Nation

 

 

 テンカブ種目「知・速・技」のうち、「技」の会場である王都ランベールのコロシアム。その上階の回廊にある窓の一つに、人影があった。十日前からこの大シマロンに身を寄せている男、ウェラー卿コンラートだ。

 彼はその剣の腕を買われ、決勝戦の「技」部門の選手の一人に指名された。本来は、国内での厳しい予選を勝ち抜いた者が代表選手となるようだが、彼は特例として、その予選にも出てはいない。剣豪として名高いウェラーの出というだけで、代表者入りの理由としては充分だったようだ。

 先ほどまで護衛としてついていたベラール二世に、

「そろそろ、ニルゾンからレースを走り抜いてきた出場チームが到着する。常のように小シマロンが一位になると思っておったが、どうやら今年は違うようだ。対戦相手がどのような者達か、先に見ておくがいい」

と言われ、他の者と護衛を代わり、コンラートはこうして素直に窓からコロシアムの入口となる石造りのゲートを眺めている。「速」部門のゴール地点だ。

 もっとも、別に相手を先に見ておいたところで、自分のすべきことは変わらない。どんなに強そうな、あるいは弱そうな相手でも、自分はその相手を倒すのみだ。しかしベラール二世は、わざわざの勧めを断ってまで傍にいたい相手でもなかった。

 

 ふと、コンラートはそれまで胸の前で組んでいた腕を外した。レースの最後を観ようとゴール付近の沿道に並んでいた人々のざわつく声が、大きくなったからだ。

 見れば、向こうから泥で汚れた雪をまき散らしながら走ってくる羊の集団が見えた。その少し後方には、上半身を赤くした筋肉質の男達が、追いつこうと猛然と走っている。おそらくこのどちらかがレースに優勝するだろう。確かに小シマロンチームの姿はない。

 沿道の人々もそれに気付いたらしく、罵声と共に両チームへ腐った卵や果物を投げつけ始めた。彼らは、大シマロンと小シマロンの決勝戦を望んでいる。

 他人事であるとはいえ、見ていて気持ちのいいものではないその光景に、思わずコンラートは眉間に皺を刻んだ。が、その皺はすぐに消え去る。代わりに彼の顔に表れたのは、驚愕。

 ―――ユーリ!

 思わず窓から身を乗り出した。

 先頭を突き進む羊の集団。その羊たちが引く車に、見知った姿があった。毛糸帽もゴーグルもはめているため、顔さえろくに見えはしなかったが、それでも分かる。自分があの名付け子を見間違えるわけがない。

 罵声と様々な物が飛び交う中、羊チームはトップの座を守り抜き、石造りのゴールゲートへと滑り込んだ。追いかけていた筋肉男チームは、すかさず降ろされた頑丈な柵に派手に激突する。その光景を見ながらしかし、コンラートの意識は既に現実から離れていた。

 

 最初に浮かんだ感情は、安堵。あの教会で有利が外に飛び出すところまでは見たが、ちゃんと逃げきれたのか、最後まで確認することはできなかったから。

 しかしすぐに、疑問と不安が過ぎった。そもそもなぜ有利が、こんな所に、しかもテンカブの出場者としているのか。魔族の国が出場しているという話は聞いていない。ならば、どこかの地域の代表として出ていることになる。

 おまけに有利と共に乗っていたのは、ヨザックとヴォルフラム。もう一人はよく分からなかったが、少なくとも魔族関係者が二人はついていることになる。だというのに、魔王を他国の代表者として、しかも人間の土地に踏み入らせているとは何事か。ここには法力も満ちているというのに。

 

 

 そこまで考えたところで、コンラートの思考は途切れた。振り向きざまに素早く剣を抜き、頭上に構える。キンッ、と刃金独特の音が響き、受け止めた相手の剣の重さと僅かな振動が腕に伝わった。

「はは。ようやく振り向いてくれたな」

「アルソン!?」

 苦笑まじりの顔でそこに立っていたのは、コンラートと同じくベラール二世や四世の護衛を務める男の一人、アルソンだった。剣の腕は立つとコンラートも認識しているが、腕利きの者が全員大シマロンの代表として出場してしまっては、陛下や殿下の護衛に不安があるとのことで、今回アルソンは代表選手には選ばれていない。

「さすがだな、五回も名を呼ばれるより、一回の殺気に反応とは」

 おどけるように言いながら、アルソンは一歩引いて剣を鞘にしまった。立場上、自分と彼は同僚のようなものであるため、特に無礼だなどとは思わないが、この男の飄々とした態度はほんの少しだけ、腐った柑橘類のような髪の色をした男を思い出す。

「でも、さすがに呼び止める度にこうだと、おれの寿命は確実に縮まるな」

「すまない。五回も呼ばせたのか」

「まったくだ。まぁ、ほんとは五回じゃなくて三回だがな。それより報告だ。大シマロンの代表選手の一人が、交代になった」

「交代?」

 アルソンに倣って剣を鞘に納めながら、コンラートは小首を傾げた。こんな直前に、しかもわざわざ予選まで開いて選んだ選手を降ろして変えるだなんて。

「ああ。何でも、ふらりとやってきた男が、代表選手たち全てをあっという間に打ち負かしたらしい。それで急遽、その男の代表入りが決定。まったく、兵の奴らも情けないもんだ」

 大げさに肩を上下させながらアルソンが言う。彼が言うことももっともだが、それよりもまず、そんな素性も知れぬ男をあっさりと国の代表選手にすることにも疑問を感じた。自分の国が優勝できれば、誰であろうと使える駒は使うということか。

 

「ところで」

 不意に、アルソンがこちらを覗き込んできた。思わずコンラートは軽く身を引く。

「何だ?」

「今のレースのゴール、やけにじっと見てただろう?レース優勝チームに知り合いでもいたか?」

 瞠目しそうになるのを、コンラートは必死で堪えた。剣の柄に添えたままの左手が微かに震えたのは、果たしてアルソンに気付かれただろうか。

「いや。ただ、少し考えごとをしていただけだ」

「“少し”ねぇ。それにしては、ずいぶんと考え込んでいるように見えたが。……祖国のことでも考えていた、とか?」

 飄々とした態度の中、見つめてくる目だけが意味ありげに光っている。

 厄介な相手だ。思いながらコンラートは、軽く肩を竦めてみせた。

「とんでもない。俺の魂の土地はここだ」

「ああ、そうだろうな。だからおれも大シマロンのつもりで“祖国”と言った。だが、今の言い方では、あんたには他の国のことが浮かんでいたようだ」

 してやったり、と言わんばかり笑う相手に、コンラートは内心舌打ちする。己としたことが、他者の口車に乗るとは。それほどまでに今の自分は、有利を見た動揺を引きずっているらしい。

 胸中に渦巻く様々な感情を表には出さず、けれど少しばかり睨みをきかせてコンラートはアルソンを見た。シマロン兵の典型とも言える、薄い茶の瞳。

「だとしたら何だというんだ?陛下や殿下に進言でもして、俺をこの国から追い出すつもりか?だったら無駄だ、俺は別に……」

「知ってるさ。別に大シマロンに忠誠を誓ってるわけじゃないと言いたいんだろう?勿論、陛下や殿下に対しても」

 言おうとしていたことを先にサラリと言われ、これにはさすがに虚を突かれた。思わず瞬いたコンラートを見て、アルソンは可笑しそうに笑う。からかうというより、本当に面白いと思っているような笑いだ。

「忘れたか?あんたが殿下に初めて謁見しにきた時、おれは護衛としてあの場にいた。あんたの言葉もちゃんと聞いている」

 

『貴殿の求める物を持参した。これをこの国に留め置くことをお望みならば、今後一切、眞魔国に手出しをなさらぬよう。その約束が守られている間は、俺はこの国に留まりましょう』

 

「あんたはあの時、忠誠なんてことは一言も口にしてはいない。むしろあれは、眞魔国のために来たともとれるぐらいの発言だ。……もっとも、殿下やその他の兵は、すっかりウェラー卿が自分たちに忠誠を誓ったものと思いこんでるみたいだがな」

 言って、アルソンは喉の奥でククッと笑った。これもやはり、心底面白がっているような笑い方だ。

 コンラートは、少々反応に困った。この男の考えが読めない。とんでもなく聡いのか、はたまた、とんでもなく狂っているのか。ただ一つ分かるのは、かなり厄介な人物であるということだけだ。

「そこまで分かっていて、お前は殿下たちに何も言わないのか、アルソン。俺を危険人物だとは思わないのか?危険人物を殿下や陛下の傍に置いていて、不安じゃないのか?」

 問えば、「自分で自分を危険人物なんて言うか?」とまた笑いながら、それでも返ってきたのは真面目な応えだった。

「おれは別に、あんたを追い出そうなんて思ってやしないさ。あんたは鍵とやらを持っているんだろう?最強の箱と、その鍵。二つが揃うことはつまり、この国の強さが増すことを意味する。兵としては、それを邪魔する理由はない。……例えそれが、めちゃくちゃ最悪な兵器であってもな」

 ほんの少し、アルソンの目に陰りが降りたように見えたのは、コンラートの気のせいか。

「おれは上の決めたことに従うだけさ。上のおかげで食わせてもらってるんだ、そうするのが当然だろう?おれにとっての国ってのは、そういうモンだ。いいだの悪いだの、国のやることに評価する気もない」

 淡々と語るアルソンの横顔を、コンラートは見詰めた。

 この男はいつから、殿下や陛下といった者たちの傍に仕えているのだろう。そして何を感じてきたのだろう―――数日間共に居るだけでも、人間の果てしない欲と醜さを思い知らされる、あの二人の傍で。

 

「あんたはどうなんだ、ウェラー卿」

 不意に、自分に話しを振られた。見ればもう、アルソンの態度も口調も、いつもの飄々としたものに戻っている。

「どう、というと?」

「あんたが今でも守ろうとしている、眞魔国って国のことさ。わざわざ裏切り者になってまで守ろうだなんて、そんなにいい国だったのか?」

 まぁ単純に言ってしまうと、思い出話の一つでも聞かせてくれってことなんだがな。

 そう言って笑う男に、コンラートは言葉を探した。どこまで言うべきで、どこからは黙っておくべきか。また、何も教えないという選択肢もある。

 ふ、と小さくコンラートは笑った。

「いい国だと言い切ることはできないな。そもそも、どんな国を『いい国』と呼ぶかは人それぞれだろうし、過去の時代には多くの過ちや悲劇もあった。だが」

「だが?」

 問い返してくるアルソンを、しっかりと見据える。

 これだけは、自信を持って言えるから。

「今、あの国は確実に、いい方向へと向かっている」

 あの若き新前魔王のお陰で。

 続くその言葉は、あえて呑み込んだ。アルソンは、「へぇ」と笑う。

「凄いな、そこまではっきりと言い切れるとは。で?具体的には?」

「それを話すには、残念だが時間切れのようだ」

「うん?」

 きょとんとした男の後方を指さしてやる。

 回廊の奥から走ってくる、雑用兵が一人。

「ウェラー卿!そろそろ出番ですので、選手控え室の方へ……って、アルソンさん!こんな所で何をしていらっしゃるんです!?」

「何って……ウェラー卿に選手交代の報告?」

「私に訊かないで下さい!殿下の護衛は!?」

「モルビックがいるだろう?それに殿下なら今頃、ゴンドラに乗る準備中だ。おれがあれに一緒に乗るわけにもいかないだろう」

 この男はどの相手にもこんな調子なのだな、と改めてコンラートは苦笑した。

 漫才で言うなら、アルソンがボケ、雑用兵はツッコミだ。

「だったら、ゴンドラの傍や下で護衛をするべきでしょう!?」

「でも、殿下も必要ないって仰ってたぞ」

「それでも近くに控えているべきです!!あぁもう、あなたって人は!」

 雑用兵にここまで言われるとは、ある意味下の者から慕われているのだろう。とはいえ、下の者から職務を正されるというのも可笑しな話だ。

 笑いを噛み殺して、コンラートは二人の間に入る。

「ここはアルソンを見逃してやってくれないか。俺がまだ不慣れで、この天下一武闘会について色々と尋ねて彼を引き止めていたんだ」

 コンラートの登場に背筋を伸ばした雑用兵は、「ウェラー卿がそう仰るなら」と漫才を中断した。無論、本人にそんなつもりは無いだろうが。

「とにかく、ウェラー卿は準備をお願いします。アルソンさんも、早目に持ち場に戻って下さいよ!?」

「了解した」

「了―解」

 アルソンの軽い返事にやはり少々反応しながらも、雑用兵は元来た道を引き返していった。

 

 アルソンが肩を竦める。

「助かったよ。あいつ、悪い奴じゃないんだが、真面目すぎてな」

「そっちが不真面目すぎるんじゃないのか?」

 「そうか?」と首をかしげながら歩き出す男に、コンラートも続く。

「まぁ、何にしろ助かったよ。もしかしてこれ、あんたに一つ借り?」

「そんなつもりは無いが。でも、せっかく借りとして数えてもらえるのなら、そういうことにしておこうかな」

 皮肉っぽく笑ってやれば、墓穴を掘ったと大袈裟な嘆き声が返ってくる。その様子を横目で見ながら、コンラートは思った。

 この男はやはり、一筋縄ではいかない厄介者、そしていっそ清々しいまでの阿呆だ。

 けれど、決して愚者ではない。

 

 

 

 ベラール二世は葡萄酒の入った杯を一気に飲み干すと、大袈裟にも思える音を立てて卓にそれを置いた。

「あの時は国際審判連盟がしゃしゃり出てきおって止むを得なかったが、やはりカロリアを独立させるわけにはいかぬ!」

 まぁ予想通りの展開だな、と脇に控えていたアルソンはその光景を眺めつつ思った。むしろ、予想していたよりも遅いぐらいの発言だ。カロリアの一行は既に、領主ノーマンの急死だとかでこの王宮を離れようとしている。

 兵士たちにカロリア一行の抹殺命令を下す二世を見ながら、アルソンは決勝戦の様子を思い返した。ウェラー卿はあの一行に知り合いはいないなどと言っていたが、あれは明らかに嘘だろう。

 三回戦が始まる際に、ウェラー卿はカロリア代表と何事か話していた。おまけに、実際に始まったアーダルベルトとノーマンの試合の最中では、あのせり上がった戦闘用の舞台をよじ登ってまで何かを叫んでいた。

 知り合いなんて段ではない、あの者達はきっと、ウェラー卿にとって大事な存在。

「……仕方ない。やるか」

 小さく呟くと、モルビックに目配せをしてその場を任せ、静かに部屋を抜ける。またかと言わんばかりのモルビックの呆れたような視線には、気付かないふりをした。

 

 

 探していた人物は、案外あっさりと見つかった。ひょろりとした手足、小さなキノコを思わせる髪型、えらの張った顎。見間違えるはずもない。

「ベラール陛下」

 できるだけ好意的に見えるであろう笑顔を浮かべて、声をかけた。

 カロリア一行が狙われる。それを直接ウェラー卿に伝えたところで、彼一人では立場上、助けになど行けないだろう。しかし、このベラール四世が言い出し、ウェラー卿に同行を求めたとしたら。

「なぁに?アルソン」

 相変わらずの、顔に似合わない高い声で返事が返る。少女か幼い子供ならば、この声も納得できるのだが。

「実はたった今、ベラール二世殿下がカロリア一行の抹殺命令を出されました。盗賊に出くわしたと見せかけて、帰り道で全員を始末するおつもりのようです」

 二世の名を出した途端、四世は嫌そうに顔を歪めた。

「そう。今になって独立させるのが惜しくなったんだろうねぇ。それで?アルソンは朕に何が言いたいのぉ?」

 問われ、アルソンは気取られないように僅かに唾を飲み込んだ。

 ここからが、勝負。

「いえ、特には。ただ、事が上手く運べばいいなぁと思っているだけです。……もしこの作戦が失敗してしまえば、殿下の評価が下がってしまわれますからね」

 ピクリ、と四世の肩が揺れる。

「それ、朕にとって絶好の機会ってことぉ?」

 問われたことには、あえて笑顔のみを返す。

「腕の立つウェラー卿が邪魔をする側にいたら、それこそあっという間に片が付いて、殿下はさぞお困りになってしまわれるでしょうね」

 いつでも病的に顔色の悪い四世が、それでもニコリと笑った。

「確かにコンラートがいれば、そうなるかもしれないねぇ。それに、コンラートなら朕の頼みをきっと聞いてくれる。だって、朕に優しくしてくれるのは、アルソンやコンラートぐらいだものぉ」

「そんなこと」

「ううん、そうなの。朕も分かってるんだぁ。でも、今回はアルソンは連れていかないよぉ。アルソンがこの話を朕にしてくれたことも、誰にも言わないでいてあげるぅ。アルソンも、その方が助かるでしょう?」

「それはそれは。細やかな御心遣い、痛み入ります」

 頭を垂れれば、四世は更に笑みを深くした。

 その瞳にだけは、狂気の色を滲ませて。

「いいんだぁ。だって、あはは、君のお蔭で伯父上の狼狽する姿が見られるんだものぉ。……ほんと、想像しただけで楽しくなっちゃう」

 狂ったように笑いながら、四世は廊下を歩いていく。コンラートはどこかなぁ、笑いの間にそう呟きながら。

 とりあえずこれで、ウェラー卿は堂々とカロリア一行を助けに行ける名目ができた。これからどうするかは、本人次第だ。

「借りは返したぞ、ウェラー卿」

 呟いて、アルソンも再び歩きだす。

 この数年で聞き飽きた、けれど何度聞いても慣れない、耳に障る狂った高い笑い声を背にしながら。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 羽翼さまから頂戴した、「大シマロンに仕えてるコンラッドが、誰かが彼に思い出話を聞かせて欲しいと言っている時(友情系)」というリクエストで書かせて頂きました。

 えーっと…もしリク内容を勘違いしていたらごめんなさい!(平謝)一応私は、「大シマロン側の誰かが、コンラッドに眞魔国での思い出話を頼む」という風に解釈したのですが、もし「これが(マ)」以降の流れの中で「眞魔国側の誰かが、コンラッドに大シマロンでの思い出話を頼む」なんて意味だったら…本当に申し訳ありません。

 そしてもう一つのリク、友情系という部分ですが。「貸し」だ「借り」だと言い合える仲は、たぶん友情なんじゃないかな…と思うのですが。(いかがでしょう?)

 こんな話ではありますが、もしよろしければ受け取ってやって下さい。羽翼さま、リクエスト有難うございました!

 

 ちなみに参考は、「きっと(マ)」「天(マ)」「地(マ)」「裏(マ)DX!SPECIAL BOOKLET」。

 

 

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