未来永劫、伝えない

 

 

「あ〜あ、派手にやってくれましたねぇ、陛下」

甲板に飛び散った硝子の破片と少々壊れた船室の窓枠を見ながら、ヨザックは軽く息をついた。

船室の方にいる村田も、中からこちらを見て頷く。

「ほんとだよねぇ。ドゥーガルドの人たちが見たら泣くね、きっと」

「というか、もう泣いてる人もいますけどねー」

 お庭番が苦笑まじりに見やった先。

 熱い海の男、サイズモアは、すでに涙目になっていた。自分の船ではないとはいえ、やはり船が傷つくのは忍びないようだ。

「うわー、もうほんと、弁解のしようもありまセン。考えなしな奴でスミマセン……」

マスクマンとしての役目を終え、仮面をはずした有利は、小さくなりながら謝った。その体の所々には、船室からの脱出時にできた軽い擦り傷や切り傷がいくつもある。

それを認めた魔王の婚約者の美少年は、すぐに有利の腕を掴んだ。

「何だ、この情けない傷は。来い、ユーリ!ぼくが医務室で手当てしてやる」

「えぇっ!?お前手当てなんかできるのかよ?っていうか、その前におれ、ここ片付けないと……――」

「あぁ、それはオレがやっときますよ、陛下。こういう作業は得意ですから。陛下は心おきなく、閣下の愛の治療を受けてきて下さいな」

「だからヨザック。そーいう誤解を生む発言はやめろってば」

今にも三男に引きずられそうになる有利だが、その奥に佇む人物を見て踏みとどまった。

「あーっと、ちょっと待て、ヴォルフ。……なぁ、フリン。一緒に医務室に行かないか?」

立ち尽くしたままのフリンに、声をかける。女性の責任者では航行は認められないと言われたことが、やはりショックだったようだ。おまけにマスクマンの有利が現れた途端、あっさりと通過の許可が下りたことが、彼女のショックに更なる追い討ちをかけたらしい。

フリンはゆっくりと顔を上げ、そして首を振った。

「いいえ、私は大丈夫。部屋に……戻ってるわ」

それだけ言うと、おぼつかない足取りでフラつきながら歩き出す。

「えっ、ちょっと、フリン!危ないって、そんなんじゃ…――」

「ユーリ!お前は手当てがあるだろう!こっちに来い!」

「えぇ?あ―……、じゃあ、サイズモアさん。フリンを船室まで送り届けてあげてくれないかな?あれじゃ心配だから」

ヴォルフラムの有無を言わせぬ眼光に諦めたのか、有利は未だ泣いているサイズモアに指示を出した。彼を、少しでも早くこの現場から離れさせてあげようと思ったらしい。

「ばっ、ばい!わがりまじた、べーか」

 魔王直々の御指名を受けたサイズモアは、海の猛者としての意地なのか、必死に鼻水だけは垂らさないようにしていた。しかし、そのために鼻声になり、何を言いたいのかさっぱりだ。

 

こうして、有利はヴォルフラムに引きずられ、フリンとサイズモアはどんよりモードで、ダカスコスは修理の材料探しにと、それぞれが散っていき、その場にはヨザックと村田だけが残った。

 

 

「僕も手伝おうか?」

船室から声をかけてくる村田に、ヨザックは片手を振る。

「いーえ、猊下にはこんなことさせられませんよ。それより、そっちにも少し硝子が散ってるみたいですから、お怪我をされないようにお気をつけ下さいね?」

「わかった。じゃあ、ここで修理の見学をさせてもらうよ」

あっさりと頷くと、村田は手近な椅子を引き寄せ腰掛けてしまった。

ヨザックは内心ホッとする。もしこれが、あのお人好しの魔王陛下だったら、こうもあっさりとは引き下がらないだろう。それはそれで彼の美徳ではあるが、護衛相手としては、村田の方がずっと楽だ。

 

「渋谷に……話したよ、全部」

硝子の破片を注意深く拾っていると、ポツリ、と村田が言った。

再びそちらに視線を戻すと、彼はこちらとは逆方向にある壊れていない窓の方を眺めていた。もう日が落ち始めていて、窓枠で四角く切り取られた海は、夕日を反射して朱色に染まっている。

「そうですか。……陛下は、何て?」

「君と同じ。最初は信じられないみたいだった。……まぁ、それが普通だよね。いきなり四千年分の記憶があるなんて言われても、そう簡単に信じられるはずがない」

でも、と村田がこちらを見上げた。 ――笑顔で。

「最後は、信じてくれた。少しは渋谷と分かり合えた気がするよ。話しの終わりの方は、お互いの不幸自慢大会みたいな会話になっちゃったけどね〜」

「そう……ですか。分かり合えたのなら、よかったですね」

一応、そう答えた。でも、どこかおかしい気がした。

本人は笑っているし、言っていることだって嬉しそうだ。なのに、村田はどこか、辛そうに見えて。

「もしもーし、ヨザック?手が止まってるよ。片付け、片付け」

「え?あ、あぁ……。はい、すみません」

すっかり考え込んでいたらしい。

指摘され、慌てて作業を再開した。

 

 

夕日に反射して微かに光る破片を拾っては、一箇所に集める。その場に響くのは、カラン、というその音だけ。船室内からは、少しも人の動く気配がしない。

どうにも気になって、ヨザックは再び視線を甲板から上げた。そこには、さっきと全く同じ様に、外の海を眺めている村田の姿。

有利の話によれば、彼は魔王と同じ歳――つまり、十六歳らしい。けれど、今目の前にいる人物の横顔は、とても歳相応のものではなかった。――暗く、自分を責めているような表情。

我慢できなくなり、ヨザックはとうとう口を開いた。

「猊下」

 一拍遅れて、相手がこちらを向く。

「ん?」

「何か……あったんですか?」

 

 

 

「……」

 突然の問い――しかも、核心を突く問いに、村田は一瞬言葉に詰まった。

 けれど、ここで黙ったままでいるわけにはいかない。無理やり顔の筋肉を笑みの形に動かした。

「何言ってるのさ、ヨザック。別に何もないよ。 さっき言ったよね?渋谷とも分かり合えたって」

 笑い飛ばしてみたが、相手は一向に硬い表情を崩さない。黙したまま、ただ真っ直ぐにこちらを見詰めてくる。

 お庭番からの無言の圧力に、村田はとうとう諦めの息を吐いた。

「……部下は優秀に越したことはない、って言うけど、いつもそうとは限らないもんだね」

「オレは優秀なんかじゃありません」

「いーや、優秀。優秀過ぎ。こっちが困っちゃうぐらいにね」

 隠していたつもりだが、気付かれてしまった。こっちに来てから色々とあって、気付かないうちに自分自身も疲れているのかもしれない。

 村田は、ゆっくりとお庭番を見た。

「……渋谷から、逃げ道を奪ってしまった」

「逃げ道?」

「そう」

 外にいる相手の肩越しには、水平線に沈んでいく夕日が見えた。

 もうすぐ、闇がやってくる。

「渋谷が言ったんだ。 『もう夢じゃ済まされないんだ……』って」

 あらゆる水に吸い込まれては、異国の土地で魔王として動く。それは、他人に話したところで とても信じてはもらえない、もっと言えば、自分自身でも現実だとは確信を持てないようなこと。

 もしそれを信じられなくなった時、あるいは嫌になった時に、“全てが夢だった” と処理してしまえる逃げ道を、彼から完全に断ってしまった。

 それは、彼の精神に何かしらの負担を与えてしまうのではないか。

「こんなつもりじゃなかったんだ……」

 腿の上に肘を立て、両手に顔を埋めた。

 やはり、有利に全てを話すのは賢明なことではなかったのかもしれない。

 自分は、判断を間違えたのだろうか。

 

 

「……ごめん、ヨザック。端的すぎて、訳分からないだろう?」

 暫くの沈黙の後、胸中に渦巻くもやもやを断ち切るように顔を上げた。

 ヨザックには申し訳ないが、これ以上話すと、自分が喋り過ぎてしまいそうで怖かった。

 いくら考えたところで無駄。結局は、渋谷有利の気持ちは本人にしか分からないし、あの時の会話を無しにすることなどできない。 そう、自分に言い聞かせる。

 お庭番の方を見ると、彼は相変わらず、ただ黙ってこちらの言葉を待っていた。

「ほらほら、また手が止まってるよ?ちゃんと片付け…――」

「できませんよ」

 無理やり元の調子に戻そうとしたのに、ヨザックがそれをあっさりと断ってしまう。

「こんな話を作業しながら聞くなんて、オレにはそんな非情なことできません」

 参ったな、そう思った。

 今日の自分はつくづく、判断を誤っているらしい。

 やはり、彼に言うべきではなかった。

「すまない、ヨザック。君は渋谷を護らなくちゃならないのに、僕なんかのことにまで引っ張っちゃって。今の話は忘れてくれて構わな…―――」

 本心だった。なのに、その言葉は、ガシャン!、という突然の音にかき消された。

 ヨザックが、手にしていた硝子の欠片を甲板に投げつけたのだ。

「ヨザック?」           

「冗談じゃない」

 相手の声は、僅かに怒気を含んで震えていた。

 止める間もなく、壊れた窓枠からこちらの船室に滑り込んでくる。

「陛下より護衛しやすいとか思ってたけど、全然違う!むしろ、こっちの方が厄介だっ」

 訳の分からない文句を撒き散らしながら、あっという間に距離を詰め、お庭番は村田を見下ろした。

「いくら双黒の大賢者だからって、あんたはまだ十六でしょう?今からそんなに一人で抱え込んじまってどーするんですか。あんただって、たまには弱音や不安を誰かにぶちまけたっていいんですよ」

 夕日はもう、完全に沈もうとしていた。けれど、薄い闇の中でも、彼の青い瞳はしっかりと見える。村田を射抜いて、離さない。

「もちろん陛下は大事だし、命に代えてもお護りします。 けど、オレはあんたも護らなくちゃいけないんですから」

「ヨザック……」

 

 

 

 椅子に座ったままのその人は、自分の名前を呼んだっきり、一言も喋らなくなってしまった。ただただじっと、魔王とはまた異なる漆黒の瞳でこちらを見詰めてくる。

 その瞳から視線を逸らすことができないまま、お庭番の彼の怒りは、少しずつ治まっていった。と同時に、段々と頭に冷静な思考が戻り、今の自分がいかに失礼な奴かを思い知る。

 マズイ。よりにもよって、大賢者さまを“あんた”呼ばわり。おまけに、偉そうに説教めいたことまで言ってしまった。 これを不敬と言わずして何と言うのだ。

 と、それまで微動だにしなかった村田が、突然ふい、と他所を向いた。何だ、と思う間もなく再び名を呼ばれる。

「ヨザック」

「は、はい」

 遂にお叱りか、と思った矢先。

 

「……ありがとう」

 

 よく耳を澄ましていなければ聞き落としてしまいそうな小さな声で、ぼそ、と彼が言った。

 職業柄 夜目が利いてしまう性質(たち)なため、この薄闇の中でも、相手が恥ずかしさで微かに頬を朱に染めていることまで見えてしまう。思わず、小さく笑ってしまった。

―――なるほど、これなら陛下と同じ歳というのも納得できる。

 ようやく、十六歳の彼の顔を見ることができた気がした。

 

 けれど、心とは厄介なもので、さっきまで何を言われるかとビクビクしていたにも拘らず、今度は からかい心が顔を出す。

何しろ、こんな様子の彼は、次にいつお目にかかれるか分からないのだから。

「え?猊下ってばもしかして、今オレにお礼言いました?」

「っ!?」

 わざと大袈裟に驚いたような表情をつくって相手を覗き込めば、村田は更に顔を赤くする。

「聞こえなかったんなら別にいい!」

「仕方ないじゃないですか〜。まさか猊下が グリ江なんかにお礼言って下さるなんて思わなかったんで、油断してたんですもの。ね、グリ江にもう一回言って〜」

「グリ江ちゃんで迫っても無駄!お礼なんて何回も言うもんじゃないだろ!」

「いいじゃないですか。言って下さいよ、猊下」

「いーやーだ。そもそも聞いてない君が悪い」

「そんな〜。グリ…――」

「何と言われようが、絶対嫌だ!」

 

 そんな、堂々巡りでも始めそうな勢いの彼等から 少し離れた場所―――船室の扉の前で、ダカスコスはすっかり困り果てていた。

 グリエが“あの”猊下をからかっているのにも驚いたし、いつも冷静で落ち着いた雰囲気の猊下がこんなに感情を表に出していることにも驚いた。

 しかし、それより何より、やっと集めてきた修理の道具や材料を抱えた自分は、一体この中にどうやって入っていけばいいのか。入るべき機会が全く掴めない。

 すっかり暗くなった海に、不運な兵の深いため息が響いた。

 

 

 

 

 ねぇ、知ってる?

 君は僕に言ったよね。

 「いくら双黒の大賢者だからって、あんたはまだ十六でしょう?」って。

 あれ、大賢者に対しては失礼極まりない発言だけど、

 僕にとっては、泣きそうになるくらい嬉しかったんだ。

 僕のことを、“大賢者”ではなく、“十六歳の村田健”として見てくれたこちらの世界の人は、君が初めてだったから。

 ……ま、こんなこと、一生かかったって 君に言ってあげるつもり無いけどね。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 ヨザック、ムラケンと初絡みのお話でした。(←私の書いた話の中で、ですよ?)以前書いた「『ごめん』ではなく…」の猊下バージョンとでも言いましょうか。

 どうにも私は、まだムラケンを掴みきれてなくて……。だから冒頭は、他のキャラを使って逃げてしまったんですけどね〜。(←をい!)

 ちなみにこれを読んだ某友達から、「これって、ヨザケン?」って訊かれたのですが……そう見えますか?(苦笑) 私はそんなつもり無かったんですけどねぇ。うむむ。

一応(?)解説させてもらいますと、人にお礼を言う時って、妙に照れくさかったりすること、ありませんか?ここのムラケン君は、それでホッペを赤くしてたんですけど……うーん。まだまだ私の表現修行が足りないようです。(苦笑)

でもまぁ、お話を読んでどう受け止めるかはお客様の自由ですから、お客様が一番楽しめる受け止め方でお読みいただければ、それで充分ですー。

 

 

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