そんなこと、ない。

 

 

 蹴り飛ばした最後の一人が、奇麗な放物線を描いて海へ落ちていくのを見送ることもなく、眼の前に立つスーツの男は、緩んだネクタイを元に戻しながら軽い口調で言った。

「うっし、終了」

 

 

 その日の船の見張りは、チョッパーとサンジだった。この島にメリー号が着いたのは昨日の朝で、チョッパーは医学書を漁りに、サンジも食糧調達をしに街へ出かける許可が停泊後すぐにナミから下りたため、昨日のうちに二人の用事はほぼ終わってしまったからだ。

 そして見張り中、この船を海賊船と知った荒くれ者たち数名が襲いかかってきたのが数分前。

 

 

 戦闘後の一服とばかりに、サンジが胸ポケットから煙草を取り出し火をつけた。

「こりゃあナミさんに言って、船の停泊場所を移動してもらわないといけねェな。ログが溜まるまでまだ五日もあるし」

 煙と共に苦々しく吐き出される言葉を聞きながら、けれどチョッパーはそれには応えず、違う感嘆を呟いた。

「やっぱりサンジって、強いよな」

 今の一戦でもそうだった。サンジが応戦一発目から相手のリーダーと思しき男をあっさり気絶させてしまったため、相手側の士気が一気に下がったのだ。おかげでチョッパーも、ランブルボールを使うまでもなく、人型になるだけで充分対応できた。もっとも、相手の内の七割はサンジの足の餌食となっていたが。

 

 チョッパーの声に振り向いたサンジは、一瞬小首を傾げた。が、すぐにふふん、と大袈裟なほど不敵に笑ってみせる。

「何を今更、分かりきったことをしみじみ言ってんだ」

 半分ふざけて、半分本気で、そんな風に言ってしまえるのも、この料理人が自分の戦闘能力に自信があるからなのだろうとチョッパーは思う。自信と、それに伴う実力。

 例えば今、サンジの肩越しに見える男たちはどうだろう。自信があったからこそ、この船を襲ってきたのであろう彼等。ずぶ濡れ状態で海から砂浜へと這いあがるその男たちは、「畜生」だとか「覚えてろ」だとか、セオリー通りの言葉を叫びながら逃げ帰っていく。サンジが言うように早めに船の停泊場所を変えなければ、もっと人数を増やして、あるいはもっと強い人間を引きつれて、宣言通り再びこの船を襲ってくるのかもしれない。

 そのようにする彼等はきっと、自分の実力によってではなく、周囲の力を借りることによって、自分に自信を持とうとしているのだろう。どちらも自信を持つという点では同じだが、それを支える根拠が異なる両者を同列として扱っていいものか。

 

 次々と投げられる捨て台詞など耳にも入っていないのか、サンジはそちらを振り向くこともせず船縁に背を預けた。何度注意しても絶えてくれない有毒な煙が、そうとは思えぬ白さをもって、サンジの口元から空へと立ち昇る。

「だけどな、チョッパー」

「うん?」

 煙からサンジへと視線を移せば、相手は空を仰いだままだった。けれど、さっきまで態度に混ざっていたふざける様な空気は無い。

「お前曰くの強いおれでも……いや、下手に強いからこそ、持てない勇気ってのもある」

「え!?ほんとか!?」

 意外な言葉に、チョッパーは思わず瞬いた。ゆるりと縦に動いた金髪が、肯定を伝える。

「へーっ、サンジみたいに強い奴でも持てない勇気ってあるのかぁ。じゃあ、誰なら持ってるんだ?ルフィか?」

「おいチョッパー、今言ったろ?強い奴ほど持てねぇって。おれも、ルフィも、……認めるようで癪だがクソ剣士も、その勇気だけは持てねぇ。幸か不幸か、そこらの奴らよりちょっとは腕っ節が強いからな」

 もっとも、おれは正確には腕じゃなくて脚だが。小さく笑って付け加えるその目が少し遠くを見るようにするので、チョッパーは問いかけた。

「サンジは……その勇気が欲しかったのか?」

 喧嘩が弱い者は、努力次第で強くなれる可能性もある。が、既に強い者が喧嘩に弱くなることは不可能だ。

 けれど、返事は即答で返された。

「いーや。おれはそんな無い物ねだりなんてしねぇよ。おれはおれで、自分なりの勇気を持ってるつもりだしな」

 きっぱりと言い放ち、サンジが見下ろしてくる。

 けどな、と笑った。

「自分に無い分、その手の勇気はすげぇ尊いもんだとは思う」

「……それって、どんな勇気なんだ?」

 そんな顔をして「尊い」と称する勇気とは。

 尋ねれば、サンジは「そうだなぁ」と視線を宙に彷徨わせた。

 

「ウソップみてぇな勇気……かな」

 

 

 

 

 船の停泊場所を移して二日後。チョッパーは再び街へと降りた。

 一日目は砂浜を抜ければすぐだった街が、今度の場所からは森を抜けてしばらく歩かなければならない。ナミが、これではゾロはもっぱら船番にしておくのが賢明だと言っていたのを思い出し、納得しながら森を抜け、街に向かった。

「うーん、包帯がありそうな店は……」

 立ち並ぶ店をキョロキョロと見上げながら進む。

 別に包帯が足りなくなっているわけではないが、無茶をする人間が多いあの船では、包帯が多くて困ることはない。この島は比較的物価が安く、医学書一冊とおやつを買ってもお小遣いに余りが出たため、残りは全て包帯代に充てることに決めた。

「ここは靴屋で、ここは……洋服屋かぁ。布は布でも、包帯は置いてないだろうな……って、ん?」

 チョッパーは、ふと歩みを止めた。前方に数人の人だかりが見える。店と店の間の細い道を取り囲んでいるようだ。中には、興味を引かれたように立ち止まったものの、すぐにそそくさとその場を立ち去っていく人もいる。

 五つ数える間その人だかりを見詰め、チョッパーは歩を進める先を変えた。

 

 

 人獣型の小ささを利用し、集まっている人間の足元をすり抜け前列へと進む。

 人々の視線の先を確かめようと顔を上げるよりも早く、その声は響いた。

「やっ、やめろ!」

 力強いというよりは、少し震えたような声。聞き覚えのあるそれに、チョッパーは慌てて視線を巡らせた。と、人の輪の中から進み出る長い鼻がある。こんな特徴的な鼻、見間違えるはずもない。新兵器開発のための材料が欲しいと、自分よりも先に船を降りていたウソップだった。

 ウソップが見据える先――人の輪の中心には、見るからにガラの悪そうな男たちが五人。その足元には、中年の男が一人転がっている。誰に説明されなくとも、大体の現状の予測がついた。

「あぁ?鼻の兄ちゃん、今何て言った?」

 五人の男たちが、揃ってウソップへ向き直る。

 両手を握りしめて立つウソップの足は、小刻みに震えていた。顔からも血の気が引いている。それを見てだろう、別の一人が小馬鹿にしたように笑い、

「今ならまだ、聞かなかったことにしてやってもいいぜ?失せな」

と尊大に言う。

 けれどウソップは、声がひっくり返りながら尚も動かない。

「『やめろ』って……言ったんだ」

 これでもかと眼を付けてくる相手から、視線を逸らさずに。

 ふと、チョッパーの脳裏に二日前のサンジの台詞が蘇った。

 

 

『あいつはバカだ』

 「ウソップみてぇな勇気」と言った男は、小さく肩を竦めてみせた。

『普段の逃げ足は天下一品のくせに、ここぞという時にはそれさえ使わねぇ。足がガタガタ震えてようが、どんだけ冷汗かこうが、逃げねぇ。そして立ち向かう。どうしようもなく要領の悪いバカなんだ、あいつは』

 そう言ったサンジは、ひどく優しい目をしていた。

『そういうのが、おれやルフィやゾロは一生得ることができねぇ勇気だ』

 

 

 今この場で、ウソップには「助けに出ていかない」という選択肢もあったはずだ。周りは皆、傍観者ばかり。それらに混ざってウソップ自身も見て見ぬふりをすることだって、可能だったはず。

 ――だけどウソップは、こうして前に出る。

 おまけに相手は五人。いくらウソップの射撃の命中率が良くても、パチンコでは一人二人を倒す間に他の者に取り押さえられる可能性の方が高い。どう考えても不利だ。

 ――それなのにウソップは、こうして「やめろ」と言う。

 二日前に一緒に戦ったサンジの足は、震えてなどいなかった。いや、船を襲ってきた奴等にだって、足を震わせている者などいなかった。ところが今眼の前にいる彼の足は、どう見ても恐怖に震えている。

 ――それでもウソップは、こうしてこの場から逃げ出さない。

 

 助けることのできる者が助けに出ていくのは、ある意味当然のことかもしれないが。返り討ちに遭うかもと思いながら、怯えながら、それでも出ていけるのは、勇気だ。

 それは無謀で、「要領の悪いバカ」な行為なのかもしれないけれど―― それでも「尊い」と思える、勇気。

 

 

 ウソップの態度に、男たちの表情が険しくなった。わざとらしく指を鳴らしながらにじり寄る。ウソップも片足を一歩引いて構えると、パチンコを取り出そうとしてだろう、ポシェットに左手を突っ込んだ。

 このままではやはりウソップが危ない。加勢しようとチョッパーが脚に力を込めた瞬間、バタバタと数人の騒がしい足音を耳が拾った。

「駐在さん、こっちだ!早く!」

 誰かが呼びに動いたのだろう。黒い制服を纏った男が三人、こちらに向かってくる。

 蜘蛛の子を散らすように辺りの人垣が崩れ、ウソップを取り囲もうとしていた男たちは舌打ちを残して走り出す。駐在二人がそのまま男たちを追い、一人が倒れていた中年の男を保護した。

 

 

 野次馬や傍観者たちが、一気に興味を失くしたように立ち去っていく中。「助かった……」と呟いた男が、ヘナヘナと地面に膝をついた。この場でたった一人、サンジ曰くの「どうしようもなく要領の悪いバカ」に当てはまった人物だ。

 ぼんやりと視線を彷徨わせるウソップ。そんな彼の様子を独り動かずに見詰めていたから目立ったのだろう、その目はすぐにチョッパーを捉えた。

 するとウソップは力なく苦笑して、

「かっこわりぃとこ見られちまったなぁ」

などと呟く。だからチョッパーは、

「そんなことない」

と首を振った。

 なのに相手はきょとんとした顔で見てくるから、チョッパーはウソップの目をしっかりと見据えてもう一度、「そんなことない」とキッパリ言った。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 これもやっぱりキャラ語りのページで書いているのですが(苦笑)、ウソップやナミさんのように、悪魔の実の能力やバケモノじみた強さを持たない人が、それでも敵に立ち向かっていくのは、物凄く勇気のいることですよね。49巻481話でも、ブルブル震えながら皆と一緒にモリアの前に立ったままでいたウソップに脱帽でした。

 ウソップ、ハッピーバースデー!!

 

 

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