おかえりなさい 「ん、おいしー!」 隣で嬉しそうに微笑む佐藤に、高木もつられて口元を緩めた。 このひとは美味しいものを食べると、本当に幸せそうな顔をする。 二人は早目に仕事が上がり、近くの定食屋に来ていた。佐藤お薦めの店で、ポイントはやはり「安くて美味い」。彼女に連れられて来た店で外れたためしがない。 カウンター席に陣取っている高木たちの前では、この店の女将が一人で次々と料理を仕上げていた。その手際のよさには目を見張るものがある。客も、入れ替わり立ち代り入っていて、途絶えることがない。 温かで美味な料理に舌鼓を打っていると、店の引戸がガラリと鳴った。 「ただいまー」 その声に導かれるまま振り向けば、高校生だろうか、制服姿の女の子が店に入ってくるとこだった。どうやらあの入り口は、この家の玄関も兼ねているらしい。 網の上の魚をひっくり返しながら、女将が顔を上げる。 「おかえりなさい。ね、荷物置いたら手伝ってちょうだい」 「わかってる。手、洗ってくるね」 母に微笑んだ娘はヒラリと手を振り、店の奥に消えていった。 「……やっぱりいいわよね、『おかえり』って言葉」 「え?」 呟くような佐藤の声に隣へと視線を戻せば、彼女は片手に箸を持ったまま小さく微笑んでいる。 「どうしてそう思うんです?」 「だって、『おかえり』って言えたってことは、その相手が無事に帰ってきたってことでしょ?」 言って、佐藤は味噌汁の椀に手を伸ばす。 「家でも……もちろん一課でもそう。相手が何事もなくちゃんと帰ってきたから、『おかえり』って言える。だから私、結構この言葉好きよ」 高木に笑いかけると、彼女は味噌汁に口を付けた。そして再び、おいしいと笑う。 対する高木は、咄嗟には返事を返せなかった。今の言葉は、大切な人を多く失った彼女だからこそ言えるもののような気がした。 見送ったまま、帰ってくることのなかった、大切な人たち。 「それじゃあ僕は」 口を開いた高木に、佐藤が箸の動きを止める。 「僕は、『ただいま』って言葉が好きかもしれません。あなたを安心させられる言葉ですし、それに……」 こちらを見詰めてくる佐藤に、高木は笑いかけた。 「『おかえり』って笑う佐藤さんの顔が見れますから」 しかし、そこまで言って高木は相手の異変に気付いた。佐藤の視線が、見詰めているというよりは、凝視しているという感じだったのだ。 「あの、佐藤さん?」 「どうしたの?」 「はい?」 訊き返した時には、彼女の白い手がこちらに伸びていた。 「大丈夫!?熱でもあるんじゃないの!?」 「な、何ですかいきなり!?」 「それはこっちが訊きたいわよ!急にくっさい台詞言い出すんだもの。あ、ねぇ、これほんとにお水?実は焼酎なんじゃないの?」 発熱だけでなく酔っ払いの容疑までかけだした佐藤は、カウンター奥の女将に向かって「すみませーん、お水もう一杯!」などと言う。 「ちょっと佐藤さん!それ、どーいう意味ですか!?それに、クサイ台詞だったら佐藤さんの方がずっと沢山言ってますよ!」 「よく言うわよ。私が『ちょっとクサかったかな?』って訊いたら、あなた『そんなことない』って言ったじゃない」 「うっ。……く、クサかったか訊かれて頷く人の方が少ないですよ!」 「あら、私は正直に言うわよ?」 「普通は否定するもんです!」 「じゃあ何!?私は普通じゃないってわけ!?」 始まりかけた終わりのない二人の喧嘩は、お水を差し出した女将の 「痴話喧嘩もいいけど、冷めないうちに食べてねー」 という笑顔の一言によって両者が真っ赤になり、無事終わりを迎えたのだった。 |
あとがき お題モノの一発目から痴話喧嘩とは、実に幸先がよろしいことで。(笑) まぁそもそも、お話にクサイ台詞ってつきものなんですけどね。 |