「たっだいまー」

 そう言って此処に戻ってくるこの人を、俺はとても好ましく思う。

 

 

聞いてたか?

 

 

 眞魔国の東に位置するヴォルテール城。その敷地内のそのまた隅にある兵舎の一つに、この部屋はある。諜報部員の詰所だ。

 微かに軋む扉を開け、片手をヒラヒラさせながら入ってきた先輩に、俺は椅子から立ち上がった。

「グリエさん!おかえりなさい、お疲れ様でした」

 別段、任務を終えて戻ってきた際に「ただいま」と言う決まりなどない。けれど俺はこの言葉が結構好きだったりする。

この一言を言うにしろ言われるにしろ、それは自分が、そして相手が、生きて帰って来た証だ。職業柄、いつ命を落としてもおかしくない状況だからこそ、余計にそう思うのかもしれない。

 

 たった一人の出迎えの声に、そして自身でこの一室を見渡して、グリエさんは苦笑した。

「相変わらず人が少ないなぁ、此処は。詰所とは名ばかりだな」

「ええ、みんな出払ってて。特にここ最近は、あちこち妙な動きが多いですからね」

 確かにな、と頷きながら、先輩は担いでいた荷をドサリと床に降ろし、自身は椅子を引いて腰掛ける。

 青の瞳が俺を見上げた。

「お前はいつ戻ったんだ?」

「昨夜です。それより凄いですね、グリエさん!」

 俺も倣って腰を下ろしながら言うと、橙色の頭が「ん?」と傾げられる。

 自覚がないらしいその態度に、思わず俺は卓に両手をついて身を乗り出した。

「だって、まだ陛下とお会いしたばかりなのに、もう直々にご下命を受けてきたんでしょう!?」

 新魔王陛下が魔剣探索に向かわれたのが数日前。その非常時の護衛として選ばれたのが、このグリエさんだ。

 だが、陛下が無事に魔剣を携えてご帰還された際、グリエさんは一緒ではなかった。聞けば、陛下から直々に重要な任務を任されたという。

 陛下の護衛に任命されるだけでも凄いと思うのに、もう陛下ご自身からも信頼を得ているなんて。

 興奮気味の俺の声に、グリエさんは苦笑とも呆れともとれる顔をした。

「相変わらず情報が早いな」

「そりゃあ、他でもない、この国の陛下に関することですからね。あ、でもグリエさんの受けた任務の内容までは漏れていませんよ。大丈夫です」

「そりゃ当然だろ。そうじゃなきゃ困る」

 グリエさんが今度こそ苦笑する。

 諜報員同士、互いに大まかな任務は知っていても、その詳細までは必要でない限り踏み込んではいけない。それが暗黙の了解だ。情報を知る者が増えればその分、漏洩の可能性も高まる。

 

 乗り出していた身を戻した俺の視界に、自分の飲みかけのティーカップが映った。今更ながら気付いて、慌ててグリエさんの分の紅茶も準備する。「別にいいのに」と笑い含みの声があがったけれど、差し出せば「こりゃどーも」と口をつけてくれた。

「それにしてもほんと、凄いですよねー」

 再度先輩の向かいに腰を下ろし。呟くように先程の言葉を繰り返すと、グリエさんが喉の奥でククッと笑った。

「『羨ましい』って顔、してるな」

「え!?」

 思わず自分の顔を触ると、グリエさんがますます笑うものだから、俺は少々口を尖らせる。

「だっ、だって、羨ましくもなりますよ。そもそも自分等は本来、陛下に直接謁見するなんて可能性、ほとんど無いに等しいじゃないですか」

 影で動くのが仕事と言っても過言ではないだろう、この職種。陛下がその存在を認知することなく終わったとしてもおかしくはないとさえ思う。

「まぁ、確かにな。尊顔を拝したこともないのか?」

「いえ、自分は遠くから一度だけ。それに、お噂はかねがね。あんな麗しい双黒のお方が本当にこの世に存在するなんて、思ってもみませんでした」

 しかも、容姿だけではない。まだ王の地位につかれて間がないというのに、この国のために着々と動いて下さっている。今は故国にお戻りになられているようだが、早期帰還を望む声が後を絶たない。

そんなお方に見(まみ)えて存在を認知してもらえるだけでなく、信頼まで得るなんて、羨ましいと思うのはある意味当然ではなかろうか。

 

 その思いを告げると、「成る程ねぇ」などと言いながら、先輩はティーカップの中身を飲み干した。カチャリ、とソーサーとカップの立てる音が響く。

返事は真顔と共に返ってきた。

「けど、よく考えてみろ?非常時のためについて行ったオレの出る幕なんて、本来無い方がいいハズだ。違うか?」

「それは……」

 問われ、言葉に詰まる。

 確かに正しい。それはつまり、陛下の御身に不測の事態が起きたということなのだから。

「おまけにその引き金を引くのが陛下ご自身だってんだから、信じられないよなぁ」

 言って、グリエさんは頭の後ろで両手を組むと、椅子の背に寄り掛かった。天井に向かって、まだ微かに紅茶の香が残る息をこれでもかと吐く。

「人間の船上で魔力をお使いになるんだぜ?当然、魔族ってバレて捕らえられちゃうし。だからオレも、陛下の御前に出て行かざるを得なくなったってワケ」

 確かに陛下の御身に何事もなければ、女装なり何なり変装して陛下に接近することはあっても、「諜報部員のグリエ・ヨザック」として見(まみ)えることなどなかっただろう。

 けれど、陛下がそうして助けたのはカヴァルケードの要人だったらしく、開戦も間近と思われていたこの国との問題は消えうせた。

「おまけにせっかく苦労して手に入れて、使える状態にまでした魔剣を、わざわざ力の無いただの古い剣にされちまうし」

だがそれは、隣国が負けじと軍事力拡大をする事を防ぐためという、陛下の御意志だと聞いた。

それを裏付けるかのように、人間の国では今、魔族が魔剣を入手し損ねたという噂でもちきりだ。

「まぁ、お前も知ってるのはこのぐらいだろうけど、他にも色々とあってな。あーあ、ほんと困る」

 卓の向かいで肩を竦める先輩に、俺は疑問を抱いた。

 

グリエさんだって陛下の傍近くで動いていたのだから、自分なんかよりもずっと、全ての真意を知っているはずだ。なのに言葉だけ聞くとどこか、グリエさんは恐れ多くも陛下を貶しているようにさえ思える。こんなにハッキリと「困る」だなんて。

話を聞くだけとは違い、目の前で実際にそんな行動をとられれば、例え真意を理解していても我慢できなくなるものなのだろうか?――俺の尊敬する、グリエさんでも。

 

「おい、飲まないとどんどん冷めちまってるぞ?」とこちらのカップを指差してくる先輩に、俺は恐る恐る訊いてみた。極力小声で。

「あのー。グリエさんはもしかして、陛下のことがお嫌いなのですか?」

「は?」

湯気の消え去ったカップに向けられていた青い目が、俺を捉える。

先輩の顔全体が「呆れた」と俺に語っていた。

「何言ってんだ?お前、ちゃんとオレの話聞いてたか?」

 

 

嫌いじゃないから困ってんだよ。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 「困った。あんな前代未聞な行動にばかりでるような御方なのに、陛下を気に入っちゃってるよ、オレ」なヨザックの話でした。お庭番としてどうなんだ、という言動があるかと思いますが…大目に見てください。(苦笑)

 ちなみにこの後輩諜報部員さんですが、原作内に特にモデルはいません。結構若い、諜報部員では新前の部類に入る人…ってぐらいのイメージ。相変わらずの捏造です。ははは。

 

 

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