子供の頃の気持ちなんて、とうの昔に ほとんど忘れてしまったけれど。

やっぱり自分も、両親と過ごせる時間が少ないと、

寂しいと感じていたのだろうか。

 

 

Real intention

 

 

 前夜に当直だったこともあり、その日高木は普段より早めに仕事を切り上げることができた。

 佐藤が夜まで仕事があるのは残念だが、帰りに好きなプロレスのDVDでも借りて、家で久しぶりにゆっくりしようか……などと、鞄に荷物を詰めながらこれからの計画を脳内で立てていると。高木はいきなり、背後から肩を掴まれた。それも、かなりの力で。

「高木!今から上がりなのか!?」

「へ!?河野(こうの)さん!」

 何事かと振り向けば、先輩刑事の河野が切羽詰ったような顔で立っていた。ただでさえ元が強面だというのに、そんな必死の形相をされては、こちらとしては何ともいえない気分になる。

「そっ、そうですけど、何です?僕、何かマズイことでも……」

「高木、頼む!この通りだ!」

 身構えた高木に返ってきたのは、予想外の台詞。河野はまるで高木を拝むかのように、顔の前で両手を合わせた。

「俺の娘を迎えに行って、しばらく預かっててくれ!」

「……へ?」

 

 

 

「ピアノ教室は……と。多分この辺りだと思うだけどなぁ」

 河野から渡された手描きの地図を片手に、高木は周囲に視線を巡らせる。

 

 自分はどうしても今日中に片付けなければならない事件があるのだとか、妻はちょうど出張中でいないのだとか、最近は妙な事件が多いから心配なのだとか、親心をこれでもかとまくし立てられて尚、頼みを断れるようには、高木の精神はできておらず。

 結局、河野のひとり娘をピアノ教室まで迎えに行き、河野の仕事が終わるまでその子を預かることになってしまった。

 

 時は六時半過ぎ。とはいえ、まだ冬を越えたばかりのこの季節は、寒さは勿論、日の長さもまだ短い。辺りはだいぶ薄暗かった。

 確かに子供一人でうろつくには、危険なのかもしれない。

「あ、あった」

 グランドピアノと音符を模った看板が目に入った。視線を下ろせば、入り口で女の子が一人、キョロキョロとしながら立っている。

 高木は携帯を取り出し、少し前に送られてきた河野のメールを表示した。そこに添付された写真の子供と見比べてみる。間違いない。

 

「君、河野由佳(ゆか)ちゃん?」

 近付いて声をかけると、少女が驚いたように見上げてきた。耳よりも高い位置で結ったツインテールが、微かに揺れる。

 見知らぬ相手と分かると、瞬時に訝るような顔になった。

「お兄ちゃん、誰?」

「こんにちは。僕、お父さんと同じ所で刑事をやってる、高木です。今日はね、お父さんに頼まれて君を迎えに来ただ。お父さん、まだ仕事が忙しくて……――」

「手帳」

「え?」

 とりあえず“おじちゃん”呼ばわりされなかったことにホッとした高木だったが、少女に突然 手の平を差し出され、小首を傾げる。

「知らない人についていっちゃダメでしょ?けーさつ手帳見せてくれたら、信じてあげる」

「ああ、成る程ね」

 さすがは刑事の娘だ。小学一年生と聞いていたが、ちゃんと教育されているらしい。

 そういえば、少年探偵団の子供たちも一年生だったか……。最近は小さな子供でも馬鹿にはできない。

「はい、これだよ」

 取り出した警察手帳を、その小さな手の平にのせてやれば。載っている写真とこちらをチラチラと何度も見比べ、ようやく、

「わかった。お兄ちゃんを信じる」

と、同行する意を見せてくれた。

「ありがとう、信じてもらえて嬉しいよ。ところで、これからどうする?家に送っていってもいいけど……」

「他人を家につれてきちゃダメって、お父さん言ってた

「あはは、だよねー……」

 頭をかいて苦笑する。やはりしっかりと教育指導がなされているようだ。勿論、それはいいことだけれど。

しかしその理屈でいけば、きっと他者の家についていくのも駄目とされているだろう。よって、自分の家に連れて行くわけにもいかない。

 

ぐ〜っ。

 考え込んだ高木の横から、空腹を訴える微かな音がした。そちらを見やれば、頬を少し染めた少女の顔。駄目だと思いつつも、小さく笑ってしまった。

 しゃがみこみ、少女と視線を合わせる。

「ご飯、食べに行こうか。……と言っても、ファミレスぐらいしか連れて行けないだけど」

 給料日前の寂しい懐具合と、本日中に済ませると言っていたとはいえ、河野が事件を切り上げるのが何時になるか分からないことを考えると、二十四時間営業のファミレスが妥当と思われた。

 

 

 

「ごちそう様でした」

 空になったお子様セットのプレートに向かい、少女は両手を合わせた。つられるように、高木も空いた自分の皿に手を合わせる。仕事中は食事も急いでかき込むことが多く、いちいちこうして食後の感謝の言葉を述べていたか記憶がなかった。

 頭を上げた少女は、ふと脇に置かれた立てメニューを見る。そこには、フルーツやアイスをふんだんに使ったパフェの写真があった。

「食べたいの?」

 訊けば、相手はハッとしたようにこちらを向く。

「ううん、いいの」

「……そう」

 首を横に振る少女の笑顔に、高木は何とも言えない気分になった。

 これぐらいの年頃の子ならば、遠慮なんてせずに好きなものをガンガン頼んで、むしろこちらを困らせるようなイメージがある。無論、それは高木の偏見もあるのかもしれないが、それを抜きにしても、この子はどこか年相応とは違うものを感じるような気がした。

 それが、親の躾の賜物なのか、それとも……――。

「ん?」

 高木の思考は、鞄から鳴り響いた音によって中断させられた。事件の呼び出しかと一瞬眉をひそめたが、着信を告げていたのはプライベート用の携帯。

 取り出し、ざっとメールの内容を読むが、すぐに返信しなければならないものではなかったため、一旦鞄に仕舞い直す。

 

「……行っちゃうの?」

 消え入りそうな声を耳が拾い、ふと前方へ視線を戻した。そこには、不安そうな顔が一つ。

「ううん、これはプライベート用だから。事件とかじゃないよ」

 安心させるように微笑みかけるが、少女は顔を窓の外へと背けてしまう。

「わたし、ケータイの音、嫌い」

「え?」

「ケータイが鳴ると、お父さんすぐにいなくなっちゃうもん」

 窓外は、車が次々と走り抜けていく。その度に、少女の寂しげな顔がヘッドライトの色に染められた。

「一緒にお買い物してても、ご飯食べてても。ケータイが鳴ると、お父さん仕事に行っちゃう。この間 遊園地に行った時だって、一日 由佳と遊んでくれるって言ってたのに……」

泣きそうになったのか、少女は言葉を詰まらせる。おそらく、非番中に呼び出され、河野は遊園地を途中で抜けたのだろう。

携帯が鳴り、慌てて遊園地を出て行く父。その後姿を、自分一人か母親と二人かは分からないが、見送る気持ち。小学校の休みと刑事の非番が重なるのは、そうそう数は多くないだろう。そんな貴重な日さえ、途中で邪魔されてしまう。

今日だって、本来ならば父親が迎えに来るはずだった。なのに実際は、こうして見知らぬ自分と一緒に過ごす羽目になってしまっている。

 

「……寂しい?」

 高木は、ゆっくりと問いかけた。

 すると相手は、びくっと肩を揺らし。けれど、それまでずっと外へと向いていた視線がこちらに戻った時には、少女は笑っていた。

「ううん、平気だよ。だって、お父さんはプロのけーで、由佳はその子供だもん」

「そっか……」

 健気で頭のいい子だ。高木は、強がるように笑う少女の頭にポン、ポンと軽く手をのせる。

 彼の中での“年相応ではない気がする”という思いは、今や確信に変わっていた。小さな子供でも、おかれた環境次第で、こんなにも大人びた子になりうるのか。

 けれど、大人びているから平気、とは限らない。

「……ねぇ、パフェ、食べようか」

「え?」

 唐突な高木の言葉に、少女は目を丸くする。

「パフェ、本当は食べたいでしょ?」

「……でも、いいの?」

「うん。これぐらい、我慢せずに食べよう?」

 そう、せめて、それぐらいは。

 笑いかければ、少女も嬉しそうに口元を綻ばせた。

「うん!ありがとう!」

 

 

 

 結局、そのファミレスにいたのは二時間程度だった。九時を過ぎた頃には、河野が仕事を終えたらしく 娘を迎えにきたのだ。

 けれど一年生の身体には、その時間はもう眠たいものだったらしく。少女はすっかり寝入ってしまっていた。

 

「すまなかったな、高木。本当に助かった」

 小さな寝息を立てる娘を抱え上げながら、河野が言う。

「お礼といっては何だが、ここの代金は俺が払おう」

「あっ、いえ!気にしないで下さい。むしろ、それより……」

 慌てて両手を振った高木は、そっと少女の顔を見やる。

 どんな子供も寝顔は天使だ、なんて、誰かの言っていた言葉を思い出した。オーバーな表現をするものだと思っていたが、実際にまじまじと見れば、それも成る程と思えてくる。

「余所の家のことに対して差し出がましいとは思うですけど……由佳ちゃんと、できるだけ一緒の時間をつくってあげて下さい」

 告げれば、河野は驚いたようにこちらを見返してくる。

「由佳ちゃん、寂しいみたいでしたよ?この前の遊園地も、途中までしかお父さんと一緒にいられなかった……って。もっとも本人は、自分はプロの刑事の娘だから平気だ、なんて言ってましたけど

 けれど、時には言葉よりも目の方が、心情を伝えるものだ。

 ヘッドライトに照らされる少女の瞳は、あの時 揺れていた。

「そう……か……。この子がそんなことを……」

 眠る娘に視線を落とした河野は、起こさないようにそっと、その髪をすき。

「そうだな。だったら……――」

 

 微笑みながらの河野の言葉に、高木もつられるように微笑んだ。

 

 

 

 

本庁の捜査一課は、相変わらず忙しく、課室にいる人手は少ない。

その少ない居残り組の一人、自分のデスクに齧りつき事件の報告書を仕上げていた高木は、目暮の声に、ふと顔を上げた。

「おーい!杯戸町の事件の捜査から応援要請がきた!誰か……って、みんな手一杯だな」

室内を見渡した目暮は、困ったように眉を八の字にする。

「仕方ない。申し訳ないが非番の人に頼むとするか。確か今日は河野君が……――」

「あのっ、警部!」

 ガタッと音を立て、高木はイスから立ち上がった。

「僕、その応援に行きます」

「高木君?君がいくのかね?だが、君はまだ米花町の事件の片づけが……――」

「大丈夫です。後少しですから、これなら応援が終わって本庁に戻ってからでも仕上げられます」

 言って、高木は笑った。

「だから今日ぐらい、ゆっくりデートさせてあげましょう?」

「デート?河野君がかい?」

「ええ、実は……――」

 

 

 

 

『そうだな。だったら、あさっての非番はちょうど日曜だし、もう一度、由佳をあの遊園地に連れて行くとするか』

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 高木刑事がメインということで、それ以外のコナンキャラは極力出さないように心がけましたが……いかがでしたでしょう?本当はコナンでは、高佐の二人の話の方が、“ほのぼの”は書きやすいのですけれどね。(苦笑)

やっぱり小さい子の気持ちというものは難しいです。その年代の子が読めばきっと、「こんなこと思わないよ!(やらないよ!)」ということを多々書いてしまっているだろうなぁ……、難しい。

 

 さて、1周年の御礼ということで、この話はフリーとなっております。こんな話でもよければ、もらってやって下さいませ。1周年、本当に有難うございました!!

 

 

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