この話は、プチザビの「まるであなたの瞳の色」を未読で書いています。そのため、そこでの眞王と村田の関係性とは違っていると思います。

 それでもいい、あるいは「まるであなたの瞳の色」を未読の方のみご覧になってください。

 

 

 

 

 

 彼は、ひどくイラついていた。

 全てのことが気に入らない。

 これから起こることも、それを起こす原因も。

 そして――それらのことを事前に察知できてしまう、自分自身も。

 

 

再会の約束

 

 

停泊した船というものは、変化がなくて実につまらない。

船室を出ても、海風を感じることもなければ、周りの景色が通り過ぎていくこともなく。極たまに、強風が吹いて船が波に揺られるだけだ。……まぁ、友人の船酔いがちの婚約者にとっては、このうえなく幸せな状態なのだろうけど。

そんな取るに足りないことを考えながら、村田は船の甲板を独りで歩いていた。こうでもしなければ、今の自分の気持ちを制御できそうになくて。

 

彼はふと、足を止めた。目的の人物を見つけたからだ。

「グリエ」

呼びかけると、手摺りで頬杖をついていた大きな陰が顔を上げた。

「猊下」

「何してるのさ?船を降りないの?」

本当は探していたくせに、こんなことを言ってみる。

振り返った彼の隣に並び、同じように手摺りに手をかけた。そこからは、独立を喜ぶカロリアの人々の様子が見える。皆、笑顔だ。

「いや、降りますよ。あみぐるみ閣下に今回のことを報告しなきゃならんので。でも今は、プー閣下が会いにいってるんで、その後ですね。あ〜あ、きっと怒られるんだろうなぁ〜」

「あみぐるみって……フォンヴォルテール卿のことだったっけ?残念、その可愛らしい趣味と激しくギャップがあるっていう強面を見たかったなぁ〜」

嘆くお庭番の言葉を流してしまったが、相手はそのことは特に気にしないようだった。その代わり、村田の言った言葉に表情を変える。

「残念って……猊下は眞魔国に行かないおつもりなんですか」

「はは、さすが。すぐに分かるんだね。……まぁ正しくは、行かないんじゃなくて、“行けない”……かな」

「なぜです?」

「もうすぐ、“向こう”に帰るかもしれない」

 隣で相手が瞠目した。

「……わかるんですか?」

「いや、確証はない。だから、もしかしたら帰らないかもしれない。ただそんな感じがするだけだから」

「陛下は?」

「言ってない。でも、たぶん渋谷も一緒」

 そうですか、と呟くようにヨザックが答え、暫しの沈黙が降りる。

 しかし、その沈黙を破ったのも彼だった。

「……でも、どうしてオレに?」

「え?」

「どうして、そんな大切なことをオレに?」

 問われてみて、思った。何故自分は、彼にこんな話をしているのか。

 もちろん、事前に分かっているからには、このことは誰かに話しておくべきだろう。そして、今回のメンバーの中で一番頼れそうなのも彼だ。今考えれば、そんな冷静な理由がつけられる。

 だが、船室から出た時、自分はそんなことなど考えてもいなかった。ただ単に、彼を探すべきだと思った。

 理由など、なかった。

 

「……そういえば、どうしてだろう?」

 無意識のうちに素直な言葉が口を衝いていて、対する相手は苦笑を返してきた。

「ただ何となくオレに話してくれたんですか?……まぁ、頼りにしてくれてるってことでしょうから、光栄なことですけどね」

お庭番は、それ以上深くは追及してこなかった。つくづく思う、よくできた兵だ。

こちらの魔族たちは皆、キャラが濃い反面、仕事に関しては全く心配がいらないのかもしれない。

「それで?今度はいつお戻りになるんです?」

「わからないな……特に僕は。渋谷ならきっとまた呼ばれるだろうけど、その時に僕が一緒に来られるとは限らないから」

そう。全てを決めるのは“彼”。自分にはどうすることもできない。行くことも……帰ることも。

一度くらい、“彼”にも会っておきたかったのに。そんなに自分に会うのが嫌なのか。

イラつきの一因を思い出し、軽く頭を振った。忘れなければ。

 

ふ、と隣の人物を取り巻く空気が変わった。

「へ〜。それじゃ、このまま猊下が眞魔国にお戻りにならなければ、猊下と面識があるのは、オレとヴォルフラム閣下、サイズモア艦長にダカスコスの四人だけ……か。うわっ、オレって貴重〜」

明るいお庭番の言葉が、矢となって胸に突き刺さった。一瞬 呼吸を忘れる。

何故だろう。まるで昔からの友人に裏切られたような感覚に陥った。相手は出会って数日の異世界人なのに。

 込み上げてくる正体不明の悲愴感を、村田は笑顔で押しやった。

「そうだよ?だから僕の評判は君にかかってるんだ。誇張してでも、大賢者は逸材だったって国に広めておいて……――」

「ですがね、猊下」

 まるで村田の言葉など聞いていないかのように、相手が口を挟む。

「オレって見た目通り小心者だから、猊下を知る貴重な四人のうちの一人の役だなんて、荷が重いんですよ。 それに口下手で。猊下の偉業を語るなんて、オレには畏れ多過ぎちゃう」

 だから、と彼はこちらに向き直った。

 その顔に、微笑みを浮かべて。

「また戻ってきて下さい。猊下」

「グリエ……」

 スッ、と彼の大きな手がこちらに差し出される。

「また会いましょ、猊下」

村田は信じられない思いでその手を見つめた。

自分にこんな言葉を向けてくる相手が現れるなんて。

手を差し出してくる相手が……いるなんて。

 

ふ、と村田も小さく笑った。

「……君が小心者に見えるかどうかは別として」

 相手を見上げると、差し出されたままのその手を握る。

「そうだね。また……会えたらいいな」

 剣ダコだらけの、ゴツゴツした手だった。

 

 

 

 ヨザックがタラップを降りていくのを、デッキからぼんやりと眺めた。

「また会おう……か」

 独り呟く。

 お庭番からの言葉は、嬉しかったが同時に辛くもあった。

「……そんなこと言われたら、余計帰りたくなくなるじゃないか」

 本当、どうしてくれるんだ。

 内心でぼやきながらデッキを離れる。紅茶でも飲んで気を落ち着けよう。

 

厨房に入るとシンクへ向かい、薬缶に水を入れ火にかけた。

茶葉はどこだろうかと首を巡らせた村田の動きが止まる。部屋の隅に、巨大ドラム缶鍋を見つけたからだ。平原組の連中が作ろうとしていた「海月鍋」の名残だろう。

近付いて中を覗き込めば、たっぷりの水が入っていた。それこそ、空間移動も容易にできそうな量。

一瞬走った不安に、村田は首を横に振った。

「ありえないな」

 踵を返してシンクへ戻ると、そのまま胸の前で腕を組み、脇に寄り掛かる。

 ありえない。自分は何を不安がっているのだろう。ここにいるのは自分だけ。有利がいないのに自分だけ地球に帰されるようなことはないだろう。要は、有利がここに来なければ済むことだ。それも、湯を沸かして紅茶を飲むという、僅かな間。

 しかし彼のそんな思いは、数分後にあっさりと打ち砕かれる。

「村田」

 声をかけてきた相手を見て、この世は出来すぎていると心底思った。そして、この異世界との別れを確信する。

 それでも村田は努めて、いつも通りの口調をつくって答えた。

「あ、なんだ渋谷か」

 

 

 あとは自分の予想通りにことは進み。気が付いた時には、巨大ドラム缶鍋に流され地球へと戻っていた。

 結局、有利と共に帰ってきた。事前に自分が察知していた通りに。

 思わず自嘲した。

「会う前に地球に戻っちゃったよ。よっぽど相性が悪いんだねえ」

 最初に浮かんだのは、眞王廟にいるであろう“彼”。そして次に浮かんだのは、オレンジ髪の男。

 

――絶対また戻ってやる。

 

 今度は胸の内だけで呟いた。

 何としてでも、“彼”には会って一言ぐらい言ってやりたい。

 それに、あの男との約束もあるのだから。

 

 

 

『また会いましょ、猊下』

 

 

 

 

 

あとがき

 「地(マ)」のP203以降を参考に。有利視点をムラケン視点にして、おまけに捏造も加えちゃった、というやりたい放題。(苦笑)い、いかがでしょう?美鈴様。お相手はご希望のお庭番にしましたが……。

 ちなみにムラケン君のヨザックの呼び方は、今回は原作の「グリエ」にしてみました。でもこれまたムラケンは不思議で、「天(マ)」のP92では「グリエ」と呼び、P121では「グリエさん」と呼んでいるんです。どうして後になって丁寧に?……まぁ、猊下の気分次第ってことでしょうかね。(笑)

 美鈴様、お題提供、有難うございました!!

 

 

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