Needless to say

 

 

 濡れて色を濃くした緑髪をタオルで掻き混ぜながら、ゾロは扉を開いた。

 新しくできたばかりのこの船は、どの扉も音を立てずにスムーズに開く。もっとも、軋み始めようものなら、あの派手な船大工がすぐさま調整にかかるだろうから、この船の扉が軋むことなどこの先ずっと無いのかもしれないが。

 扉を開いた瞬間のゾロがそんな取留めのないことを考えたのは、彼の脳が軽く現実逃避を起こしたからだ。目の前に広がる此処は、彼が目的としていた場所ではない。水槽の魚たちが眩しいアクアリウムバーは、知らない間に船内引っ越しでもしたのだろうか?

 

「おい、何をぼけっと突っ立ってんだ」

 流れる水音と共に聞こえた声に、ゾロはようやく意識を現実へと戻した。頭に乗せていたタオルを首にかけ直す。

 此処は彼の目指していた場所とは違ったが、此処でも一応、彼の目的は果たすことができる。周囲の雰囲気と、この金髪の男の言動さえ気にしなければ。

 そう自分に言い聞かせ、ゾロは一歩足を踏み入れた――バーではなく、キッチン兼ダイニングへ。

「風呂、空いたぞ。お前が最後だ、さっさと行け」

「そーかよ。ま、この皿を片付けてからだな」

 顔は下を向いたまま、サンジが目線だけをチラリとゾロに向けてくる。

 カチャカチャと素早く、けれど丁寧に大量の皿を洗っていくサンジ。その姿に向かって、

「酒、くれ」

 と端的に告げれば、「あぁ?」という相手の呆れたような顔が返ってきた。

「お前、言ってることとやってることが違うぞ」

「何がだ」

「おれにさっさと風呂に行けって言ったろ?そのくせ酒が飲みてぇだなんて。お前につまみ作ってたら、おれが風呂に入るのが益々遅くなるんじゃねぇーの?」

 金髪から片方だけ覗く目にわざとらしく射抜かれるが、ゾロとしてはそんな視線、痛くも痒くもない。だから特に気にすることもなく、カウンターの椅子に腰を落ち着けた。

 向かい合う形になった相手を見上げる。

「別につまみをくれとまでは言ってねぇだろ。酒だけでいい」

「アホ、酒を飲むならつまみも食え。どこまでテメェでテメェの胃をいじめる気だ?嫌だってんならコックとして、無理やりにでもお前の口こじ開けて、つまみを詰め込むぞ」

「……分かった。じゃあ、つまみもくれ」

 どっちなんだと言いたい気持ちを溜息でやり過ごし、ゾロは諦めたように言った。ここで余計な一言を言ってしまえば、このコックの口にますます拍車がかかってしまうのは明白だ。それにゾロとて、この男のつまみが嫌なわけではない。酒だけでもゾロは充分満足できるが、それがあれば更に酒が美味くなることを認めている。

 そんなゾロの気を知ってか知らずか、ニヤリと満足げに笑ってサンジは水道の水を止めた。自身のエプロンで手をぬぐいながら、酒を取りにだろう、食糧庫へ引っ込む。

 この船になってからは、酒類のほとんどはアクアリウムバーの方に置くようになった。そのため、キッチン裏のその倉庫にある酒の種類は、必然的に少ない。ダイニングに戻ってきたサンジが握っていた酒瓶も、やはり定番の手ごろな値段の酒だった。しかしまぁ、この状況ではゾロも文句はない。

 

「でもお前、なんでわざわざ此処まで来たんだ?下のバーで飲む方が好きだろ?つまみの注文だってバーからできるしな」

 風呂が空いたことだって、その時ついでに言やいいだろ?

 目の前に酒瓶とグラスを並べながら問われ、ゾロは返答に詰まった。サンジが数秒ほど見詰めてくる。が、すぐに余計な考えに思い至ったらしく、ブハッと噴き出した。本当、この男はどうでもいいところだけ自分を理解しているとゾロは思う。

「お前、まさかまた船内迷子か!」

「うるせぇ。この船が広すぎんだよ」

 眼光鋭く睨め付けたところで、自分同様、このコックも怯える様な可愛らしい精神など持ち合わせてはいない。大袈裟に肩を竦め、「しょうがねぇなぁ、お前は」と笑う。

「ま、偶然とはいえ辿り着いたのが此処でよかったな。ちゃんと酒とつまみにありつけるんだから。おれがまだ風呂の準備に行ってなかったことに感謝しろよ?迷子のマリモ剣豪サマ」

 クツクツと喉を鳴らしながら、サンジはキッチンへと引き返していった。と言っても、ゾロはカウンターに陣取ってしまっているため、コックが仕事場である調理場に戻ったところで、嫌でもサンジの笑う姿が視界に入る。

 座る席を失敗したと内心だけで舌打ちをしながら、ゾロは酒の栓を抜いた。

 

 

「なぁ」

 ジュッ、とフライパンの立てる音と共に、サンジの声がした。三杯目のグラスに口を付けようとしていたゾロは、視線をキッチンへ移す。

 さすがにもう笑いの発作は治まったらしいサンジは、ゾロではなくフライパンの方を見ていた。焼きイカの香ばしい匂いが、ゾロの鼻に届く。イカから上がる煙と、コックの口元から上がる煙で、サンジの表情は少しぼやけて見えた。

「こんな例え話をするのは非常に不本意なんだがな」

 だったらするな、と思ったが、ゾロは黙っていた。今の自分はつまみを待っている身。悔しいが、この瞬間は料理人には逆らえない。きっと相手もそれを承知していて、こんな話を始めたのだろう。つまりこのコックは、結構本気で話したいことがあるらしい。その相手が自分でなければならなかったのか、他者なら誰でもよかったのかは、ゾロにはまだ分からないが。

 サンジが菜箸で器用にイカをひっくり返す。

「例えば、おれがお前で、あいつがおれだったとする」

 「あいつ」と言いながらサンジが手にしていた箸で示したのは、扉の丸窓外の上空、展望室だった。今の時間の見張りはウソップだったか、とゾロはぼんやり思い返す。

「それはつまり、お前が剣士でウソップがコックだったら、ってことか?」

「あぁ」

「へぇ。だったらおれは差し詰め、狙撃手か?」

 相変わらず、このコックの言わんとすることはよく分らない。分からないことは、考えるだけ無駄だ。だからゾロはグラスを煽りながら、推測できる事だけを口にした。

 しかしサンジはといえば、ゾロの言葉に虚を衝かれたような顔をする。

「ん?……あぁ、そうか。つまりはそうなるな。悪ぃ、お前のことは欠片も考えてなかったわ」

 ある意味失礼極まりない台詞を、けれど素の表情でサラリと言われたら、反応のしようがない。やっぱりこいつの言動は理解できねぇと眉間に皺を寄せ、ゾロは余計な相槌は挟まず男の言葉を黙って聞くことに決めた。

 ジュジュッ、とより一層音を立てたフライパンを、仕上げとばかりに軽く揺すり、サンジが火を消す。食べ易くするためだろう、焼き上がったイカを一旦まな板に載せ、包丁を手にした。

「おれは包丁の扱いには慣れてるが、こりゃ食材用だ。おれが対人間用の刀を持ったところで、せいぜい人並みにしか扱えねぇだろう。ウソップの奴も長く独り暮らしをやってたらしいから、簡単な自炊ならできるみてぇだが。海上の限られた食材を駆使して大人数分の料理を作るようなマネは、きっとできねぇ」

 フワリ、食欲を刺激する匂いがゾロの鼻をくすぐる。カウンターを挟んでサンジが差し出してきた皿には、てらりと光るタレがよく絡まった、輪切りにされた焼きイカ。

 ゾロの前にそれを置き、サンジがようやくゾロと視線を合わせた。

「それでもルフィは、おれたちを仲間にしたと思うか?おれが人並みの剣士で、ウソップが人並みの料理人だったとしても」

 正面から見据えられ、ゾロは眉間の皺の数を増やす。

 何を言っているのだろう、というのがゾロの率直な感想だった。そんなもの、訊くまでもなく答えは分かり切っているではないか。

 

 

「そりゃそーだろ」

 突然開いた扉から、呆れたような第三者の声がした。振り向けば一番に目に飛び込んでくる、特徴的な長い鼻。

「ウソップ。お前、見張りはどうした?あと一時間ぐらいはあるだろ」

 驚いたようなサンジの声に、片手にマグカップを持ったウソップは苦笑する。

「チョッパーと早めに交代した。あいつ、寝惚けて一時間早く来ちまってな。一応、もう一回寝て来いとは言ったんだが、今また寝たら交代の時間に寝過ごしそうだってんで、結局押し切られちまった。……つーわけでコレ、ご馳走さん。美味かったぜ」

「そりゃどーも。……そうか。じゃあ、チョッパーの分の差し入れも、急いで準備しねぇとな」

 受け取ったマグカップを流しに置き、サンジがまたコンロの前に立つ。ウソップはそのまま、当たり前のようにゾロの隣に座った。もっとも、ゾロとてそれをいちいち咎めるつもりなど無いが。

 グラスを軽く上げて「飲むか?」と問えば、ウソップは首を振った。

「いや、さっきサンジのを飲んだばっかりだからな。それよりお前ら、珍しく真面目な話してたな」

 言われ、すっかり本題から逸れてしまっていたことを思い出す。

「そういやお前、さっき『そりゃそうだ』って言ってたな」

「やっぱりお前もそう思うか、ウソップ?」

 棚からチョッパー用のマグカップを取り出しながら、サンジがニヤリと口端を上げて言った。訊かれたウソップも頷く。

「あぁ。だってそうだろ?ルフィはそいつの能力っつーよりは、中身重視だからな。それこそチョッパーの時だって、あいつが医者だなんて知らずに仲間に誘ってたわけだし」

「だよな。おれの時だって、おれの作った料理を食ってもいねぇのに、仲間になれだなんて言いやがったからな」

「そうだったのか!?」

「あぁ。驚きだろ?」

「へー、そりゃ知らなかったなぁ。……まぁ実際のところ、おれたちが狙撃手や料理人じゃなかったとしても、ルフィには関係なかったんだろうな」

 自分を置いてどんどん話を展開していく二人を、ゾロは謎の生物でも見るような目で眺めた。

 本当に、一体何を言っているんだ、こいつらは?

 

「本当にそうか?」

 ゾロがボソリと素直な感想を漏らせば、二方向からこれでもかと注視された。どちらも目が丸く見開かれている。

 先に口を開いたのはウソップだった。

「何だ?ゾロは、ルフィは中身より肩書き派だと思ってるのか?」

「いや。あいつはどっちかっつーと、中身重視だろ」

 即答すれば、キッチンから「はぁ?」と声が上がる。

「意味分かんねーよ。何が言いてぇんだ、マリモ君?人間サマにも分かりやすいように言ってくれ」

「アホ王国の王子に分かるかどうかは知らねェがな」

 ただでさえ普段から遠回しな言い方の男に皮肉含みの文句を言われ、少々苛っとしたが、それでもゾロは自分の思うところを口にする。

「料理人のウソップじゃ、今のウソップにはならなかっただろうし、アホコックが剣士だったら、今みてぇにギャーギャーうるせぇ奴にはなってねぇんじゃねェのか」

 “これまで”があったから、“今の自分”がある。

 もしサンジが剣士ならば、あの海上レストランにはいなかっただろうし、ゼフと生活することもなかった。もしウソップが料理人ならば、彼の父親はヤソップではないのだろうし、母親のために嘘をつくことも、きっとなかった。

 そんな違った状況下でも、今の自分たちの性質は出来上がっていただろうか?能力ではなく、中身が。――答えはきっと、「否」だ。

 ならば、そんな中身の違う二人を、どうしてルフィが仲間に誘うだろう?

 

「成る程」

「そうきたか」

 ウソップが、そしてサンジが、じっとゾロを見詰めてくる。けれど今度は、その口元が小さく笑っていて。

 煙草を手に取り、サンジが細く長く煙を吐き出す。

「マリモのくせに」

 隣で頬杖をついたウソップも、ニッと笑った。

「あぁ、意外だ」

「お前らな」

 渋い顔でゾロが突っ込めば、いよいよ二人は声を立てて笑う。

 けれど、笑うだけで、二人がゾロの考えを否定してくることは決して無かった。

 

 

 

 霧も濃く、鬱蒼とした森の中。

「なぁ、お前ら!おれと一緒に海賊や……」

「ふざけんなァ!!」

 キラキラと輝いた顔のルフィに向かって、ゾロはすかさずサンジと揃って突っ込んだ。

 信じられない。この船長はアフロの骸骨だけでは飽き足らず、喋って動く妙な木とユニコーンまで勧誘したくなったらしい。

 クルー2名から即効却下を受けても未だ不満げな船長を、ロビンがいつもの落ち着いた口調で丁寧に冷静に宥める。それを横目に眺めていると、隣の男から軽く肘で小突かれた。

「……おい、ゾロ。ほんとにあの船長は相手の本質見抜いてんのか?」

「分からなくなってきた……買いかぶりすぎたか?」

 自分たちには全く感じられないが、この木やユニコーンも、実は内面に光るものを持っているのだろうか。それとも単に、ルフィは珍しいもの好きだったのか。

 はぁ、と思わず零れた溜息は、ゾロ一人のものではなく。こんな時だけは息が合うのだと、互いにまたそのことに嘆息した。

 

 

 

 

お題:「船内迷子」,「俺がお前であいつが俺で」

あとがき

 微妙に長い話になってしまいました。そしてこんなオチになるとは。(苦笑)

 お題の一つ、「俺がお前であいつが俺で」ですが。もし、「俺がお前で“お前が”俺で」だったら、二者間になるのでしょうが、今回は「“あいつ”」という第三者が加わっていますからね。どの三人にしようか非常に悩みました。結局、初期からいる男子メンバーになりましたが。

 ゾロとサンジ君は、どこまで喧嘩させてどこまで仲良くさせたらいいのか、未だに掴み切れていません。(苦笑)難しいなぁ……精進します。

 

追記(08/08/19

 ゾロはどんな道を辿って迷子になったのか、ご質問を頂いたのでここでもご紹介を。(笑)

 これは管理人の勝手なイメージなのですが、メリー号の時代にゾロやルフィはたまに、階段を使わずに柵を飛び越えて1階の甲板に下りていたイメージがあるんです。ラウンジ前からだったり、前甲板からだったり。(ルフィは2階に上がる時も、ゴムの腕を伸ばして柵をよじ登っていた気がしますが。)

 で、その癖が残っている迷子剣士さん。大浴場から図書館兼測量室へと降り、ナミさんの蜜柑の木等がある甲板まで出たのですが(ここまでは一本道ですしね。笑)。大浴場が4階であるという意識さえ無いゾロは、「アクアリウムバーは下の階だったな」という思考の下、キッチンへ続く梯子(←勿論、ゾロはそのことにも気付いていません。笑)を無視して甲板をずんずん突き進み、その柵をヒョイと飛び越え、降り立った眼前にあった扉を開いた……というわけです。無論そこは、バーではなくキッチン兼ダイニングなのでした。

 

 

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