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お前だから、なんて ジャリ、と砂を踏みしめる音が下方から響き、ヨザックはのろりと双眸を開いた。背中は樹の幹に預けたまま、目線だけを地上に向ける。 彼の眼下では相変わらず、いくつもの鼠色のヘルメットが落ち着き無く右往左往していた。硬い表情で武器を片手にキョロキョロとしているが、樹の上の彼の存在に気付く者はいない。ヨザックのいる樹を見上げてくる者は少なくないのだが、皆、そのまま通り過ぎてしまうのだ。 もっともそれは、彼がちょっと見上げたぐらいでは姿が見えないような死角の位置に陣取っているからだが、それでも回り込んで見上げられれば見つかってしまう場所だ。それを行わないあたり、この場にいる兵士たちは甘いと言える。そもそも、一箇所にこんなに兵が固まりすぎるのも如何なものか。城内へと続くこの中庭で敵を食い止められれば、一番手っ取り早いとでも考えているのかもしれないが。 甘すぎる。そうつっこみたいのは山々だが、生憎、そこまでしてやる義理は彼にはない。言葉を飲み込み、頭の後ろで組んでいた両手を外すと、ヨザックはようやく樹の幹から上半身を離した。 そろそろ、行動を起こす頃合だろう。 懐に手を突っ込み、先ほど拾っておいた小石二つを取り出した。片手で軽く上空に放っては掴みを繰り返しながら、狙いを定める。的は、自分のいる位置からは正反対となる場所にある樹。 ヨザックの手から一つ目の石が放たれた。目にもとまらぬスピードで飛んだそれが、樹の葉をガサリと揺らす。下にいた兵士たちがその音に反応して顔を上げるのを待たずに、二つ目も放った。予め彼が樹の枝上に仕掛けていた爆薬に、見事命中する。毒女印のついたそれは、地に落下すると同時、派手な音を立てて爆発した。 「何だ!?」 「向こうだ!!」 兵士たちの意識がそちらへと向いた隙に、ヨザックは素早く近くの手摺へ飛び移る。城の二階の回廊、この辺りをうろついていた見回りの兵士たちも爆発の起こった方へと向かっていったので、今は誰もいない。音もなく手摺から廊下へ飛び降りると、ヨザックは城内へと駆け出した。 曲がり角までくると一旦足を止め、取り出した手鏡で角の先の様子を確認する。普段はグリ江への変身用だが、時にはこんな使い方もする。直接目視するためにはどうしても角から顔の一部を出さなければならないが、鏡ならば角から身体も鏡も出す必要はない。 兵がいなければそのまま進み、兵が向かってきていれば天井に手足を掛けて張り付き遣り過ごす。それらの動きを繰り返すこと五回、ヨザックの口角がクッと上がった。 ニヤリとした笑みで彼が見詰める先。手鏡には、大きな扉と、その前に並んで立つ体格のいい兵士が二人映っている。いかにも護衛というその光景に、ヨザックは確信を持った。間違いない、彼の目的の人物はその部屋にいる。―――この国の主が。 ここまで来る間にも、国主の自室や執務室を確認し、扉に張り付いている兵士の姿も見た。しかしどちらも、ひょろりとした者が四、五人いるだけ。人数が多いとはいえ、王を守る立場にこのひ弱そうな男達は有り得ないだろう。すぐに単なるカムフラージュであると分かった。 さて、標的の居場所は掴んだものの、どうやってその部屋――本来は客室である――に侵入しようか。ヨザックは思考を巡らせた。 窓からの侵入は端から考えていない。中庭というだけあり、どの部屋の窓もそこに面しているのだ。あれだけの数の兵がいるのだから、窓からの侵入は見つかる確率が高いだろう。 お庭番お得意の天井裏からの侵入も考えてみたが、それでは姿を現したヨザックに対して標的が悲鳴の一つでもあげれば、すぐさま扉の護衛たちが雪崩れ込んで邪魔される。 ここはやはり、扉の前の二人を片付け、そこから入るのが早いだろう。そう判断し、懐から新たに液体の入った瓶と布を取り出した。瓶の中身は、ギーゼラ軍曹も時折使用している揮発性麻酔薬。本来ならば、彼の腕っ節だけで充分兵士を気絶させられるが、呻き声で室内に異変を感じ取られてはマズイ。兵達に声を上げる隙を与えず、眠ってもらわなければならない。 液を二つの布に染み込ませると、ヨザックは角から飛び出した。扉までは二馬身分ほどの距離。ヨザックに気付いて構えられた武器の間をすり抜け、両手の布をそれぞれの口と鼻に押し当てる。一瞬目を剥いた兵士達は、次の瞬間にはがくりと膝を折った。 兵の手から離れた槍を掴み、倒れ込んでくる兵の体をそれぞれ腕で受け止める。ここで派手な音を立てて床に倒れられでもしたら、声を上げさせなかった意味が無い。二人と二本の槍をゆっくりと床に寝かせ、槍を掴むために手放した麻酔薬の布を拾い上げる。それを猿轡にしてから、所持していたロープで兵たちの手足を縛った。 一人からヘルメットを拝借し、頭にかぶる。これで相手から顔は見えにくくなるだろう。そのまま扉をノックした。 「ん、どうぞー」 中から、およそ国主らしからぬ返事が流れてくる。それに少しだけ苦笑し、けれどすぐに表情を引き締めて、ヨザックは扉を開けた。 初めに覗いた兵士のヘルメットに対しては特に反応は無かったが、続いて現れた首から下を見て、部屋の主は「おや」という顔をする。その様を見ながら、素早く後ろ手で扉の鍵をかければ、相手はいよいよ椅子から立ち上がった。 「嘘!まさかもう!?」 「ええ、そのまさかです」 応えながらも剣の柄に手をかけ、相手との距離を詰めた。瞬間。躍り出た影にすかさず飛び退った。相手の長剣が、さっきまでヨザックがいた空を斬る。部屋の隅に控えていた、新たな護衛だ。 すぐさま間合いを詰めてくる護衛に、ヨザックも剣を抜いて応戦した。交差した剣の向こうで、護衛がヨザックから目は逸らさないまま、主に叫ぶ。 「陛下!離れていて下さい!」 「う、うん。でもさ……」 互いに動かなくなった剣に、同時に一旦離れた。それぞれ剣を構えなおし、相手を見据える。 一瞬の沈黙。 窓の外で、樹にとまっていた鳥が羽ばたいた。それが合図かのように、双方が床を蹴る。互いの剣が今まさに振り下ろされようとした瞬間、重低音の声が部屋に響いた。 「そこまでだ」 ピタリ、と二つの剣の動きが止まる。どちらも相手の刀身に触れるか触れないかのギリギリの距離だった。 腕を組んで壁に凭れていた影が、ゆらりと動く。黒に近い濃灰色の髪、ヨザックに負けないほどの長身。眉間に深く刻まれた皺は、不機嫌そうというより呆れているように見えた。 「もういいぞ、グリエ、コンラート」 「えぇー。これからがいいところじゃないですかぁ、閣下。グリ江の華麗な剣捌きをご披露しようと思ったのにー」 活躍の機会を失った剣を軽く振りながら、ヨザックが訴える。それを見たグウェンダルは、ゆるゆると首を振った。 「これは兵学校の者たちの訓練だろう。お前がそれを突破した以上、これで訓練は終了、お前たち二人が遣り合ったところで何の意味も無い」 「そう!それ!おれもそれを言いたかったんだって!」 護衛の言葉通り部屋の隅に大人しく下がっていた年若い魔王も、「はい、はーい!」と賛同の挙手をしながらこちらに歩み寄ってくる。 「ヨザックがあっという間にこの部屋まで来ちゃったのにも驚いたけど、二人が戦い始めるから、どうしようかと思ったよ。まぁ二人とも、剣は偽物の斬れないやつだけどさ」 「これぐらいやった方が、訓練にリアリティーが出るかと思って」 「リアリティーねぇ。まぁ、これがコンラッドの訓練ならわかるけどさ」 ヨザックから離れて木製の剣を鞘に納めるウェラー卿は、名付け子相手に爽やかさ漂う顔で笑ってみせている。「りありてー」とやらが何かは知らないが、木剣だって、さっきのあの形相で振り下ろされれば打撲傷は確実だ、と胸中だけでヨザックは抗議してみる。そもそも彼が命じられた内容に、ウェラー卿と遣り合うなんて予定は無かったというのに。 今回、グウェンダルよりヨザックに命じられた任は、兵学校の者たちの訓練の相手だった。兵学を勉強中のまだまだ未熟な者達に対する、実践訓練。実際に城の警備に就かせてみて、彼らがどのような動きをとるのかを見るというもので、ヨザックはその訓練中に陛下を狙って侵入してくる刺客役を仰せ付かった。 いざ全てを突破してしまった時のためにと剣は木製の偽物であるが、他は何を使おうがお前に任せるとグウェンダルに言われ、ヨザックはその言葉通り実行した。結果がこれだ。 結局、侵入者グリエと渡り合えたのは、兵学校の者でもなんでもない、ウェラー卿コンラートのみ。 隣から深い溜め息が聞こえ、ヨザックは苦笑した。 「閣下、溜め息は幸せを逃しちまいますよ」 「吐かずにいられるものか。不甲斐ないにもほどがある」 「やっぱり、いきなりヨザックが相手じゃ、レベルが高すぎたんじゃない?だってみんな、まだ兵士になるための勉強中の人たちなんだろ?」 「甘い。他所の刺客にグリエ程の者がいないと言い切れんだろう」 「あー、まぁ、それは確かに……」 口ごもった有利から視線を外し、グウェンダルがヨザックを向く。お前の目から見てどうだったかと問うてくるので、素直な感想を述べた。 警護の場所に偏りがあったこと、周囲の様子の確認が甘いこと、変事の際に全員で確認に向かい、誰もその場に残らなかったこと。 「色々と甘い点は多かったですが、やっぱり事前にオレ……刺客が陛下を狙ってくると分かっていたことも、問題な気がしますねぇ」 結局ヨザックは見破ってしまったものの、陛下を客室という普段はそうそう居ない場所に移動させたのも、事前に刺客が来ると分かっていたから打てる策だ。 更には、刺客役のヨザックとしても、常套手段の一つである変装して潜入という策が打てなかった。兵士たちは刺客が現れるものとして構えているのだから、そこで見慣れない兵士やメイドがやってくれば当然、刺客ではと怪しまれてしまう。しかし実際には、この変装による侵入は意外と通用する。見慣れない顔だと言われても「新入りなんでー」の一言で済み、更にはそれを理由に部屋の場所などの情報を聞き出せることもあるのだ。 今日の様子を見るに、兵学校の者達も今の状態ではこの策に騙される可能性が充分にあった。 「まぁこればっかりは、訓練ってことを考えると、どうしようもないことなんですけどねー」 「確かに。だが、お前の指摘ももっともだ。兵学校の教師たちにも話してみるとしよう」 頷いたグウェンダルが、報告書を作らなければと踵を返す。無論、傍らの有利に執務へ戻るよう促すのも忘れない。言われた王は少々嫌そうな顔をしたが、それでも「わかった」とグウェンダルに続いた。 が、部屋の扉を開けた瞬間、それぞれの声が上がる。 「……もうこの二人は解いておけ、グリエ」 「二人って?……って、え!?ちょっと!大丈夫なのか、この兵士さんたち!?」 グウェンダルの背後から廊下を覗いて慌てる有利の声に、ヨザックは忘れかけていた扉の外の存在を思い出す。すぐにそちらへと引き返せば、呆れ顔の幼馴染もついてきた。 「まさか怪我とかしてるんじゃ」 「グリエには本気でやっていいと言ってあったからな。手抜きの訓練などしても意味がなかろう」 「そりゃそうだけど」 「大丈夫ですよ、陛下。見たところ外傷はない」 「そうそう。隊長の言う通り。どっちも麻酔薬でお寝んねしてるだけですから、ご安心を」 兵士たちの拘束を解こうとする王の手を遮って、ヨザックは代わりに猿轡と縄を解きにかかる。心配顔の有利に「オレがちゃーんと、二人とも医療班の方に運んでおきますから」と笑いかければ、ようやく王は曲げていた膝を伸ばした。 「じゃあ頼むな、ヨザック」 「はーい、お任せを」 その遣り取りを横で見ていたグウェンダルが、思い出したように口を挟む。 「任せるといえばグリエ、中庭で軽い爆発を起こしたのはお前だな?」 確認というより断定に近いそれに、それでも素直に、 「ええ。あいつらの視線を逸らすためにちょっと」 と頷けば、当然のように上司から命令が降ってきた。 「爆発物の片付けもしておくように」 重々しく言い残して、颯爽と執務室の方へと去っていく。返事どころか文句一つ言う暇もない。 もっとも、自分で仕掛けたものだから自分で片付けるのが当然と言われれば、それまでなのだが。 離れていくグウェンダルの背を慌てて有利が追いかける。それに続こうとした男には、ヨザックは待ったをかけた。 「何だ?」 「隊長、実はお願いが」 「断る」 「即答!?せめて頼みの内容ぐらいは聞くでしょ、普通!」 嘆くヨザックに、ウェラー卿は「言われなくても想像がつく」と肩を竦める。 「どうせ、爆発物の方は俺に任せるとか言い出すんだろう?」 「さっすが隊長!ご名答。オレはこの二人を軍曹殿たちの所へ連れていかなきゃならないからさぁ」 「断る」 どこまでも冷たい対応に、ヨザックはどこから出したのか、グリ江モードでハンカチを噛んで崩れ落ちた。嘆くついでに、先ほどの文句も訴える。 「隊長ってば冷たい!ひどい!さっきだって、予定に無かったのにグリ江に襲い掛かってきたし!しかも剣が偽物とはいえ本気で!グリ江の玉のような肌に瑕がついちゃったらどうするの!?」 どこが玉の肌なのだと、呆れたようにヨザックを見下ろしたウェラー卿はしかし、声だけには真面目な色を滲ませて言った。 「瑕なんてつくはずないだろう?相手は他でもないお前なんだから。お前の実力なら本気を出しても大丈夫だと思った、それだけさ」 それはつまり、ヨザックの腕を信じている、と。 そんなことを、まるで今日の天気のことでも話すようにあっさりと言ってのけるものだから。言われたヨザックは、噛んだままのハンカチの遣り場に困ってしまった。 本当、この幼馴染みは卑怯だ。こんな風に言われたら、これ以上文句が言えないではないか。それどころか、少しでも油断すれば口が弧まで描いてしまいそうだ。 結局その日、結盟城では、医療班から急いで中庭へと取って返す諜報部員の姿が目撃された。 その目的は無論、自身が起こした爆発物の片付けである。 |
あとがき 更紗さまから頂戴した「ヨザックもの!」というシンプルなリクエストで書かせて頂きました。 拙宅は任務中のかっこいいお庭番が少ないなぁと思い、それを目指して書いていたのですが…あまりかっこよさが保ちませんでしたね。(苦笑) 結局、最終的にはコンラッドに頼めなかったお庭番。最後のコンラッドの発言が、素なのか計算なのかは、読んで下さる方のご想像次第です。(笑)私は個人的には、素であることを希望ですが。 更紗さま、リクエスト有り難うございました!! |