私の元から絶対にいなくならない。 あの日の彼の約束を、信じていないわけじゃない。 けれど、不安になる時だってある。そしてそれはきっと、私が、彼が、この仕事を続けていく限り、いつまでも付き纏うこと。 私は皆が思っているほど、強い女じゃ――ない。 自然のまま 夜も十一時を過ぎた公園は、やけに静かだった。通りがかる人もおらず、遠くでたまに犬の遠吠えが聞こえる程度。 体重をかけるとキシリと音を立てる木製のベンチにもたれたまま、高木は近くの外灯を、そしてそのずっと奥の空でほのかな光を放つ月を、ぼんやりと眺めていた。放つ光の明るさは外灯の方が強いのに、なぜか淡い輝きの月の方に惹かれる。人工的に造られた明るさより、自然の明るさの方が、やはり人間には馴染みやすいのだろうか。 そんなとりとめのないことを考える彼は、ベンチに座ってのこの五分、全く声を発していなかった。というのも、右隣に座る佐藤が、ずっとの無言のままだからだ。 今日は珍しく、高木も佐藤も揃って早くに退庁できた。そこで佐藤から「せっかくだし、食事に行きましょうよ」と誘われ、そこで煽ったビールや焼酎の流れで、他所の居酒屋に梯子し。何故かいつも以上のハイペースで酒瓶を空けていった佐藤は、最終的にはすっかり頬を赤く染め上げた。 足取りも覚束無い彼女を、タクシーを使うほどの距離もない所にある佐藤の家まで送ろうと、背負って歩いていた高木に突然、「公園に寄って」との指示が出て、今に至る。 ここに着いた途端、自ら高木の背中を降りた佐藤は、フラフラしながらもベンチまで自力で進み腰を下ろした。訳が分からないまま高木もそれに倣い、隣に腰を下ろして五分。何か目的があるのだろうかと、ずっと佐藤の出方を黙って待っているのだが、彼女はいまだに一言も喋らない。 月から視線を外し、高木はチラリと隣の様子を窺った。彼女は最初に座った時と変わらず、どこか宙の一点をぼんやりと眺めている。白い肌、けれど酒のせいで頬だけは朱に染まり。化粧気もほとんど無いのに、佐藤のその横顔は、完璧な化粧をほどこしている街の女性たちよりも美しく思えた。ここでもまた、自分は人工的な美しさより自然な美しさに惹かれているのかもしれない。 思いながら高木は、うっかり彼女を見詰め過ぎていることに気付き、慌てて視線を空の月に戻した。吹き抜けて木々をざわめかせる風は、夜ということもあり少し冷える。さすがにこれ以上夜風に当たっているのもまずいだろう。 ようやく、高木は口を開いた。 「そろそろ、行きませんか?」 五分待った。それで何も動かないのだから、もう彼女もこの公園に用は無いだろう。そう判断しての言葉だ。 そもそも、公園に来たことに深い意味などなかったのかもしれない。何しろ佐藤は、かなり酔っている。酔っ払いが思いつきで物を言ったり、奇行に走ったりすることなど、珍しくはない。 しかし、珍しいと思うこともあった。なぜ彼女は、あんなにも酒を飲んだのか。普段だって酒は飲むが、足元が覚束無くなるほどに飲むなんて、そうそうあることではない。 相変わらず右隣からは何の反応もないので、高木は再度呼びかけた。 「佐藤さん、あんまり夜風に当たりっぱなしでいるのはよくないですよ」 さっきよりも長い台詞に、高木は左頬に微かな痛みを感じる。正確には、左頬に貼られた絆創膏の下。 この傷が付いたのは昨日。追いかけていた被疑者が拳銃を所持しており、それを発砲された。 もっとも、被疑者自身も発砲したのは初めてだったらしく、震える手で放たれた銃弾は狙いを外し、高木の頬を掠めただけだった。けれど、下手な相手ならそれはそれで、逸れた銃弾がどこに飛んでくるか分からない。運が悪ければ命を落としていただろう。 喋るたびに痛む頬に、厄介だな、などと思っていると、不意に右肩に微かな重みを感じた。 「佐藤さん?」 驚きながらも、高木は小声で呼びかける。見れば、高木の右肩に佐藤が頭を乗せて寄り掛かっていた。寝てしまったのかと思っての小声だったのだが、しっかりとした声で言葉が返ってくる。 「信じてないわけじゃないのよ」 「え?」 思わず首を傾げた。唐突な言葉に、意味を掴み損ねる。 淡々とした声で、佐藤が注釈をくれた。 「私の元から絶対にいなくならないって、高木君の約束。信じてるのよ、ちゃんと」 高木がマリンランドでのことだと理解するのと、「だけど」と佐藤が口にしたのはほぼ同時。 「やっぱり、不安になる時だってあるの。私は、そんなに強くない」 言って、佐藤が高木の右腕のスーツを握り締めた。肩口に頭を置かれているせいで、彼女がどんな表情をしているのかが窺えない。けれど、スーツに皺をつくるその手は、細かく震えていた。 彼女の珍しい行動の原因はそれか、と高木はようやく思い至る。今にならなければ気付けない自分の鈍さに、少しばかり苛立ちも覚えながら。 昨日の現場には、佐藤も居合わせていた。発砲された瞬間に響いた、佐藤が叫ぶように紡いだ自分の名。頬をかすっただけだと分かった時の、佐藤のほっとしたような、怒ったような、泣き出しそうな、顔。 あの時―――マリンランドでは、はっきりと約束したけれど。そして今も、約束したその気持ちに嘘はないけれど。昨日のようなことがあった後に「大丈夫です」だとか「絶対にいなくなりません」だなんて、言ったところで気休めにもならない。 白々しいそんな言葉を吐くよりも、と高木は震える彼女の手に自分の左手を重ねる。心の中にある自分の想いが少しでも、この手を通じて伝わるように。 しばらくすると、佐藤の手の震えは治まった。そのまま、彼女が呟く。 「好きよ」 突然の言葉に、高木の心臓は思わず跳ねた。思えばこんなにハッキリと言われたのは初めてに近いかもしれない。 「昨日、あなたが発砲された瞬間、心臓を鷲掴みされたようだった」 「……」 「今までだって高木君のことを好きだと思ってたけど、ここまで好きになってるだなんて思わなかった」 そして佐藤はもう一度、「好きよ」と短く呟いた。 今日の佐藤は、ことごとく珍しい。珍しすぎて、慣れない自分はドキドキさせられっぱなしだ。 「佐藤さん、相当酔ってます?」 動揺を隠した声で問えば、佐藤があっさりと答える。 「当たり前でしょ」 肯定され、やっぱりなと思う反面、高木は少々残念にも思った。 自分から尋ねたこととはいえ、今の彼女の言葉が酔った上での戯言として処理されてしまうのは、惜しまれたのだ。 しかし、続いた佐藤の言葉は意外なものだった。 「酔ってなきゃ、こんな恥ずかしい本音、言えないわよ」 「え?本音?」 思わず訊き返したが、彼女から返答はなく。しばらくして高木の耳に届いたのは、微かな佐藤の寝息。どうやら本当に眠ってしまったらしい。高木はつい、苦笑を漏らした。 小さく上下する佐藤の身体を見詰めながら、高木は考える。 佐藤は誤魔化すことなく本音を自分にぶつけてくれた。ならば、自分も伝えてみようか。ありのまま、自然のままの―――本音を。 「おれも、好きですよ。おれには貴女だけです」 囁いて、肩口で揺れる佐藤の頭部にそっと唇を寄せる。 人工的に染められていない、自然のままのその黒髪は、やはり美しかった。 |
あとがき miwakoさまより頂戴した「あま〜いラブラブな高佐」というリクエストで書かせて頂きました。 ……甘いって、ドンナカンジデスカ?(笑) 今まで散々逃げてきた、糖度高めの話。だって、書くの苦手なんですものー。(大笑)そんなこんなで今回、七転八倒しながら書きましたが、果たして甘い話、ラブラブな話になっているのか。とりあえず、これが今の私の精一杯です。 でもきっと、こんなリクエストを頂かなければ、今回のような話は一生、生まれなかっただろうと思います。miwakoさま、リクエストしてくださって有難うございました! |