「……大丈夫かな、コンラッド」

 松明しか頼る光源が無い暗闇の中。呟かれた有利のそれがあまりにも不安そうで、隣を行くヨザックは殊更明るく言った。

「大丈夫ですよ。本人がああ言ってたんですから」

 明るいついでに、空いていた方の腕を暢気に振り回してみせる。

 

 彼らは今、聖砂国内の暗い地下通路を歩き続けている。どんな運命の悪戯か、小シマロン王サラレギーという厄介なオプション付きで。その彼は、この地下に入ってからずっと、水を得た魚のように二人のだいぶ先をズンズンと進んでいる。

 ヨザックは自分達とその少年王との間合いを気にしながらも、言葉を続けた。

 

「もし危ない、これが最期だとふんだら、もっと貴方へ盛大に笑顔を振りまいてますよ。そういう判りやすい奴なんです」

 ついさっきまで、ヨザックは相当へこんでいた。なぜよりによって、主君をこんな謎だらけの地下に、しかも危険人物上位の暗闇オッケー少年王なんぞと一緒の状態にしてしまったのか、と。けれど心優しい主は、少しも責めることなく、笑って自分を励ましてくれた。だからヨザックとしては、何とか有利の不安を少しでも取り除いてやりたい。

また、大丈夫と言い切れるだけの確信がヨザックにはあった。ルッテンベルクの獅子とまで呼ばれた男が、あんな腐った死体連中数人にやられたとなれば、末代までの語り草だ。

それに、あの日語り合ったことも――。

 

 

思い出すのは

 

 

「失礼しましたー」

 報告の任を済ませ、上官の部屋の扉を閉めた時だった。廊下の奥から慣れた気配が近付いてくるのを感じ、ヨザックは素直にそちらへ視線を向ける。ぶつかったのは、予想に違わぬ独特の茶の瞳。

「おや、隊長。お久しぶりです」

 ふざけて畏まった礼をすると、相手が笑った。

「ほんとだな。今日戻ってきたのか?」

「ああ、今朝方にな。そういや、坊ちゃんはどうしたんだ?」

 珍しく隣に双黒の魔王陛下の姿が見当たらず、ヨザックは尋ねる。それに対し、コンラートはわざとらしく軽く肩を竦めてみせた。

「ギュンターと帝王学の真っ最中だ。邪魔して部屋に入ろうものなら、彼から物凄い形相で睨まれる」

「はは、成る程ね。それで護衛閣下は暇をもてあましてるってわけか」

「まぁそんなところだ。それよりヨザック、少し外に出て話さないか?どうせお前も暇なんだろ?」

「ちょっと隊長、勝手にひとのことを暇人扱いしないでくれますー?」

 大袈裟なくらいに抗議の表情を作るヨザックの言葉を聞いているのかいないのか、コンラートは既に中庭へと向かって歩き出している。

 しかしヨザックも実のところ、今すぐしなければならないことがあるわけではなかったため、結局言われるがままコンラートの後を追った。相変わらずこの幼馴染には見透かされている、そう内心で苦笑しながら。

 

 

 丁度昼を過ぎた頃で、太陽の位置は高く、中庭はやけに明るかった。庭の中央にある花壇では、上王陛下が息子たちの名を付けた花たちが美しく咲き誇っている。それを横目に、二人して階段に陣取った。

 吹き抜ける風の心地よさに身を任せながら、最近の城内の様子や国外の情勢など、とりとめのない会話をしていたのだが、ふと、相手が突然言葉を切る。

「どうした?」

 顔を覗きこむが、コンラートの目は地面に向けられたままだった。けれど、その表情からヨザックは、これから話すことがこの男の今日の本題なのだろうと察する。特に用もないのにコンラートが自分を呼び止めてわざわざ二人で話そうと誘ってくるなんて、そうそうあることではないのだから。

 何度か逡巡するように口を開閉した幼馴染が、ようやく声を発した。

「お前は、最期の瞬間が近いとわかったら、どうする?」

 思いもよらない問いかけに、ヨザックは返事をし損ねる。

 更に補うように言葉が続けられた。

「自分が危ない立場にあって、今この瞬間が、大切なひととの今生の別れになりそうだとしたら、お前はどうする?」

「何が……」

 言いかけて、ヨザックはやめる。

 わざわざ尋ねなくとも、コンラートに何かがあったことなど明白だ。何があったのかと問いかけてみたところで、この男が話すはずもなく、また、問いかけるべきでもない。誰にでも踏み込まれたくない領域はあるし、こんな表情をした時のコンラートは、まさにその領域に佇んでいる時だと、長年の付き合いで嫌になるほど知っていた。

 

 ヨザックは、口にする言葉を変えた。

「お前は、どうするんだ?」

 質問に対して質問で返す。少々卑怯なそれに、けれどコンラートは不快そうにすることもなく答えた。初めからヨザックの返事など期待していなかったのかもしれない。

「笑う」

 コンラートはきっぱり一言、そう言った。言い切る声の力強さと、浮かべている表情の冷静さがかみ合わず、見ているヨザックは妙な感覚になる。

「……まぁ、お前ならそうするだろうな。その相手を安心させるためだってんだろ?」

 大方、コンラートの脳裏に今浮かんでいるのは、あの双黒の魔王陛下だろう。ヨザックは確信に近い思いでそう予想をつけた。

 窮地に陥り、自分がそれを食い止める間に、魔王を逃がす。その瞬間、王に対してこの男は笑うのだろう。自分は大丈夫だから安心しろ、先に行け、と。

 だが、コンラートから返ってきたのは意外な答えだった。

「本当に、それだけなのか?」

「は?」

「最近思うんだ。本当は、自分のためもあるんじゃないかって」

「自分のため?」

 怪訝そうにするヨザックに、コンラートは小さく頷く。

「人は誰かが死んだ時、最後に見たそのひとの様を思い返す。そういうものだろう?その時、苦痛に歪む顔でも、死への恐怖に引きつる顔でもなく、笑った顔を思い出して欲しい」

それまでどんなことがあったとしても、せめて思い返す記憶の中では笑顔でありたい。その相手が大切な存在なら、尚更。

「なのに、『相手を安心させるため』なんて、まるで相手のことを思い遣っているように装って、自分のその欲を隠してるんだ」

 コンラートは、薄く笑った。

「ズルイよな、俺たち」

自嘲というより、淡々とした物言いだった。

言葉を投げられたヨザックは一度目を瞑り、そして開く。ひょい、と肩を竦めた。

「おいおい、そりゃ『俺たち』じゃなくて『俺』の間違いだろ?勝手にオレまで道連れにするなっての」

皮肉めいた口調で言った彼はしかし、自分でも分かっていた。

「ズルイよな」という言葉に対しはっきりと否定できなかった時点で既に、答えは出ているのだと。

 

 

 

「盛大な笑顔って……ほんと?」

 いまだ不安そうな有利に、ヨザックは大きく頷いてみせた。

「ええ。本当に」

 あの頃のような気楽な関係とは遠くなってしまったが、あの時のあの気持ちだけは、お互い変わっていないと思う。だから、絶対にコンラートは生きている。

 その後も暫く説得を続けると、有利は少々安心したような顔になった。

 

 

 

「走って!立ち止まらずに!!」

 気負って余計なことを言ってしまった。怪訝そうに眉根を寄せた有利が、ほんの少し走る速度を緩める。

 こんな危機的状況下であるにも拘らず、ヨザックの脳内はそれには似つかわしくない思考だった。本来ならば雲の上のような存在であるひとが、自分なんかのことを気にかけてくれている、と。

 あの日の言葉が蘇った。

 

『ズルイよな、俺たち』

 

 本当にな、と心中だけであの日の幼馴染に同感しながら、ヨザックは有利の頬に軽く触れた。そして、自分でも驚くほど穏やかな顔で笑う。

「貴方は走って下さい、陛下」

 

 足を止めると同時、予め目をつけていた壁の突起を押した。瞬間、重くて厚い壁がその場の空気を遮断するべく上空から落ちてくる。

それが完全に地に突き刺さるのも見送ることなく、すぐさまその壁に背を向けた。腰の剣を抜いて地面に突き立てる。

すぐそこには巨大な転がる岩。手中の剣一本でこの岩を止めることなど無理に決まっている。それでも、最後まで足掻かずにはいられない。

 

 

さあ。さっきの己の笑顔は 陛下が思い出す最後のものになるのか、それとも――……。

 

 

 

 

 

あとがき

 結構前からネタとしてはあったのですが、手をつけるのが怖かったこのシーン。新刊ではどうなっちゃうのでしょうね、お庭番…。ううっ。(泣)

 ちなみに中庭でのコンラッドには何があったのか。お庭番は尋ねていませんが、一応裏話的な駄文があります。興味のある方は下へスクロールしてどうぞ〜。

 

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「コンラッド!」

 馬を降りたコンラートを出迎えたのは、五つの小さな笑顔。つられるようにコンラートも頬を緩めた。

「もうみんな集まっていたのか。まだ少し早いんじゃないのか?」

「いいんだ!だってここでヤキュウするの、いつもすっごく楽しみなんだもん!」

「ぼくも!早くやろうよ!!」

「ねぇコンラッド、陛下は?」

 コンラートの背後を覗き込むようにして言ったブランドンに、他の子供たちも「ほんとだ」と辺りをキョロキョロする。

 コンラートは彼らと視線が会うように腰を屈めて言った。

「陛下は急用ができてしまって、少し遅れそうなんだ。俺はそれを伝えるために早めに来た」

「えー、そうなの?残念。陛下がいると色々教えてもらえるのに」

「でも、来るのはコンラッドよりおれたちの方が早かったな!」

 デュシベルに得意げに胸を反らされ、コンラートは苦笑する。残念そうにしょげていた他の子供たちも、その様子を見ておかしそうに笑った。

 

 

 子供たちとボールパークに下り立ったコンラートは、ふと足を止めた。ベンチに一人、男が座っている。

 一瞬表情を険しくしたコンラートだったが、よくよく見れば見覚えのある顔だ。

「デュシベル、今日は君のお父さんも来ているんだな」

 挨拶程度しか言葉は交わしていないけれど、印象には残っていた。

 

 少し痩せ型だが、優しげな目元、温かみのある声。何より、たまに見かけた、家に帰ってくる息子を出迎える様子からは、家族への愛情が滲み出ていた。

 人間と魔族の板挟み的な立場にあるあの村の住人は、心が荒みがちな者も多い。だから余計、コンラートの記憶にこの男のことが残っていたのかもしれない。もっとも、あの村自体、父親を持つ子供が少ないのだが。

 

 コンラートの言葉に応えたのは、当のデュシベルではなくハウエルだった。

「デュシベル、本当は最初、今日はここに来ないって言ってたんだ。父さんと一緒にいたいって。でも、デュシベルの父さんが自分も一緒に行くって言ったから……――」

「おい、ハウエル!余計なこと言ってる暇があったら、さっさと始めよう!」

 ハウエルの言を途中で遮り、他の子供たちを引きずるようにしてデュシベルがグラウンドに向かう。その小さな背中を、コンラートは怪訝そうに見送った。

 デュシベルが父親と離れたがらなかったのは何故だろう。親と一緒でなければ寂しいと訴えるような年齢でもないはずだ。

「病気なんだ」

まだコンラートの隣に残っていたブランドンが、呟くように言った。弾かれるように、コンラートは声の主を見下ろす。

ブランドンは、静かな口調で続けた。

「デュシベルの父さん、悪い病気なんだって」

 

 

「こんにちは」

 声をかけると、男はゆったりとした笑みで見上げてきた。

「これは閣下。どうも、いつも息子たちがお世話に……」

 立ち上がろうとする男を、コンラートは慌てて押し止める。男はふふ、と小さく笑った。

「お聞きになったのですね。私の病のこと」

「えぇ……」

 態度があからさまだったかと、コンラートは内心後悔する。男は「それではお言葉に甘えて」とベンチに座り直した。

「でも、今はまだ大丈夫なんですよ。むしろ、動けるうちに動いておかないと」

「治療は?」

「いいえ。医者に診ていただきましたが、もう打つ手がないと」

 それはつまり、命は時間の問題であるということ。

「……デュシベルには、このことを?」

「まだ言っていません。ですが、やはり子供ながらに何かは感じるのでしょう。心配して、なかなか私の傍を離れようとしません」

「それで今日は一緒に?」

「ええ。こうでもしないと、あの子は大好きなヤキュウにも行きそうにありませんでしたから。……それに、私も見てみたかったんです、ヤキュウというものを」

男は、グラウンドへと目を向ける。

子供たちのはしゃぐ声が、風に乗って流れてくる。

「あんなに輝いた顔をして……。本当に楽しそうだ」

 哀しみを堪えるわけでも、諦めた風でもなく、男は心底嬉しそうに笑う。その横顔を見詰めるコンラートは、素直な思いが口を突いて出た。

 

「貴方はお強い」

「え?」

 未知の言葉でも聞いたかのように、男はコンラートを不思議そうに見上げる。

「そんな状況下でも、あなたは笑顔を絶やさない。デュシベルの前でも、今こうして彼が傍にいない時も」

 コンラートの言葉に、男は「とんでもない」と笑った。

「強くなんてありませんよ。ただ、こうやって笑ってばかりいたら、死んでから皆が私のことを思い出す時、嫌でも笑顔ばかり思い出すでしょう?」

「!?」

 球遊びに興じる子供たちの方へ視線を戻してしまった男は、コンラートが瞠目したことに気付かない。

 デュシベルがブランドンに向かって、真っ直ぐに球を投げた。

「どうせ思い出してもらえるなら、笑った顔がいいな……と。ただそれだけの思いなんです」

「……いいえ。やっぱり貴方はお強い」

 それまでとは違い呟くようなコンラートの口調に、男は驚いて隣を見る。

「貴方はご自分の思いを誤魔化していない。いるんですよ、もっともらしい建前でその気持ちに気付かないフリをする、ズルイ者が」

「閣下……」

 男は何か言いかけたが、子供たちにコンラートが呼ばれたため、二人の会話はそこで途切れた。

 

 

 

 

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