背負い続ける 明朝行われる式典のために、どうしても今日中に血盟城に戻らなくてはならない。そう言って、隣を行くコンラッドは苦々しい顔でいつもとは違う方向に馬を進めた。そちらの方が城への近道なのだという。 おれはてっきり、彼のその表情は遠出をしようと言い出したおれに対するものなのかと思ったのだが、どうやら違ったらしい。 「眞魔国にも……まだこんな村があったんだな」 村の狭い道を馬で駆け抜けるわけにもいかない。アオの手綱を引いて歩きながら呟いたおれに、「えぇ」と短くウェラー卿が返した。 「……何で、今まで教えてくれなかったんだ」 「貴方がそういう顔をするだろうと思ったので」 そう。コンラッドは……いや、コンラッド“達”は、おれにこの村の存在を知らせたくなかったんだ、きっと。 初めて通るこの村の印象を一言で表現するならば、「寂しい」だ。 崩れかけた廃屋が建ち並び、かつては在ったのだろう店の看板も、今は朽ちて文字さえ読みとれない。偶に現れる畑らしき場所からは、枯れかけの葉や、だらりと垂れた茎が覗いていた。おそらくそれらを引っこ抜いてみても、本来のものとはほど遠い、ひょろりとした作物が出てくるだけだろう。 人気(ひとけ)もほとんど感じられず、誰も通らない道をただ、乾いた風が吹き抜けていく。コンラッドの言によれば、事実この村に住んでいる者はほとんどいないらしい。かつてこの村に住んでいた者達の多くは、数年前に他の地に移ったのだという。 運の悪い村だった、などと言えるのは他人事だからか。突如この村を日照りが襲い、土は干からび、作物が育たなくなった。そこへ降り出した、数カ月ぶりの恵みの雨。しかしそれは、これまで降らなかった分の反動のように大量に降り続き、今度は洪水となって村に襲いかかった。そのせいで、稲や種までもが流され、人々は生きていく糧を失った。それどころか、家の中に在った物も、多くが駄目になった。 眞魔国側も、彼らに対して新たに住む土地を用意した。多くの者たちはそこへと移り住んだが、全体の二割程度だろうか、この村に残るという者達もいた。生まれ育ったこの村を捨てられはしない、と。 そのような経緯も、おれが催促してようやく、コンラッドは語ってくれた。おれが訊かなかったら、きっと彼から話すことなど無かっただろう。「おれの心を悩ませないため」、に。 「遊んでる子どもたちさえいないんだな」 言えば、隣を行く男の手綱を持つ手がピクリと動き、「そうですね」と無難な応えが返ってくる。だからおれは、コンラッドを覗き込むようにして言った。 「何か心当たりあるなら教えてよ。おれのこと、あんまり甘やかさないでさ」 ウェラー卿が、ちょっと驚いたような目をおれに向ける。 言っただろ。おれは分かるんだ、あんたの考えてること。 コンラッドはゆるりと目を閉じ、そして開いた。 「……たぶん、子どもたちも余計なエネルギーを使わないようにしているんでしょう。腹が減らないように」 まだ訊きたいことはあったけれど、彼との会話はそこで途切れた。「ぎゅるる」とも「ぐゅるる」とも表現しがたい大きな音が、辺りに響いたからだ。 ふと見れば、暗い脇道にしゃがみ込んでいる小さな影があった。グレタより少し年上に見える男の子。けれど、どう見ても健康的とは言えない。 目が合うと、その子は微かに苦笑した。 「すみません、驚かせてしまって。旅の方ですか?」 一応、目立つ髪も瞳も色を変えているので、まさか魔王だとはバレないだろう。アオの手綱を引いて脇道に入る。コンラッドも、黙ってついてきた。 「うん。まぁ、そんなところ」 「だったら、早く去った方がいいですよ。ここには珍しいものなんて何もありませんから」 そこでまた、「ぐきゅるるる」と音が響く。少年は両手で腹を押さえ、再び「すみません」と謝る。 「謝る必要なんて無いよ。……何も、食べてないの?」 「いいえ。今朝は、卵を一個まるまる食べさせてもらいました」 言って、少年は嬉しそうに笑った。けれど、今はもう日も沈もうかという夕暮れ時。朝に卵をたった一個食べたっきりだなんて、成長期には辛すぎるはずだ。 大丈夫かと思わず口走ってしまったおれに、彼は笑って頷いた。 「えぇ、これが日常ですから。何年か前までは、一日一食だったんですよ?でも今は、国からの援助も増えて、一日二食も食べられるようになりました」 あと少しで夕飯ですし、我慢できます。 そう言った彼の腹が、三度目の音を立てた。おれは堪えられずに、アオにくくりつけていた荷物に手を伸ばそうとする。確か、まだ携帯食が残っていたはずだ。 けれど、おれの動きを遮るかのように、コンラッドが声を上げた。少年に向かって。 「これから雨が降りそうだ。家に入っておいた方がいい」 「え?」 見上げてくる子どもに、ウェラー卿が空を指さしてみせる。確かに、黒雲が集まり始めていた。 慌てたように、けれど実際はゆっくりとした動きで立ち上がった少年は、こちらに一礼し、細い足でフラフラと歩き出す。その背中は途中の角を曲がったため、すぐに見えなくなった。 「何で」 身を反転させて馬の手綱を引くコンラッドに向かい、呟く。 「この辺りでは、衣類も貴重なんです。今あの子が着ていた服が濡れたとして、替えがあるとは限らない」 「そうじゃなくて!」 「あの子が言っていたでしょう、これが日常だと。つまりはそういうことなんです」 言い募るおれに、ウェラー卿はこちらを見もせずに言った。こういう時の彼は、おれと正反対にひどく冷静になる。 「俺も、隊にいた時に似たような経験をしたから分かります。あの子にとっては、これが当たり前。あの子の身体も、その生活に対応できるように既にこれまでの日々で出来上がっているはずです。そこへ今日、貴方がいつもより余分に食べ物を与えてしまったらどうなります?あの子の腹はすぐに、そちらに対応してしまう」 そこでようやく、彼は自身の肩越しにこちらを見た。おれに告げるのが辛いとでも言いたげに、眉根が寄せられている。 「そうなればあの子は、明日からもっと空腹を感じることになるんです」 もっとも、貴方がこれから毎日、同じようにあの子へ携帯食を渡すというのなら、話は別かもしれませんが。 付け加えるようにそう言って、コンラッドは先に歩き出した。 何も言えなかった。ここで空腹に悩まされているのは、あの子だけじゃない。例え元々ここに住んでいる人の数が少なくても、きっとおれの想像以上に沢山いる。その人たち全員に毎日食べるものを届けることなんて、少なくとも今のおれにはできない。 だから結局おれは、無言でコンラッドの背中を追った。 ウェラー卿の天気予報通り、おれたちが城に入る頃には雨が降り出した。 自室に戻ったおれは、ベッドに腰掛けて、その様子をぼんやりと眺める。窓に貼り付いては、ゆっくりと流れていく水。 と、不意に扉がノックされた。 「ユーリ、夜の食事の準備ができたそうだ。早く来い」 「うん……」 顔を出したのはヴォルフラムだった。外が暗いせいで彼の姿が窓に映ったから、振り返って確認することもなく返事をする。 窓の中のヴォルフの顔が、怪訝そうに歪んだ。 「どうした?何をぼんやりとしている?」 「いや、ちょっと……物を食べる気分になれなくて」 「昼間のことか?」 図星を指され、思わず相手を振り返る。ちょうど、ヴォルフラムは扉を閉じてこちらに一歩踏み出したところだった。 「コンラートに聞いた」 「へぇ、コンラッドにね」 ウェラー卿も、妙なところでお喋りなもんだ。 ヴォルフラムはこちらまで来ると、断りもせずにおれの隣に腰を下ろした。もっとも、おれも一々咎めるつもりなんて毛頭ないけれど。 彼は腕組みをすると、さぁ聞いてやろうと言わんばかりの顔でおれをじっと見る。こうなった時のヴォルフは、どうはぐらかしても無駄だとこれまでの経験で知っているから、おれも素直に口を開いた。 「いいのかな、って思って」 どこから説明したらいいのか分からなかったが、きっとウェラー卿のことだ、ほとんどの経緯を話しているだろう。 「あの子みたいに、生活が苦しい人たちもいるんだって思ったら……ううん、それを目の当たりにしたら、何かおれ、あんなに豪華な料理を腹いっぱい食べてていいのかなって。もっと質素なものにして、量も減らして、その分浮いたお金を、生活が苦しい所に送ってあげた方がいいんじゃないかなって、そう思って」 自分の頭の中でもあまり纏まりきれていないそれは、言葉にしてみると尚更つたなかった。それでもヴォルフラムは黙っておれの言葉を聞き、そして言う。 「言いたいことは以上か?」 「うん。まぁ、一応……」 「では、今度はぼくが言わせてもらうぞ」 何を、とおれが問う暇もなく、フォンビーレフェルト卿はすぅっと息を吸い込み怒鳴った。 「お前はどこまでへなちょこなんだ、ユーリ!!」 彼は、ベッドの布団に片手を思いっきり叩き付けた。よく見れば頬に微かに朱が昇っている。もしかしたら本当は、おれを叩き付けたいのかもしれない。 「甘ったれるな。だったら尚更食べろ!腹いっぱい食べたくても食べられない奴がいるんだろう?なのにお前は、それができる状況下にいて食べないというのか!?そんなのは甘えでしかないぞ!王というのは、それが許されるぐらい、重くて大きな責任を負っているということを忘れるな!」 食べないことはつまり、その責任から逃げるのと同義。 敵も味方も関係なく、多くの人から向けられる期待や、悲しみや、時には憎悪の感情。それら全てを放り出すのと、同じこと。 「食べろ。食べてその分、責任を負え」 「ヴォルフ……」 揺らぐことなく真っ直ぐにおれを射抜いてくる、エメラルドグリーンの瞳を見て思った。コンラッドも、こんな風にキッパリと言い切ってくれたらいいのに。おれなんかの心を心配して、辛そうな顔で告げたりせずに。 おれはヴォルフの言うとおり、どうしようもないへなちょこだ。甘やかされて無知なまま。おまけにこうして誰かに教えてもらわなければ、真実に気付けない。けれど、だからこそ、教えてもらったのなら変わりたい。へなちょこなりに、気付けたことを大切にして、進化したい。 だからこんなおれにも、遠慮なんてせずに厳しい現実を知らせて欲しい。ヴォルフラムのように。 「ごめん、そうだよな、ヴォルフ。食べよう」 立ち上がり、まだ座ったままの相手を見下ろす。 「有難う。ごめんな、こんなへなちょこな王様で」 告げれば、肩を竦めたヴォルフラムも立ち上がる。 「気にするな。別にお前のへなちょこぶりは」 「今に始まったことじゃない、だろ?」 続く言葉を先読みすれば、彼は驚きと呆れの混ざった顔で笑った。 隣を歩いていたヴォルフラムが先に回り、晩餐会の間へと続く扉を押し開ける。 おれを出迎えたのは、ギュンターとグウェンダル、コンラッド、そして、胃袋が八つに角が五本の最高級牛のフルコースだった。 |
あとがき カナリア様から頂戴した、「ゆーちゃんのシリアスなお話」というリクエストで書かせていただきました。 誰の考え方が正しいとか、間違っているとか。それは人それぞれだと思いますけれど。でも、王様に限らず、例えば社長であったり、校長であったり。トップに立つ人というのは、裕福さを受け取れるだけの何かを背負っているものだと思います。(もっとも、中にはそれが出来ていない人や、逆に裕福ささえも受け取れていないような大変な状況のトップの方もいらっしゃると思いますけれど…。) カナリア様、リクエストに加えて応援のお言葉まで、本当に有難うございました! |