苦手なものを克服しよう

 

 

 何とはなしに城内をぶらついていた有利は、珍しい光景に足を止めた。

 グウェンダルの部屋から出てきた見知った体格のいい男が、彼らしくなく溜め息をついていたのだ。

「……ヨザック?」

「ああ、陛下」

 近付きながら声をかければ、相手はいつも通りの笑みを返してきた。ちょっと眉根を寄せて相手を見上げてやる。

「溜め息ついた直後まで、そんな笑顔つくるなっての。……何かあったのか?」

「あら、見られちゃいましたか。 というより、陛下こそどうしたんです?いくら城内とはいえ、夜に護衛もつけずに一人歩きだなんて、感心しませんねぇ」

「あー……おれはちょっと、寝るにはまだ早いから散歩しようかな〜と。こんなことにいちいち皆を呼び出すのもなんだし……。って、違うだろ。今はおれが質問してたんじゃん」

 危ない危ない。罪悪感から危うく本来の話題を忘れるところだった。

 

「それで?あんたはどうして溜め息ついてたわけ?何か悩み事?」

 問えば相手は、落ち込む内容を思い出したのか、また一つ息を吐く。

 何だろう、やはり何かあったのだろうか。例えば、とてつもなく過酷な任務を言い渡されたとか。例えば、報告に行ったのにグウェンが子猫たんの相手に夢中で聞いてくれなかったとか。

「……コルセットをはめなけりゃいけなくなったんです」

「あ〜、やっぱり子猫……って、はい?コルセットぉ?」

 予想の範疇に全くなかった単語に、有利は素っ頓狂な声を出した。あえて共通点を挙げるなら、始まりの音が「こ」だったことぐらいだろうか。

 コルセットといえば、有利にはアレしか思い浮かばない。

「へー、ぎっくり腰でもしたのか?意外だなぁ、あんたは運動不足って感じじゃないけど。あ、でも大丈夫だって。そりゃあ、ちょっと年寄りっぽくて嫌かもしれないけど、ヨザック白寿超えてるんだからさ。別にコルセットしてても変じゃないよ」

「あのー、陛下。もしかして勘違いしてません?」

 始まりかけた有利の思い込み爆走トークを遮るように、お庭番がちょっと苦笑しながら口を挟む。

「え?コルセットだろ?」

「確かにコルセットは、我が国では背骨や腰の保護に使うことが多いですが、昔は女性の下着の一部としても使われてたんです。その方が腰の部分が細く見えるってんで、一部の人間の国では、今でも舞踏会仕様の格好でコルセットを使用しているんですよ」

「へ〜。そんな使い道もあるんだ」

 知らなかった。母親が好む少女漫画の一つや二つ読んでいたら、もしかしたら知識として存在していたかもしれない。例えば、タイトルに薔薇とかついてる、マリー様が出てくるフランスの話とか。

 

「で、今回のオレの任地が、その一部のコルセット下着使用国でしてね。舞踏会に潜入予定のグリ江も、つけなきゃいけなくなったんですよぉ」

「あぁ、今その辞令がグウェンから出たってわけか。でも、何でコルセットつけるの嫌なんだ?」

 有利がもっともな疑問を口にすれば、お庭番は何故か声を潜めて低く言う。

「……読んでないんですか?あの話」

「どの話?」

「『毒女アニシナと煩悩のコルセット』」

「あぁ、毒女シリーズ四冊目かぁ。おれまだ二冊目の冒頭なんだよなぁ」

ちなみにその冒頭は、墓場が何者かに荒らされているシーンから始まる。

児童文学とは思えない恐ろしさだが、なぜだか続きが気になって読んでしまう。怖いもの見たさの人間……いや、魔族の心理を上手く突いている本だ。

「第四弾では毒女アニシナは『仕事ができる女もーど』なんです」

「へー、いいじゃんカッコ良くて。キャリアウーマンって感じ」

「陛下は読んでないから、キラキラ馬だなんて暢気なこと言えるんですよ。その毒女アニシナの腰にですね、スケベな上司の脂ぎった手が伸びてくるわけですよ」

「うわっ、それってセクハラじゃん!さすがの毒女アニシナも、上司のセクハラの前では敗れるの!?」

 問えば相手はふるふると首を振る。

 相変わらず顔は無表情で、声も厳かだ。子供に怪談話をする大人の顔。いや、自分の恐怖体験をテレビで語る大人の顔か。

「陛下。毒女を笑う者は毒女に泣くんですよ。毒女アニシナを舐めちゃあ、いけません。彼女の腰に伸ばされた男の手は……」

「男の手は?」

 ゴクリ、と有利は唾を飲む。相手も同じ動きをしたのか、ヨザックの喉仏も微かに上下した。

「……噛みつかれたんです。鋭い歯をむき出しにした、彼女の下着用コルセットに!」

「か、噛みつかれた!?鋭い歯に!?怖っ!!そのコルセット怖っ!」

「でしょ?夜中に便所に行けなくなるでしょ!?コルセットが苦手になるでしょ!?なのにグリ江は、任務のためにコルセットをはめる羽目に〜!!」

最後のは密かにダジャレ?

そう思ったが口にはしなかった。ふざけているように見えるが、相手は一応、悩める子羊なのだ。……子羊と言うには少々無理もある気がするが。

 

「成る程ね。でも、そんなに怖くて苦手なら、無理に女装しなくてもいいんじゃない?舞踏会に彗星の如く現れた、タキシードのマッチョな紳士になれば。セーラー服で戦う乙女が恋しちゃうかも」

 自分としては、女装するよりもその方がずっといい。

けれどお庭番は、信じられないと言わんばかりの目でこちらを見る。

「陛下!それはオレに対する死刑宣告ですか!?潜入先で女装しないなんて、オレのフライドが許さない!」

「それを言うならプライド。思わず揚げたジャガイモを思い出しちゃったじゃん」

そういえばこのごろ食べてない。最近じゃ、輪状の玉ねぎを揚げたものまで誕生しているのに。

とはいえ、彼に女装に対してのプライドがあるのなら、それを無視しろとは言い難い。

「うーん。じゃあ、コルセットに対する苦手意識を克服するしかないんじゃない?」

「克服ってどうやって?」

「そうだなぁ……」

 

 

 

「待って、陛下!やっぱりこれだけは勘弁して!」

 血盟城に臨時でつくられた毒女の実験室で、お庭番は必死に主に懇願していた。

「今更何言ってんのさ。グリ江ちゃんになりたいんだろ?」

「そりゃそうですけど、これはあんまりですっ!本の中身そのままじゃないですか!」

 彼の可愛らしい主が提案した苦手克服法は、実に突飛で、実に厳しかった。その方法とは、こうだ。

 

『その場面を再現すればいいんじゃない?』

 

  つまり、アニシナに本の内容と同じく実際にコルセットをはめてもらい、そのコルセットを触ってみろ、と。

「そのままだからいいんじゃん。本に書いてあるのと同じことして手が噛まれなかったら、もうコルセットなんか怖くないだろ?大丈夫、物語と現実は違うんだから。それにほら、アニシナさんも隣の部屋でノリノリで着替えてくれてるし」

 そりゃそうだろう。あんな言い方をすれば、彼女が乗らないわけがない。まったく、どこでアニシナの操縦法を会得したんだか。

 

『……というわけで、アニシナさんの本でヨザックはコルセットが怖くなっちゃったらしいんだよ。このままじゃどんどん、眞魔国男子の軟弱化が進んじゃうでしょ?それを阻止するためにも、アニシナさんに協力して欲しいんだ』

『成る程。大の大人があの程度の児童文学に怯えるとは、この国の男たちも堕ちたものですね。いいでしょう、陛下。あの大好評だった名シーン「コルセットが ガブリッ!」を、わたくしが忠実に再現いたしましょう!』

 

「ん?」

 そこでお庭番は重要なことに気付いた。

 彼女は先程何と言ったか。

 

 

『あの大好評だった名シーン「コルセットが ガブリッ!」を、わたくしが忠実に再現いたしましょう!』

 

『忠実に再現いたしましょう!』

 

『 忠実に 』

 

 

「ちょっと待って陛下!やっぱりマズイ!不味すぎます!!」

「なんで?」

 きょとん、とした顔で見上げられる。いつもなら可愛らしいと思うかもしれないが、今はそんな余裕もない。確実に身の危険が迫っている。

「アニシナちゃん、『忠実に再現』って言ってたじゃないですか!それって、コルセットも忠実なんじゃ!?」

「人に噛み付くコルセットをはめるんじゃないかって?まっさか〜。そんなコルセット実在するの?それに、おれはちゃーんとアニシナさんに趣旨も伝えたよ。実際にコルセットに触って噛まれなかったら、ヨザックの苦手意識もなくなるんじゃないかって」

「だから、アニシナちゃんを舐めちゃダメなんですってばっ!」

天上天下唯我独尊。もにたあ報告以外 人の話を聞かないのが、赤い悪魔ことフォンカーベルニコフ卿アニシナなのだ。

しかし無情にも、隣の部屋の扉は開かれた。

 

「準備ができましたよ、陛下」

 そこには、豪華な衣装に身を包んだアニシナが仁王立ちしていた。コルセットを巻いた腰も、キュッと引き締まっている。

動きにくいからといって裾を無造作に膝までたくし上げているのはどうだろうとか、そもそもそんな格好で女性は仕事をするだろうかとか、疑問はいくつもあったが。やはり素直な感想は。

「アニシナちゃん可愛い〜。……って、違う!可愛いけど今はそれは問題じゃなくて……――」

「何をツベコベ言っているのです。さあヨザック!さっさと上司の脂ぎった指の役をやりなさい!」

 相変わらずの命令口調でツカツカと歩み寄ってくる彼女に、ヨザックは必死に両手を振る。

「待ってアニシナちゃん!そのコルセットって……――」

「大丈夫だって、ヨザック。アニシナさんもそこまで鬼じゃないって」

「だから陛下はアニシナちゃんを知らなさ過ぎです!」

「ヨザック!わたくしは大切な実験が控えているのですよ!?それを貴方をはじめ我が国の情けない男たちのためを思って、こうして時間を割いているのです!さぁ、早くなさい!!」

 追い詰められたヨザックの脳裏に、件の本の恐怖の一節が、くっきりはっきり蘇った。

 

『ぎやああああ!上司の男の悲鳴が響き渡った。

鋭い歯をむき出したコルセットが、男の指に襲いかかったのだ』

 

 あの場面が今まさに、目の前で現実のものになろうとしている。

「ほら、ヨザック」

「さぁヨザック!!」

「い〜や〜だ〜!!!!」

 

 お庭番の悲痛な叫びが、闇夜の空にこだました。

 

 

 

 

 

あとがき

 有利もギュンターに負けず劣らずスパルタ教育者なのね、という話みたいです。(←!?)

 ヨザックって完璧そうで(←管理人的贔屓妄想)、苦手なものがなかなか浮かばず。結局「天(マ)」から毒女本ネタを拝借したのですが、当初の予想以上にギャグ一直線に仕上がりました。「できれば有利も」とのことだったので、そこだけは何とか実現させましたが、何だかお庭番いじめな話に。(苦笑)potato様がお怒りになっていないといいのですが……。

 アニシナのコルセットはヨザックに噛み付いたのか、そして彼が苦手を克服できたのかは、皆さんのご想像にお任せします。こちらで提示するより、その方がいい気がするので。(笑)

 potato様、お題提供ありがとうございました!

 

 

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