占いを信じるか、信じないか。

 そんなことはその人の自由だし、

 それについてどうこう言うつもりもない。

 でも、“私”は。

 占いなんて――信じない。

 

 

それは、夏のせい

 

 

 信号が青に変わると、佐藤は駆け足で横断歩道を渡った。そのまま左へ折れ、歩道を走ること四軒分。そこが彼女の目的地だった。

 扉を押し開けると、取り付けられていたドアベルが、チリン、と軽やかな音を奏でる。そこは、佐藤の家から徒歩十分ほどの喫茶店。中は冷房が作動しているらしく、程よい冷気が、走ってきた身体に心地いい。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

 笑顔のウェイトレスが近付いてくる前に、佐藤は既に店内へと視線を巡らせていた。

「いえ、先に連れが来ていると……あっ、いた」

 左側の奥、窓際のテーブル。待ち合わせの人物はこちらに背を向けて座っていたが、すぐに彼だと分かった。それが、由美曰くの愛のなせる技なのか、ただ単に長い付き合いになるからなのかは分からないが。

 ウェイトレスに「いました」と軽く笑いかけ、そのまま相手のいるテーブルへと向かった。

 

「ごめん、高木君!遅くなっちゃ……て?」

 待ち合わせの時間より五分強の遅れ。謝りながら男の顔を覗き込んだ佐藤は、思わず小首を傾げた。いつも笑顔の印象が強い高木が、どことなく、項垂れているように見えたのだ。そんな彼の視線の先は、握り締めたままの雑誌の一ページ。

「高木君?たーかー?大丈夫?」

 ブンブン、と彼の顔の前で片手を振ってやれば、高木はようやくこちらを向いた。

「あ、佐藤さん!いえ、大丈夫ですよ。そんなに待ってませんから

「そうじゃなくて」

 やってきた別のウェイトレスにアイスティーを注文しながら、高木の向かいの席に座る。高木の傍には、すっかりグラスが水滴だらけになっているアイスコーヒーがあった。

「どうかしたの?ショックを受けた人の見本!みたいな顔してたわよ

「はぁ、見本……ですか」

 ちょっと苦笑をしながら、高木は「別にそこまで大した事ではないですけど」と前置きする。

「待っている間に、ここに置いてあった週刊誌を見ていたです。そうしたら……」

 一旦言葉を切った相手は、こちらに雑誌を示してきた。そのページのタイトルは、「今週の12星座占い」。

高木の人差し指が、紙面上の一点をコンコン、と指した。

「ほら。僕の星座、今週ビリみたいで」

「あぁ、それでさっきの顔」

 確かに高木の言うように、そんなに大した事ではないな、と佐藤は思う。

「別に深く信じてるわけじゃないですけど、やっぱりビリなんて示されちゃうと、ちょっと気分がへこむですよねー」

「ふーん?まぁ、『“今月の”星占い』 じゃなかっただけ、まだマシだと思えば?あと五日ぐらいの辛抱じゃない」

「それはそうですけどね。……あ、そういえば佐藤さんの星座は、五位でしたよ」

「そう。可もなく不可もなく、って感じかしら?」

 言いながら雑誌を閉じる佐藤に、高木はおや、という顔をした。

「読まないですか?自分の星座のところ」

「ええ。私は別にいいわ」

 そのまま佐藤は雑誌をテーブルの隅に移動させる。高木はようやく、忘れられていたアイスコーヒーのグラスに触れた。

「へぇ、意外です。女性って占いとか好きそうだから、佐藤さんもそうなんだと思ってました。佐藤さんは、占い嫌いなんですか?」

「嫌い……というより、信じてないって感じかな」

 正直に答えれば、コーヒーを一口啜った相手が小首を傾げる。

「どうしてです?」

「どうしてって……」

 

 

 

 それは、十八年前のとある朝。最低最悪の日の始まり。

 気をつけて、と身を案じる母の言葉に、父は笑って応えた。

『心配ないさ。それに占いによれば、今日のオレはつきまくってるらしいからな

 そう言って玄関を出た父は、二度と家に戻ってくることはなかった。

 占いで最高の運勢だったはずの日に、父は他界した。

 どこが、“ついている”?

 何が占いだ。

 

 幼心にそう、思った。

 

 

 

「佐藤さん?」

 顔を覗きこまれ、佐藤は我に返った。

 慌てて先の話題を思い出す。

「どっ、どうしてって、考えてもみなさいよ。自分と同じ星座の人が、この世に何人いると思ってるの?その人達みんながみんな、同じ様に忘れ物をしたり、運命の出会いがあったりすると思う?ありえないでしょう」

 さすがに本当の理由を言うのは少し憚られて、もっともらしい理由を代わりに告げた。高木は「はぁ……」と曖昧な返事を返すのみだ。

 そんなタイミングを見計らうかのように、アイスティーが運ばれてきて。それを受け取った佐藤は、笑顔で話題の転換を試みた。

「で?これを飲み終わったら、どこに連れて行ってくれるの?」

 

 

 

「あ、雨……」

 高木とデートをした日から二日。所轄署から出てきた佐藤は、玄関で困ったように空を仰いだ。

 朝は晴れていたというのに、空の気分は変わってしまったのか、今ではすっかり黒雲だらけで泣き出している。本庁からそう遠くは無いからと、徒歩で来てしまったことに佐藤は後悔した。

「あれ?雨ですか?」

 遅れて署から出てきた後輩が、驚いたような声を上げる。

「そうなのよ、参ったわ。ここでしばらく雨宿りしていくしか……」

「僕、折り畳みの傘なら持ってますよ

 言いながら、後輩は鞄から紺の傘を取り出してみせる。

「え?今日、雨が降るって知ってたの?」

「いえ。念のために持ち歩いてただけで……」

「さすが。準備いいじゃない、高木君!」

 照れるように言う相手の肩を、思わずポンッと叩いて。佐藤は満面の笑みを浮かべた。

 

 

「あの占い、当たったなぁ……」

 ボソリ、と呟かれたそれに、佐藤は「ん?」と問い返した。

 傘の銀の親骨を挟んで隣を歩く男は、少々驚いたようにこちらを見下ろしてくる。

「あ、すみません!独り言のつもりだったですけど」

「別にいいわよ。あの占いって……この間の喫茶店で見たやつ?」

「はい。あれに書いてあったラッキーアイテムのことを思い出して……」

 言われ、佐藤も記憶を手繰り寄せてみる。確かに救済処置とでもいうように、ビリの星座にはラッキーアイテムやラッキーカラーが示されていた。

 あの時に書かれていたラッキーアイテムは……。

「あぁ。折り畳み傘だったわね」

「ええ」

 成る程ねぇ、と佐藤が呟く。

「まぁ確かに、雨に濡れなくて済んでラッキーかもね」

「……。そ、そうですね」

 微妙な間を空けて返ってきた応えに。佐藤は怪訝そうに眉をひそめた。

「何?その反応」

「え?」

「とぼけても無駄。他に何か、ラッキーだと思った理由があるでしょ?」

 観念しろ、と目線で訴える。

 高木は困ったように視線を宙に彷徨わせ、無言の空間には傘に転がる雨粒の音だけが響いた。

 

「……れるなぁ、と」

「うん?」

ようやく開いた口から零れたのは、小さな声で。

そんなに言いにくい事なのかと思いつつも、再度問い返せば。

「ですから。折り畳み傘を持っていたから、こうやって佐藤さんと堂々とくっついていられるなぁ……と」

「なっ!」

 体中の血液が、一気に逆流した気がした。見ているわけでもないのに、自分の顔が赤くなっていくのが分かる。

 訊いてしまったことへの後悔やら、恥ずかしさやら、嬉しさやら。色んな感情がない交ぜになり、佐藤はそのまま逃げるように歩のスピードを上げた。

「あぁっ、ちょっと佐藤さん!離れたら濡れますって!」

「いいわよ、別に濡れたって!」

「よくないですよ、風邪ひきたいですか!?」

「この際ひいてもいいわよ!高木君がサラッと恥ずかしいこと言うからいけないでしょ!?」

「そんな!佐藤さんが無理やり言わせたじゃないですかー」

 

 

 天空から静かに降り注いでくる、雨の粒。

 困ったように、それでも必死に追いかけてきてくれる高木の声。

 

『こうやって佐藤さんと堂々とくっついていられるなぁ……と』

 

 そう言われた時。

 たった一瞬でも、「占いを信じてみるのも、悪くないかもしれない」なんて思った私は。

 きっと、どうかしている。

 

 

 きっと、夏の暑さにやられただけだ。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 18年前のことは、27巻の恋物語3を参考に。

 ……というか、何で私の書く二人はこんなに恥ずかしいだろう。(苦笑)

 ちなみに私は狡いタイプで、占いは良い結果の時は信じて、悪い結果の時は気にしないようにしちゃいます。(笑) あぁでも、わざわざ占い師さんの所まで行って占ってもらったりはしないかなぁ…。

 

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