「そうつれないこと言わずにさぁ〜。ちょっとでいいから飲もうぜー、姉ちゃん」

 人間の男のその言葉に、周囲にいた眞魔国兵士は凍りついた。

 全員の心の叫びは決まっている。

 

 ――このバカ男―っ!!

 

「命知らずだねぇ……」

 独り涼しい顔で、アーダルベルトがぼそり、と呟き杯を仰いだ。

 

 

成長の有無

 

 

 それは、日もまだ高い頃だった。

 魔王陛下の追跡隊として編成された、眞魔国とカロリアの兵の集団は、「海のお友達号」の甲板で“親交を深める”という名目の酒盛りを行っていた。

彼らに課された任務は非常に重要だが、それは聖砂国に着いてからのこと。正直に言って、長い移動中の船上ですることなど何もない。というより、何もしようがない。海を飽きずに眺めていられるのも、せいぜい太陽が南中するまでだった。

宴も闌となった酒場には、倒れる者が続出するもの。気分よく夢の世界へ旅立っているのならば大抵問題ないが、厄介なのは、気分悪く意識が別の世界へ旅立っている者だ。そういう者たちを介抱するため、ギーゼラも少し前からこの男たちの酒盛り場へと足を運んでいた。

 

そんな時に彼女にかけられたのが、冒頭の台詞。忙しく動き回っていたギーゼラの腕を掴み、顔を真っ赤にしたカロリア兵の一人が、一緒に酒を飲もうと誘ったのだ。

当然彼女は、

「折角ですけど、今はちょっと」

 と笑顔と共に断ったのだが、そこで引き下がるような酔っ払いは少ない。熟練衛生兵の腕を掴んだままの男もその例に漏れず、再度彼女に酒を勧めた。

 青ざめたのは、その場にいた眞魔国兵たちだ。ここにいるカロリアの人間たちは、まだ彼女の鬼軍曹モードを知らない。だからこそできる行動、といえばそうなのだが、彼の行動が自殺行為に思えてならない。

 何とかして彼を止めなければ。そう思うのは皆同じだったが、行動できずにいたのもまた同じだった。誰もが皆、軍曹殿の怒りモードのとばっちりを受ける勇気を持てなかったのだ。縋る様に、近くにいるがたいのよい顎われマッチョを見詰めてみても、アーダルベルトは何やら冷めた目で一言呟くのみ。

 

「貴様……」

 低く呟かれた軍曹殿のそれに、眞魔国兵はザッと全員後ずさった。

 ギーゼラの腕に手をかけている男も、ようやく周囲の様子と彼女の異変に気付いたらしく、きょとんとする。しかし時はすでに遅い。この後に続く悲惨な図が容易に想像でき、眞魔国兵たちは一斉に両手で目を覆った。

 来る!また今夜も恐怖で眠れないのか!?

「いい加減に…――」

「いい加減にしておけ」

 軍曹殿が男の手を掴む前に、白い手が割って入った。ギーゼラの腕から乱暴に男の手を剥ぎ取る。

「見てわからないか?彼女はお前たち酔っ払いの介抱をしてくれているんだぞ。ほろ酔い気分で楽しむのはそちらの勝手だが、他人(ひと)の仕事を邪魔してまで楽しむ必要はないんじゃないのか?」

「……閣下」

 長兄に似た皺を眉間に刻ませて現れたのは、フォンビーレフェルト卿。

 突然の彼の登場に、ギーゼラの鬼軍曹モードも不発に終わる。

「来てくれ、ギーゼラ。あっちにも倒れた情けない奴等が大勢いる」

「え、ええ……」

 ギーゼラの手を引き去っていくその姿に、眞魔国兵には、さっきとはまた別のざわめきが起こった。

「お、おい……。ヴォルフラム閣下ってもしかして……」

「まさか!閣下には陛下がいらっしゃるだろ」

「そうだぞ。しかもよりによって軍曹殿……ううっ!ありえん!」

「だが今の様子じゃ……」

 この日、陛下特別特遇予想(陛下トト)に大きな動きがあったのは言うまでもない。

 

 

 

「よう。浮気者の閣下さんよぉ」

 船の手すりにしがみつき海を眺めている、金髪の八十代の若造を見つけ、アーダルベルトは声をかけた。

 鋭い剣幕でこちらを振り向いた美少年の口元には、謎の物体が貼り付いている。何だ、海を眺めていたのではなく、海に吐いていたのか。

「誰が……浮気者だと!?うぷっ!」

「おいおい、オレに向かって吐くなよ?」

「うるさい!言いがかり顎割れ男めっ」

「ひどい言い様だな」

 ちょっとは成長の兆しが見えた気がしたのだが、こういうところは変わっていない。

 やれやれと内心思いながら、アーダルベルトはヴォルフラムの隣の船縁に背を預ける。

「言っておくが、言いがかりのつもりはないぜ?さっきのあの様子を見てりゃ、誰だってお前さんが軍曹殿に気があると思うだろ。兵の奴らもそう噂してたぜ?」

 遠まわしに言うことなど苦手な彼が、ストレートに核心に迫れば。吐しゃ物を付けたままの相手は目を見開いた。

「ぼくがギーゼラに気があるだと!?何でそうなる!?」

「だから言ってるだろ?さっき酔っ払いに絡まれてた軍曹殿を、お前さんが助けてたじゃないか」

 何をわざわざ恍ける必要があるのか。

 思いながら隣を見れば、相手は固まっていた。たっぷり十は数えられるだけの間を置いて、その口は動いた。

「……そう、見えたのか?」

「違うのか?」

 尋ねれば、ヴォルフラムは罰が悪そうに視線を宙に彷徨わせる。

 しばらくの逡巡の後。

「……助けるつもりだった」

「ほらみろ。やっぱりな」

「だが相手が違う」

「はぁ?」

「あのカロリアの兵を助けるつもりだった」

「……は?」

 背後の海へと向けかけた視線を、もう一度隣人に戻せば。美少年が鼻息荒く詰め寄ってきた。

 頼むからいい加減、口元を拭いて欲しい。

「だってそうだろう!?ただでさえ戦力が心もとないというのに、あんなくだらないことで戦力を一人失ってなるものか!なのにお前たちときたら、傍観しているばかりでちっとも動かないじゃないかっ。だから、仕方なく指揮官であるこのぼくが、勇気を振り絞ってだな…――」

「……」

 つまり、あの人間の兵が使いものにならなくなるのを防ぐため……と。

 確かに、軍曹殿のことだから外的ダメージは与えなくとも、心的ダメージならば与えうるだろう。心理的なショックで、あのカロリア兵が再起不能となる可能性は十二分に考えられる。

 アーダルベルトは深ぶかと息を吐いた。

「成長したなぁ、お前さんも」

「はぁ?何を言っているんだ、グランツ。ぼくはお前のおだてなどにはのらないぞ」

「おだてじゃねーよ」

 「触らぬ軍曹に祟りなし」という言葉を知らないのだろうか。

戦力維持のために、捨て身であの鬼軍曹に向かっていくなんて。たいした度胸だ。

無論、自分だったらそんな危険なマネは絶対にしないが。

「けど、まぁ……」

 不意に落ちた真面目な声音で、アーダルベルトは我に返る。

 隣の美少年は、今度こそ海を眺めていた。

「もし本当に、お前が言うようにぼくが成長しているんだとしたら……それはギーゼラのお蔭だろうな。彼女と行動を共にしていて、反省させられることが何度かあった」

 グランツは両目を連続して三度瞬かせた。決してウィンクではない。あくまでも両目で、だ。

 驚いた。あの我がままプーが他者に、それも自分に、こんなことを語るなんて。どうやらこの若造は、本当に成長を遂げているらしい。

よし、ちょっと試してみるか。

「ほー。だったらやはり、浮気疑惑が出てもしょうがないよなぁ。寧ろ濃厚か?」

「だからなぜそうなる!?ユーリは確かに尻軽の浮気者だが、ぼくは断じて違う!!しつこいぞ、この顎割れ筋肉族めっ!」

「……」

 この短気さと口の悪さは、なかなか直るものではないようだ。

 

 

 

 

 

あとがき

 庭番の出番なし、第二弾(お題ものは除く)。ちなみに、初書きアーダルベルトです。

拍手で以前、「三男軍曹の話をもっと読みたいですー」というコメントを頂きまして、単純な管理人はこうして書いてしまったのです。(笑)

でもきっと、こんな話をご希望じゃなかったんですよね。もっと三男と軍曹のほのぼのした話とかをご希望だったんでしょうね……。ごめんなさい、今回は妙な笑いの方に走ってしまいました。(苦笑)

またいつかリベンジしたいと思っていますので、ご容赦下さいー。

 

 

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