許してもらえるか否かなんて、関係ない。

自分が、どうしても謝りたかった。

――たとえ、そんなものはただの自己満足だと言われても。

 

 

杞憂

 

 

「ヨザック、非っ常−に申し訳ないんだけど……」

 グランツの若大将との試合の真っ最中。突然審判に一時中断を告げた陛下が、形の整った眉をもったいなく八の字に下げてオレに頼み事を持ってきた。

それは、とんでもなくお人よしで、武人としてのオレの立場はどーなんの、って話だったけど、とてもこの御方らしい頼み事で。

だから、目に留まった愛用中の斧の刃にこびり付いた雪を拭いながら、オレは何でもないことのようにあっさりと答えた。

「頭を下げる必要などない。オレはあなたの兵だ、どんな命令にでも従いますよ」

 ……まぁ、本音はやっぱり、思う存分グランツの旦那とやり合いたかったんだけどね。それこそ、叩き斬って、ぶった斬って、斬り捨てる勢いで。

 再開された試合でそんなことを思いながら、オレは弾き飛ばされていく自分の武器を眺めた。

 

 

 

どこまでも続く広い廊下を眺めながら、フリン・ギルビットは独り、壁にもたれかかった。

 

闘技場でマキシーンから助けてもらってからずっと、彼女はかなり高貴な人物と思われる美女・ツェリと行動を共にしていた。

しかし、もうすぐ懇親パーティーが催されると聞いた途端、

「あら!それなら早速着替えなくてはね!あなたもよ、フリン。自分のドレスはお持ちになって?無いのならあたくしのドレスを着るといいわ。そうね、とりあえずあたくしから先に着替えてもいいかしら?」

と、彼女に早口で一気にまくし立てられ。その勢いに気圧されるまま頷き、こうして今、廊下でツェリの着替えと化粧が終わるのを待っている。

 

「大佐……」

 小さく呟き、溜め息をついた。

 自らの夫、ノーマン・ギルビットの代わりとなってテンカブに出場した、クルーソー大佐……他の者たちからは「陛下」と呼ばれる少年。

 一見平凡で気弱そうにも見えるが、突然とてつもなく強大な力を発揮する。そして、自国カロリアを守るためとはいえ、そんな彼を大シマロンへ売ろうとした自分を助けてさえくれた。

 本当に、常識では考えられないひと。

 

 フリンはふと顔を上げた。ツェリがいる部屋とは別の部屋の扉が開いたからだ。

 そこから出てきたのは、綺麗な橙色の髪と深い青色の瞳を持つ男。

「あっ……」

 思わず声を漏らし、壁に付けていた背を離す。

 相手もこちらに気付いたらしく、ほんの少し眉をひそめた。その僅かな動作で、彼が自分に対してあまりよい感情を抱いていないことが分かる。……無理もないが。

それでも男は、自分の前を通り過ぎる時に会釈だけはした。臣下の無礼は主の指導力の無さを表す。そこのところをしっかりとわきまえているらしい。

「あの、グリエさん!」

 去っていこうとする背中に呼びかけた。男は、返事も振り返ることもせず、ただ立ち止まる。

 一応の会話の許可が出たと判断し、フリンは続けた。

「私のせいで試合に負けさせてしまって、本当にごめんなさい。……それから、助けてくれて有難う」

 背を向けたままの男から淡々とした声が返る。

「別にオレは陛下の命に従っただけだ。礼なら陛下に言って下さいよ。助けたのもオレじゃない、ツェリ様だ」

「ええ、もちろん大佐……あなたたちの陛下には、きちんと感謝の意と、ご迷惑をおかけしたことを詫びるつもりよ。ツェリ様にも、もう一度。でも、あなたにも言っておきたかったの」

 こんな思い、ただの自己満足なのかもしれない。

 それでも、言わなければならないと思う。

「あの男……マキシーンが言っていたわ。あなたは本当の武人だ、その武人が私なんかの首一つのために、計り知れない屈辱を受け入れようとしている……。悔しいけれど、こればっかりはあの男が正しいわ。私はあなたに、とても辛いことをさせてしまった。あなたの自尊心を傷つけた」

 言葉を向けた相手は、何も答えない。だが、この場を立ち去ることもしない。

「女に何が分かるって思うかもしれないけど、これでも武人は見慣れているの。父の荒っぽい仕事のお陰で、小さい頃から多くの武人を見てきたから、腕の良し悪しの見分け方は心得ているつもりよ。たとえワザとでも、敗者になることがどれほど屈辱的かも」

 彼に対する最初の印象は、ただの陽気な変態男だった。何しろ会って間もないのに、いきなり「これは自前のとっておき」と、襟を開いて女性用下着使用中の胸元を見せられたのだ。これで変態と思うなと言う方が無理がある。

 けれど。彼の立ち振る舞いを見ているうちに分かった。この男は、すこぶる腕がいい。

 動きに無駄が無いし、ふざけたことを言いながらその実、目では周囲の状況を常に把握している。陽気な笑顔の下で、いつでも次の行動を予測し、考えているようだった。

 彼が過去にどんな武勲を立てたかは自分のうかがい知れるものではないが、このグリエ・ヨザックという男が優れた武人であることは明らかだ。

「本当に、申し訳なく思っています」

 頭を下げた。

 こんなことで相手の気が済むのなら何度でも下げるけれど、そんな簡単なものではないと知っている。知っていて尚、こんなことしかできない自分は、何て無力で愚か。

 

「……嫌じゃなかったと言えば、嘘になる」

 突然降った男の言葉に、フリンは顔を上げる。

 相手は、こちらを向いていた。

「あの対戦相手とは色々と因縁があってね。今日で決着をつけたかったというのが本音だ。正直、何であんたは大人しく船で待っていなかったんだとも思った」

「……ごめんなさい」

 キリ、と微かに胸が痛む。

 俯きたくなるのを、必死で堪えた。ここで相手から目を逸らしてはいけない。それこそ、自分の罪から逃げることになる。

 しかし相手は、両手を頭の後ろで組むと、口調をガラリと変えた。

「だけどまぁ、いい長(おさ)ってのは、そういうもんなのかもしれないな」

「……。え?」

 思いもよらない言葉に、少し素っ頓狂な声が出る。

 男は微笑とも苦笑ともとれる顔をした。

「自国の名誉がかかっている。そうなれば、たとえ危険があると分かっていても、黙って待っていられない。……うちの陛下にも、そういうところがありましてね。『危険だからダメ』なんて言葉、あの方には通用しません。お陰で護衛はホント、大変」

 肩を竦めた男はしかし、ちっとも嫌そうな顔をしていなかった。むしろ、愉しげで。

「だけどあの方のそういう性格の結果、オレたちの国はよくなってきている。少しずつだが、確実に。だからきっと、あんたもいい領主なんだろうよ」

「……」

 何も、言葉が出なかった。泣かないようにするだけで必死だった。

 どうしてなんだろう、とぼんやり思う。ランベールの神殿でも、ダカスコスとサイズモアから、「悪い人間じゃない」と言われた。そして今度は、「いい領主」。

 彼らが“陛下”と呼んで大切にしている少年を敵国に売ろうとしたのは、紛れも無い自分なのに。彼らの試合の足を引っ張ったのも、自分なのに。どうして、こんな自分にそんな言葉をかけるのか。

 思いながら、フリンは自分で自分の思考を否定した。いいや、分かっている。臣下を見て主の良さが分かるのなら、その逆も言えるだろう。あの少年を支えている者たちが、悪い人間のはずがない。……“人間”という表現は、性格には当てはまらないのかもしれないが。

 

「ただし」

 相手の言葉に、我に返る。

 男の目には、真面目な色が戻っていた。

「陛下に再び仇なすようなことがあれば、オレは迷わずあんたを斬りますよ。あの方をがっかりさせるようなことだけは、しないでくれ」

「大丈夫」

 キッパリと即答する。それは、確固たる真実だから。

 少しでも誠意が伝わるよう、向かい合う青の瞳をしっかりと見返した。

「その心配はこの先無用よ。少なくとも、カロリアに関しては」

 獣のような鋭い視線が数秒、無言で注がれて。

 男が小さく笑った。

「成る程、杞憂に終わるってか?そりゃよかった」

 そのまま再び背を向けると、ヒラリと片手を振り、男は歩き出す。

 離れていくその背を見詰めていると、時宜を得たように、すぐ側の扉が開いた。

「フリン、お待たせしてごめんなさいね。さ、次はあなたの番よ。この衣装なんてどうかしら?早くいらして」

「はい、ツェリ様」

 応えて、もう一度廊下の奥へチラと視線を向ける。

 そこにはもう、橙色の髪をした男の姿は見当たらなかった。

 

 

 

 

 

あとがき

 フリンさんがヨザックに対して謝ったりお礼を言ったりするシーンを見たかったなぁ〜…という思いから、勝手に自分で捏造しちゃいました。(←うわー。)

 マニメではフリンさんに対して「お嬢さん」等と呼びかけ、紳士的なお庭番ですが、原作はいきなりセクハラでしたからね。登場シーンにかなりの大差。(笑)でもこのカロリア編は全体的に、マニメより原作の展開の方が管理人は好みだったりします。

 「杞憂」の語源を考えると、お庭番にこの言葉を使わせていいものかと迷いましたが、そこらへんはもう勘弁して下さいー。(苦笑)

 

 

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