「絶対、絶対、内緒だよ?」

まだ少し潤んだままの小さな瞳に、ヨザックは頷いた。

いや、そうするしかなかった。

「わかってますよ、姫様」

 

 

短いからこそ

 

 

 お庭番がその小さな少女に呼び止められたのは、上司閣下に報告を終えて部屋を退出したときだった。

 元々彼が編みぐるみ閣下の部屋に入った時にいた先客が、この少女・グレタだったのだが、秘密裏の報告の場に彼女をおいておくわけにもいかず、一旦退出してもらったのだ。

「すみませんでした、姫様。もう閣下との話は終わったので」

 廊下に立っていた少女に笑いかけ、自分は自室に戻ろうとすると。グレタにクイッ、と服の裾を掴まれる。

「? どうしました?」

「ヨザック、今、暇?」

 暇かと訊かれれば答えは否、だ。これでも色々とやることは残っていた。だが、早急にやらなければならない事項ではない。

 何より、少女の言葉が気になった。普段の何気ない会話では、「グリ江ちゃん」と呼ばれることの方が多かったが、今は「ヨザック」と呼ばれた。見上げてくる表情にも、笑顔は無い。どちらかといえば硬いぐらいだ。

 ヨザックはこの少女につきあうことを決めた。

「ええ、大丈夫ですよ。何か御用ですか?」

「じゃあ、ちょっとグレタの部屋に来て。みんなには聞かれたくないの」

 言うと、少女はお庭番の手を引いて歩き出す。

 他の者には聞かれたくない話とは、一体何だろうか。

 先を行く少女の揺れる赤茶の髪を見詰めながら思考を巡らせてみたが、それらしき答えは見つからなかった。

 

 

 

自室に入ったグレタは、扉の間から首だけを出してキョロキョロと廊下の左右を確認して後、扉を閉めた。子供なりに慎重をきしているようだ。

少女はこちらを向くと、

「どこでも座っていいよ」

と言って、自分はベッドの淵にちょこんと腰掛けた。お庭番は部屋に置かれた長椅子にチラリと視線を向けたが、ベッドの少女とかなり距離があったため、立ったままでいることにする。

ヨザックが少女に視線を注ぐと、グレタがゆっくりと話し出した。

「あの……ね。グレタは、悪い子……なの。『おやふこー』なの」

「親不孝?姫様が?」

 意外な言葉に、お庭番は小首を傾げる。

「どうしてです?誰もそんなこと思ってやしませんよ。姫様は充分いい子です。陛下たちもそう仰ってるでしょう?」

「今は違っても、将来はそうなるの!グレタは『おやふこー』な子になっちゃうのっ!」

 強い口調で睨みつけるようにこちらを見上げてくる少女の目には、薄っすらと透明な液体が浮かんでいた。

 ヨザックは少女と視線を合わせるべく、しゃがみこむ。

「……どうしてそう思うんです?」

 問えば、グレタは俯いて自身の拳で涙を拭った。

「だって……親より先に死んじゃう子は、『おやふこー』なんでしょ?」

 虚を衝かれた。一瞬思考を巡らせ、ようやく少女の言いたいことに行き着く。

 つまり、人間の方が魔族よりも寿命が短い……と。

「グレタね、知らなかったの。魔族の方が長生きだって。ヴォルフが八十二歳だって聞いて、びっくりしたの。コンラッドも百歳越えてるんだって聞いた。ヨザックもでしょ?」

 問われ、無言で頷く。今はまだ、少女の拙い、けれど必死な言葉を遮ってはいけないと思った。

「ユーリもね、今は十六歳だけど、みんなみたいに長生きするって。だけどグレタは人間だから……みんなみたいに長生きできないの」

 ぎゅっ、と少女の小さな手が握られる。せっかくの可愛らしい服に皺が寄った。

「人間の国ではね、よく言われてたの。親よりも先に死んじゃうのはおやふこーだから、親より長生きするんだよって。だけど、グレタは……」

 とうとう耐えられなくなったのか。少女が両目を閉じると同時、雫がポタリと落ちる。

 歯を食いしばって必死に泣くまいとするグレタの頭に、お庭番の大きな手がそっとのせられた。

「親不孝ってのは……そんなに単純なもんですかねぇ?」

「……?」

 潤んだ瞳で見つめられる。自分の上司閣下が見たらイチコロだろう。

「オレは、色んな所で生活してきましたからねぇ。その分、色んな奴を見てきました。人間も、魔族も、どちらの血も混ざった者も。……そして、親より先に死んじまった子も」

「!?」

 少女が瞠目する。

 ベッドから飛び降り、こちらに詰め寄ってきた。

「その時、その子のおとーさまたちは怒ってた?悲しんでた?」

 お庭番は薄く微笑み、頭(かぶり)を振る。

「どちらでもありません。その両親はこう言っていました」

 

『この子と過ごした時間は短かったけど、本当に幸せな時間だった。この子のおかげで、幸せな思い出ができたわ』

 

「……姫様は、この子が親不孝な子だと思いますか?」

 少女は暫し沈黙し、そして黙ったまま首を横に振った。

「でしょう?逆に、世の通例通り親が先に死ぬ場合も見ましたが、必ずしも幸せそうだったかといえば、そうじゃない。そいつの子は、かなりの悪(わる)でしてね。その親は、最期まで子供のことに悩まされてましたよ」

 黙ったまま話を聞くグレタの目は、真剣そのもので。ヨザックは内心、少し苦笑した。

 こういう真面目な話は、どちらかといえば得意ではない。どこかで道化て終わらせようかとも思っていたが、さすがのヨザックも この空気でふざける気は起こらなかった。

「親より先に死ぬかどうかなんて、親不孝に関係ありません。一緒に過ごした時間で、どれだけ思い出をつくれたかが重要なんじゃないですか?楽しかったことも、悲しかったことも、最後にはいい思い出になるものです。だから……」

 きつく握り締めたままの少女の両手を取り、ゆっくりと開かせる。

 そして代わりに、自分がグレタの手を握った。

「陛下やヴォルフラム閣下と……皆と過ごせる時間が短いと思うのなら、尚更、たくさん陛下たちと接して下さい。少しでも多くの思い出をつくって下さい。そうすれば、たとえ姫様が先にお亡くなりになっても、陛下たちはたくさんあなたのことを思い出せます。寂しくない。……それは充分、親孝行になります」

「……うん。わかった」

 こくり、と少女が頷く。ようやくその顔に、笑顔が戻った。

 と、少女がふとこちらを見上げる。

「ねぇ、グリ江ちゃん」

「何です?」

 呼び名も元に戻り、少し安心しながら尋ねる。

「今グレタが言ったこと、おとーさまたちには…――」

「ええ、わかってます。言いませんよ」

「よかった〜。 グリ江ちゃんはお庭番だから、きっと誰にも内緒にしてくれると思ったの」

 相手の意を汲んで応えれば、そんな言葉が返ってきた。

 なるほど、この少女が自分を相談役に選んだ理由はそれか。なかなか子供なりに考えていたらしい。

「ほんとに有難う、グリ江ちゃん」

 にこりと微笑み、少女が部屋の扉に向かう。本来ならば、この部屋の主が退出するのだから自分もそれに付き従うべきだが、ヨザックはあえて動かなかった。

 扉を開き出て行きかけたグレタが、足を止めて再度念を押す。

「絶対、絶対、内緒だよ?」

 振り返った まだ少し潤んだままの小さな瞳に、ヨザックは頷いた。

 いや、そうするしかなかった。

「わかってますよ、姫様」

 頷けば、少女は安心したように微笑み。パタパタと小さな足音を立てて廊下を駆けていった。

 

 

 その音が聞こえなくなるのを待って。

「……いつまでそうしてるんです?坊ちゃん方」

開かれたままの扉に向かって問いかければ。扉の影から二つの顔が覗く。

「な、なんだ。気付いてたの、ヨザック」

「お前が情けなく泣くからだぞ、ユーリ」

「ヴォルフだって泣いてただろ!?」

「なっ、何を言っている!?あれは別に…――」

「やーねぇ。二人とも立ち聞きだなんて」

 いつもの終わりの無い痴話げんかが始まる気配を察知し、お庭番がふざけた口調で割って入る。

 すかさず二人分の視線がこちらに向く。

「そっ、それは」

「グリエがグレタと二人だけで部屋に入っていけば、親として娘の身が心配になるだろう?」

「……って、ヴォルフが言うから、おれもつい不安に」

「ひっどいわぁ、坊ちゃん方。オレがグレタ姫に手を出すわけないでしょー?」

 一人はゴメンと謝り、一人はフンと鼻を鳴らした。

「でも……そういうことみたいですよ」

 お庭番が真面目な声音に戻れば。二人も居住まいを正した。

「うん……。グレタに、辛い思いさせてたんだな」

「最近、ぼくたちにも少しよそよそしかったしな」

 子供は子供なりに、何かしら悩んでいる。

 その小さな身体には不似合いなほどに、大きなものを抱えて。

「強いですね。坊ちゃん方の娘は」

 気が付けば、本音が零れた。

 目の前の二人が、それぞれの笑みを浮かべる。

「当然だ。誰の子だと思っている?ぼくとユーリの子だぞ」

「えーっと、当然かどうかは分かんないけど……。でも、おれもほんとにそう思う。グレタは強い」

 そこで、会話は途切れる。遠くから、少女独特の高い声が響いてきたからだ。

 

『ユーリー!ヴォルフラムー!どこー?』

 

「呼ばれてますよ、お二人さん」

 ニヤ、と笑って促せば。

「行くか、ユーリ」

「ああ。一緒に過ごせるうちに、たくさん遊んでおかないとな」

 グレタにもまた、多くの思い出を残してあげられるように。

 

 連れだって部屋を出て行く婚約者二人から少し距離をおいて。お庭番も今度は足を動かした。

 振り返って部屋の扉を閉める瞬間、視界の隅に絵がひっかかる。

 子供が描いたらしきその絵には、全身真っ黒の人物と、青い服に金髪の人物。そしてその間には、背の低い、赤茶の髪をした子供がいた。

似ている似ていないの評価は付けがたいが、どの顔も楽しそうに笑っていて。

お庭番もつられるように小さく笑い、静かに扉を閉めた。

 

 

 

 

 

あとがき

 何だかお庭番が別人になってしまったような気も。(苦笑)

 これは、魔族と人間の違い等について考えてみた時に浮かんだ話なのですが。この話で書いている親不孝云々は、あくまで一つの考え方であって、お庭番が語っているような考え方が必ずしも正しいとは限らないと思います。こういうものに対する考え方は、人それぞれあると思いますので。そのうえで、「まぁ、こんな考え方も有りかなぁ」ぐらいに思っていただければ幸いです。

 

 

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