わかっている。

白まんじゅうだって、ただ単にふざけてばかりいるわけではないと。

 

 人のことを散々からかうし、人の食事も横取りするが。

 それでもコイツは、いつだって他人(ひと)のことに敏感で。

 いつだって、他人のことを想ってる。

 

 

Sensitive

 

 

手にしたグラスから、カラン、と氷の溶ける音がした。

普段の酒飲みならば、こんな微かな音には気付かないだろう。へにゃへにゃ顔の魔術師や、賑やか好きの白い生き物、下手をすれば少女や少年まで混ざり、収拾がつかないほどの騒ぎになるからだ。

けれど、今夜は違った。皆が寝静まったのを見計らい、黒鋼は独り、気配を消して宿の庭へと出た。

別段、酒を独り占めしたかったわけではない。ただ、今日は独りになりたかった。いうならば酒は、ただの手持ち無沙汰解消品。

 庭に鎮座していた大き目の石に腰を据え、もう何杯目になるか分からない酒を口に運ぶ。けれど、いくら飲んでも美味く感じられない。

 頭の中では何度も、昼間見た光景がくり返されていた。 

 

 

 

 砂漠の姫の羽根を探すため、手分けして手掛かりとなりそうな情報を集めていた時のこと。単独で動いていた黒鋼は、一軒の家の前に人だかりを見つけ、足を止めた。ざわついているその声は、楽しそうなものではなく、むしろ哀れむような類のもので。

何であれ、異変は一応調べておくべきだろう。そう判断し、黒鋼はその輪に入っていった。

 

「おい、どうしたん……」

 人の波を掻き分けていた黒鋼は、中央に進み出る前に言葉を失った。

 人々が取り囲む中央、家の庭が見えた。そこには、血だらけで倒れている男女が一人ずつ。遠目に見ても、息絶えているのが分かる。

そしてその傍らには、うずくまっている生きた少年が一人。声を殺して泣いていた。

「……何があったんだ?」

 近くにいた中年の女を捉まえ低く問いかけると、相手は小さく息を吐く。

「強盗にやられたのさ、二人ともね。幸いその時、一人息子は家にいなかったから殺されずに済んだけど」

 女は、信じられないとばかりに首を振っている。

 黒鋼は、再び庭の惨状へと目を向けた。独り泣き伏す少年は、決して声を上げず。ただただ、その身を上下に細かく震わせるのみ。

 

事件の事の次第など、自分には関係ない。

その後一応調べもしてみたが、サクラの羽根はこの件に関係していなかった。

それでも。あの事件が、あの少年の姿が、黒鋼の頭にこびりついて離れない。

ある日突然、日常を奪われる。たった一人で、両親を失った悲しみに耐えていかねばならない、少年の想い。それは、己の持つ憂いに似ているようで。

これからの少年のことを考えると、妙に胸が痛んだ。

 

 

 

「……らしくねぇな」

 独り、自嘲する。気が付けば、グラス内の氷がすっかり溶けてしまっていた。握っていた手にも、グラスの水滴が纏わりついている。

 感傷にひたるなんて、己の柄ではない。そう、自分で自分の思考を振り払った。

 自分がこうして思いを廻らせてみたところで、何になるというのか。犯人を捕まえるのは、この国の警察とやらの仕事。ただの通りすがりの旅人である己があの少年にしてやれることなど、ありはしないのに。

 

「うわー、まん丸お月様だー」

 突然降って湧いた声に、黒鋼は驚愕して振り向いた。そこにいたのは、見慣れた真っ白い不可思議生物。

 動揺をそのまま表に出すようなマネはしなかったが、こんなに傍まで来ていたのに気配に気付けなかった自分に驚く。それほどまでに考え込んでいたということか。

「……まだ寝てなかったのかよ、白まんじゅう」

 拒絶するように再び背を向けてみても、相手はちっとも気にしない様子で黒鋼の右肩に飛び乗ってきた。

「モコナも月見酒したい!」

「あぁ?俺の分の酒が減るだろーが」

「まだあと二本もあるんだから、一本ぐらいモコナにもちょーだい!それに、飲みすぎはよくないの!」

「うるせぇ」

 悪態をつき、一気にグラスの中身を煽る。と、あまりの味の薄さに思わず眉間に皺が寄った。今更ながら、氷が全て溶けきっていたことを思い出す。

 本当に、どこまでも散々な気がしてくる。

 

 いつの間にやら肩から下りていたモコナは、さも当然といわんばかりに、隣で酒瓶を一つ抱きかかえていた。どうあっても一緒に酒を飲む気らしい。

「お月様、きれーだねー。まーん丸!」

「……」

 相変わらずの糸目だが、それでもモコナがうっとりと月を見上げているのだと分かる。だが、話を振られた黒鋼は、とても応える気になれなかった。こんな気分の時に、美しいものへの評価だなんて。そもそも自分は、今宵が満月であることにさえ、言われるまで気付かなかった。

「あ、そうだ!」

 そんな黒鋼の気を知ってか知らずか。ポン、と楽しげに両手を打ち合わせた白き生物は、抱えた酒瓶を一旦地面に下ろし、そのまま庭の隅へと飛び跳ねていく。

 何事かと見やれば、十も数えないうちに再び戻ってきた。その手には、青いバケツが握られている。

「何だ?その中に入りたいのか?」

「違うっ!モコナ、釣ったお魚じゃないもん!!」

 ぷぅっと一度膨れてみせたモコナだったが、すぐに元に戻り、引きずってきた空のバケツを黒鋼に突き出した。

「これにお水入れて欲しいの」

「何だ、やっぱり釣られた魚になりたいんじゃねえか」

「違うってば!モコナはモコナ!いーからお水入れてきてっ!!」

「あ゛ー。ったく、うるせぇーなぁ……」

 渋々、黒鋼もグラスを置いて腰を上げる。

相変わらずモコナの意図するところは分からなかったが、それでもバケツ片手に庭にあった蛇口へと向かった。普段は水撒きに使われているのだろう、蛇口に差し込まれたままのホースを一旦外し、バケツに水を満たす。

 

「汲んできたぞ」

小さな影の元へ戻ると、「ここに置いて!」と更に指示された。

言われた通りの場所にバケツを下ろせば、モコナがピョン、とバケツの淵に乗る。

「ほらほら、見て!お月様を借りちゃった!」

「あぁ?」

訝しげに眉をひそめつつ、黒鋼も真っ白な手が示す先を見た。

まだ微かに波紋が残る水面には、淡い金色を放つ円が一つ。

「……成る程な。けどこりゃあ、借りたと言っても鏡花水月。触れやしねぇだろ」

「きょーかすいげつ?」

 一心にバケツの中を見つめていた目が、不思議そうに見上げてくる。

「鏡に映った花、水面に映った月。目で見ることはできるが、実際に手に取ることはできねぇモンのことだ」

「へー。黒鋼、意外と物知りー」

「悪かったな、意外で」

 手近な酒瓶を掴みながら応えれば、「黒鋼ったら照れ屋さ〜ん」と訳の分からないツッコミを入れられた。

それを無視して空になったグラスに酒を注いでいると、モコナが思いついたようにこちらを覗き込んでくる。

「あ、じゃあ、月のウサギさんのこと知ってる?」

「月の表面の模様が、兎に見えるってだけだろ」

「違うよー。月のウサギさんは、ほんとにいるんだよ!」

「はぁ?」

 思わず黒鋼は、眉間の皺の数を増やした。そんなもの、夢物語でしか聞いたことがない。

 対するモコナは、得意げに胸をそらす。

「侑子たちとお月見してる時にね、桶に水を入れてお月様を映したの。そしたらね、桶からウサギさんが出てきたの!」

「……夢でもみたんじゃねぇのか?」

「違うもんっ!ちゃんと見たもん!ウサギさんにお餅のつき方教えてもらったんだもん!!」

「餅だぁ?ますます嘘くせぇ」

「ほんとだもん!!モコナ嘘つかない!」

 白い生物が身を乗り出して抗議したのと、黒の忍が呆れた溜め息を吐いたのと、水面の月が風もないのに揺らいだのは、ほぼ同時だった。

 

「っ!?」

水中からの気配をいち早く察知し、蒼氷の柄に手をかけた男は。

刀身を半分抜いたままの状態で呆然とした。

「こりゃあ……何だ……?」

 バケツの水に映っていた月。そこから現出したのは。

「あれ?黒鋼、ウサギさんのことも知らないのー?」

 そう、真っ白な身体に赤い目を持つ、兎。

「ちげぇよ!俺が言ってんのは、兎が水から出てくるわけがねぇってことだ!!」

「だからモコナ言ったでしょー?月のウサギさんに会ったって。なのに黒鋼、いきなりウサギさんを斬ろうとするなんて、サイテー」

 モコナの横で、兎もその通りだと言わんばかりにコクコクと頷いている。

「魔物だったら斬ってやろうと思ったんだよ!」

「ごめんねー、ウサギさん」

「人の話を聞けっ!」

 叫ぶ黒鋼は、段々と頭痛らしきものを覚え始めていた。

 今日は厄日か何かだろうか。そもそも今宵は、独り静かに杯を傾けるはずではなかったのか。

 けれど黒鋼の頭痛のタネは、こんなものでは終わらない。

 

「んん?なーに、ウサギさん?」

 先のモコナの言葉通り、餅つきとやらも本当にするのだろう。杵を片手に持つ兎は、モコナに何やら耳打ちをする。言われたモコナも、納得したように頷いた。

「あぁ、そっかー」

「おい。その兎、何だって?」

 こちらが問いかけたというのに、向こうからも問いかけが返ってくる。

「ねぇねぇ黒鋼、もち米持ってる?」

「はぁ?」

 黒鋼は、もう本日何本目になるか分からない眉間の皺を刻んだ。

「そんなの持ってるワケねぇだろ。そもそもこの国は、米すら存在しねぇんだぞ?」

 もっともな言い分を述べたというのに、目の前の二匹は明らかにつまらなさそうな反応を示す。

「えー、もち米がないとウサギさんにお餅つき教えてもらえないんだよー?黒鋼ったら、準備悪いー」

「俺のせいかよ!?……って、ん?何だ?」

 モコナの隣でコクコクと頷くばかりだった兎が、何を思ったか、突然こちらに向かって突進してきた。そのままピョンピョンと器用に黒鋼の左肩上にまで登ってくると、彼の横顔をこれでもかと凝視してくる。

 そのただならぬ雰囲気に、思わず黒鋼も警戒した刹那。

 兎はちょい、とつついた。

 黒鋼の頬を、ほんの一度だけ。

「……って、たったそれだけかよ!?何がしたいんだ、お前はっ!?」

これぐらいのことに一瞬でも身構えてしまった羞恥心も手伝って、忍の男は盛大に怒鳴った。けれど向かいからは、「あぁ」と得心したような声が上がる。

「そっかぁ。黒鋼のほっぺって、意外とプニプニしてるんだよねー。お餅みたいに!」

「……は?」

 瞬時に黒鋼の脳内で、再度警報が鳴った。今度は間違いない。そんな、持ちたくもない確信を持つ。

 横目で左肩を見れば、そこには既に、杵を振り上げている兎の姿。

「馬鹿っ、やめろ!」

 叫んだところで時既に遅し。黒鋼の左頬に、杵の一撃が入れられた。そしてその後も、リズムが命とばかりにペッタンペッタン、容赦なく杵の先端が頬を襲ってくる。

 しまいにはモコナまでもが、「一緒にやりたーい!」と右肩に登ってきた。

「やーめーろー!俺は餅じゃねぇーっ!!」

 

 この時、黒鋼は今度こそ思った。今日は間違いなく厄日だ、と。

 

 

 

「何だったんだよ今のは!」

 兎の消えていったバケツに向かい、黒鋼はこれでもかと吐き捨てた。

 一通り黒鋼の頬をついて満足したのか、月の兎はモコナに握手を、黒鋼に一礼を残し、あっという間にバケツの水面の月へとその身を溶かした。

 夢だったと言われても納得してしまいそうな、そんな短い間での出来事。けれど、両頬に僅かに残っている痛みが、今の現象が現実だったと主張している。

 杵でつかれたといっても、小動物の力。一発一発に大した痛みはなかったが、それでも何発も受けたため、多少ヒリヒリとした感覚があった。

 それだというのに、この一連の騒ぎの元々の原因は、満面の笑みでこちらを見上げてくる。

「楽しかったねー」

「どこがだっ!」

 声を荒げる黒鋼に、モコナは「うふふー」と意味ありげに笑う。

「何だよ!?」

「黒鋼、元気出たね」

 言われ、思わず瞠目した。

 確かにこの魔法生物が来るまでは、いや、来てからもしばらくは、こんな風に突っ込むことも、怒鳴る気力さえもなかった。

 なのに、今は。

 

「……白まんじゅうのくせに、気なんて使ってんじゃねーよ」

ピン、と軽く、白くてモコモコとしたその体を指で弾いた。

 

わかっている。モコナだって、ただ単にふざけてばかりいるわけではないと。

人のことを散々からかうし、人の食事も横取りするが。

それでもこの不可思議生物は、いつだって他人(ひと)のことに敏感で。

いつだって、他人のことを想っている。

 

モコナを見下ろす黒鋼の口角は、自身でも気付かぬうちに微かに上がっていて。

対するモコナも、「白まんじゅうじゃなくて、モコナだもーん」と笑っただけで、弾かれたことへの文句は何も言わなかった。

 

 

 

「ねぇねぇ黒鋼、もう一回飲み直そ!中秋の名月に、乾杯―!!」

 ご機嫌なモコナの勢いにつられ、思わず自身もグラスを合わせた黒鋼だったが。相手の一言がどうにも引っかかった。

「おい、白まんじゅう。どうして今日が中秋の名月だなんて分かる?」

 確かに気候や自然の様子を見れば、今のこの国の季節が「秋」だと言われても納得はできるが。

 するとモコナは、「あれ?」とあるのかないのか分からない小首を傾げる。

「言ってなかったっけ?中秋の名月の時じゃないと、月のウサギさんは出てきてくれないんだよ?」

「言ってないだろ、そんなこと」

 つまり、兎が現れたということは、今日がこの国の中秋の名月である、と。

 酒を一口含んだモコナが、上空の月を見上げる。

「あとね、中秋の名月を水に映してお願いごとをすると、それが叶うんだってー」

「それも初耳だな」

 杯を煽り空にしていると、白くて小さな手にクイッと袖を引かれる。

「あ?何だよ?」

「黒鋼も何かお願いごとしたら?お月様が叶えてくれるかもよ」

 先ほどのバケツを示しながらモコナが言う。

 水面に映っていた月の位置は、始めに汲んだ時よりも僅かに動いていた。

「願い……か」

 真っ先に浮かんだのは、日本国へ戻ること。

 けれどその願いは既に、癪ではあるがあの異国の魔女に託している。

 ならば。

 

 手にしていた杯を脇に置くと、黒鋼は立ち上がる。そしてそのままバケツに歩み寄ると、そこに映った月へ向かい手を合わせた。

「……何をお願いしたの?」

 顔を上げると、モコナが酒を飲むのをやめてこちらを見ている。

「ちょっと……とあるガキのことを、な」

「小狼?」

「いや」

 首を横に振った黒鋼は、ほんの少し、遠くを見るような目をした。

「……この国に住む、とあるガキのことだ」

 

 

 それが、

 ただの通りすがりである旅人の己にできる

 精一杯のこと。

 

 

 

 

 

あとがき

前半、コナンものを書く時でさえこんな理不尽な事件(←ただ盗むためだけに殺されてしまう、という)は書かないのに、なぜツバサで出てきてしまったのか…。(苦笑)

後半は反動のように、色々楽しいことをやっていますが。(笑)アニメでファイさんが黒鋼さんの頬を伸ばしているシーンを見て、意外とほっぺが柔らかいのかもなぁ〜と、管理人が思ったのがそもそもの原因です。ははは。

でも、アップする時期とは外れたネタになってしまいましたね。(苦笑)あと、お気づきの方もいらっしゃるかとは思いますが、ソエルとラーグの絵本のネタも一部使用しています。

 

 

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