜都国では、笑っている時も別のことを考えているような状態(←モコナ談)だったかもしれませんが、今は心からの笑顔も出てきている…。でも、ファイさん本人はそれを自覚できるタイプの方ではないと思うので、ここはやっぱり黒鋼さんにご協力いただきました。(笑) こんな話でよければ、あんじぇ様、もらってやって下さい。そして本当に有難うございました!! 嬉しい追記♪ あんじぇ様が、快く受け取ってくださった上に、この話からイメージした笑顔のファイさんのイラストを描いてくださいました!素敵なイラストはこちら(←拙宅の頂き物部屋の一部にとびます。)。 |