まだ、知らない。

 

 

 リメリック隊の者達がなかなか使える存在であるという認識は、これまでにもグウェンダルは持っていた。だが、実際に配下にしてみて、その認識は少々変わった。「なかなか」ではない、「相当」使える。

 特に目立つのは、今目の前に立っている男だろう。ウェラー卿やフォンクライスト卿からも役立つだろうと太鼓判を捺されていただけのことはある。

 当初は、幼馴染の恐怖の追跡から逃がしてもらった借りのつもりで自分の配下に受け入れただけであったし、そもそもリメリック隊の希望者全員を受け入れるなどという予定外は、目の前の男に一杯食わされた結果でもある。

 だが今にしてみれば、あれは決して悪くない取引だったとグウェンダルは思う。

 

 

「よくここまで仕入れられたな」

 読み終えた報告書の束を軽く整え、机に下ろす。

 目の前の部下は、グウェンダルの思っていた以上の手土産を任地から持ち帰った。ちなみに、ここでいう手土産とはもちろん情報だ。決して可愛らしい子猫の小型人形ではない。

 ふと視線を上げれば、部下は目を丸くし、口も半開きにしてグウェンダルを見詰めていた。

「何だ、その顔は?頭が悪そうに見えるぞ」

「あぁ、いえ。閣下の口からそんなお褒めの言葉が出るとは思わなかったもので、つい」

「褒める?私はただ単に、感じたままを述べただけだ」

 事実この部下は、グウェンダルが探りを入れるよう命じた情報は勿論のこと、入手困難だろうと思われていた情報まで持ち帰ってきた。だからこその言葉。特に褒めたつもりはない。

 グウェンダルの返答に何を思ったのか、部下は嬉しそうにも困ったようにも見える顔で口元を緩めた。

「そうですか。それなら尚更、嬉しいお言葉ですね」

 意味がよくわからない。だが、それも当然かとグウェンダルは思い直す。何しろこの部下との付き合いは、数ヶ月前に始まったばかりなのだから。

 それに、グウェンダルがこの男を理解不能だと思ったのは、別に今が初めてではない。

「まぁ、せっかく閣下に拾っていただけましたからねぇ。例え微力でも、後悔させないぐらいの働きはするつもりですよ」

 さっきの複雑な表情はどこへやら、部下はコロッと態度を一変させてみせた。

 上司、特に貴族でもある自分に対しての言動としては少々軽さを感じるのが、この部下の珍しい点でもあり、難点でもあった。公の場など、ここぞという場面では正式な礼をとれることは既に確認済みであるし、任務遂行能力の高さも見込んで、普段は一応目を瞑るようにしているが。

 もっとも、年月が経てばこの部下の言動は更に砕けてくるのだが、それはまた別の話だ。

 

 そんなグウェンダルの気など当然知らないであろう部下は、喋る口を止めなかった。

「それに、久しぶりにドレスなんて着ちゃって、俄然やる気が出ましたしねぇ」

「……ドレス?」

 逆に、報告書を封筒に仕舞い直そうとしていたグウェンダルの手が止まった。

 参った、幻聴が現れるほど自分は仕事に根を詰めすぎていただろうか。そう思いながらの問い返しだったのだが、目の前の部下は「えぇ」と真顔で頷いてくる。どうやら幻聴ではなかったらしい。

 眉間の皺が深くなるのを自覚しながら、グウェンダルは一応訊いてみた。

「何故、お前がドレスを着る必要がある?」

「何故って、女装して潜入するために決まってるじゃないですか」

 相変わらずの真顔でサラリと言ってのけた部下を、グウェンダルはたっぷり10秒は眺めた。

「……女装、だと?」

「あれ?諜報じゃ結構使われる手段ですけど、閣下はご存知なかったんで?意外ですねぇ」

 心底驚いたと言わんばかりのそれに、思わずグウェンダルは椅子から立ち上がった。誤解も甚だしい。

「そうじゃない!女装が手段としてあることぐらいは知っている。だがそれは、もっと華奢で顔も中性的な、お前とは真逆の容姿の者が使う手段だろう!?」

「ひどっ!閣下、それはあんまりな偏見じゃありません!?筋肉自慢な男は女装しちゃいけないって仰るんですかぁー!?」

「違う!趣味でやる分には勝手にしろ、私の関知するところではない!だがな、任務は確実に遂行しなければならん。男が女装しているだけだと相手にバレたら、意味がないだろう!?」

「バレません、絶対にっ!」

 自信満々に言い切る部下に、グウェンダルは軽い眩暈を覚えた。

 

 しつこいようだが、確かに今回この部下が仕入れてきたのは、グウェンダルが入手不可能だと判断し、命じた任務内容にも盛り込まなかった程の情報だった。

 というのもそれは、男子禁制の場でしか入手できない情報だったからだ。そこは、給仕から兵士に至るまで皆、女性のみ。よって、変装しての潜入捜査は無理だろうと判断したのだ。

 それを見事こなしてきたこの男は、一体どんな手段を使ったのかと思っていたが、まさかこともあろうに女装とは。

 

「てっきり天井裏か何かに潜んで盗聴したのかと……」

 椅子に沈み、呻くように呟けば、「あぁ」と部下が頷く。

「まぁ確かに、天井裏はお庭番の定番ですけど、今回のあの建物は構造上、潜めるような天井裏なんて無かったですし」

 あぁそうか、と頷く気力さえ既に無くしたグウェンダルは、一応確認だけする。

「じゃあつまりお前は、今後も必要になれば任務で女装もするわけだな?」

「えぇ、勿論。……って、閣下。そんな不安そうな顔しなくても大丈夫ですって。グリ江になる時は、見た目だけじゃなく、心もすっかり純粋な乙女仕様になりますから、変装として完璧です!」

 小首を傾げ、バチン、とウィンクまで投げられた。今は女装などしていないのに、つい、ゴツい部下の女装姿を想像してしまい、瞬間的にグウェンダルの背筋に悪寒が走る。

 あぁ、けれどよくよく思い返してみれば、初めてこの男と会った時にも、グリ江とやらの片鱗を見たような気がしないでもない。今の今まで記憶の彼方へ葬り去っていたけれど。

 

 自分なら絶対にこの部下の女装には気づくと思うのだが、意外と世の中の目は緩く設定されているのだろうか。

 受け止めきれない現実に負けじと、グウェンダルが無理やり溜息を呑みこんでいると、「それに」と部下が呟いた。

 ふと見上げれば、自分よりも明るい青の目が、どこか遠くを見るように細められていて。

「もし最悪バレてとっ捕まりでもしたら、その時は国の情報吐かされる前に自分で自分の首斬る覚悟ぐらいできてますから、ご心配な……――」

「グリエ」

 

 気付いた時には既に、自分でも驚くほどの低く鋭い声が出ていた。

 

 

 

 

 さっきまでの、驚きや苦悶といったコロコロ変わる面白百面相はどこへやら。執務机に座ったままの上司は、ひどく真面目な顔でヨザックを見上げてきた。

 それは紛れもなく、誰もが恐れ、けれど敬愛し付いていこうと思う、『フォンヴォルテール卿』の顔。

「忘れたか?私はお前に言ったはずだ。お前たちには将来、国の兵となり、魔族の盾となって、戦場に赴いてもらうと」

 いつにも増して低く、けれど通る声だった。

 初めて出会った時にも思ったが、この男の声は戦場でもよく通るだろう。聞き慣れた幼馴染のそれとは違う響きで、きっと。

「少なくとも、それまでは死ぬな――と?」

 応えてみるが、返事は無い。ただ、無言で見詰められる。

 だからヨザックは、更に畳みかけてみた。少々意地悪く。

「閣下。そうなると、もしとっ捕まった時は、自分の命優先で、眞魔国の情報は相手に流してもいいってことになっちまいますが?」

 すると今度は、相手もニヤリと口角を上げた。こんな表情もするのか、とヨザックは少し驚く。初めて見るが、こんな顔も嫌いではない。

 もっとも、嫌な予感も抱かせる表情だが。

「いいや、違うな。そもそも、捕まるなどという失態を犯さなければいいだけの話だ」

「あぁ、成る程。それは確かに」

 やられた、とヨザックは内心だけで苦笑した。反撃ついでに、失敗は許さないとプレッシャーまでかけられてしまうとは。

 どうやらこの上司は、短い付き合いでは己のことを掴ませてくれそうにない。フォンヴォルテール卿という男の心の底は、そう簡単に覗けはしないようだ。

 けれどそれは、ヨザックにしてみれば仕えがいがあるというものだ。あの幼馴染の隊長の下から離れたのだ、それぐらいのひとが上司になってくれなければ割に合わない。

 

 ――あの時出会ったのがこのひとで、本当に良かった。

 

 ヨザックは緩く微笑むと、目の前の上官に向かって礼をとった。

「分かりました、閣下。努力します」

 

 

 

 

 この時はまだ、ヨザックは知らなかった。

 グウェンダルの言葉には、そのままの意味に加え、もう一つ意味が隠されていたということに。

 

『忘れたか?私はお前に言ったはずだ。お前たちには将来、国の兵となり、魔族の盾となって、戦場に赴いてもらうと』

『少なくとも、それまでは死ぬな――と?』

 

 それだけではなく、ただ純粋に、部下の身を想っての言葉でもあるということに。

 

 

 この強面で冷静で、時には冷酷ささえ感じる男の言動に秘められた優しさをヨザックが見抜けるようになるのは、まだ少し、先の話。

 

 

 

 

あとがき

 お庭番の女装を初めて知った時、グウェンは衝撃だっただろうなぁ…と思い。(笑)そこから話を膨らませてみました。

 まだヨザックがグウェンダルの部下になって間もない頃なので、お互い、今ほど気易くはないし、相手のことも深いところはまだ理解できていない。そんなイメージで書きました。時期的には一応、「迷ううちに花は」の数カ月後、と想定しています。

 

 

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