拍手お礼G
(ツェツィーリエ+ヨザック)
ガサリ。揺れた樹の枝に、バルコニーで紅茶と菓子を味わっていたツェツィーリエは顔を上げた。
「一緒にお茶はいかが?ヨザック」
暫くの沈黙の後、ガサガサと揺れる樹の動きがツェリの眼下へと引き返してくる。枝の間から顔を出したのは、やはり橙色の髪。浮かべているあの表情は、苦笑だろうか。
「よくお気づきになりましたね」
「そんな鮮やかな橙色、そうそう見かけないもの」
そう言って微笑みかけると、相手は一層、苦笑らしきそれを深くした。
任務の報告を終えて、兵舎へと戻る途中だったという彼は。貴女の誘いを断れる男はいないと笑い、こうしてバルコニーへと上がってきた。言われてみれば確かに、今まで男性から誘いを断られたことは一度も無い気がする。
「久しぶりね。最近はなかなか見かけなくなって……。それだけ、グウェンと仲良くしてくれているってことかしら?」
自身の分と、ツェリの二杯目。丁寧に紅茶を淹れてくれる大きな手を眺めながら呟く。
剣ダコと細かな傷の残る手。自分の息子が命じる任務を、きちんとこなしてきた証拠だ。
「あははー、“仲良く”。まぁ、そんなところですかね。本当にご無沙汰しております、陛下」
「んもう、ツェリって呼んでっていつも言ってるでしょう?それに……」
ふと、無意識のうちにツェリは唇の端を上げていた。
これは果たして、笑っているのだろうか?少なくとも、男性たちが花や春の日差しに例えて褒めてくれるような、いつもの自分の笑顔ではない。
「知っているんでしょう?もう、あたくしを『陛下』と呼ぶ必要はないって」
こちらにカップを差し出していたヨザックの動きが、ほんの一瞬だけ、止まった。思わず小さく笑ってしまう。
「グウェンのお気に入りの貴方だもの、情報も早いに決まっているわ」
「それはまた、随分とオレを買ってくださっているようで。お褒めに与り光栄です」
本日二度目の苦笑を浮かべ、ヨザックが少し大げさに頭を下げた。「知らなかった」とハッキリ否定してこないということは、やはりそういうことなのだろう。彼のことは本当に、グウェンダルも信用しているから。知らない方がおかしい。
顔を上げた相手に、向かいの椅子に座るよう促す。失礼しますと腰を下ろし、ヨザックが紅茶を一口含んだ。
「今夜にでもすぐに、フォンクライスト卿たちが動き出すようですね」
「えぇ。コンラートも一緒に、兵を率いて新しい陛下を迎えに行くようよ」
正式にツェリの退位を発表するのは明日の朝だが、その日の昼にはもう、次の新しい魔王をこちらの世界に呼ぶことになっている。
“こちらの世界に呼ぶ”……そう、今度の王は、異世界から来るというのだ。
「どうして……なんでしょうね」
呟くような声に、ツェツィーリエはカップを持ち上げかけていた手を止めた。
相手は、自身の紅茶に視線を落としている。まるで、その表面に映る自分を見詰めるかのように。
「任務上、様々な国を見てきましたが、王はどこも世襲制が多い。なのに眞魔国はどうして……」
「眞王陛下がいらっしゃるから、でしょう?」
眞魔国民なら誰もが知っているであろう答えを口にした。“新しく王となる者は、眞王陛下が決める”。
けれど、ツェリも判っている。目の前の男が言いたいのは、そんな分かりきったことではないと。
「……グウェンダルに、王になってもらいたい?」
「……」
ヨザックは口元だけでただ笑うと、紅茶と共に言葉を呑み込んでしまった。
彼が、コンラートやグウェンダルのことを殊更信頼してくれているのは知っている。母親としてもそれは、とても喜ばしく、有り難いことだ。そして親バカでも何でもなく、グウェンダルならば王として充分にやっていけるだろうとも思う。
けれど。
「コンラートがね」
言いながら、ツェリはようやくカップを口へと運んだ。じわり、温かさと共に香りが広がる。
「さっき、あたくしへ労いの言葉をかけにきてくれたの。それから、新王陛下をお迎えに行くことも。その時のあの子ったら」
ふふ、と無意識のうちに笑ってしまった。
「本当に幸せそうな顔をしていたのよ」
そう時間は経っていない。鮮明に思い出せた。
ここ数年コンラートの表情は穏やかになってきていたが、それなど比べものにならない顔。
「ツェリ様が、やっと重い任から解放される。そう思ったんでしょう」
「それだけじゃないと思うわ。あの子はきっと、新しい魔王陛下にお逢いするのを心待ちにしているのよ。いいえ、もしかしたらどんな御方なのか、もう知っているのかもしれない」
そんなこと、眞王陛下でもなければ普通は有り得ないことだが。何故だかツェリは、そんな気がした。
そう思わせるほどに、さっきのコンラートは――。
「あの子があんな顔をして迎えに行くんだもの。大丈夫、新しい魔王陛下はきっと素晴らしい御方よ」
あたくしよりも、ずっと。
浮かんだその言葉は、口には出さなかった。今更そんなことを言っても、自分のしてきた事は変わらないから。
王としても母親としても、悔いていることは数えきれない。それは確かだが、そんな自分だからこそ、謝罪や自省で全てを無しにして、己のしたことの責任から逃げるような真似だけは、してはいけないのだ。――絶対に。
「そうであることを願います、心から」
ポツリ、と向かいから呟きが落ちる。
彼の握るカップには、もう紅茶は入っていなかった。
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★ツェリ様、真面目に仕上がり過ぎましたか?
でも、彼女が退位したのは、「自由恋愛旅行に出たい!」だけが理由じゃない…のではないかと思ったり、思わなかったり。(苦笑)戦後20年経ってというタイミングも、それこそ、グウェンダルがある程度政治において力が及ぶようになるのを待ってたんじゃないかなぁ、とか。
そして冒頭のお庭番、普通に歩いて兵舎に戻ればいいじゃん。(笑)違うんです、彼は暇さえあれば運動をして体を鍛えているんです!……おそらく。(苦笑)
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