正義って、善意って、何なんだろう? それまで明確に持てていたはずの答えが、急に判らなくなった。 見えなくなった二文字 その日おれは、珍しく夜のテレビ番組を見ていた。 内容はまぁ、よくある「知られざる 歴史上の人物の真実!」みたいなもので、内容よりもゲストにおれの好きな野球選手が出るから見ていただけだった。 だけど、その番組内で出てきた言葉に、おれは思わず息を呑んだ。 “地獄への道は 正義と善意でしきつめられている。” その時に取り上げられていたのは、徳川綱吉。犬を始め、生き物に対する極端な愛護令「生類憐れみの令」を出して惨憺(さんたん)たる結果を招き、非難ごうごうになった人物だ。これぐらいまでのことは、一応おれも知ってる。 綱吉が「生類憐れみの令」を出した理由として一般的なものは、迷信を信じたから、とうものらしい。隆光とかいう坊さんに、 「あなたに子供ができないのは、前世に殺生をした報いです。だから生き物を憐れんで、殺さないようにしなさい。とくにあなたは犬年生まれですから、犬を大事にするとよいでしょう」 と言われ、その迷信を信じて、「生類憐れみの令」を出したのだ、と。 だけど番組に言わせれば、それは信用できないらしい。綱吉は隆光と知り合う前に、既に「生類憐れみの令」の前触れになる指示を行っている、と。 それに彼は、民にそれを強いるだけでなく、自身も率先してその考え方を実行していたそうだ。城での調理に鳥類・貝類・エビなどを使わせなかったり、将軍や大名の間で流行っていた「鷹狩り」もきっぱりとやめたり……。 結論としては、学問好きで潔癖だった綱吉はもともと殺生が嫌いで、仏教に出てくる「生き物を憐れむことの大切さ」を人々に広めたい、という善意や正義から「生類憐れみの令」は生まれた……ということだった。 そしてこの話を締めくくったのが、さっきの言葉だ。 “地獄への道は 正義と善意でしきつめられている。” いくら自分が「正義だ」、「善意だ」と思うことでも、相手のことを考えなければとんでもない結果になる。かえって相手が困ることにもなりうるのだ、と。 おれの脳裏に真っ先に浮かんだのは、スヴェレラでのことだった。 魔族や妻子もちの男性と契った女性を収容して法石を掘らせていた洞窟を、おれが怒りに任せて崩し。そこに埋まっていた魔笛も持っていった。収容されていた人たちを解放することはできたけど、その時の影響でスヴェレラでは法石が出なくなり、失業者が出た。 ヒルドヤードの歓楽郷で出会ったイズラたちは、そんな失業者の一部で、出稼ぎのようにして親元を離れて娼婦をしていた。おれがろくに考えもせず、スヴェレラで馬鹿をやった結果が、彼女たちのその運命を決めたのだ。 あの時どうやって洞窟を崩したのかは覚えていないけれど、名付け親の話によれば、その時に限らずいつも、おれは魔力の使用時に正義の文字をどこかしらに浮かべているらしい。……そう、「正義」を。 そう考えだすとキリが無い。 血盟城の壁の塗り直しに金箔を使うという慣例も、おれは税金の無駄遣いだと辞めさせた。だけどそれは、金箔を造ったり、それを使って塗り直したりする職人さんにとっては、お得意先を一つ失ったことになる。 おれが散々眞魔国で反対している戦争だって、経験したことのあるおれのじいちゃんに言わせれば「正義がもとになって始まる」らしい。 ひとは、自分のために殺人をするとしてもせいぜい十人ぐらいしか殺せないだろうが、「正義」のためになら何千人、何万人でも人を殺すのだと。 まるで、それまで自分の信じていたものが、足元から音を立てて崩れていくようだった。 いや、本当は、少し前から迷いがあったようにも思う。 今まで散々、正義正義と主張してきたけれど。 正義って?善意って? 誰から見ても「善い」と判断されることなんて、世の中にあるのだろうか? 一年前のあの事件だって……――。 「……ちゃん。ゆーちゃん!」 「え?」 耳元で大声を出され、おれは我に返った。振り返れば、怪訝そうにしたおふくろの顔が目に映る。 「『え?』じゃないわよ、どうしたの?ゆーちゃんが珍しく恋愛ドラマなんか見てるから、ママてっきりゆーちゃんにもようやく春がきたのかと思って訊いてみれば、ぜーんぜん反応が無いんだもの」 「ドラマ?」 言われて画面を見れば、楽しそうに笑いあっている男女が映っている。時計の針を見れば、番組が終わって五分近く経っていた。 それに気付かないくらい考え込んでいたということか。肝心な野球選手のトークさえ、記憶が曖昧だ。 「……ねぇ、おふくろ」 「ママでしょ、ゆーちゃん」 返ってくるお決まりの文句。いつもはウンザリするのに、今日は何故か、変わらないことにホッとした。 「前に言ってたよな。おれは、我を忘れた状態になっても、正義の二文字だけは守るって」 「あぁ、野球部の監督さんに?ええ、言ったわね。もう一年くらい経つかしら」 「どうして、おれのやることは『正義』だって言えたの?行動の善悪なんて、それを判断する人によって変わってくるもんなんじゃねーの?」 おれがあの時 監督から庇った石野は、しばらくして野球部を辞めたらしい。辞める前も、練習中に弱音を吐くたび、周囲からおれの名を出されたらしい。 石野にとっておれのあの時の行動は、善だったのか、悪だったのか。 息子からの突然の真面目な問いに、おふくろは驚いた風も悩む素振りも見せなかった。 「それはもちろん、ママはゆーちゃんのママですからね。息子の行動を正しいと思うのは当然でしょ?親が子を信じなくてどうするの」 あっさりと即答で返されたそれに。思わず笑ってしまった。 「そっか。……サンキュ」 小さく礼を言って、テレビの前から立ち上がる。自分の部屋に向かおうとするおれの背中を、おふくろの声が追いかけてきた。 「ゆーちゃんは思ってないの?自分のやったことは正義だって」 一瞬だけ、足を止める。何となく、おふくろの方を振り返れなかった。 「どうかな……わからないや」 昔なら、迷わず答えていただろうけど。 |
あとがき 「今日(マ)」「今夜(マ)」「明日(マ)」「今日(マ)!?」「NTロマンス07年SPRING号」を参考に。あちこちからちょこちょことネタを引っ張ってきちゃいました。話の時期的には、「明日(マ)」より後なのは確実です。 今回は珍しく曖昧に終わってみました。はっきりと答えを示さない方が、シリアスにはいいような気がしたので。メインも有利ですので、極力それ以外のキャラは出さないようにしました。 テレビ番組は私の捏造ですが、綱吉の件は大学の講義でやったものです。(歴史嫌いの方、いらっしゃったらごめんなさい…!) さて、一周年の御礼ということで、この話はフリーとなっております。こんな独特の話でよければ、もらってやって下さいませ。一周年、本当に有難うございました。 |