汝、その一歩を踏み出せ

 

 

 

 いつもの軍服姿とは違い、緑色の髪もきれいにまとめ上げ。けれど歩く姿は、いつもと同じ肩で風を切る軍人歩き。顔に焦りの色を浮かべている彼女は、フォンクライスト卿ギーゼラ。

 幸いにも本日非番であった彼女は、毒矢に倒れた養父の毒素の進行が完全に止められたという報告を受け、足早に血盟城の地下へと向かっていた。目指す先は、フォンカーベルニコフ卿の特設研究室。

 彼女の養父が運び込まれた昨日はアニシナから門前払いを食らったが、毒素の進行が解決した今ならば、研究室への入室ぐらいは許されるだろう。現に、彼女に報告しに来た兵士さえ、既に彼女の養父の様子を見たらしかった。しつこい程に「どうかギュンター閣下とご面会される際には御心の準備を」と言われたのだ。

 養父がどんな恐ろしい姿になっているのかは不明だが、毒に関してアニシナの右に出る者はいない。彼女に任せておけば、とりあえずは問題ないはずだ。

 そう思いながらも、ギーゼラはその自分の考えにほんの少し、顔を歪ませた。

 

 

 

「フォンカーベルニコフ卿、入ります」

 防音のために厚く設計された重い扉を、表情一つ変えずに押し開ける。瞬間、魔動装置とやらが騒がしく動く音が流れ出た。

「あぁ、来たのですか」

 研究室の真ん中で仁王立ちしていた小柄な女が振り返る。その動きに合わせて、赤の長い髪がハラリと肩から流れた。自分は非番で服装や髪型が違うが、相手も珍しく髪を結い上げていない。きっと、そんなことをしている暇も惜しいのだろう。

 こちらへ一瞬だけ向けられた秀麗な水色の目は、すぐに外され、卓に載った大きな箱へと向く。何やら探し物をしていたらしく、ゴソゴソとその中を再びあさり出した。

「養父の毒の進行を止めていただいたそうで、有難うございます」

「別に礼を言われるほどのことではありません。毒が私を呼んでいただけですから。……あぁ、そうそう。胃の内容物を調べたところ、あなたの養父君、普段は海老を尻尾まで食しているようですよ。なかなかのものぐさっぷりです」

「え?胃の……内容物?」

 毒の進行を止めるために、一体どんな処置が施されたのか。それとも、ただ単に毒の影響で養父が吐しゃでもしたのだろうか。

「……まぁ、海老の尻尾には栄養があるというし、さほど問題ないんじゃないかしら?それより養父は……――」

どこにいるのか、と尋ねかけた口をギーゼラは閉じた。

見渡した部屋の隅、見るからに棺桶だと分かるものから、白い煙が出ていた。煙と言っても、立ち昇るわけではなく、棺桶の淵から床へ流れるように出ている。つまり、温度がかなり低いということ。

直感的にそこだと思い、ギーゼラは歩を進めた。近付くにつれて強まる冷気。よく見れば、棺桶自体も氷でできているようだ。

その中を覗き込み、ギーゼラは一瞬目を見開いた。粉雪を敷き詰めたそこに横たわっていたのは、予想通り、彼女の養父・フォンクライスト卿ギュンター。普段以上に肌も白く、唇も色をなくしている。両手を胸の上で組んでいるその姿は、死体と言われても信じてしまいそうだ。兵が心の準備をするように言っていたのも、こういうことだったのだろうか。

けれどギーゼラはこの瞬間、むしろ安堵の息を吐いていた。養父が仮死状態であることは知っていたし、見た限りでは苦しんでいる様子もない。それに何より……――。

 

「雪ギュンターです」

 いつの間にやら傍にきていたらしい。振り返ると、片手に妙な人形を持ったアニシナがそう言った。

「芸術的でしょう?……あぁ、一応言っておきますが、一緒にいる雪うさぎはわたくしの趣味ではありません。それがあるせいで、この雪ギュンターの標本らしさ……いえ、芸術性が若干下がっているのですが」

「ええ、あなたじゃないって分かっているわ」

 言われなくても想像がつく。十中八九、このうさぎの製作者はフォンヴォルテール卿だろう。つまり、彼もギーゼラより先に養父のこの姿を見たということ。こういう時、円卓組と違って離れた場にいる医療班は不利だと、ギーゼラは思う。

 ふっ、と隣で微かに笑う気配がした。目で「何か」と問う。

「訊かないのですね」

「訊かない?」

「『本当にこれで大丈夫なのか』、と」

 言って、アニシナは横たわる雪ギュンターを見下ろす。

「さっきまでこの部屋にいた男達は揃って、この様子を見るなり『こんな市場の魚みたいな処置で大丈夫なのか』と、焦った表情で訊いてきました。『毒殺便覧』を隅々まで読み込んだこのわたくしにですよ!?まったく、愚問もいいところです」

 思い出したのか、憤慨とばかりに表情を歪ませたアニシナはしかし、すぐにギーゼラに視線を向けた。口端が、きゅっと上がる。

「けれどあなたは、そんな愚問をしてこない」

 アニシナの笑みを受けて、ギーゼラも小さく笑い返した。

「まぁ、普通だったら私も、養父のこの姿を見たら不安になって、あなたの言う愚問をしていたかもしれないわ」

 兵士たちが「市場の魚みたい」と評して不安がった気持ちもよくわかる。

「……でも、この処置をしてくれたのはフォンカーベルニコフ卿だから」

そこでほんの少し、ギーゼラは拳を握った。

そして、まっすぐに水色の瞳を射抜く。

「あなただから、信じてる。養父はきっと大丈夫」

 “ジュリアが認めていた”という、「あなた」の前に付くはずだった言葉は、口には出さなかった。

 それは、ギーゼラなりのちょっとした意地。

 

 

 

「フォンカーベルニコフ卿がそんなことを?」

「ええ」

 頷いて、今は亡きギーゼラの上官は、微笑んだ。

 

アニシナも、そしてジュリア自身もまだ少女だった頃。眞魔国三大魔女と称される三人の美女たちはとても仲が良く、一緒にお茶会などもしていたらしい。

そんなある日、お茶会に遅れてきたアニシナの頬に、見るも無残なアザが出来ていた。どうしたのかと問えば、とある少年と長剣の勝負をし、引き分けた結果だという。

「私はね、その時その相手を『許せない』って思ったの。だってそうでしょう?その当時から小柄だったアニシナに対して、長剣で勝負を挑むだなんて。アニシナが不利にきまってるわ」

だからジュリアは、再試合を申し込んでアニシナをその卑怯な相手に勝たせてやろうと、ウィンコット家に伝わる必殺拳を彼女に教え込んだらしい。

しかし、呑み込みが早くその日のうちにそれらを習得したアニシナは、再戦は申し込まないと言い放ったという。

「信じられなかったわ。もうウィンコットの者以外なら敵なし、って強さを身につけたのに、どうしてやめる必要があるんだろうって。……だけど、アニシナはこう言ったの」

 

『強者は弱者を守るべきです。それに、力は人を打ち負かすために持つものではありませんから』

 

「あの時は、ハッとさせられたわ。……ううん、それ以外の時だって何度も」

 言って、上官はとても誇らしげに笑った。

「アニシナは最高よ。私なんか一生敵わないぐらいにね」

 ジュリアに――ギーゼラの敬愛する友に、こんな表情をさせるアニシナが、ひどく羨ましくて。そして少し嫉ましくもあった。

 

 

 

 その時からギーゼラにとってアニシナは、尊敬すべき相手であると同時に、乗り越えるべき対象となった。無論それは、ジュリアのいなくなった今でも変わらない。

 だから今回のことも、本当ならばギーゼラは自身の手で養父を介抱したかった。だが、悔しいけれど毒――特に他国の毒となれば、対応できるのは自分よりもアニシナだ。だからギーゼラは、養父を彼女に託した。

 

 湧き上がる口惜しさを、拳を握ることでやり過ごし、相手を見詰める。対する毒女と称される女は、ギーゼラの言に満足そうに笑った。

「さすが、愚かな男たちとは言うことが違いますね。よく分かっているようで」

 さて、と口調を変えると、アニシナは先ほどから手にしていた人形を高々と掲げる。

「次はこれの出番ですね」

「フォンカーベルニコフ卿、それは?」

 ギーゼラが怪訝そうに眉をひそめた。

 白い肌、紅の唇、極めつけは髪と瞳に宿した漆黒。綺麗と呼ばれるに相応しい条件をここまで揃えているというのに、それで補っても余りある不気味さ。

 凄い人形もあったものだ。

「これはおキク人形。あなたの養父は今、ごく単純な幽体離脱の状態にあるので、その幽体をこの人形に閉じ込め、確保するという寸法です」

「え!?この中に養父を!?」

「ギーゼラ。喜びたい気持ちは分かりますが、そう叫ぶこともないでしょう。確かにこのおキク人形、色々と仕掛けもしてあります。養父がそれらを駆使する姿は、想像するだけでも嬉しいでしょう。が、どんな仕掛けなのかは、おキクギュンターが出来上がってからのお楽しみです」

「おキク……ギュンター……」

 雪ギュンター以上の恐ろしいものが登場する。ギーゼラは確信にも似た思いでそう考えた。

「さぁ、ここからはわたくしの企業秘密です!おキクギュンターが目覚めた暁には、再びあなたを呼びましょう。それまでは入室禁止です!!」

 言いながら既にアニシナは、ドンドンとギーゼラの背を押し、研究室の扉へと追いやる。ギーゼラも特に抵抗する理由がないため、素直にそれに従った。一度毒女にいい研究材料としてロックオンされれば、誰もそこからは逃れられないと知っているからだ。そして養父はもう、その運命に決まっている。多少可哀想には思うが、ここは諦めてもらうしかないだろう。

 

「あぁ、そうでした」

 ギーゼラを完全に廊下へと押し出し、扉を後ろ手に閉めかけたマッドマジカリストは。思い出したようにこちらを振り向いて尋ねた。

「あなた、おキクギュンターが目覚めた後はどうするつもりです?」

「え?」

 突然の問いに、ギーゼラは相手の意図を掴みかねる。

「どうって……その状態はつまり、養父の幽体がちゃんと確保されたってことよね?だったら、養父が命拾いをしたわけだし、眞王廟へ感謝と……――」

「そしてそのことと一緒に、陛下やウェラー卿の無事も祈ろう、と?」

 続く言葉をあっさりと言い当てられ、ギーゼラは黙った。そこまで分かっているのなら、相手はなぜわざわざ訊いてくるのか。

 ギーゼラの沈黙を肯定と受け取ったらしい。拳一つ分ほどしか開いていないドアの隙間から見えるアニシナの顔が、僅かに不機嫌そうになる。

「それで?その後は?」

「その後?」

 鸚鵡返しをすると、小さく息を吐かれた。

「成る程。盟友のために、あなたは祈ることしかしないわけですか」

 アニシナの肩越しに見えるビーカー内の緑の液体が、ゴポッと嫌な音を立てた。

「陛下がこの国にとって大切なことは、どんなに愚かな男たちであろうとも分かる、周知のことです。加えて、あなたは知っているはずです。ウェラー卿がスザナ・ジュリアにとって大切な人だったと」

知っている。

彼女がウィンコット家の紋章が入ったあの魔石を渡した相手も、ウェラー卿コンラートだ。

「そんな二人が行方知れずだというのに、祈るだけなのですか、あなたは?」

 言って、アニシナはニッと笑った。

 それは不敵で、挑戦的で、けれど、どこか優しい笑み。

「わたくしはこの毒の研究や、おキクギュンターの管理という仕事があるので、城を離れるわけにはいきません。でも、あなたは違うでしょう?」

 そこまで言うと、ギーゼラの返事を待たずに研究室の扉は閉められた。

 

 

 バタン、という音が響くと同時、周囲に静けさが戻った。魔動装置の音も、変な液体が立てる音も、毒女の自信に満ちた声も、何もしない。

「祈るだけ……」

 呟いた自分の声が、やけに廊下に響いた。

 脳裏に浮かんだのは、かの人の死の直前に交わした約束。

 

『約束よ、ギーゼラ。もう誰も、こんな死に方はさせないって』

 

 放っておけば、あの新しい魔王陛下は他者のためにこの上ない無茶をするだろう。自分の身を犠牲にしてでも。あの方は、そういうひとだ。

 そしてウェラー卿は、アニシナの言う通り、ジュリアの大切な人。

 

 ギーゼラは、俯いていた顔を上げた。

 毒女はこの城に一人しかいないが、医療班は自分以外にもいる。そういえば、長期休暇なるものも、ここ数年とっていない。養父の部下たちも、養父があんな状態ではしばらく仕事がないだろう。

 祈るだけでは、何も変わらない。祈るのならば、それに見合うだけの行動も起こさなければ。

 人々が恐れる毒女の研究室の扉に向かって一礼すると、ギーゼラは歩き出した。動くおキクギュンターの姿を確認した後は、眞王廟への礼拝に乗じて、言賜巫女から二人の失踪についての詳しい情報も得よう。

颯爽と歩く彼女の表情に、迷いはなかった。

 

 

 

 本当ね、ジュリア。あなたが認めていただけのことはある。

 私はまだまだ、フォンカーベルニコフ卿には敵わない。

 だけど、悲観なんてしないわ。

 好敵(ライバル)は強ければ強いほどいい。

 いつかきっと、彼女を越えてみせる。

 

 だからそのためにも今は、行動を。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 「有利&ギーゼラ」もそうでしたが、この二人組がこんな上位にくるなんて驚きました。個人的には、一緒にいるところが全く想像つかない二人だったので。「(マ)王陛下の優雅な一日」で、二人が一緒にお茶をしていたという記述がありますが、正直それを拝読した時も、有利と同じく「この二人の会話?想像つかないー」と思いましたし。

 ですからこの話はなかなか難産でした。話の糸口としては、「きっと(マ)」の眞王廟でのヴォルフラムとの会話で、ギーゼラがアニシナに追い出されたということを言っていた事。そこから無理やり広げました。(苦笑)

 とにかく原作を拝読していると、ギーゼラがアニシナに対してライバル心を持っている、という描写がいくつかあって。それはもしかしたら、“アニシナに”というよりは“円卓組に”ライバル心を持っているのかもしれませんが(あるいは、軍曹と毒女、どちらがより恐れられているか、とか。笑)、今回はジュリアさんを絡めてみました。捏造全開!(笑)

 参考は、「きっと(マ)」「トサ日記」「これが(マ)」「NT分室067月号」。

 

 

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